十月四日{日曜日}晴。午後執筆。幸にして訪問記者来らず。薄暮夕餉を食さんとて銀座へ行く。日曜日にて雑遝甚し。去つて濹東陋巷の女?を訪ふ。帰途車にて大川端を過ぐ。半月本所の岸にあり。一ツ目の夜景甚佳なり。十時過帰宅。風露冷なり。*

引汐や夜寒の河岸の月あかり

昭和十一年十月六日。空くもりて萩の葉さへ動かぬ静かなる日なり。筆をとらむとする時日高君朝日新聞記者某氏と相携へて来る。談話一時間ばかり。家に在らばまたもや訪問記者の来襲を蒙るべしと思ひ倉皇洋傘を携へ浅草に行く。白髯橋をわたり木母寺を訪ふ。一直線に広き道路をつくり目下セメントの工事中なり。迂曲したる古き土手もところどころに残りたれど樹木なければ旧観を想起すこと能はず。木母寺は高き道路の下に圧し潰されたるが如くになりて、境内の空地には三四日前の潦水?(ろうすい=たまり水)猶去らず沼のやうなれり。碑碣?(ひけつ)も見ること能はざれば来路を歩み、白髯橋東畔より京成バスに乗りて玉の井なるいつもの家を訪ふ。日は早く暮れたり。家には三ツ輪のやうなる髷結ひし二十一二才の女新に来り、また雇婆も来り、茶の間にて夕餉を食し居たり。主人も来りたればこの土地のはなしをきゝて、七時頃車にて銀座に行き銀座食堂に飯して麻布に帰る。*

十月七日。 秋陰昨の如し。終日執筆。命名して『濹東綺譚?』となす。夜九時過銀座に徃き久辺留に休み夜半にかへる。再び執筆暁二時に至る。静夜沈沈虫声雨のごとし。

〔欄外墨書〕登張竹風?日々新聞紙上にて国語の浄化を説く名論なれど行はれ難きものなり*


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Last-modified: 2015-01-10 (土) 16:30:43 (810d)