九月初一秋霖霏々。午後慵斎主人小山書店主人と共に来る。余が旧著すみだ川梓行の事につきてなり。
[欄外朱書]旧八月四日

九月初二。雨降りては歇む。すみだ川改刻本の序を草す。晩間雨の晴れ間を窺ひ銀座に徃き竹葉亭に飰し、茶店きゆうぺるに小憩してかへる。今日二百十日にあたるといふ。

九月初三。雨は歇みしが空晴れず。溽暑甚し。蟋蟀昼の中より鳴きしきる。されど今年は法師蝉を聞くこと稀なり。午前中曝書。午後天保事〻録を読む。夕餉すまして後銀座散歩例のごとし。

九月初四。陰雲暗澹時〻雨あり。半日眠を貪る。旧木曜会諸氏明日小波先生墓参に赴くと云ふ。

九月初五。くもりて蒸暑し。晡下三越百貨店一誠堂古本展覧会を見る。帰途銀座食堂に飰す。

九月六日。陰また晴。午後野田書房主人来談。燈刻芝口の芳中に飰す小松来る。

当世風俗覚え書

一 尾張町カッフェータイガ出来はじめの頃二三年間酷暑の頃にても洋服上着を抜ぎシャツの腕をまくり上げて酒飲むもの甚稀なり。紙屑巻煙草吸い殻等を卓子の下に捨てるものも少かりき。昭和六七年満州戦争はじまりし頃より風俗一般に粗暴野卑となり男は街上にても暑き時は洋服上着を抜ぎて小脇にかかえ帽子をかぶらず。竹葉亭銀座食堂など普通の飲食店に入りてもタバコの吸い殻を床に捨て空椅子を引寄せ泥靴のまま足を載せる者もあり。三四十歳までの男大抵は両手を振り上半身をゆり動かし方で風を切つて歩くなり。学生も制服のままやはり同じやうな歩きつきをなす。男三、四人連立ちて歩行するさまを見るに多くは互いに腰を抱き合ひまたは肩へ手をかけ合ひ大声に談笑す。街上または飲食店にて知人に出逢ふ時西洋風に握手する者多し。握手の仕方紐育陋巷の無頼漢のなす様に似たり。

一 女子の風俗を見るに夏は洋服が涼しいといひて五六才より三十前後まで安洋服を着ざるものは殆どなし。四、五年前までは洋服にて下駄をはき物買ひに行く姿を見れば笑ふものありしが、今はこの奇風一般になりて怪しむものなし。十二三の少女は家にゐる時は海水浴用の短衣一枚にて両腕両腿を露出し道端の腰掛に馬乗りに腰をかくるも誰一人怪しむものなし。三十近き女房にて浴衣に兵児帯を後に垂らして締め八百屋などに買物に行くものまた珍しからず。
[欄外朱書]女子衣紋?をつくるため(襟の形後方より見たる形を云ふ)半襟と衣服との間にセルロイド製の物を挿入す恐らくは本年度夏より始しなるべし*

九月七日。くもりて蒸暑し。この日亦曝書

九月八日。(日曜日)陰晴定まらず溽暑甚し。夜に入るも風なし。半輪の月明かなれば築地本願寺裏河岸より余が旧居のあたりとおぼしき横町を歩む。されど何等の興味もなし。東京劇場また歌舞伎座の前を通りても昭和三年以来芝居を見たることなければこれ亦何の興味も感ぜしむる事なし。

九月九日。秋も(たけなわ)になりて溽暑却て甚し。深夜に至るも涼風吹き出でず。蟲の声のみ徒に(おお)し。

九月十日。雨風烈しく時〻雨あり。終日米国公使ハリス日本駐箚日誌を読む。風雨晩晴。月あきらかなり。旧著すみだ川復刻の序を草して小山書店に郵送す。銀座カッフェータイガ突然閉店。森永菓子店?その後を買取りしといふ。

九月十一日。くもりて午後より雨降る。晩食の後神田淡路町酒井好古堂に赴き清親東京名所絵を見る。

九月十二日。陰。腹痛下痢一、二回。終日ハリスの日誌をよむ。この夜中秋の佳節なれどもくもりて月なし。の声夜ごとにせはしくなれり。

九月十三日。時〻細雨あり。午後小山書房主人来談。すみだ川復刻本に挿入すべき風景画及写真を渡す。燈刻銀座食堂に飰す。街上杉野氏に逢ふ。松島屋眼鏡店?にて老眼鏡の修理をなさしむ。今まで遠視十度なりしを八度となす。故人神代君の遺児先頃よりこの眼鏡屋の店員になりて住込みたる由番頭のはなしなり。

九月十四日細雨ふりてはまた歇む。湿気甚し。八月末より青空を見ること無し。夜烏森の芳中に往きて夕餉を食す。三更地震あり。
[朱書]書估小山久二郎 小石川諏訪町五十九番地

九月十五日。くもりて暗き日なり。晡日日本橋白木屋楼上古本展覧会に赴き尾張町竹葉亭に飰してかへる。銀座七丁目辺の歩道に陸軍〻人を優遇尊敬すべきことを筆太にかきたる大いなる紙を背と胸とにさげ頭にも同じやうなことを書きし紙を頭巾の如くに冠りたる男一人立ちたり。その形左の如し 紙上の文字冗漫にして記憶せず 〔ここに男の絵が挿入されている〕

九月十六日。陰。書窓暗澹たり。神兵隊陰謀事件の号外出づ。

九月十七日。また雨。いつ晴るるとも知れぬ空模様なり。午後小山書店主人来談。
〔欄外朱書〕美濃部博士憲法問題一時落着

九月十八日。雨 晡時に至つて始めて歇む。

九月十九日。久振りにて日光に接す。再び秋の鳴くを聴く。隣家の石榴その実鷄卵ほどの大きさとなれり。夜W生より電話あり。烏森の一旗亭にて小飲す。冷露肌に沁む。

九月二十日。空またもや曇りて暗し。生田葵山余が青年の頃の私行 を書きつゞりて文芸春秋?の誌上に載す。余の事のみに止まらず小波先生猶独身の頃情婦と同棲せし事まで憚る處なく書出したり。葵山の身に取り小波先生は恩師なり。恩師の没後その遺族知名の士となれるにも係らず濫に其私行を(あば)く。実に忘恩不義の悪人なり。余憤懣禁ず可らず電話にてこの事を巌谷三一君に報ず。且つ葵山とは既に交を断ちたる事を告ぐ。午後ケーベル先生の雑録和訳文を読む。夕餉の後銀座散歩。茶店久辺留に憩ふ。安藤歌川高橋大和田杉野竹下宮崎万本の諸子に逢ふ。三原橋手前三十間堀地蔵尊近所の空地に遊泳の見世物あり。見に行くもの多しと言ふ。

九月廿一日。終日雨霏〻として歇まず。晡時白木屋楼上古本展覧会を看る。銀座食堂に飰して後久辺留に立寄りてかへる。

九月廿二日。雨今日もまた降りしきりて()るゝ望もなし。夕餉して後銀座裏茶店久辺留に赴き見るに安藤歌川万本の三氏在り。竹川町の花月この程金拾六萬円にてカフヱー銀座パレス主人榎本某の手に帰したりと云ふ。余曾て花月の主人より此の酒楼の歴史につきて聞きしことあり。花月先代の主人は幕臣にて、明治二三年頃竹川町現在の土地は紺屋の干場なりしかば、こゝに葭簀張り掛茶屋をつくり、茶漬飯屋をはじめしに、諸藩の兵士采女が原其他に屯集しゐる頃なりしを以て、案外に繁昌し忽楼閣庭園を築造するに至りしなり(明治五年京橋一円大火の後煉瓦地となりし頃の事なるべし)花月は明治以後新橋花柳界の繁栄するにつれ多年都下第一の酒楼と称せられしが、大正四五年の頃とり借財次第に多くなり、先代の主人は隠居して鶴見花月園の別宅に引込み、養子権八郎(洋画家岡田三郎助門人なり)を二代目の主人となしたり。されど商売兎角思はしからず数年前新橋五業組合より脱し日本料理を廃し牛肉すきやきを看板にして(わづか)花月の名を存せしめしなり。昭和改元以来時勢の変遷に従ひ日々目のあたり世の無常を見ること挙げて数えがたし。当今の世は陰謀家と関西企業家等の暴威を振ふ時代なり。花月楼の閉店は主人が商法の善悪に起因するものには非ざるなり。
[欄外朱書]俳優坂東秀調歿年五十六

九月廿三日。くもりて暗し。午前都新聞記者電話をかけ来り、市川左団次芸評談話筆記を同紙上に掲げたしと云ふ。談話筆記は余の最恐るゝ所なれば拒絶したり。終日ハリスの日誌を読む。燈刻尾張町の竹葉亭に到りて夕餉を食し茶店久辺留に立寄り、いつもの諸子と笑語し夜のふくるを知らず、店内設置のラヂオ大風雨襲来の警告をなせるを聞き、酒泉氏と共に俄に立つて帰途に就く。尾張町角にて偶然邦枝完二君に逢ふ。今朝生田葵山邦枝君を其家に訪ひ頻に余が事を誹謗したりと云ふ。家に帰りて直に枕につきしが風雨未来らず。虫声唧々たり。

九月廿四日。(秋分)あさまだきより雨烈しく降り出せしが幸に風なし。午後より西北の風吹起りしがあらしといふほどにもあらず、篠つく雨の中に日は暮れたり。雨一時()みたれば銀座に徃かむとするに雷鳴りひびきて雨また車軸を流すが如し。遂に家にとどまる。三更に及び雨()みしが雲低く物凄き空模様なり。

九月廿五日。南風吹出で暗雲散じて青空現る。溽暑俄に甚しくまた鳴く。昨日は華氏六十五六度の寒さなりしが今朝は八十度の暑さなり。寒暖の激変驚くべし。俚諺にあつさ寒さも彼岸までといふ事ありしが東京の気候年〻険悪となり今は古き諺もやくには立たぬやうになりぬ。諺のみならず学問道徳芸術をはじめ古人の言にして今の世に用をなすものは殆ど後を断つに至れり。時勢と人心との変化是不もなき次第なり。夜に至り空またくもりて驟雨来る。

九月廿六日。晴れて暑し。利根川氾濫。午後銀座伊東屋古洋書即売会に赴く。ペルリ東航誌を購ふ(参拾八円)英文吉原遊郭志の巻末に箕輪浄閑寺墓地の写真及盛糸新比翼塚の写真あるを見たり。銀座食堂に夕餉を食し久辺留に一茶してかへる。

九月廿七日。陰。昨今両日大工岩瀬来りて門の柱の腐りたるを修繕す。午前ハリス東亜日誌を読み終りぬ。京都山田一夫方へ某氏の情死論謄写摺草稾を返送す。
The complete Journal of Townsend Harris,introduction ando notes by Mario Emilio Cosenza,Ph.D.professor of Classical Languages,The College of the City of New York,Published by Doubleday,Doran and Company,inc.Garden City New York,1930.

九月廿八日。晴。気候順調となる。曝書

九月廿九日。陰。午後牛込柳町野田書店主人来談。燈刻尾張町角竹葉亭に飰し茶店久辺留に立寄りて帰る。

九月三十日。晴又陰。午後日本評論社記者来りしが会はず。晡時小山書店主人来談。

 曝書雑記

天保六年為永春水風月花情春告鳥巻九第十九章に云。近来(ちかごろ)の流行ことばに嫉妬(やきもち)をやくことをじんすけといふことは遊郭の隠しことばなりしを、今は荒麻の風呂敷を背(おつ)て使にあるく上出店(おたな)の小僧の(ことば)となり、昨日山家を(いで)し猿の様なる丁稚が、前後も知らで堕荷を帰して嫉妬(じんすけ)を揚てト、そゝり節に異変なる声にうたへば、実に正銘まじりなしの江戸ッ子が、流行おくれのじんすけをいつまでいふべきことならんや。こゝにおゐてお熊嫉妬(じんすけ)といふことばを嫌ひて白地(あからさま)にやきもちとはいふなり。最早じんすけおつこち気障(きざ)言葉をやめて、新らしき、東ッ子らしき真の通言をこそ好ましけれ。以来ハじんすけといふ詞を遣人(つかふひと)をさして気障(きざ)本店(ほんだな)と笑ふべし。此ことをしるす中にも彫刻の間に光陰うつりて予が筆もまた流行におくれんことをおそるゝのみ。天保六年の九月はじめつかた、はやこのことをそしりてしるす。


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Last-modified: 2015-03-27 (金) 06:45:15 (820d)