四月一日。(旧二月二十八日)乍晴乍陰。隣家の咲き初めたり。

四月二日。午後驟雨あり。晴れて後風甚寒し。

四月三日。晴。冬の蠅印刷校正終る。

四月四日。陰。花漸く開く。晡時土州橋病院に往き銀座に飰して帰る。夜雨。

四月五日。烈風大雨晡下に至りて霽る。美代子と逢ふべき日なればその刻限に烏森の満佐子屋?に往きて待つほどもなく美津子[「津」はママ]は其の同棲せる情夫を伴ひて来れり。会社員とも見ゆる小男なり。美津子この男と余を左右に寐かし五体綿の如くなるまで媱楽に耽らんといふなり。七時頃より九時過まで遊び千疋屋に茶を喫して別れたり。空よく晴たれど風再び寒し。市兵衛町宮様堀外の満開となる。但し昨今の風雨に花の色全く褪せたり。

四月六日。朝晴れしが午後よりくもる。薄暮雨となる。夕餉を食せむとて銀座に行く。日比谷の四辻にて花電車の過るに会う。雨中これを見る者の如し。[以下九字抹消]

四月七日。晴。晡時美津子来る。一時間ばかりにて去る。六時過銀座に往く。日曜日にて雑遝甚しければ不二あいすにて夕餉を食し直に帰る。

四月八日。晴。午後散歩。丸善に立ち寄りキユペルに憩ふ。広瀬歌川の諸子と千疋屋に飰す。

四月九日。春雨瀟々夜に至つて霽る。小泉八雲尺牘集を読む。八雲先生が日本の風土及生活につきて興味を催したる所のものは余が帰朝当時の所感と共通する所多し。日本の空気中には深刻なる感激偉大なる幻想を催すべきものゝ存在せざる事を説きたる一文の如きは全く余の感想と符号するなり(仏訳本五十六頁)

jamais une belle inspiration, jamais une èmotion profonde,une joie profonde,ou une profonde douleur-jamais un frisson……je ne puis rien dècouvrir qui ressemble à ce que je trouverais immèdiatement dans tour pays latin, un violent frisson dëmotion.

四月十日。雨やまず。夜に至りて風亦加はる。

四月十一日。陰。午後また雨となる。燈刻銀座に行き不二アイスに飰しキユペルにて京屋印刷處の児玉?氏に逢ふ。拙著冬の蠅十五日には製本出来すべしと云。夜半地震あり。

四月十二日。陰また晴。夜牛門の遲〻亭?にて飰す。奇談あり。自ら愧ぢてしるさず。

四月十三日。晴。拙著冬の蠅製本出来。

四月十四日。(日曜日)曇りて風冷なり。落花雪の如し。燈刻(七時)銀座に往き銀座食堂に飰す。アイナメの照焼味佳し。この夜銀座通人で多からず。

 自費出版冬の蠅勘定書(見積壱千部に付きてなり)

一部売価金弐円也

一部に付印刷製本共実費金八拾壱銭也

丸善依詫[「詫」はママ]手数料七掛の事(丸善利益六拾銭也著者利益壱円四拾銭也)

広告代金壱百円位ノツモリ

 一千部に付き印刷所へ支払金八百拾円也(広告百円)

 〃     収入見積金壱千参百円也

 差引収入一千部にて収益金四百九拾円也

この通りに行けば上首尾〻〻〻

[欄外朱書]京屋印刷所払

 金八百弐拾壱円九拾四銭也

 五月入参百八拾参円四銭也

 六月入参百六拾四円也

 七月無シ

 八月参百五拾八円四拾銭也

 〆金千五百円四十四銭

四月十五日。空晴れず。風寒し。世の噂を聞くに[此間約六文字抹消。以下行間補]××元帥孫女良子[以上補]浅草にて女給となりし一件は其後新聞雑誌に書立てる事禁止となりし由。[以下一行強抹消]

四月十六日。くもりて風冷なること昨日の如し。

四月十七日。朝来風雨夜に入るも歇まず。此日午後電話にて神田の一誠堂に注文し、和訳ハアン全集を購ふ(金十八円)余が少年時代の日本の風景と人情とはハアンロチ二家の著書中に細写せられたり。老後この二大家の文を読みて余は既往の時代を追憶せむことを欲するなり。

四月十八日。晴たれど風暖かならず。毎年四月の半に咲く胡蝶花、今猶蕾のまゝなり。夜キユペルに往きいつもの諸子と笑語夜分に至る。満月あきらかなり。

四月十九日。晴。後に曇る。京屋印刷所児玉?氏来談。黄昏渡辺氏来る。烏森の真砂に飰す。

四月二十日。晴れて気温順調となる。終日ハアン全集を読む。夜きゆぺるにて酒泉貫名?浦上?歌川竹下段四郎大泉?その他の諸子に逢ふ。帰途月よし。(貫名某ハ書家貫名菘翁ノ孫ナリト云)

四月廿一日。晴れて風あり。午後京屋印刷處より随筆冬の蠅二十部を送り来る。晡時佐藤慵斎平井呈一の二氏来訪(此日日曜日也)

四月廿二日。晴。午後土州橋病院及三越百貨店に往く。ジヤルーの小説を購ふ。

四月廿三日。午後驟雨雷鳴。須臾にして霽る。

四月廿四日。晴。晩間藻波に飰す。

四月廿五日。晴れて風爽なり。生田葵山城西隠士といふ変名を用い余が二十余年前新橋の情事を書きつゞり永井荷風情炎録と題して雑誌実話に掲ぐ。(みだり)に友人の旧事を文に作りて之を売る。彼が陋劣真に憎悪すべし。此夜金春新道のきゆうぺるにて旧木曜会久留嶋?氏に逢ふ。酒場雪とやらいふ店のために雪をよみ込みし句を請はる。駄句をつくりて贈る。

酒のまぬ人も酒飲む雪見かな

[欄外朱書]飲みならふ酒のはしめや雪見船

四月廿六日。晴。午後澤田卓爾君来訪。清話刻を移す。晡時美代子来る。根岸の吉野?に往きて飲む。

四月廿七日。晴。早朝隣家墺国人の娘窓際に据えたる風鈴を鳴らす。喧騒忍べからず。午後児玉?氏来り小著冬の蠅更に一千部増刊すべしと云ふ。夜きゆぺるにていつもの諸子と諧語夜半に及ぶ。氏その新著鬼言冗語を恵贈せらる。

 鬼言冗語

言語風俗の話(モダンを観る。貧乏モダン、物識八五郎、暑苦しい話、近頃また癇に障る事、哀なる果物、七銭物語、移易雑談、風俗今昔問答、当世大俗談、東京名物不循環電車以上十一章)

劇界内幕の話(二章)

芝居型物の話(五十章)

四月廿八日。南風吹きつゞき木の芽は早くも()びて新緑の夏とはなれり。終日読書。夜電話あり田村町の裏通に尾台文子を訪ふ。きゆふぺるに立寄りてかへる(日曜日なり)

四月廿九日。昼前より小雨。次第に降り増して豪雨となる。午後笄阜子来訪。池袋飲食店営業其後も好景気の由。夜きゆぺるに往く。深夜雨霽る。

四月三十日。晴。北風吹き手俄に寒し。自作の旧句。花落晩風冷似秋。一身多病慣閒愁といへるを憶ふ。終日ハアンの著書に対す。晩間尾張町の竹葉亭に飰してキユペルを過ぐ。京屋主人?大和田主人酒泉氏其他の諸子に逢ふ。風()みて夜静かなり。


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Last-modified: 2015-03-31 (火) 17:24:24 (726d)