三月初一。(旧正月二十六日)晴。午後京屋印刷所主人来る。冬の蠅草稿印刷の事を詫〔ママ〕す。夜銀座にて竹下杉野広瀬田嶋浅利酒泉大和田の諸子に逢ふ。竹下君より東京市街の古き写真及地図二葉を借る。

三月二日。晴。微風甚だ冷なり。ルネエ、バサンおだやかなる仏蘭西を読む。

三月三日。晴れて風さむし。仏国十九世紀詩選?を読む。薄暮銀座に行き銀座食堂に飰す。家に帰りて門に入るに沈丁花馥郁人の面を撲つ。此花の開くこと今年は例年より一箇月ほど早し(この日は日曜日なり)

春寒き闇の小庭や沈丁花

春寒の門に匂ふや沈丁花

沈丁花花環蕭然として春寒し

〔欄外一句抹消〕

三月四日。晴又陰。午後驟雨須臾にして(はれ)る。燈刻銀座に往き竹葉亭にて飰す。
〔朱書〕広瀬千香女史 四谷右京町二拾四番地

三月五日。晴れて風寒し。夜銀座にて千加歌川帚葉の三氏に逢ふ。

三月六日。晴。晩間銀座に往き竹葉亭に飰す。偶然米子に逢ふ。

三月七日。晴。大石君遺族故人新年の作を福紗[「福」はママ]に染め知友にわかつ。其作に曰く

御園松翠写池台。老鶴登塘首自囘。此日羣臣恭奉賀。葊居孝伯亦斟杯

  冬牆謹詠

冬牆氏の法諡は顕徳院殿不鳴自然居士といふ。

三月八日。晴。風猶寒し。終日眠を貪る。晩間起きて門に出るに夕月明媚。繊月空に在り。花星の如し。春もやゝ景色とゝのふ月と梅の句を憶ひ出しぬ。尾張町に至り竹葉亭に飰し茶店きゆぺるを過ぎてかへる。

三月九日晴。綿蛮サントブウブの詩を読む。夜真砂屋に飰す。

三月十日。朝驟雨あり。暖気初夏の如し。日露戦役記念祭挙行の由。近鄰の家人皆出払ひて門巷かえって閑静なり。鶯終日啼く音を止めず。晩間銀座に行く。竹下君余がために丸善書店にありし仏蘭西翻訳本『牡丹の客』を購ひ来らる。樋田万本山田高橋の諸氏と款語夜分に至る。風やや寒し。芝口ガードの壁に美濃部博士糾弾排斥のビラ多く貼りてあり。

Le Jardin des pivoines par Nagai Kafû, suivi de 5 récits d'écrivains japonais contemporains, Traduction de Serge Éliséev, Au Sans Pareil, 37, Avenue Kléber paris(1927)

三月十一日。晴天。風また寒し。拙作の仏蘭西訳本を読む。訳者エリセエフ?は露都富商の家に生まれ、明治四十年頃東京に来遊し、帝国大学に入り日本文学を修め学位を受けたり。余明治四十二年の春麻布霞町なる伊東海軍中将(名義五郎)が家の茶会にて初めてエリセエフ?を知りたり。エリセエフ?は本郷西片町に家を借り毎週一回漱石門下の文士をその家に招ぎて茶話会を開きゐたり。長唄を学びまた手踊をも学び、一夜茶話会の席にて御所車梅にも春を踊りて余らに見せたることありき。帰国の時は余これを知らず。欧州大戦の後露国革命の時フランスに逃れ辛じて死を免れしかど、家産を失ひ貧困に陥りしといふ。聞く所によればその語巴里にて日本語の教授をなし現在はギメエ東洋美術館の館員となりて口を餬せりといふ。〔以下二行強抹消〕 彼の不幸なる生涯を思へばわが国近年の暴政の如きはなほ忍ぶべし。〔以上行間補〕

三月十二日。晴。午後平井氏来訪。また田嶋浅利二氏来訪。晡下渋谷散歩。

三月十三日。快晴。春風嫋〻たり。夜銀座にて黄道山田氏)帚葉千香女史其他の諸子に逢ふ。

三月十四日。晴。風復冷なり。美代子米子等と銀座の藻波に飰す。

三月十五日。晴。拙著冬の蠅校正摺を検閲す。夜金春新道のキユペルにて××元帥孫女良子家出の顛末を来合せたる電報通信社〻員某氏より伝聞す。大畧次の如し。

××良子年十九才なり。本月学習院女子部を卒業せむとする間際に至り二月廿四日出奔し、浅草公園活動館を見歩きて後、花川戸横町JLといふ喫茶店に女給募集の貼紙あるを見て、其店の住込女給となり、今朝日〻新聞に家出の記事出るまで十七日間働きゐたりしなり。〔この間四行強抹消。以下行間補〕家出する前市ヶ谷見附内紅薔薇といふ喫茶店に出入りをなし色男もありし様子なり、JLに住込中色男らしきもの四、五回来りしことあり喫茶店の客に戯れ乳や腰を撫でさせること平気にていかがわしき行為少からず日中細帯一ツにてその辺を歩き廻り更に耻る様子もなかりしといふ、〔以上補〕JLといふ喫茶店はもと文士武田麟太郎が情婦なりし女の経営する店なり。新聞に写真出るまでは家の者もまた出入りする客も誰一人××家の娘とは気づかざりしといふ。三番町紅薔薇にてしばしば良子と逢引せし男は今朝警察に拘留せられ、またJLの女給にはその筋より一切のことを厳重に口止めしたり。新聞の記事も過半差留められたり。云〻

〔欄外朱書約百字抹消アリ〕
〔欄外墨書〕××良子の父ハ宮内庁式部官なり明治四十年頃坪内博士邸内俳優学校創立の頃俳優志願にて入学を請ひしが博士ハその為人を一見し入学を許可せざりし事ありしといふ。

三月十六日。時〻驟雨あり。植木屋来りて郁子の棚のつくろひをなす。夜に入り西北の風烈しく断雲月を掠めて飛ぶ。

三月十七日。晴れて風寒し。腹候佳ならず。

三月十八日。くもりて寒し。時〻腹痛あり。午後日高君来談。夜銀座食堂に飰しキユペルを過ぎてかへる。雨にあふ。

三月十九日。細雨烟のごとし。八重の連翹の花とともに満開になる。腹候稍佳なり。夕六時日輪赤き盆の如く対面の崖上なる馬越?氏邸内土蔵の屋根に在るを見る。点燈後銀座不二氷菓店にて夕餉を食しキユペルを訪へば既に九時近し。いつもの諸子と諧語夜半に至る。

三月二十日。晴。

三月廿一日。春分。雨降りて寒し。午後雨は雪となり夜ふけていよ/\降り増りぬ。

三月廿二日。朝の中曇りて午後に晴る。美代子を伴うて銀座を歩み竹葉亭に飰す。月佳し。

三月廿三日。陰又晴。夜キユペルにていつもの諸子と逢ふ。

三月廿四日。烈風豪雨。夜に至るも歇まず。(此日日曜日)

 自動車怪談

一昨年三月廿二日水道橋阪上の岸にて一人の老婆自動車に轢き殺されたり。然るに其翌年の同じ日に水道橋阪上同じ處にて円タク一輌阪上より川に堕ち入りし時老婆の姿水中より現れケラ/\と気味悪く笑ひしと云ふ。三年目の三月廿二日に至り(即一昨日の夜半)円タクまた/\二輌衝突して水中に落ち入りし時この度も老婆の姿現れしと云ふ。銀座裏にて円タク運転手の実談なり。

三月廿五日。空晴しが北風烈しく寒気冬の如し。終日臥辱を出でず。ヴワレリイモツシユーテストを読む。燈刻風歇む。銀座不二あいすに飰してキユペルに憩ふ。樋田酒泉歌川松居?及び印度人?氏に逢ふ。

三月廿六日。晴。風猶寒し。午後京屋印刷所の人校正摺を持参す。

三月廿七日。晴。微恙家を出でず。

三月廿八日。暮れ方より雨。日高氏の依頼にて句をつくりて送る。次の如し。

 彼岸に雪降りければ

傘重き彼岸の雪や老いの坂

紅梅に雪降る日なり茶の稽古

鳴くやまづしき門の藪椿

春の雨雪になり行く風情哉

三月廿九日。陰。後に晴。終日綿蛮たり。ラフガデオハアン[「ガ」はママ]の仏蘭西訳本怪談を読む。藪蚊の一章最良。夜美代子と銀座に飰す。

三月三十日。曇りて風寒し。内田誠?発句の礼金二拾円を贈らる。夜銀座に飰してキユペルを訪ふ。
[朱書]内田誠?京橋一丁目八番地明治製菓会社 大森区入新井六丁目一四七三番地

三月三十一日。雨。暮方より雪となる。俗にいふ牡丹雪なり。銀座に往き竹葉亭に夕餉を食して後久辺児に立寄る。神代帚葉昨夕五時心臓麻痺にて歿せし由。年五十三なりといふ。いつもの諸氏五拾銭づつ出し合ひ香奠を贈る。雪深夜に至るも歇まず(この日日曜日なり)


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Last-modified: 2015-03-31 (火) 17:48:11 (760d)