十二月初一。旧十一月六日 陰。午後三時頃より微雨一しきり。夜に入りてまた降る。四時過蠣殻町鼎亭に至り一浴の後尾張町竹葉亭に夕餉を食してかへる。枕上ツンベルグ日本紀行?を読みて夜半を過ぐ。

十二月初二。晴。暮方よりまた雨。読書門を出でず。

十二月初三。晴れて風静なり。午後箱崎河畔大石病院に往き滋養注射をなす。電車にて外神田松永町の裏通にささやかなる店を持てる辰巳屋古書店を訪ひ蠹冊数部を購ふ。和泉橋より御徒町に至る電車道路もしばらく来らざる中に町の様子一変し殆東西を弁ぜざる程になりたり。歩み行く中にいつか夜になりたれば銀座に(いた)銀座食堂に飰し茶店久辺留に憩ふ。竹下安藤歌川杉野其他の諸子に逢ふ。

東京築地鉄砲洲居留地絵図 南伝馬町一丁目蔦屋吉蔵

東都名所図絵 画作兼印刷者築地二丁目五番地薮崎芳次郎?明治廿六年

東京名所彩色銅板画工不明明治廿二年十二月日本橋若松町十五尾関トヨ?発行

職人図会?書名画工出版年月不明東京日本堂?印行

和紙銅板東京名所八葉?玄玄堂松田緑山

芝増上寺寺本堂の図あるに依りて明治七年以前の製作品なり

増上寺は明治七年正月元旦壮士の放火によりて烏有に帰せし也

十二月初四。快晴。午後国民新聞記者某氏来りしが会わず。燈刻家政婦正枝?を伴ひ銀座に往き松喜食堂に飰す。野間清治発行の雑誌キング新年号ヴヱルレーン獄中にて?永井荷風訳と題する翻訳詩を掲載したりと云ふ。余二十年前ヴヱルレーンの詩篇を訳したることあれど獄中にて?と題するが如きものを筆にせしことなし。又原本ヴヱルレーン全集にも斯の如き題名あるものは一篇もなかりしやうなり。雑誌キングは余が名を濫用して読者を瞞著するものなるべし。数年前改造張学良の名を名を濫用し中央公論蒋介石の名を濫用して雑誌を売りたることあり。現代日本人の為すところ皆斯くの如く信用すべきもの一としてこれ有るなし。

十二月五日。陰。古書肆辰巳屋巴里発行世界紀行雑誌合本千八百六七十年ノモノ二冊を送り来る。其名かに文久年間の江戸長崎の記事あり。深夜雨声をきく。

Le tour du monde, journal des voyages, Librairie Hachette et Cie 1868

十二月六日。快晴風なく火鉢もいらぬ暖さなり華氏六十五度岡不崩先生あさかほ流行史を贈られたれば返書と共に拙著冬の蠅一部を郵送す。昏暮銀座食堂に飰して後久辺留(とぶら)ふ。帰途半月明らかなり。

十二月七日。よく晴れて今日も暖なり。晡下大石医院に往き日常の消化剤を求め、再び街路に出づるに短き日は早くも暮れ果て十日過の月空に浮びたり。土州橋を渡り箱崎町に立並びたる倉庫の間のさびしき道を歩み高尾稲荷の祠前に出づ。いと狭き境内に何やら青き色したる自然石の碑あり。あたり暗くして碑文は読み難し。御手洗の柱に木札を打付け「高尾櫛は大阪屋酒店にて一枚金弐拾銭にて御配布致ます」とかきたり。石の鳥居前の小径は直に新堀の河岸通なる豊海橋のほとりに通ずるなり。豊海橋鉄骨の間より斜に永代橋と佐賀町辺の燈火を見渡す景色、今宵は名月の光を得て白昼に見るよりも稍趣あり。満〻たる暮潮は月光を浴びてきら/\と輝き、橋下の石垣または繋がれたる運送船の舷を打つ水の音亦趣あり。電車通をよこぎり三の橋をわたり、越前堀波止場の捨石に腰をかけてしばらく月を看る。空はよく晴れわたりたれど水の上は青くかすみて遠からぬ石川島の火影もおほろ気なり。河岸づたひに新高橋をわたり、稲荷橋の欄干によりかゝりて深川へ通う猪牙舟のゆきゝしげかりし昔の情景など思ひ返すほどに、折良く乗合自動車の来りて停るを見たれば、それに乗りて銀座にいたり夕餉を不二あいす店に食し、七時頃家にかへる。郵便取りにと台所に至り見るに、下女正江風邪ひきたりとてガーゼの寝衣に赤き細帯しどけなく床の中に寝てゐたり。古人の言に一盗二婢三妾四妓五妻とかいふことあり。好色の極意げに誠なるが如し。呵〻*

十二月八日。晴れて暖なり。午後散策。鼎亭を訪ひ竹葉に飰して帰る(此日日曜日)
〔欄外朱書〕大本教関係者検挙

十二月九日。陰。終日読書。

巴里アシヱツト社萬国旅行志(千八百六拾八年合本第二冊中)日本風俗に関する記事は千八百六十三年より四年迄江戸及横浜に駐箚せし瑞西連邦全権大使Aimé Humbert著すところ

Le Hondjo– Arts et métiers

Récréations et coutumes domestiques – Solennités domestiques?Les Matsouris. – Les fêtes du calendrier?

の数章あり。本所深川散策記事及品海の風景漁業の記事甚興味あり。江戸市井の生活の簡易安楽なる状況を説きまた山の手屋敷町の風景及庭園の美を賞したり。

十二月十日。晴。午後国民新聞記者及読売新聞記者来りて面会を求めしが応せず。日高君来訪。共に歩みて谷町通に出で余は丸ノ内市役所に赴き水道税金を納めて帰る。日暮書估辰巳屋来りて鶴岡蘆水隅田川両岸一覧を示す(代価八拾円也と云ふ)この図を見るに深川霊厳寺萬年橋?南の方につゞきたる河岸通武家屋敷の後方に在り。又河岸通に向ひたる寺(名称不詳)もあり。

 蘆水両岸一覧図

両岸一覧図鶴岡生所?手摸也。生一日携来示余求言。余展開一過。歎曰。技乎何至此極。余居江上朝夕観於都人士女過橋。連衽挙袂?。摩肩交踵。有小者。有老者。有騎者。有走者。不知其幾千萬人。執又知其賢愚美悪焉。両岸相対。

十二月十二日。晴。谷崎君その著『武州公秘話』を贈らる。岩倉全権大使『米欧回覧実記』を読む。明治十一年刊行太政官少書記官久米邦武編修銀座四丁目博文社刊

十二月十三日。晴。燈刻銀座に飰す繁霜雪の如し。

十二月十四日。晴。寒気強し。正午室内華氏四十九度。燈刻小山書店主人来訪。壱百二十五円を贈らる

『岩倉全権大使米欧回覧記』を読むに時〻人をして失笑噴飯せしむるものあり。大使の一行にはその副使として木戸大久保伊藤らの諸氏あり。この人々はわづか三、四年前までは鎖国攘夷を以て日本の国是となし、徳川幕府が外国と修交貿易の条約をなしたるを憤り外国使節の客舎に火を放ちまたは江戸城に忍び入りて放火などせしものなり。伊藤博文が御殿山の英国公使館に放火せし浪士の一人なりし事は英人サトウの著書、また英公使フレーザー?氏婦人の著書に詳なり。然るにこの人々は明治四年米国に遊び官民の歓迎に良い欣喜措く能はずそのまさに英国に渡航せむとする時次の如き文をつくれり。

米国人ハ外国人ヲ視ル一家ノ如ク交誼ニ厚キコト同胞ニオケルガ如シ云〻
アアコノ開明ノ際ニ当リ鎖国ノ宿夢ヲ醒シ世界交際ノ和気ニ浴センコト我日本ニアリテハ皆人喫緊ニ心ニ銘セザルベカラザルナリ云〻
先年我日本ニ使節タリシベルリ氏コノ州ノ人ナレバ州人ミナ日本ニオイテハ米国中ニテ最モ親睦ナリトテ接遇ノ厚キヲ極メタリ云〻

この筆法を以てすれば堀田備中守井伊掃部頭は偉大なる開明人にてそが先見の明ありしこと薩長浪士の比にあらざるなり。〔以下七行弱抹消〕

十二月十五日(日曜日)晴。寒気厳冬の如し。東北地方降雪甚しといふ。邦枝完二君その新著『振袖役者』を贈らる。午後改造社主人山本氏来談。昏暮銀座に徃き尾張町竹葉亭に飰して後茶店久辺留を訪ふ。高橋邦竹下沢田の諸氏と諧語夜半に到る。この頃夜半過に至れば巡査刑事何処といふことなく市中自働車の乗客を呼留め姓名を問ひ、あるひは携帯品を取調べる由。また銀座新橋あたりにて十二時過まで営業する飲食店おでん屋茶漬飯屋そば屋のたぐひなるべく十二時かぎり火を消すやうその筋より通達ありしといふ。

十二月十六日。晴れて風静なれど寒気甚し。毎年十二月に至れば寒気は却って十一月よりも甚しからず、晴渡りし青空の色は南欧地中海のほとりを思出さしむることあり。然るに今年の十二月は数日前より引きつゞきたる寒さ散歩に出づべくもあらず、今日も終日炉辺に椅子ひきよせて書を読むのみ。暮方国民新聞中山楠雄氏電話にて面談を求められしが原稿徴集のことならむと思ひて辞したり。

十二月廿二日。くもりて折々薄き日さす事あり。清潭子使の者に余が序文の禮金弐拾圓をもたせ遣はさる。終日佛蘭西人イュヴネル北米日本支那漫遊記をよむ。夜に入り空晴れ風甚寒し。

Promenade Autour du monde 1871 per M.le baron de Hübner, ancien ambassadeur, ancien ministre, auteur de Sixte-Quint, Librairie Hachette et Cie Paris 1877.

日本人上下の別なく農夫より王侯に至るまで白木綿のふんどしをしめる事を記し日本風俗特異の一例となしたり。是余が曾て浮世繪を論ぜし時便所と手洗鉢との美術的価値を擧げたると同様の論法なり。

[欄外朱書]男爵イユヴネル佛人ニアラズ墺國維納ノ人

十二月廿三日。天気牢晴岡不崩先生より書あり。並に其著万葉集草木考を贈らる。夜辰巳屋来る。*

十二月廿四日牢晴。終日イユブネル男爵の遊記をよむ。興味津々たり。昏暮夕飯をなさんとて銀座に往く。群衆雑遝塵埃濛々たり。土橋際の洋食店栄湾に飰して直に帰宅。燈下読書夜半を過ぐ。

十二月廿五日。朝晴午後陰。たま/\数日前の東京日〻新聞を見るに丑満時丑三ツ時となし三十七八歳の人を弱冠となしたり。其愚笑ふ可し。此日門を出でず。

十二月廿八日。朝来寒雨霏〻として歇まず。燈刻杏花君招飲の約あり。車を(やと)つて往く。池田川尻の三君来る。川尻君数日前芝公園の家を去り江戸見坂下明舟町に移りしと云ふ。

十二月廿九日。晴。午後土州橋の病院に往き薬代を払う。銀座に飰してかへる 此日日曜日


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Last-modified: 2017-02-21 (火) 10:49:29 (31d)