七月朔。独逸降伏平和条約調印紀念の祭日なりとやら。工塲銀行皆業を休みたり。路地裏も家毎に国旗を出したり。日比谷辺にて頻に花火を打揚る響聞ゆ。路地の人々皆家を空しくして遊びに出掛けしものと覚しく、四鄰昼の中よりいつに似ず静にて、涼風の簾を動す音のみ耳立ちて聞ゆ。終日糊を煮て押入の壁を貼りつゝ祭の夜とでも題すべき小品文の腹案をなす。明治廿三年頃憲法発布祭日の追憶より、近くは韓国合併の祝日、また御大典の夜の賑など思出るがまゝに之を書きつゞらば、余なる一個の逸民と時代一般との対照もおのづから隠約の間に現し来ることを得べし。

七月四日。終日雨ふりて歇まず。

七月五日。雨歇みて俄に暑し。黄梅の時節既に過ぎたるが如し。近鄰いづこも洗濯にいそがはしく、水汲みては流す音止む時なく、安石鹸の悪臭あたりに漲りわたりて胸わろし。

七月六日。再び雨ふる。歯痛甚しく終夜眠ること能はず。

七月七日。春陽堂より全集第二巻印税を送来る。金六百七拾五円なり。夜新冨座に徃き岡本綺堂君作雨夜の曲を観る。

七月八日。雨歇しが風甚冷かなり。窗を閉ぢて露伴先生の幽情記を読む。

七月九日。浅草寺四万六千日の賽日なれど珍しく空晴れて風涼し。午後三菱銀行に赴く。車の上にて凉しき夏といひ、又暖き冬といふが如き、唯何ともつかず快き日の追憶を書綴らば、好箇の小品文をなし得べしと、思ひを凝しぬ。夜日本橋若松屋にて玄文社観劇合評会あり。

七月十二日。小山内君来訪。国民文藝会脚本執筆の事を依嘱せらる。夜銀座通草市にて花月楼主人?に逢ひぷらんたん亭に小酌す。

七月十三日。風烈しく寒冷暮秋の如し。気候順調ならねど本年は幸にして腹痛なし。されど老婆しん死去してより日常のこと不便殆忍びがたし。銀座風月堂に赴き晩餐をなす。

七月十九日。雷鳴り驟雨来る。両国河開中止となりし由。

七月二十日。暑さきびしくなりぬ。屋根上の物干台に出で涼を取る。一目に見下す路地裏のむさくろしさ、いつもながら日本人の生活、何等の秩序もなく懶惰不潔なることを知らしむ。世人は頻に日本現代の生活の危機に瀕する事を力説すれども、此の如き実况を窺見れば、市民の生活は依然として何のしだらもなく唯醜陋なるに過ぎず個人の覚醒せざる事は封建時代のむかしと異るところなきが如し。

七月廿一日。浅草代地河岸稲垣にて清元香風会さらひあり。楼上より百本杭を望む水上の景、甚よし。妓両三人と桟橋につなぎたる伝馬舩に席を移して飲む。温習会終るを俟ち、余は櫓下の妓千代菊等と車にて木挽町の小玉亭に徃く。野間翁は雛妓若千代等の一群を自働舩に載せ、水路築地の海岸をめぐりて同じく小玉亭に来り、晩餐をなす。

七月廿二日 花月主人平岡氏、田中訥言の画幅を多く蔵せらるゝと聞き、徃きて観る。

七月廿三日。有楽座に人形芝居を観る。大坂文楽一座のものなり。大阪の傀儡劇は今日江戸時代の演劇浄瑠璃凡て頽廃せむとする時、更に其の珍重すべきを知る。此夕観たりしお俊の人形の顔髪の形は鳥居清長の版画に見る婦女に髣髴たり。盖し天明寛政頃の古き形を取りしもの歟。桜丸腹切の塲に見る松王丸の人形は春章の錦絵を想ひ起さしめたり。

七月廿四日。風ありて暑気稍忍びやすし。陋屋曝書の余地なければ屋上の物干台に曝す。

七月廿五日。全集第三巻校正摺この日より始まる。

七月廿六日。炎熱甚しく歯痛む。

七月廿八日。再び有楽座に浄瑠璃人形を聴く。偶然宮薗千春に逢ふ。帰途驟雨、涼風炎暑を洗去る。

七月廿九日。横井博士の大日本能書伝をよむ。

七月三十日。両三日空くもりて溽暑甚しく大雨降り来りては忽ち歇む。降りてはやみ歇みてはまた降る事明治四十三年秋都下洪水の時によく似たり。

七月卅一日。玄文社劇評家懇談会日本橋の若松屋に開かる。此夜有楽座人形芝居の事を岡鬼太郎君に問ひしに、近頃は人形も看るに足らず。雁次郎の仕草を人形に移して看客の意を迎ふるなど言語道断の事屡なり。且又この度有楽座に来りしは京都の人形なりと言はれぬ。此夜幸に雨なかりしが空模様いよ/\穏ならず、風また腥し。都下の諸新聞活版職工賃銭値上運動のため当分休刊の由。伊原君のはなしなり。


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Last-modified: 2015-01-03 (土) 21:57:14 (844d)