五月三日。理髪舗庄司方にて偶然平岡画伯に会ふ。伊豆山温泉に徃く由なり。

五月四日。座右に在りし狂歌集表帋の綴糸切れたるをつくらふ。たま/\思起せば八重次四谷荒木町にかくれ住みし頃、絵本虫撰山復山など綴直し呉れたり。むかし思へば何事も夢なり。

五月五日。端午の佳節なれど特に記すべきことなし。

五月六日。近頃雇入れたる老婆急病にて去る。再び自炊をなす。

五月七日。自炊の不便に堪えず夕餉をなさむとて三十間堀春日に徃く。

五月九日。奠都五十年祭にて市中雑遝甚しと云ふ。

五月十日。去年の夏も初袷きる頃には身一つのさびしさ堪えがたき事ありしが、今年もまたわけもなく心淋しく三味線ひく気も出ぬほどなり。妓八郎来りしかば倶に風月堂に行き一壜の葡萄酒に憂愁を掃ふ。帰途独り歌舞伎座を立見す。松莚子が北向虎蔵懲役場改心の幕なり。この頃折々脚本に筆とりて見たきやうなる心地す。若し筆を執ることを得なば幸なり。

五月十一日。烈風砂塵を巻く。窓の雨戸をしめしに家の内蒸暑くして居る可からず。灯ともし頃幸にして雨を得たり。

五月十二日。野間五造翁に招かれ帝国劇塲に徃き、梅蘭芳の酔楊妃を聴く。華国の戯曲は余の久しく聴かむと欲せしものなり。今夕たま/\之をきくに、我邦現時の演劇に比すれば遥に藝術的品致を備へ、気局雄大なることまさに大陸的なりといふべし。余は大に感動したり。感動とは何をか謂ふや。余は日本現代の文化に対して常に激烈なる嫌悪を感ずるの余り、今更の如く支那及び西欧の文物に対して景仰の情禁じかたきを知ることなり。是今日新に感じたることにはあらず。外国の優れたる藝術に対すれば必この感慨なきを得ざるなり。然れども日本現代の帝都に居住し、無事に晩年を送り得る所以のものは、唯不真面目なる江戸時代の藝術あるが為のみ。川柳狂歌春画三味線の如きは寔に他の民族に見るべからざる一種不可思議の藝術ならずや。無事平穏に日本に居住せむと欲すれば、是非にも此等の藝術に一縷の慰籍を[#「慰籍を」はママ]求めざる可からず。

五月十三日。半隂半晴。市中到る処新緑賞すべし。

五月十四日。歌舞伎座に宗十郎羽左衛門の関の扉を観る。拙劣寧憫むべし。

五月十五日。曇りて風冷なり。春陽堂より全集第二巻ふらんす物語の校正摺を送来る。午後巌谷四緑君来訪。木曜会諸子の近况を語る。

五月十六日。日本橋の加賀屋にて薗八節さらひあり。余鳥辺山を語る。宮川曼魚は夕霧をかたる。

五月十七日。毎日全集の校正にいそがはし。

五月十八日。旧友今村次七君金沢より上京。路地裏の寓居に来訪せらる。今村氏の家は銭屋五兵衛とは遠き縁つゞきの由。金沢市外の海岸なる街道筋に一株の古松あり。徃昔銭屋の一族処刑せられし時、五兵衛の三男要蔵といへるもの湖水埋立の名前人なりしかば、罪最重く、この街道にて磔刑に処せられたり。其の頃には松多かりしが次第に枯死し、今はわづかに一株を残すのみ。人々これを銭屋の松と称へ、金沢名所の一つとはなれり。今村君こゝに石碑を建て、古枩の名の由来を刻して後世に伝へたしと、こま/″\語り出されたる後、余に古松の命名と碑文の撰とを需めらる。余はその任に堪えざれば辞したり。

五月十九日。巴家八重次藝者をやめ踊師匠となりし由文通あり。

五月廿一日。雨ふる。

五月廿二日。雨ふりて寒し。腹痛あり。鉄砲洲波除稲荷の祭礼なり。

五月廿三日。代地河岸稲垣亭にて清元香風会さらひあり。帰途旅籠町なる旧廬の門前を過ぐ。表付変りて待合になりゐたり。瓦町電車通に出で夜肆を看る。繁華雑沓の光景四年前日夜目にせし所に異ならず。余その頃には病未甚しからず、旦暮近巷を散歩し、孜々として雑誌文明を編輯したり。去年築地に移り住みてより筆全く動かず。悲しむべきなり。

五月廿四日。風邪ひきしにや頭痛みて心地すぐれず。夕暮窗に倚りて路地を見下すに、向側なる待合妾宅などの新樹に雀の声さわがしく、家毎に掛けたる窓の簾も猶塵によごれず、初夏の光景いぶせき路地裏にてもおのづから清新の趣あり。病身この景物に対すれば卻て一層の悲愁を催す。燈下勉強して旧稾を校訂す。盖全集の第五巻を編纂せむがためなり。

五月廿五日。新聞紙連日支那人排日運動の事を報ず。要するに吾政府薩長人武断政治の致す所なり。国家主義の獘害卻て国威を失墜せしめ遂に邦家を危くするに至らずむば幸なり。

五月廿七日。清元会にて平岡松山の二子に逢ふ。

五月廿八日。神田一ツ橋通三才社に行く。

五月廿九日。終日旧稿を添刪す。夕刻雑誌改造主筆山本氏来訪。

五月三十日。昨朝八時多年召使ひたる老婆しん病死せし旨その家より知らせあり。この老婆武州柴又辺の農家に生れたる由。余が家小石川に在りし頃出入の按摩久斎といふものゝ妻なりしが、幾ばくもなく夫に死別れ、諸処へ奉公に出で、僅なる給金にて姑と子供一人とを養ひゐたる心掛け大に感ずべきものなり。明治二十八九年頃余が家一番町に移りし時より来りてはたらきぬ。爾来二十余年の星霜を経たり。去年の冬大久保の家を売払ひし折、余は其の請ふがまゝに暇をつかはすつもりの処、代るものなかりし為築地路地裏の家まで召連れ来りしが、去月の半頃眼を病みたれば一時暇をやりて養生させたり。其後今日まで一度びも消息なき故不思議の事と思ひゐたりしに、突然悲報に接したり。年は六十を越えたれど平生丈夫なれば余が最期を見届け逆縁ながら一片の回向をなし呉るゝものは此の老婆ならむかなど、日頃窃に思ひゐたりしに人の寿命ほど測りがたきはなし。

五月三十一日 新月鎌の如し。明石町の海岸を歩む。


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Last-modified: 2016-08-28 (日) 10:05:36 (208d)