大正十四年十月八日。今日も空晴れず。折々雨ふる。午後食料品を購はむと溜池に出でたる帰途、その辺の喫茶店に憩ひしに、曾て築地の路地に住みしころ洗湯にて懇意になりし自働車運転手に会ふ。此の男のはなしに霊岸島新川の河岸に荒川といふ表札出せし家あり。隠売女の周旋屋なり。赤坂見附対翠館といふ旅亭の裏鄰に中村といふ花の師匠あり。又芝白金三光町大正館といふ寄席の裏にも島崎といふ宿あり。娘二人ありていづれも客を取る。姊娘は年廿二三。跛者なる上に片手も自由ならざる身なれど客をあやなすこと壮健の女にまさりたり。以前芝田村町に居たりしが地震後今の処に移りしなり。されど近頃市中は取締りきびしき故鶴見の新開町に銘酒屋を出す筈なり。鶴見には亀戸向島浅草辺より移り来れるもの多し。又赤阪新町の路地に野谷といふ女あり。年は三十あまりなれど二十四五にも見ゆる若づくりにて、下女も使はず一人住ひをなし、自由に客を引込むなり。祝儀を過分に取らすれば▼閨中の秘戯をも窺ひ見せしむるといふ。以上運転手の談話を聞くがまゝにしるす。*

十月廿四日。晡時太陽堂中山豊三訪ひ来り、プラトン社発行の雑誌に従前の如く寄稿せられたしとて、頻(しきり)に礼金のことを語り、余の固辤するをも聴かず、懐中より金五百円一封を出して机上に置き去れり。近来書賈及雑誌発行者の文人に向つて其文を求むる態度を見るに、恰大工の棟梁の材木屋に徃きて材木を注文するが如し。そもそも斯くの如き悪風の生じ来りしは独書賈の礼儀を知らざるに因るのみならず、当世の文人自らその体面を重ぜず、膝を商估の前に屈して射利を専一となせるに基くなり。されば中山の為す所も敢て咎むべきにあらず。悪むべきは菊池寛の如き売文専業の徒のなす所なり。*


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Last-modified: 2015-01-10 (土) 18:29:50 (894d)