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大正十二年八月朔。帝国劇場に徃く。狂言河合井伊一座?壮士芝居なり。暑気甚しければ廊下にて涼を納め狂言は見ず。長崎?小山内の両氏と弥生に飲む。新橋の妓じつ子とかいへるもの、過日有島武郎と情死せし秋子の夫に同情し、近日結婚する由。妓輩の談によれば、じつ子は先年英国皇族来朝の際、その枕席に侍し莫大の金を獲たり。之を持参金となし秋子の良人と結婚せば必世に名を知らるべしとて、名を売りたき一心にて結婚を思立ちしなりとぞ。果して然らば当世の人情ほど奇々怪々なるはなし。

八月二日。芝浦の酒楼いけすにて木曜会酒宴の催ある由聞きしが、時節柄魚類を口にする事を欲せざれば行かず。此日終日涼風あり。夜『梧窗漫筆?』を読む。

八月三日。微恙あり。読書興なし。

八月四日。風ありて涼し。鷲津先生事跡考証のため『春濤詩鈔?』『東京才人絶句?』を読む。

八月六日。午後遠雷の響きを聞き驟雨を待ちしが来らず。七月二十日頃より雨なく、庭の土乾きて瓦の如くになれり。窗前の百日紅夾竹桃いづれも花をつけず。

八月七日。炎暑前日の如し。晩餐の後谷町通を散歩し、古本屋の店頭にてふと『文章大鑑?』なる一書を把つて見る。書中余の文を採録すること二三篇に及ぶ。是今日まで予の知らざりし所なり。此書大正五年再版とあり、書肆は本郷追分町三十番土屋書店、編修名義人は鷲尾義直とあり。▼奸商のなす所憎むべきなり。

八月八日。立秋なり。蔵書を曝す。

八月九日。平沢生来る。山形ホテルにて晩餐をともにす。夜に入るも風なく炎蒸甚し。『五山堂詩話』を読む。

八月十日。晩間風歇み電光物すごし。初更雨来る。

八月十一日。夜驟雨雷鳴。秀梅を訪ふ。

八月十二日。岩村数雄?浅利鶴男?来訪。

大正十二年八月十三日。夜神田今川小路松雲堂?を訪ひ、天保以降梓行の詩文集若干を購ふ。

八月十四日。秋暑益甚し。勉強して筆を把る。夜大沼枕山の詩鈔を繙く。

八月十五日。鷲津貞二郎の返書を得たり。

八月十六日。晩風俄に冷なり。

八月十七日。雑誌『女性』原稿執筆。夜秀梅を訪ふ。

八月十九日。曇りて涼し。午後谷中瑞輪寺の赴き、枕山の墓を展す。天龍寺とは墓地裏合せなれば、毅堂先生の室佐藤氏の墓を掃ひ、更に天王寺墓地に至り鷲津先生及外祖母の墓を拝し、日暮家に帰る。

八月二十日。終日『星巌集?』を読む。晩間酒井来談。

八月廿一日。午前三番町二七不動祠後岩渓裳川?先生の寓居を訪ひ、『春濤詩鈔?』のことにつきて教を乞ふ。

八月廿二日。午後驟雨雷鳴。夕餉の後過日谷中瑞輪寺にて聞合せたる大沼氏の遺族を下六番町に訪ふ。

大正十二年八月廿三日。腹痛下痢。

八月廿六日。午前下谷区役所に赴き大沼氏の戸籍を閲覧す。午後堀口大学氏来訪。晩間大久保村母上来り訪はる。

八月廿七日。夕刻驟雨。

八月廿八日。松莚子と風月堂に会す。初更雷雨。秀梅を訪ふ。

八月廿九日。午前下谷竹町なる鷲津伯父を訪ひ追懐の談を聴く。毅堂枕山二先生事績考証の資料畧取揃ひ得たり。

八月三十日。午後川尻清潭氏河合演劇脚本選評の謝礼参拾円を持参せらる。夕刻松莚子に招がれ風月堂に徃き、其家人門弟と会食す。浅倉書店?より猪飼敬所?の『読礼肆考?』、小原鉄心の遺稿を送り来る。

八月三十一日。終日鷲津先生事績考証の資料を整理す。晩餐の後始めて考証の稾を起す。深更に至り大雨灑(そそぎ)来る。二百十日近ければ風雨を虞れて夢亦安からず。


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Last-modified: 2015-01-13 (火) 23:20:33 (807d)