十一月朔。風烈しく空曇りて暖気初夏の如し。夜高輪楽天居に木曜会句会あり。参集するもの湖山葵山渚山野圃夾日三一兎生?等なり。苦吟中驟雨来る。小波先生震災の記念とて、被害の巷より採拾せし物を示さる。神田聖堂の銅瓦の破片赤阪離宮外墻の屋根瓦、浅草寺境内地蔵堂に在りし地蔵尊の首等なり。地蔵の首は避難民の糞尿うづたかき中より採取せられしなりと云ふ。先生好事の風懐、災後の人心殺伐たるの時一層敬服すべきなり。深夜強震あり。*

十一月二日。日色晩夏の如し。気候甚順調ならず。春陽堂支配人氏来りて拙著全集紙型焼失したれば近日再び排印に取掛りたしといふ。*

十一月三日。夕暮れに至り風忽寒し。鷲津毅堂大沼枕山二家の伝を起草す。題して『下谷のはなし』となす。

十一月四日。快晴。終日机に凭る。

十一月五日。払暁強震。午後丹波谷の中村を訪ふ。震災後私娼大繁昌の由。*

十一月六日。午後駒込千駄木町に避難せし大石君を訪ふ。既に去りて札幌に徃き、同地にて当分開業の由。空しく帰宅す。

十一月七日。終日家に在り。執筆夜半に至る。

十一月八日。木曜会。

十一月九日。午前酒井君来談。客月吾家に避難せしお栄を迎へ家事を執らしむべき相談をなす。

十一月十日。目白落合村の僑居お栄を訪ひ日暮帰宅。下谷のはなし執筆、深更に至る。

十一月十一日。吾家の門前より崖づたひに谷町に至る阪上の道源寺といふ浄土宗の小寺あり。朝谷町に煙草買ひに行く時、寺僧人足を雇ひ墓地の石垣の崩れたるを修復せしめ居たり。石垣の上には寒竹猗々として繁茂せるを、惜しげなく堀捨てて地ならしをなす。通りかゞり(ママ)に之を見、住職に請ひ人足には銭を与えて、其一叢を我庭に移し植えさせたり。寒竹は立冬の頃筍を生ずるものにて、其の頃に植れば枯れざる由。曾て種樹家より聞きし事あり。午後二時過、酒井お栄の手荷物を扶け持ち自働車にて来る。お栄罹災後は鏡台もなく着のみ着のまゝの身なれば、手荷物一包にて事極めて簡素なり。書斎の炉辺に葡萄酒を酌み酒井君の労を謝す。山形ホテルに赴き夕餉を倶にし帰り来りて、台処風呂場を掃除し、派出婦を雇ふ。

十一月十二日。終日筆硯に親しむ。深夜大に雨ふる。

十一月十三日。風烈し。

十一月十四日。晴。

十一月十五日。晴。

十一月十六日。夜微雨。

十一月十七日。午後小山内太陽堂主人と相携へて来り訪はる。浅利鶴男?名古屋より帰り来り、松莚子来春麻布十番通末広座にて興行の予定なり。ついては其間吾家の二階を借りたき由相談せらる。余折悪しく家に小星を蓄へ、空室なきを以て遺憾ながら断りたり。浅利生さらば山形ホテル宜しからむとて問い合せに赴かる。

十一月十八日。終日執筆。夜お栄を伴ひ三田通を歩み買物をなす。

十一月十九日。微雨晩に霽る。微雲半月を籠め温風春の如し。お栄の鏡台を買はむとて倶に四谷を歩む。

十一月二十日。午後理髪。夕餉の後小星を携へ青山の大通を歩む。月あきらかなり。

十一月廿一日。午後丸ノ内散策。

十一月廿二日。南葵文庫に行き司書高木氏を訪ふ。

十一月廿三日。お栄と澀谷道玄坂の夜市を見る。電車にて偶然大伍子に逢ふ。大伍子築地の居邸に蓄へたりし書巻尽く烏有となせし由。今は玉川双子の別業に在りといふ。

十一月廿四日。午前坂井清子来訪。正午二十分ほど前大地鳴動す。午後浅利生来訪。

十一月廿五日。雑誌女性のために小品文を起草す。題して十日の菊となす。

十一月廿六日。微恙あり。

十一月廿七日。微恙あり。薬を服す。

十一月廿八日。風邪早く癒ゆ。

十一月廿九日。終日机に凭る。

十一月三十日。南葵文庫司書高木氏来り、文庫蔵書目録を贈らる。厚情多謝。


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Last-modified: 2015-02-02 (月) 18:48:40 (783d)