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十一月一日。春陽堂店員来り雨瀟瀟再販三百部の検印を請ふ。夜、雨。

十一月二日。快晴。松莚君に招がれて風月堂に徃ぐ。帰途富士見町与謝野君の邸を訪ふ。森先生全集刊行の事につき、編集委員を定むべき由。同君より電話ありたればなり。会するもの与謝野寛小島政二郎平野万里吉田増蔵、及書肆中塚某なり。今回先生全集出版の事につきては余甚意に満たざる所あれども、与謝野氏主として力を尽さるゝのみならず、先生の未亡人も亦頻に出版の速ならむことを望まるゝ由なれば、余は唯沈黙して諸家の為すがまゝに任ずるのみなり。

十一月三日。明治座初日。松莚令閨腕時計を恵贈せらる。帰宅の後戯画に駄句を題して郵送し、以て謝礼に代ふ。

手枕の頬に冷たき時計かな
置炬燵まず時計からはづしけり
手を分つ夜寒の門や腕時計

十一月四日。『京都紀行』を改題して『十年振?』となし中央公論に寄す。

十一月五日。天気快晴。四十雀群をなして庭樹に囀る。いよいよ冬となりたる心地す。

十一月六日晴。

十一月七日。晴。

十一月八日午後雨降る。夜晴れて月あり。

十一月九日。正午七草会例会。夜築地精養軒にて与謝野君発起人となり、都下諸新聞の文芸記者を招ぎ、晩餐の馳走をなし、森先生全集刊行の事を告ぐ。賀古?先生、入沢博士も出席せらる。帰途小山内薫鈴木春浦の二子と銀座を歩み、偶然近松秋江長田幹彦の二子に逢ふ。一同清新軒に入りて小憩す。夜十一時頃電車を下りて霊南阪を登らむとするに、近巷騒然、失火の警鐘を鳴す。猛火汐見阪の彼方に当り炎々天を焦す。道路の人に問ふに愛宕町三番地東洋印刷会社火を失すと云ふ。

十一月十日。薄暮驟雨。須臾にして晴る。

十一月十一日。俄に寒し。初めて暖炉に火を置く。正午華氏五十度なり与謝野氏『明星』の原稾を催促すること頻なれば、已むことを得ず随筆数枚を草して責を塞ぐ。

十一月十三日。松莚君電話にて、明治座出勤午後三時過なればとて、風月堂に招がる。徃きて午餐を与にす。帰途日蔭町村幸書房?を訪ひ、烏森の某亭にて清元秀梅に逢ふ。

十一月十四日。微恙あり。窗前山茶花満開なり。

十一月十五日。京橋鴻ノ巣にて森先生全集?編纂委員会あり。来る者森潤三郎与謝野寛平野万里鈴木春浦小山内薫吉田増蔵山田孝雄浜野知三郎、及書商中塚某、余を加へて十人なり。帰途小山内君この日をかぎり松竹社と関係を断ち、以後筆硯に親しむべき由を語らる。深更雨声あり。

十一月十六日。寒雨霏々。菊花凋落。

十一月十八日。国民図書会社中塚?氏の依頼により鷗外全集?刊行の次第を記し、与謝野氏を介して時事新報に寄す。

十一月十九日。祇園玉川家より蕪千枚漬を送り来る。午後木村錦花氏来り、余が旧作『秋のわかれ?』一幕を来月帝国劇場松莚子一座出勤の中幕に出したしといふ。かの戯曲はもと紙上の劇として作りしものなれば舞台には上しがたかるべし。されど強いて辞するにも及ばざれば、万事を錦花氏に一任す。

十一月廿一日。晴れて寒し。午後風月堂より松莚子と共に松竹社築地の事務所に赴き、松葉米斎?の二君に会ひ、拙作脚本上演に関して打合せをなす。松竹事務所新築後日を経ず、室内火の気を断ち寒気忍びがたし。米斎君と銀座ライオン茶店に入り火酒一盞(せん)を命じ、始めて暖を取る。夜帝国劇場懸賞脚本審査のことにつき同劇場楽屋に徃く。

十一月廿二日。晴れて風寒し。清元秀梅と牛込の中河に飲む。

十一月廿三日。午後一時明治座松莚子の部屋にて『秋のわかれ』の読合をなす。演技指導者には松葉子をたのむ事となす。帰途電気掛岩村生と風月堂にて晩餐を喫す。

十一月廿四日。午後明治座楽屋にて稽古前日の如し。

十一月廿六日。細雨糠の如し。午後明治座に赴く。銀座通人形町いづれも道路沼の如し。夜北風烈しく弦月枯木の間に現はる。燈下執筆深更に至る。

十一月廿七日。清元会に徃く。寒月皎々たり。

十一月廿八日。正午帝国劇場にて『秋のわかれ?』稽古あり。帰途松莚子と共に風月堂に至りて夕食を喫す。

十一月三十日。午後帝国劇場稽古。帰途松莚子と風月堂に飯す。夜微雨。


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Last-modified: 2015-01-25 (日) 05:12:13 (795d)