五月朔。風月堂にて偶然松莚子一家門弟を伴うて来るに逢ふ。東仲通を歩み。魯西亜織敷物を買ふ。参拾円なり。

五月二日。唖々子と新冨座裏の酒亭に飲む。窗を開きて欄干に凭るに、築地川濁水の臭気甚し。曾て柳嶋橋本に飲み、天神川の臭気に鼻を掩ひしは十年前のことなり。今や市内河川の水にして悪臭を放たざるはなし。

五月三日。半日庭に出でゝ雑草を除く。

五月四日。脚本の執筆意の如くならず。苦心惨澹たり。

五月五日。明治座初日を看る。帰途雨に値ふ。

五月六日。雨。この日立夏。

五月七日。大雨車軸の如し。浅草下谷辺水害甚しと云。

五月八日。晴れたれど雨意猶去らず。溽暑を催す。銀座通の夜景盛夏の如し。平岡画伯に逢ふ。

五月九日。日比谷公園の躑躅花を看る。深夜雨ふる。

五月十日。薄暮また雨。

五月十一日。雨ふる。

五月十二日。隂。腹痛あり。

五月十三日。風冷なり。微恙あり。

五月十四日。風冷なり。七草会。築地の雪本に開かる。

五月十五日。宿雨晴る。京伝が錦の裏、総籬等を読む。

五月十六日。帝国劇塲亜米利加の唱歌師シユンマンハインク女史を招聘す。舞台にて時事新報記者、ひよこ/\と女史の身辺に歩寄り、名誉賞を贈呈す。其の状の滑稽茶番狂言を見るが如し。

五月十七日。風寒し。ビクトル・オルバンの著ブラヂル文学史を読む。

五月十八日。夜雨淋鈴。燈下前年の日録を読返し、覚えず夜分に至る。此の断膓亭日記をかき始めてより早くも五年とはなれるなり。

五月十九日。清夜月明かにして、階前の香草馥郁たり。

五月二十日。夕刻雷鳴驟雨。須臾にして歇む。

五月廿一日。曇りて蒸暑し。桐花ひらく。

五月廿二日。夕刻驟雨あり。深更に至り大に雨ふる。

五月廿三日。脚本小説の腹案四五篇に上れり。されど何故か感興来らず、筆を秉らむとすれども能はず。懊悩甚し。余は屡文筆の生涯を一変し、今少し無意味なる歳月を送るにしかずと思ふなり。創作の興至るを俟たむが為、徒に平素憂悶の日を送るは、さながらお茶挽藝者の来らざる客を待つが如し。晩間雷雨襲来ること前日の如し。枕上ミゲル・ザマコイスの短篇小説集「アンジヱリツクの夢」を読む。

五月廿四日。清元一枝会有楽座に開かる。風冷なりしが幸に雨に逢はず。去年この日麻布に移居せしなり。

五月廿五日。曇りて風冷なり。小日向より赤城早稲田のあたりを歩む。山の手の青葉を見れば、さすがに東京も猶去りがたき心地す。此等の感想は既に小著日和下駄の中に記述しあれば重て贅せず。毎月二十五日は風月堂休業なれば神田今川小路の支店に立寄りしに、こゝも亦戸を閉しゐたり。九段を登り冨士見町の狭斜に飯して帰る。雨ふる。

五月廿六日。庭に椎の大木あり。蟻多くつきて枝葉勢なし。除虫粉を購来り、幹の洞穴に濺ぎ蟻の巣を除く。病衰の老人日々庭に出で、老樹の病を治せむとす。同病自ら相憫むの致すところなるべし。呵々。

五月廿七日。曝書の旁為永春水が港の花を読む。深川のむかしを背景にして、一篇を成したき思ひ、今に失せず。地理風俗の事をおぼえ帳に記す。

五月廿八日。松莚子に招がれて仲通の鰻屋小松に飲む。

五月廿九日。天気始めて定まる。

五月三十日。拙作脚本集校正。

五月卅一日。滛雨烟の如し。平岡小糸の二画伯と築地の瓢亭に飲む。

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Last-modified: 2015-02-05 (木) 03:10:26 (841d)