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質問の仕方 (2)

 

 

授業や説明会などのあとでは、必ず「質問ないですか」と聞かれます。これは、本気で質問を求めているというよりは、まだいろいろ話したいけど時間がないから、みんながどこらへんに関心があるかを知りないってことなのです。だから本気で「質問しよう」「質問を考えねば」「よい質問を」と考えるのではなく、「ここらへんもうちょっと詳しく話してください」みたいなのでいいのです。

 

面接その他の少人数の場合は特に、「質問する」というよりは、「スピーカーの人から話をひきだす」ってのを心がけてください。基本的には、すでにしゃべったことの具体的な話をしてくださいと言えばいいのです。

あと、就活のグループディスカッションとかだと延々しゃべるやつに一方的にやられてしまうから、話に割ってはいるとかつっこみ入れるとかそういうのもあえて練習しましょう。人間は自由なのです。

→ 質問の仕方 (1)


司会する

ゼミ、研究会、会議などの司会は非常に重要な役目であり、名誉な仕事でもあります。適切な司会ができるように訓練しましょう。

司会とは

少人数の集りでは喋りたい人が適当に喋ればよいわけですが、ある程度の人数を超えると(10人以上か)を超えると司会が必要になります。司会者の役割とは、 その会議や会合を順調に、実りあるものにすることです

司会者の任務

  • タイムキーパー。一番重要な仕事。なにがなんでも指定された時間内に終
    るのが一番の仕事。
  • 質問者さばき。質問者が多い場合は適切な質問の順番・時間を考える。
  • 質問・コメント。質問者が出ないような発表の場合は、自分自身が発表者に質問してもりあがるようにする。

ティプス

  • 会合の出席者の名前は常にメモしておくこと。性格や考え方なども。
  • 発表・質問の内容はメモしておくこと。
  • 適切なことを言いそうな人に発言を促す。
  • 発表者と質問者との間で話が混乱しそうなときは割って入って問題を明ら
    かにする。論題の明確化が大事。
  • 発表が時間超過しそうな場合は、少人数なら口頭で、大人数ならメモを渡
    して発表者に注意する。
  • 司会者が議論の雰囲気を作ります。発表者や聴衆がリラックスして発言できるように工夫しましょう。司会者が堅苦しいと会合も堅苦しくなります。
  • 議論が堂々めぐりに陥ったときは、「この件は今後の課題として、他に〜」。
  • 難しい用語とかはあらかじめ司会が確認する。

クラスに参加するとは

高校までの授業と違い、大学では自分で積極的に授業に参加することが求められます。「求められる」というのは、「道徳的にそうした方がよい」とか「そうしないのはダメな大学生だ」とかという意味ではなく、「あなたの利益のためには授業に積極的に参加しなくてはならない」、「そうしなければ損をする、大学に来る意味がない」、という意味です。

基本的な心構え

大学教員の実態

だいたい、大学の教師というのは教師としての教育を受けていないし、 スキルも身につけていないのです。大学教員になるには、(1)大学院に進学して自分の学問分野で研究して論文を書く、(2)官公庁企業その他で業績をつむ、の二つの道がありますが、どちらも「教育者」としての訓練を受けることはほとんどありません。実際私は教員免許すら持ってませんし、教育実習を受けたこともありません。

小中高の教師は授業研究などで技術を磨くわけですが、 大学の教員の授業を他の教員が覗くことはまったくありません。もちろん他の教員の授業を見学することもありません。

ついでに言うと、大学の教員になっている人間が大学在学中にまじめに授業に出ていたかというとそういうこともありません。私自身は学部の講義の授業はほとんど出ませんでした。つまり、わたしは大学の講義とかそういうものをまともに経験せずに授業しているのです。

つまり、大学の教師は研究のプロかもしれませんが教育のプロではないし、授業というものがどういうところもわかっていない可能性があるのです。小中高の教師はそれなりの教育を受け訓練を受けているわけで、教師としてのスキルには大きな差があります。

さらに悪いことに、大学教員というのには一般に勉強する動機がありません。いったん大学に就職してしまえば、勉強したり論文書いたりしなくても自動的に給料はあがっていきますし、クビになることはありません。特別なことがなければ、誰も教員の業績を審査したりすることはないのです。したがって、就職したあとはぜんぜん勉強しないで毎日を過ごしているひともけっこういるのです。

そういう教師に大学生は教育を受けるわけです。あなたたち学生はちゃんと自衛しなければなりません。

授業内容

大学の授業内容は完全に教員にまかされています。高校までは文科省や受験による縛りがあって、「これこれのことを教えなければならない」とほぼ決まっているわけですが、大学ではそういうものはありません。教員が適当に教えやすいもの、興味があるものを取りあげていることがほとんどです。もしかしたらあなたが教えられていることはまったくの間違いかもしれません。

大学の授業

ではどうしてそういう状態になっているのでしょうか。基本的に大学というのは学生が自分でなにかを「研究」する場所なのです。高校までのように口を開けて何かを教えてもらうのを待っている場所ではありません。

だから講義よりも演習形式の授業の方がはるかに大学らしい授業なのです。高い授業料を払っているのですから、自分なりに大学を有効に利用しましょう。そのためには授業を自分で動かすつもりがなければなりません。黙って聞いているだけの人はそれなりのものしかもらえないのです。結局大学というのは自発的で能動的な人は得をして、そうでない人は損をする場所なのです。

人間は議論を通して進歩する / 協力しよう

まあそういう大学教員の問題はおいておくとして、
人間というのは議論を通して進歩するものだと思います。
自分の考えを他人に説明できるようになって、はじめて自分がどう考えているのかを
理解するということはよくあることです。ちゃんと考えるためには、他人から
批判を受けることが必要なのです。自分の説明のどこがわかりにくいのか、自分の考えのどこが伝わりにくいのかは、やっぱり他人に教えてもらわないとわかりません。

だから、他の人の発表に積極的に質問したり意見を述べたりするのは、
そのひとに対する協力の意志と敬意の表明でもあるのです。なにもコメントしないのは
その人を無視しているようなものです。

実際、「学会」とかってときにひどい発表のときには
なにも質問が出なかったりして非常にサムいときがあります。「質問するにも
値しない」と思われてしまってることがはっきりしてしまうわけですね。

具体的には

授業評価はちゃんとする

さすがに最近はそういう大学教員の授業のあり方に対して批判的な意見が出てきて、文部科学省の音頭で学生による「大学評価」「授業評価」をする方向に進んでいます。その手のアンケートは非常に重要ですから、教員をちゃんと評価しなくてはなりません。よい授業はよい、ダメな授業はダメとはっきり主張しなければなりません。

自分が喋れば眠くない

だいたい、他人の話を30分も1時間も黙って聞いているというのは非人間的です。私自身は1時間だまっていることは不可能です。でもなにか一言でも発言すれば目も覚めるし、内容にも関心が持てるようになるものです。

感想を伝えろ

とにかく何か感想を述べましょう。「〜がおもしろい」「〜はよくわからない」「〜は知らなかった」「〜は勉強になった」「いまの話が私の人生とどういう関係があるのですか」とか

質問しろ

大学では何を質問してもかまいません。教員があなたにわからないことを喋っているのなら、それはあなたが悪いのではなく教員の説明が悪いのです。すぐに質問。「〜〜って何ですか?」。

もちろん、あなたに基本的な日本語の能力がない場合はかなり問題です。わたしは以前「枚挙」という言葉がわからないという質問を受けたことがあります。さすがにそういうのまで面倒を見るわけにはいきません。電子辞書を用意しておいて、わからない言葉はすぐに辞書をひきましょう。

教師を信じるな、批判しろ

上で述べたように、大学教員というのは資格もなければ審査もなく、勉強をつづけているかどうかもわからない人間です。そういう人々を無批判に信じこんではいけません。「おかしい」と思ったらすぐに質問するなり糾弾するなりしましょう。セクハラ発言も許してはいけません。議論を挑むのだ。

わからないことはわからないと主張しろ

教員の授業や、他の学生の発表がよくわからないときは、あなたが悪いのではなく教員や発表者が悪いのです。

「間違い」を恐れるな

まともな教員は、少なくとも演習形式の授業では学生に意見を求めます。何も話すことができない学生もいます。でもそりゃもったいない。へんなことを言ってもそれはそれでいいのです。間違ったり奇妙なことを言っても大丈夫なのは学生の特権です。どんどんヘンなことを言ってみましょう。その方がクラスも盛り上るものです。

何も言うことがないときに便利な表現

なにも質問や意見が思いつかないときがあるかもしれません。そういうときは決まり文句を使いましょう。

  • 「〜のところをもうちょっと詳しく教えてくれませんか?」
  • 「おもしろかったです。〜についてもう少し詳しく話してもらえませんか?」
  • 「〜という人は〜と言ってました(書いてました)が、それについてはどう思いますか?」
  • 「結論としてはどういうことになるんでしょう?」

具体例

次のような文章の一部があります。

野田正彰・関西学院大学教授(精神病理学)が教えてくれた。大学で講義をしていても、話した内容を鵜呑みにするだけで、深く考えることを忌避する学生が年々増えてきたという。

「このテーマについてどう思う、と尋ねると、「思うってどういうことですか」。あなたの考えを聞いているんだよと返すと、「私に考えはありません」なんて会話をさせられることが珍しくないんです。「私は小さい頃から先生に評価されるように、どう答えたらよいかということに励んできたので、いい成績を取ってこれたのです。それで難しい大学に入ってこれたのだから、それでいいじゃないですか」って。絶句しますよ。」(後略)(斎藤貴男『安心のファシズム』岩波新書、2004、p.98)

微妙な文章と談話ですね。あなたがこういう文章を読まされたとき、どういう反応をすればよいのでしょうか。私だったら次のようなことを考えます。

  • 「深く考える」てそもそもどういうことかわからない。なにを考えたら「深く考える」ことになるの?
  • 「年々増えている」っていうけど、なんか証拠があるんだろうか。昔からそうだったんじゃないの?
  • 「鵜呑みにする」っていってるけど、鵜呑みにしている証拠はあるんだろうか。他人があることを鵜呑みにしているかどうかはどうやってわかるんだろうか。野田先生の勘違いじゃないんだろうか。
  • 「このテーマについてどう思う」とか質問されても困っちゃう。質問が漠然としてるんじゃないかな。「あなたの考えを聞いている」と言われても困る。教師はもっともっと具体的なことをたずねるべきなんじゃないだろうか。問いの前の説明なり興味の引きかたなりがまちがってるんじゃないのか。まったく興味のない教師から、「私についてどう思いますか」と問われてもなんとも思ってないことは多いだろう。
  • 「私に考えはありません」は日本語としてかなり危ない感じだけど、ほんとうに文字通りこう答えたんだろうか。野田先生がそう解釈しただけなんだろうか。
  • 「珍しくない」ってのはどの程度の頻度だと珍しくないんだろう。1年に1回?
  • そもそもこの学生(やその他の「珍しくない」学生たち)と野田先生の間の関係がうまくいってない、という可能性はないのかな。
  • 野田先生の言うことに反感を感じたり、だめな教師だと思っているけどそれを言うのは気の毒だし喧嘩になると面倒だから言わないですまそうとしている、ということはないのかな。
  • 「私は小さい頃から〜」とかすばらしい洞察と表現力じゃないか。こんなこと言える学生のどこが「深く考えることを忌避」してるんだろうか。
  • とりあえず他人が「深く考えない」とか考えているひとこそ「深く考えてない」可能性はないのかなあ。私は自分が「深く考えている」なんて思えないけど、こういう人びと(斎藤貴男や野田正彰)は「深く考え」ているんだろうなあ。偉いものだなあ。

まあ演習とかでは、こういう思いついたことを勝手に口に出してもよいのです。私が「この文章についてどう思う?」とかって漠然としたどうしようもない質問をしたら、上を参考にして適当に答えてください。

補足

あと、少人数授業のちょっとしたティプス。

  • 友達とは離れて座ろう。近くに友達がいるとつい思いついたことを
    小声で友達に話してしまいます。もったいない。

レジュメの書き方

レジュメとは

  • もとはフランス語。(1) 要約、 レジュメ。(2) 概略、 概論書。
  • ハンドアウト handout とも呼ばれる。
  • プレゼン・発表の道具。

レジュメの目的

  • 自分や他人の研究などの口頭発表。
  • 話すためのメモ。
  • 口頭で発表したり議論したりするための叩き台。
  • 論文形式より分かりやすいことがある。
  • 聴衆のメモ紙、退屈なときの落書き用紙。

箇条書き型と論文型の比較

研究発表などはちゃんとした文章の原稿を書いておいて
それを配布し読みあげるタイプと、箇条書き程度のレジュメですませるタイプがある。一長一短。

最近はPowerPointなど使ってレジュメ出さない人も多いけど、おすすめできない。

 
箇条書き 原稿・論文 PowerPoint
ぱっと理解しやすい × ×(全体がわからん)
細かい議論 × ×
シャベリの技術 不要
機転がきく × ×
適当にでっちあげ ×
いい加減な議論で逃げる ×
大事なところの証拠を残さない ×
自分の勉強になる 要点を把握できる 論理的に考える 要点を把握できる
制作時間 短い 長い 余計なことしてしまって長くなる
気が散る 散らない 散らない 気が散る
はったり きかない 実力がわかってしまう はったりだけ
落書き 描く場所たくさん 余白少ない できない
馬鹿だと思われる 思われない 努力しているのはわかる 可能性あり

ポイント

  • とにかく簡潔に。
  • ちゃんとした文章でなくともよい。
  • キーワードを中心に。
  • キーワードだけではわかりにくいことがあるので、重要なところはちゃんとした文章にする。
  • 説明の順番には注意。
  • 箇条書のレジュメは論理的な関係がわかりにくい。
  • →だから、「しかし」「ところが」など論理的に「逆接」になるところははっきり書くべし!!
  • 添付資料をつける必要がある場合も多い。← 何もないと何も勉強してないでっちあげ発表に見える。
  • 大事な引用文とかはそれが引用とわかるように記載する。
  • 細かい註釈などはレジュメに向かないので、注にまわす手もある1

形式

  • ふつうA4横書き。
  • 2枚以上になるときはA4 2枚をB4 1枚に縮小コピーすると見やすい。
  • ページ番号を振ること。
  • 複数枚になるときはステープラー(ホチキス)で留める。
  • 余白を大きくとる。← 聴衆にメモしてもらえるように。
  • 順番
    1. タイトル
    2. 年月日、発表場所等
    3. 名前、所属、連絡先
    4. 適切な節立て。枝番号をふった方がよい。
    5. なにが問題か
    6. どういう情報・研究・議論があるか
    7. ごにょごにょ色々検討したり資料出したり。
    8. 結論。
    9. 必要なら文献一覧。

注:

1 こんなふうにして注にする。簡潔さがレジュメの美徳。


自主ゼミを開こう

 

他のページでも書いてますが、大学ってのは授業に期待してもあんまりたいしたことありません。「せっかく勉強するつもりで大学に入ったのに・・」と思っているひとも少なくないでしょう。

大学ってのは基本的に研究機関であって 1)私は実は違うんじゃないかと思いますが、教員の大半はそう思っています。  、大学の先生というのは自分の業績をあげて偉くなろうとか威張れるようになろうとかそういうことを第一に考えてます。だいたい大人数を相手に教育なんかできないし。

大学では学生は図書館その他の施設を使って自分で勉強するものです。でもやっぱり一人で勉強するってのははりあいがないし、長続きしないものです。人間、目先の目標や反応がないとだめなんですね。

というわけで、勉強に燃える学生は読書会や研究会を開いて自分で勉強するのです。「自主ゼミ」「読書会」「輪講」「輪読会」と呼び名は違うけど、ふつうの大学ではやってる。私に通っていた大学では読書会せずに大学院生になるのは無理だったねえ。この文章を読むひとの多くは就職が一番の目標じゃないかと思うわけですが、そのための準備や勉強もいろいろ必要なわけ。そういうのは大学では教えてくれないから自分らでやる。

企画する

あんまり難しく考えずに企画しましょう。なんか勉強してみたいことがあったら、適当な本を選んでそれを皆で読むのが一番です。適当な本が見つからないときは、そういうのをよく知っているような教員にたずねればよい。

英語が得意になりたかったら、やっぱりやさしい英語でおもしろそうなネタの文章を読めばよい。

人数は4、5人ぐらいが適当。二人でははりあいがないし、話がとぎれたりしてけっこう微妙な雰囲気になってしまうことがある。7、8人になると人数が多すぎて十分にお話することができません。

時間は参加者の授業の空きコマでやるか、夕方授業が終ってから。土日に入れるとデートとかバイトとかがはいって長続きしません。

一番のポイントは期間です。 永続的にやろうとするのは避けた方がよい。テーマと4回、8回などだいたいの回数を決めておいて、気が合わなかったりしたら自然に消滅できるようにしておくのがコツ。その方が新規に参加しやすいものです。いったん「仲良しグループ」ができてしまうと、新しい人は入りにくくなってしまうからです。あとまあ当然ながら仲が悪くなったから解散、ってのを明示化しないようにね。ははは。

人を集める

学校に貼り紙でもすればよろしい。3人集まったら即座に開始して、「興味あるひとは見に来てね」と書いておくのがよい。自分の学部だけでなく他学部にも宣伝に行くこと。京女のような私学だと学年の間のつきあいが薄くなってしまいがちですが、年齢の違うひとびとといっしょに勉強するのは楽しいものです。

チューターを探す

知識がないもの同士でわいわい杉田玄白するのもおもしろいのですが、チューターがいた方がよい場合も多いです。知りあいの教員などに頼んでみましょう。そんなにスゲなくする人は少ないと思います。

他大学へ進出

女性だけで勉強するというのはなんだかなあということもあります。男性の視点を知ることも重要な場合があるし、男性の目があった方がやりがいがあるという人もいるでしょう。他の大学の勉強系サークルに参加するのもおすすめです。京大生と仲良くしよう! っていうか、京大生のボーイフレンドを作る一番の道です。かならずできます。というかできてしまう。それがよいことかどうかはわからん。立命館や龍谷大学という手もありそうです。

江口は

実際のところ、私自身大学では授業より先輩や後輩との読書会から学んだことの方が多かったように思います。というか、ほんの少数の授業を除いて大学・大学院での記憶は読書会関係のものばかり。毎週2、3個の読書会をしていたように思います。英語もドイツ語もフランス語もぜんぶ読書会で教えてもらいました。研究室の仲間とやることが多かったですが、他の専攻の人から知らないことを教えてもらったりもしました。

大学教員になってからも、勉強するのはなにかの研究会のためだけです。

やっぱり自分で発言したり他人からつっこまれたりしないとダメなんよね。

卒論のネタが近い人と

  • だいたい卒論ネタなんてたいしてバラエティーないんだから、近い人を探す。
  • 資料とか共有して協力してもぜんぜんかまわん。

 

たとえば教員志望だったら

  • 教員志望で自主ゼミ・勉強会を自主的にできないなんて教員になる資格がない。
  • そもそも教科書読まずに教生行くのやめなさい。
  • 教科書勉強しておたがいに教える練習しなさい。
  • お互いに感想とか改善点とか指摘しあう。
  • 参考書はなにがいいかとか。
  • テスト自分で作ってみて、お互いに解きあってみるとか。

たとえばアナウンサー志望だったら

  • アナウンサーになるにはなにが必要かとか人前で説明してみる
  • どういう勉強が必要かとか説明してみる。
  • なにか時事解説してみる。
  • インタビューの練習する。
  • 原稿読みの練習。
  • 大学からヴィデオカメラ借り出してお互いにカメラテストしてみるとか
  • 他にもいろいろ練習することはある。

References   [ + ]

1. 私は実は違うんじゃないかと思いますが、教員の大半はそう思っています。

就活の日程とゼミなどの授業がぶつかったら?

 ブッチは絶対だめ

近年就活(セミナーや面接)がどんどん早まって、授業とバッティングしてしまうことが多くなっていると思います。学生さんもたいへんですね。

教員としては「就活なんかするな」なんてとても言えるわけがない状況なのである程度授業を休んで就活するのも黙認、となってしまうわけですが、大人数の講義ならともかく、少人数の授業、特にゼミでの発表をキャンセルするなんてのは言語道断です。いきなりメールで「面接なので発表できません」とかってのは絶対に許せませんね。

許せない理由はいくつかあります。

まあ一つには「学生の本分は勉強だ」という建前があります。でもこりゃただの建前でね。そんな建前を言うつもりはない。いまどきの学生さんにとって、就活は(おそらく勉学より)大事です。

でもなんというか、ゼミの発表のように自分に割り当てられているタスクを自己都合でキャンセルする人ってのは、社会に出ても仕事をちゃんとしないんじゃないかと思うのですね。自分のタスクをキャンセルする人はろくなものになれないし、私はそういう人を信頼する気になれませんね。そういう人は人々から嫌われる可能性が高い。っていうか実社会でも大事な仕事まわってこなくなりますよね。

それになにより、観察しているとそういう人は就活そのものを失敗しているんですわ。4、5年の経験で、なんかそういうルーズなことをする人は実は就活を失敗している傾向があるように思うんですよ。

うまいこと大企業に就職した人はみなそこらへんの連絡や交渉がしっかりしている。そういう人たちは、ちゃんと連絡したり相談したりして自分の日程を調整することができるんですね。そしてなにより、「自分の活動は自分でコントロールできる」という信念をもっている。こういうポジティブな信念は非常に重要です。他人から要求されたように動くんじゃなくて、会社や教員を相手に交渉することができるわけです。そしておそらく求められているのもそういう人材なのね。指示したそのままのことしかできない人とか、問題があっても相談も交渉もできない人とか、指示したことさえできない人とかなんかだめそうでしょ?

そういうひとが、お客さんとのミーティングをダブルブッキンぐしてしまったり、工場が忙しいのに納期まで間にあわないこことがわかっている契約してしまったりする営業や、原稿の締切を守れない大学教員になってしまったりするわけですね。最後のは私。はははははぁ。

「仁義」と「交渉」が大事

具体的にどうすりゃいいのか。ふつうに「仁義」を通して「交渉」して「調整」すりゃいのです。

大学センター入試じゃあるまいし、ゼミでも実社会でも「絶対この日にやらねばならない」「絶対こういうふうでなければならない」なんてルールは存在せんのです。たいていのことはなんでも融通が効くものです。なんでも「調整」すりゃいい。会社に、

「この日は私が所属している〜教授ゼミで私の研究発表がありまして、どうしても面接にお伺いすることができませんので、他の日時にしていただけませんしょうか」

と交渉すりゃいい。あるいはゼミの方に

「第一志望の会社の面接をやっと取ることができましたので他の日に発表をまわしてもらえませんか」

とか、他の受講生に頼んでかわりにやってもらうとか。それになにごとも先々に「どうしたらいいですか」とか相談しておけば無理もきく。こういうのはおそらく実社会で生きていくための最低限の基本なので、学生生活最後の段階に身につけておいてほしいのです。

仁義っていう点でいえば、いちおう大学の方が優先だと大学教員は思っていることが多いし、いちおう建前がそうなので、会社の方と先に交渉しておくのね。んで教員には「会社と交渉したのですがうまくいきませんでした」ってなこと言っておけば、いちおう教員の方の顔を立てたことになるのでOKになる。これが仁義。建前に一応敬意をしめす(ていうか示しているフリだけはする)。

発表じゃないときにゼミ休むときも「~という会社の面接に行くので(ちゃんと固有名詞を出すのがコツ)どうしても出席できません。もうしわけありません。おゆるしください。」と皆に連絡しておけばいい。まわりの子も納得する。(そうでないと、「私がいっしょうけんめい準備した発表なんかどうでもいいってことね!」と嫌われる」

そうすりゃ会社の方だって「真面目な奴だ」と好感もつはずだし  、教員の方も「うむ、しっかりしているな」と安心。

まあもしかしたら「そんなん許せん、大学のゼミなんかより我が社の面接の方が重要に決まっておる」って会社もあるかもしれないけど、そういう会社は「社員の健康や家庭事情なんかより会社の仕事の方が重要である」とも言いそうな気がするなあ。そういうところは用心しないとね。

いろんなことが円満に行くし、自分自身もいやな気分になることがない。よいことづくめ。

あと私自身がルーズな男なのでいろいろヤバい失敗してしまうわけですが、そういうときにはとにかく平謝りすることにしてます。コツはね、メールとかじゃなくてとにかく直参して口頭でもうしわけなさそうな顔することね。そうするとそれ以上怒れなくなるから。ははは。


質問の仕方 (1)

質問・コメントする

ゼミや少人数の授業で、「質問・コメントはありませんか」というときになにも発言できないってのは悲しいことです。

誰かの話を聞いてなにも尋ねたりコメントしたりすることがないってのは、けっきょく、「私はあなたに興味ありません」「聞いてませんでした」「どうでもいいことです」という否定的な態度を表明することにもなります。

「あなたの発表を聞きました」「あなたの考え方に興味があります」という態度を示すことにもなります。なんか口出しできるようになりましょう。

とにかく三つの質問ができるようになればよい。チェックして質問するのは、まず次の3点です。

  1. 使っている言葉の意味ははっきりしているか?曖昧ではないか?分からない言葉は説明してもらおう。
  2. 主張に具体性があるか?具体例を提出しているか?それは適切か?
  3. 発表者は独断的ではないか?証拠はあるか?その証拠はどこで手に入れたのか?根拠は提出されているか?

詳しくは野矢茂樹先生の『論理トレーニング』(産業図書、2006)の第10章「批判への視点」の10.1「質問への視点」を読んでください。

何も言うことがないときに便利な表現

なにも質問や意見が思いつかないときがあるかもしれません。そういうときは決まり文句を使いましょう。

  • 「おもしろかったです。〜についてもう少し詳しく話してもらえませんか?」
  • 「〜という人は〜と言ってました(書いてました)が、それについてはどう思いますか?」
  • 「結論としてはどういうことになるんでしょう?」

→ 質問の仕方 (2)