勉強ではなんでも許される

英語には “All is fair in love and war.” って諺があるようです。「恋と戦争ではなにやってもフェアだ」。まあこれはどうも危ない主張です。恋愛だろうが戦争だろうが、やっぱりやっちゃいけないことがあると思います。しかし、大学で勉強するときには、禁止されていないことはなにやってもかまいません。

もちろん、レポートを代筆してもらったり、webにある文章をコピペしたりしてはいけません。こういうのは禁止されています。

しかし、たとえばゼミで発表しなければならないときに、内容について、友達に相談するもよし、彼氏に相談するもよし、教員に相談するもよし、他の教員に相談するもよし、親に相談するもよし、他のテキスト読んでみるもよし、webで検索してみるもよし、つまり、大学では 禁止されてないことはなんでも許されているのです。発表も予行演習してみるものです。他人の前で一回しゃべって、質問してもらっておくと安心。むしろそうして十分な準備をするべきなのです。レポート出すときも誰かに目を通して表現を添削してもらったりしてもまったくOKなのです。大学での勉強では、むしろ、そういう自分のもっている資源や資産をフルに使う力が求められるのです。大学教員に指示されたことだけをやっていればよいというものではありません。
これは、大学では結果だけが求められるからではありません。むしろ、大学では結果なんかどうでもよいからです。私自身は、最終的にあなたがどんなものを提出するかより、あなたがどのようにして自分の力を伸ばしていくか、あなたが自分の力を伸ばす方法を探すことができるかという方に興味があります。

たとえば、企業があなたを雇うかどうかを考えているとしましょう。たしかに企業は、私のような大学教員とはちがい、結果しか求めないかもしれません。でも企業は、「どんなことをしてでもなんとかよい結果を出す」ひとと、「自分だけの力でできるかぎりのことをすればそれでよしとする」ひとのどちらが欲しいでしょうか。もちろん前者です。

一方、大学教員としての私は、そういう要求に答えられる人を作りたいと思っています。大学での勉強の一番の目標は、勉強の内容そのものではなく、自分で勉強し自分の力を伸ばすことができるようになることです。私にとってはあなたの力がつけばよいのです。そのときにどんな手段を使おうとかまいません。自分に協力してくれる人を見つけましょう。あなたもまわりの人に協力しましょう。

こう考えてくると、なぜレポートのコピペがだめなのか、代筆してもらうのが意味がないのかもわかってくると思います。

Stevie Wonder先生のAll in Love is Fair.

書いたものを他人に見てもらうときは、2部もってくるものだ

就職活動のためのエントリーシートやレポート、論文などを他の人に見てもらうのはとてもよいことです。

戸田山和久先生も、その名著 『論文の教室』 (NHK出版) で、「パラグラフを育てるのにいちばんの方法は、他の人に一文ずつ声を出して読んでもらって、わかりにくいところにツッコミを入れてもらうこと」だとおっしゃっておられます(p. 202)。これ「パラグラフ」だけじゃなくて、文章全体について言えることだと思います。
とにかく他人に読んでもらってチェックしてもらおうという態度は偉い。しかしだね 、ただしそのときに、1部だけ持ってきて、「読んでください」じゃだめなの! ちゃんと読んでもらう分と自分の分の2部もって来んかい!「えーと、この部分は」「どこの部分ですか?」とかやってたら日が暮れるでしょ。3人いれば4部、4人いれば5部もってくるものなの。

形式はだいじです

それにしても、レポートでも卒論でも引用その他の形式がちゃんとしているかどうかだけでその文章の内容の質がわかってしまいます。大人数の授業のレポートなんかはそれだけでA/B/Cぐらいは採点できちゃう。なんというか、そのひとがどういう人か—アカデミックな訓練を受けているかどうか、先行研究に対する敬意があるかどうか—がわかるのね。私は最近、研究会なんかでもレジュメの出典のつけかたなんか見てから話を聞くようになっちゃってます。

まあでも私自身もちゃんとできないんですけどね。それは私自身がちゃんとしたトレーニング完了してないからさ。ははは。まあやっと最近そういうのがわかってきたってことでね。まあ教師も学生とともに成長しているのです。

卒論とただの文章の違い

卒論とか書いていると「ちゃんとした(学術)論文の形にしろ!」って教員から怒られるわけですが、学術論文とただのエッセイの違いはなんでしょうか。論文はすごいアイディアじゃなきゃだめだけどエッセイはそうでもない、みたいな感じでしょうか。ちがいます。

単純な答は、出典がついているかどうか、です。「不倫はなぜ悪いですか」みたいな文章はブログにも新書にもたくさんあるわけですが、学術論文ってのは「誰それはこういった」「こういう統計データがある」みたいな文に「〜という本の〜ページにある」て出典がついていて、誰でもそれを見てもとのデータなり文献なりを参照することができるようになっている。論文とただのエッセイの違いはこれだけです。たいしたアイディアじゃなくてもちゃんと参照つけていけばとりあえず論文になる。逆に、どんな斬新なことを書いていても、出典とかデータとかの場所を示してないのは論文ではない。

だから学部のレポートの段階でも、ちゃんと出典つけるクセつけましょう。

卒論書けない人のためのガイド

「卒論なに書いていいのかわかんないよー」っていう人が多いと思いますので、中堅のゆるい学部で最低限の卒論らしきものをでっちあげる方法を書いておきます。

1. まず、とにかくなんでもいいから、興味のあるネタで教科書レベル・新書レベルのものを何冊か読む。

もうほんとになんでもいいです。学部とか学科によって「だいたいこういうネタで書かなにゃらならない」ってのがあるでしょうから、それはいつかネタを考えて、教員に聞いてください。「〜か〜か〜に興味あるんですけど〜どうしたらいいでしょう?」

2. いっきに決めちゃう。

ネタ・テーマを決めてください。たとえば「化粧や服装は人の行動にどういう影響を与えるか」でもOKです。すると教科書読むとだいたい「性格特性と被服行動」とかの項目があるのでそれ読みます。

3. ウラをとる。

そうするとたとえば「外向的な人は派手な服を着る」みたいなことが書いてあるわけですが、そのウラをとります。つまり教科書で「事実」や「真理」「仮説」みたいにして提示されていることが、どんな論文の裏付けがあるかをたしかめます。ちゃんとした教科書は出典や参照が書いてありますので、その論文なり本なりを集めます。ILL(図書館相互利用)とか利用して論文を30本ぐらい集める。すると、教科書で「外向的な人は派手な服を着る」と一行で書いてあることの裏付けとして偉い学者さんたちが実験したり調査したりしていることがわかる。それにもとづいていろいろ書いていく。

4. 自分の観察と照らしあわせる、経験を思いだす、自分で調査してみる。

ここまでくるとだいたい教科書の一行がけっこうな分量のちゃんとした「研究」に裏づけられていることがわかってくるはずです。あとはいろいろ書きたいこと書けばいい。

あんまりちゃんとしてない新書に書いてあることなんかは探しても根拠がなかったりすることに気づいたりします。これはおいしい。「この著者はこんなこと言ってるけどなんも根拠ないみたいだぞ、っていうかキーワードを中心に調べてみたらぜんぜん違うことが他の学者によって主張されてる」みたいなことを発見したらそれだけで卒論になります。
まあ卒論ってのは別に事実とか真理とかを書くもんでもないわけです。「いちおう常識ではこうなってるけど、あんまり根拠ないみたいだ」とか書くのもよし。「このひとたちはこういうこと言ってるけど、別の人々が主張しているこれこれを考えてみるとなんか信用できないぞ」とか。おかしな著者がいたら「この人はダメだ、なぜならばこういう根拠に反しているかだ」みたいな発見も卒論になる。

がんばってください。

レポートについてつらつら

もうすぐ本格的なレポートの祭典がやって来るのが恐い(今日あたり小包が届いちゃうはず)。

どうも

とかでなんか御意見いただいたようなので、お返事書いておくのがあれなのかなあ。

このブログは余計なことを書いて女子大生に説教されるのが目的だから、(おそらく)男子学生から説教されるのはちょっとあれなんだけど、めったにからんでもらうこともないし、説教されるの自体は嫌いじゃないからやっぱり反省しないとな。そういや
別のところでも「新手の夜回り先生か!」とか書かれちゃったような気がするから、もっと説明的に「女子大生から説教されて反省するM男教員日記」とかにしとくべきだったな。

上のsjs7学兄には特に反論とかないんだけど、人文系の大学教員がなにを考えているんかってのは学生さんたちにはわかりにくいかもしれないから、つらつら自由連想してみるかなあ。

  • まあ正直、はてブがついた記事 はつまらん。陳腐で30個もブクマつくような記事じゃない。うまく書けてないし、おもしろくもない。戸田山先生の本読んだ方が365倍ぐらい役に立つ。
  • はてなに書いたやつだったら、むしろ、「レポートの書き方こそ自発的に調べてみましょう」 や 「なんで丸写しじゃだめですか?」http://d.hatena.ne.jp/eguchi_satoshi/20080715/p2 とか、「新入生はまず「大学での勉強」本を読もう」 とかの方がまだ情報量があると思う。学生さんはそっち読んでほしい。
  • はてなじゃないのだと
    「剽窃・盗用を避ける」http://yonosuke.net/~eguchi/memo/plagiarism.html が自分では重要だと思っていて、まだうまく書けてないというか説教としてはまだ練れてないんだけど、国内では似た記事を読んだことないからいろいろ批判してみてほしいところ。
  • そんでええと、なんだっけ。
  • えーと、まず「私は図書館に 行ってOPACを調べてみました。なかなか資料が見つからず苦労しました」とかいくらなんでも私が担当しているレベルの大学生は実際には書かんわね。実際にはもっと微妙。でも本質はけっこう近いと思う。
  • えーと、それから。えー・・・。あんまり自発的じゃない文章ってほんとに書きにくいね。なんか書きたいことがあるときはさらさら書けるけど、書かなきゃってんで書こうとすると書けない。sjs学兄が言ってるのはそういうことなんだろうけどね。
  • えーと。
  • そもそもまともなレポート書きたいと思わないひとは、レポートの書き方とかこういう
    ブログ記事とか読まんわね。だからそういう人に向けて書いているわけではない。
  • このブログの説教系のは、大学のホームページからリンクはっておいてうちの学生さんに読んでもらおうってのが主旨なんで。目につけば参考にするひともいるだろうぐらい。とくにはてな界の人に説教しようとか、世の学生全体に説教しようとかそういうんではない。もうちょっと有益なもの書きたいような
    気もするけど、まあこんなもん。
  • それにしてもまあ、やっぱりレポートとかってのがどういうものかよくわかっとらん学生さんてのは「はてな」とか2ちゃんねるとか読み書きしている学生さんが想像できないぐらい多いんよね。ネットつかっている学生さんはその時点ですでに勝ち組候補だと思う。中堅大学の情報格差みたいなんはとんでもないことになっているってのが実感。
  • えーと。
  • んで、学兄の中心的な主張のひとつは、「「正しい」レポート書けたって楽しくないなら意味がないでしょ」とか「授業が楽しくないからレポートがそんなんになるんでしょ」とかなんだろうと読んだ。
  • 「授業が楽しくないからレポートがそんなんになるんでしょ」については授業楽しくないのはその通りなんだけど、だからレポートがぐしゃぐしゃになるのかというとそうでもないような気がする。そもそもなにどう書いていいかわからないひとも多いのね。そういうひとが自分では一所懸命書いているつもりで「まず私は~を読んだ、~に興味をもったので次に~を読んだ」「私は~感じた」とか書いちゃう。これはまったく教育が悪いんで現在努力中なわけだ。
  • これについては、私自身は、ここ10年ぐらいの中学~高校の「調べ学習」がよくなかったんじゃないかという偏見をもっている。
  • そもそも大学でちゃんとレポートなり論文を書く練習しないで中高の教員になってしまう人が多くて、そういうひとが「総合的学習」だの「調べ学習」だの指導してどういう結果を出させりゃいいのかちゃんと理解しているってのはありそうにないんよね。きっとやっぱり「私たちのグループでは~に興味をもって図書館で探して「書名」を読んでみました」とか書かせちゃうと思う。
  • まあいいや。そういう話じゃなかった。
  • ええと。

    んで正しいレポートが書けるようになったとしても、それによってレポートを書くのが「楽しくない」と思ってしまったら、元も子もないと思うから何だよね。

  • まあ楽しいのは重要だよな。でも楽しさとかってのを直接に目指すつもりはないし、レポートや論文書いて楽しいと思えるようになるまでの道のりってのはほんとに長いよね。苦しいばっかりで。私自身はM2のときまで楽しいと思ったことがなかったなあ。いまだに苦しいばっかりで楽しいときはめったにない。いや、楽しいこともありますあります。
  • もっとも、レポートのお約束とかってのは楽しくするためのお約束でもあるんよね。サッカーのオフサイドルールとかとなんか似てる。もちろん最初はボール蹴ってるだけでも楽しいんだろうけど、試合やるときにオフサイドがないと、けっきょくゴール前にボール蹴りこんでみんなでもみくちゃになっちって、
    ぜんぜん楽しくなさそう。
  • あとまあ私が担当してるような授業でレポート書かすってのは、実際その学生の個性みたいなんを見たいわけじゃなくて、
    とりあえずそういう創造的なことをやるための基礎訓練みたいなもんで。サッカーでいえばパスまわしの練習させてるような感じでもある。もちろん選手は試合したいだろうけど、試合楽しむためにパスまわしみっちりやっとく必要もあったりするわけだろうと思う。
  • だからまあここで問題にしている800字とか1200字とかの
    レポート書くのが「楽しい」かどうかには私はあんまり興味がない。そういうので楽しいことがあるとすれば、たくさん書くことあるのをなんとかして800字に おさめるために取捨選択したり表現工夫したり句読点けずったりって工夫が楽しいだけだろう*1
    もちろん、3、4回生になって卒論に近づいてくるとまた別のことを考える。
  • あら、これ長くなりそうだ。ちょっと仕事しよう。
  • えーと。あとなに書こうとしてたんかな。
    学生から見ると大学教員てのは偉そうに見えるかもしれないけど、実際は誰もが知ってるようにしょぼしょぼで、もうなにをどうしていいかわからんのよね。さっぱり権威なんかじゃない。
  • 私も非常勤時代から含めて12、3年も大学で授業してるけど、
    いまだに試行錯誤中。だいたいわれわれのほとんどは教授法みたいなものを一切勉強したことがない。これはほんとに一切。私自身は中高の教員免許さえ持ってない。
    教え方みたいなのは塾とか予備校とかで見様見真似のオンザジョブトレーニング。人文系の教員は、そもそも自分がちゃんと先生から教わってない人も多いはず。だから ティップス先生 http://www.cshe.nagoya-u.ac.jp/tips/ が公開されたときはいろんな人が驚いたし参考にしたんだと思う。学生さんもこれ読んでおくと教員がなに考えてるのか、なに悩んでいるのかだいたいわかると思う。
  • 一時期「FD」とかやってたけど、あんまり実りはなかったんじゃないかと思う。実際そういうのに興味をもつ教員はまともな人が多いし、まともじゃないひとはそもそも興味を持たない。
  • 教授法だけじゃなく、やってる学問の内容について問題のある教員も少なくないかもしれない。いちおう大学で教えている以上、学会や研究会とか報告したり論文書いたりして、自分の理解や教えていることがまちがってないか常に確認しておく義務があるんじゃないかと思うんだけど、人文系だとあそういうのにまったく参加しない教員も少なくないよな。理系だとみんな必ず報告するんだと思うけど、人文系の学会は「若手社交界デビュー」の場みたいになっちゃってる。レジュメや教科書公開している人もめったにいない。哲学関係だと、定番の教科書ってものさえ存在しない。だから大学教員は自分のところでさえ誰がどんなこと教えているかさえ知らないことが多いと思う。「せめてシラバスぐらいちゃんとしよう」みたいな話が進んでるけど、現状は周知の通り。
  • 雑誌査読とかってのも人文系ではうまく機能してない分野もありそう。私が属している分野だと、そもそも雑誌論文とか参照している論文が少ない。日本語文献の参照自体が少ないし。
    引用されるのは書籍が中心だけど、そういうのは査読なんか関係ないから好きなこと書ける。だれもチェックしない。以前はちゃんとした出版社のものはちゃんとしてたみたいだけど、今はほんとに玉石混交。まあたいへん。
  • 内容は立派だけど様式がぜんぜんだめな学生レポートや卒業論文ってのが存在するかどうかってのは興味深いネタだよな。まあ、あるかもしれん。特に哲学や社会学は斬新な書き方ってのがまだ可能かもしれんわな。ウィトゲンシュタインだってギアツだって、当時の人にも異様だったろう。まあでもいま『論考』や『探究』や”Deep Play”みたいなん卒論にされても困るわね。天才には天才にふさわしい表現方法がありそうだ。でもそんな天才がわたしの担当にいるとは思えんし、いても私の手にはおえない。そういうひとは「レポートの書き方」とか興味もつ必要ない。だいたい、何度も書くけど、正直なところ、教員は(少なくともふつうの講義形式の授業程度では)学生一人一人にそんな興味はない(これが先日の記事で一番書きたかったこと)。
  • あとあれだね。sjs7学兄はしばらく前に福耳先生がなんか騒ぎおこしたときに大学教員に対してうたがいを持つようになったのかな。あの件については別のところにこっそりこんなことを書いてたのを思いだした。
  • 福耳コラムの人のトリアージ炎上。ばからしい。これはあれだよな。学生に書いてもらったコミュニケーションシートからなにを読みとるか、っていう問題なんじゃないかしら。福耳の人の感じもわからんではないのだが、ちょっとナイーブすぎるかもしれん。っていうかコミュニケーションシートに何を書いてほしいのか、なにを期待しているのかをはっきりさせてないのが原因なんじゃないのかとか。あとで自分がコメントシートになに書いてほしいと思っているのか考えてみよう。

  • まあ課題を明確にせずに、ただ「感想書いてね」とかだったら「かわいそう」とかになっちゃうよね。レポートとかも(私を含めて)課題はっきりさせない人たちも多いんで、「私は~と感じました」になっちゃう。それつかまえて「かわいそう」ってのはアレだ、とかひどいわね。そういうのにいらだつ学生さんもたくさんいるだろうと思う。だから大学教員の大半がだめなのはその通り。
  • ええと。あと、レポートきっちり書く訓練すると、「言いたいこと言うまえにちゃんと調査しないとなあ」とか「他人の文章はなるべく好意的に読まなきゃ」とか「前後の文脈重要だな」わかってくると思う。たとえば「学者は一万部ぐらい単著を売ってから説教しろ」は効果的じゃなくてぜんぜんだめだと思う。。ちょっと調査すればもっと効果的なプゲラも書けるようになる。たとえば、
    • 教員500部でいいから1冊ぐらい単著書いて流通まわしてから説教しろ」
    • 「博論書いてない人に説教されてもなー」
    • あれが論文/レジュメか
    • みんなのキャンパスであんな評価のやつが説教か
    • 誤字脱字さえ直せないやつがなんで説教してんだ

    とかの方がもっとプゲラやクスクスとして優秀に見える。

           / \  /\ キリッ
    .     / (ー)  (ー)\      
        /   ⌒(__人__)⌒ \    < レポートからは我を消してみよう
        |      |r┬-|    |    
         \     `ー'´   /
        ノ            \
      /´               ヽ              
     |    l              \
     ヽ    -一''''''"~~``'ー--、   -一'''''''ー-、.    
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         \ u.` ⌒´      /
        ノ           \
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    <クスクス   /       \!??
          /  u   ノ  \
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        ノ           \
      /´               ヽ
    
  • 古いね。あらずれたか。使ったことないからAA苦手。まあリアルでもよく似てる*2。「単著なくて許されるのは助教までだよねーきゃはは」も貼りたかったけどやーめた。
  • まあ他にも、たとえば大学教員がいかにダメかをレポートするんだったら、
    こいつはこんなダメなこと書いてる、大学教員は(一般に)こんなダメなやつらだ、俺んとこの教員はこんなことしてやがる、っことを典拠や具体例あげて具体的に議論してくれないと、やっぱりオレオレレポートやオレオレ論文になっちゃって、わざわざ読んだり理解しようっていう気にはなりにくいんよね。よっぽど文章に芸がある場合や、もとからその人に関心ある場合はそれでもおもしろいのかもしれないけど、ふつうは、はあ、そう感じましたか、ぐらいで終っちゃう。「どう
    してそう感じますか?論拠は?思いこみじゃないの?読みちがえてない?」とか好意的にたずねるのはゼミや卒論面倒みさせられてる学生ぐらい だよな。特に誰かを批判する論文やレポート書くときはなんかもとのものよりも情報量を増やしたいよね*3。こういうのもレポートまじめに書く訓練しているとだんだんわかってくるような気がする。レポートではなるべく我を消して対象に向ってほしいってのはそういうことでもある。私もそういうのがわかりはじめたのはついここ1、2年。まだちゃんとはわかってない。そういうのに対して忸怩じくじく。
  • まあそういうわけで、大学教員の大半は権威だと思う必要ないし、権威じゃないひとの大半はだめだめなので、あんまり大学教員がブログとか書いてることをまに受ける必要もなければ、気にする必要もない。ただ偉い人や権威な人もいて、そういう人のいうことはちゃんと聞いた方がいいと思うけど、そういうひとはブログとか書いて時間つぶしたりしないから本読んだ方がよい。
  • あと正直なところ、レポートだの論文だのは言いたいことを言うためのものかどうかも微妙。私の感じではあんまり認めたくないことを認め、言いたくないこと言わなきゃなんないのが学問とかそういう感じがあって、これはアレだよなあ。微妙。
    まあ自発的に言いたいこととか自分語りとかはチラシの裏かブログとかに書きなぐる。これははっきり楽しい。このエントリみたいにもうひとつ自発的でないのはやっぱりおもしろくならんね。うん、やっぱり自発性は大事。終了。
  • ちなみに大学教員はおそらくキャバクラとかなかなか行けないと思う。お金ないのもあるけど、学生さんが働いてて次の日に おもいっきりプゲラされる可能性があるし*4。だいたいそういうところでいつも会ってるようなものと話してなにがおもしろいのかわからん。では大学がキャバクラ状態かというとそうではなくて、逆にこっちが気をつかうのでむしろホストクラブに近い。どっちにしてもそれほど楽しいものではない。
  • でも昔から「説教パブ」とかって企画はもってんだよな*5
    カウンターの向うに女子大生が並んでいて、なんか粗相するのにオヤジが説教したり人生について語ったりする。女子はそれを「はい、ええ、そうです、ええ」とか聞きながら涙ぐんだりするとか。けっこうニーズはありそうだ。「今日の粗相はなんにいたしましょうか?」とか。メニューは「飲み物をこぼす」あたりからはじまって、「客の前で化粧直す」「客ほっといて携帯メールする」「つっぷして居眠りする」「ブータレる」とか。「君ねー、それじゃ社会でやってけないよ!お金もらってんでしょ?」とか。大学講義パブや大学ゼミパブもいいかもしれんなあ。お客がレジュメ作ってきて授業するの。「日本経済の動向」とかでいいじゃんね。店員はまじめにノートとってるふりしたりする。質問する子にはチップはずんでね、みたいな。私は行きませんけど。
  • 「説教されパブ」みたいなんは昔通ってたことがある。ママから「あんたはだからダメなんよ」「キョーダイセーは理屈っぽくて」とか言われるようなとこ。M男だから。いまはもうない。なむなむ。
  • あ、あと大学で大人数教養クラス担当させられる非常勤講師の絶望と、彼らの学生や常勤に対する敵意についても書きたかったんだけど*6、まあそのうち。
  • でもまあ、自分はまだベビーだからとおもってても、私もそろそろニセの権威や権力*7をもちはじめてんのかもな。誤用悪用しないように注意しないと。でももっと欲しいような気もするな。うはははあ。

*1:そういうんでは制約が多い方がパズルみたいで楽しい。実はこういうのはけっこうよい頭の訓練になる。

*2:諸般の事情によって今現在物理的に非常によく似てる。

*3:むずかしいんだけど、間違いを指摘するだけじゃなくて、どう間違っているのかを指摘し、さらに、なぜそんなふうに間違うのかの因果的な説明もする、とか。

*4:だから一部の人(うちの大学じゃないけど)はフィリピンパブとか中国パブとかそういう系統が好きらしい。私は苦手。

*5:あら、これスガシカオ先生もアイディア出してるらしい。

*6:学生からは常勤も非常勤も同じに見えるけど、ぜんぜん違う存在で。

*7:こっちの一部はニセじゃない。

レポートについてつらつらその後:いっこ忘れてた

あ、昨日の記事ですごく大事ことを書きわすれたからインフォメーションとして書いとこう。 特にsjs7学兄あてってわけじゃない*1

そういう「正しいレポートの形式」とかを一生懸命勉強して、そのような形でレポートがあらねばならないと思って、それで正しいレポートが書けるようになったとしても、それによってレポートを書くのが「楽しくない」と思ってしまったら、元も子もないと思うからなんだよね。http://d.hatena.ne.jp/sjs7/20080730/1217428542 (誤記らしきものは訂正した)

このタイプの主張は他でも時々みかけるんだけど、こういうタイプの不安にはけっこう強力な反論がある。それは、いったんまともな書き方、考え方がどんなものであるのかを知れば、それを知った人がそれによって(たとえば)レポートを書くことが楽しくないと思うようにはならない、ってことだわね。レポートだけじゃなく、ブログだろうがなんだろうが、よい書き方がどういうものかを知ってしまった人が、それを知らなかった状態に戻りたいと思うことは本当にめったにない。「正しい書き方なんて知らなかった方がおもしろく書いてたなあ」とか思うことが経験的にほとんどないのね。実際にはむしろ楽しくなる。どういうわけか発展の方向は一方通行なのね。

同じようなことは音楽とかでもあって、和音その他のポピュラー音楽理論をまだ知らない人が「そんなん勉強したらオリジナリティなくなっちゃう」とかわけわからないことを言うことがあるけど、いったん楽譜の読み方や和声理論を勉強した人が「勉強しなきゃよかった」「楽器弾くのが楽しくなくなった」とか言うことは滅多にない。実際のところ見たことがない。美術系だとデッサンの練習とかまあいろんな分野で同じ
ことがいえるはず。

もちろんこれは人類の経験としてそういうことはめったにないってだけで、原理的にありえない、可能性としてまったくありえないって話ではない。そういう人も少数でもいるかもしれないし、「俺は勉強するんじゃなかった」とか言うひともごくまれにまあいるんだろうけど、それよりずっと多くの人が「あんとき勉強しときゃよかった」とか「いまからでも勉強しなきゃ」って思っている。そういうんで、少なくとも平凡な人間にとっては、まあ、多数の人びとの長い間の経験は尊重に値する。学問とかその他のいろんな知識や技術ってのはそういう多数の人びとの経験と努力のよせあつめなわけで、大学教員とかはそういうものを尊重する。っていうかそういうのがおそらく大学だけじゃなくてすべての教員の任務。だからそういうものの価値に気づいていない人間が大声で叫んでたら(余力があれば)攻撃するし、学生ならば単位を盾に説教して回心するよううながし、同業者でおかしなことを言っている人間がいたら叩き出すよう努力する。

私の好きなエリート主義者・完成主義者ミル先生はこんなこと言ってる。高校「倫理」の教科書にも載ってるような超有名な箇所。

それでは快楽の質の差とは何を意味するか。量が多いということでなく、快楽そのものとしてほかの快楽より価値が大きいとされるのは何によるのか。こうたずねられたら、こたえは一つしかない。二つの快楽のうち、両方を経験した人が全部またはほぼ全部、道徳的義務感と関係なく決然と選ぶほうが、より望ましい快楽である。両方をよく知っている人々が二つの快楽の一方をはるかに高く評価して、他方より大きい不満がともなうことを承知のうえで選び、他方の快楽を味わえるかぎりたっぷり与えられてももとの快楽を捨てようとしなければ、選ばれた快楽の享受が質的にすぐてれいて量を圧倒しているため、比較するとき量をほとんど問題にしなくてよいと考えてさしつかえない。

ところで、両方を等しく知り、等しく感得し享受できる人々が、自分のもっている高級な能力を使うような生活態度を断然選びとることは疑いのない事実である。畜生の快楽をたっぷり与える約束がされたからとって、何らかの下等動物に変わることに同意する人はまずなかろう。馬鹿やのろまや悪者のほうが自分たち以上に自己の運命に満足していることを知ったところで、頭のいい人が馬鹿になろうとは考えないだろうし、教育ある人間が無学者に、親切で良心的な人が
下劣な我利我利亡者になろうとは思わないだろう。
こういう人たちは、馬鹿者たちと共通してもっている欲望を全部、もっとも完全に満足させられても、馬鹿者たちより余分にもっているものを放棄しないだろう。(J. S. ミル、『功利主義論』、早坂忠訳、中公世界の名著『ベンサム・ミル』、下線はこのブログ書いてる人間。)

ここは、まあ、読みようによってはひどい文章だし、つめてみるといろいろ問題がある箇所でもあるんだけど、レポートや一般に文章に関していえば、いったん高級な能力を身につけた人がもとの状態に戻ろうとすることはほとんどない、ってことだけははっきり言えるだろうと思う。私ももっと高級な能力を身につけたい。もしこういう考え方に興味や反感を感じたら、そういうのをまともに読んでみればよいと思う。そうすれば、やっと大学での勉強とかっての仲間入りしたことになるんだと思う。ところがそうすると、どういうわけかこれがもとの状態にはなかなか戻れなくなるんだわな。そしてその方が楽しい。うははははあ。

*1:けどまあ、暴れ方にいろいろ感じるところがなかったわけではない。

レポートではいったん「自分」を消してみよう

どうもレポートとか書いてもらうと、「〜について図書館に行って調べてみた」とか書く人がいてうんざりします。そんなこと読みたくありません。大学教員は一般にはあなた自身やあなたの行動には興味がない(それはよいことで、へたに教員に個人的な興味もたれるとえらいことになります)。

戸田山和久先生の名著『論文の教室―レポートから卒論まで』(NHK出版)の【鉄則7】は「問い+答え+論拠」以外のことを書いてはいけない」です。戸田山先生は以下のようにおっしゃっておられます。

その課題を選んだ経緯、自分がその意見をもつに至った事情、その他の「自分語り」、たとえば思い出話やエピソード、必要な参考文献や資料が手に入らなかったことの言い訳、うまく書けなかったことの言い訳、お世辞みたいなの。こうしたことを論文に書いてはいけない。(p.42)

まあ就職のこととか考えるとわかりやすいと思うんですよ。「チミチミ、我が社が企画している新店舗を〜に出す計画の評価レポートを作成してくれたまへ」とかって課題に対して、「私は図書館に行ってOPACを調べてみました。なかなか資料が見つからず苦労しました。」とか中学生みたいなこと書いてたらぶっとばされるっしょ。クビです。そうじゃなくても「チミに頼んだのは失敗だなや」とか言われちゃう。ふつうのひとはあなた自身やあなたの行動には興味がないのです。興味があるのは成果だけ。そのレポートが読むひとをちょっとでも賢くするような情報を含んでいるかどうか。

まあこれは小学校から大学に到る作文教育に問題があって、「あなたの事を自由に書きましょう」とかって教えられてるからレポートでもそうなっちゃうんよね。私たちがイクナイのです。ごめんなさい。教育イクナイ!でも大学2年生ぐらいになったらレポートからはそういう「私」を消すことを試みてください。最初はあなたの行動とか感じ方とかそういうの忘れて、資料とか文献とかをきっちり読んでなにが問題なのか、どういう解釈や見解があるのか淡々と書く。

そういうのを消していっても、いずれあなた自身の「独自の考え」が出てくるから大丈夫。資料や他人の見解の価値を検討していくうちにそれまでの文献では不十分なところが見つかったり、どうしても納得いかないことがでてきたりして、どうしても「しかし私は〜と考える、なんでかっていうと〜だからだ」と書きたくなる、いや書かねばならないと思うときがやってきます。この「しかし」がない「私は」なんか意味ないっす。そして、「しかし」のあとのあなたになら私も興味ありますよ(こっちの興味はそれほど危険じゃないです)。

で、これは就職関係の「自己分析」とかコミュニケーションについても言えそうなんよね。多くのひとは「私ってどんな人間」とかそんなんばっかりが「自己分析」だと思ってるみたいだけど、そんなんどうでもいいわけ。そういうのに関心あるのはあなたと近い人びとだけ。他人は、むしろある対象をあなたがどう評価するかとか、それとあなたがどういう関係にあるかを知りたい。

「君ってどんな人?」とか聞かれると答えようがなくて困るっしょ。だいたい「うーん、努力家です」とか言われたって信用できるわけないし。まあこういうこと質問してくる人はだいたいダメ。「俺ってさー、すげーんだぜー」とか「このまえ(お前が知らない)ツレの〜と〜行って次に〜行って、その次に〜行って」とかだらだら報告聞いてもあんまりおもしろくないでしょ?

「『恋愛小説家』っていう映画見たことある?好き?どこがよかった?ジャックニコルソンどうよ」とかだとまだ話に発展性がある。そういう共通のものについて分析したり評価したり批判してると、相手がどういう人かわかってくるわけでね。まあそういうわけで、「私」を中心にものを見るのをやめて、とにかくなにか自分以外の対象について考えてみましょう。

レポートの書き方こそ自発的に調べてみましょう

  • いまだに「レポートの書き方がわからん」という人がいるのですが、そりゃ自分で調査してみる気がないと一生わからんです。
  • 以前に書いてwebにのっけてますが、こういうのはただの形式についての目安でね。お金もらえるわけでも名声が手に入るわけでもないのにこういうものをいっしょうけんめい書く気にはならんですよ。でももっとうまく書けるといいんだけど。
  • 「要約とレポートとどう違うのですか!」とかって人もいました。なんか「うどんと麺類とどう違うんですか!」とか聞かれてるようで答えにくくてこまります。なんか気分が暗くなりました。大学でのレポートってのがどんなものかってのは、ふつうの授業では初歩的すぎて教えたりしません。
  • それにたんに抜き書きつなげただけのは要約ではなくて剽窃です。とか読んでみてください。これももっとまじめに書くべきなんだろうけど、そんな力も意欲もない。
  • そういう質問する学生さんたちに、「レポートの書き方の本なんか読んだ?」と聞くと「まだです」とかって答が返ってきたりします。おねがいですからなんか1冊ぐらい読んでみてくださいよ。なんでもwebで情報が手に入るとか、一から十まで大学教員が教えてくれる、それにしたがえばAがもらえる、とか思ったらいかんです。情報には金払わないと。
  • とにかく文章書いたことないひとは、
  • 理科系の作文技術 (中公新書 (624))

    理科系の作文技術 (中公新書 (624))

    レポートの組み立て方 (ちくま学芸文庫)

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    論文の教室―レポートから卒論まで (NHKブックス)

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  • ここらへんから。授業中も何度も「読め」といってるのに、この時期にレポートの書き方わからんとか点が低いとかクレームつけるひとは読んでないのよね。わたしはそういうのはよくわからんのです。
  • 授業中にも折に触れていろいろ話してるつもりなんだけどね。まあ自分の勤務先の基礎ゼミとかそういうんだったらもちろん手取り足取り教えますけどね。ふつうの大人数講義でそこまで面倒見る気にはなれんのですよ。特に非常勤で行ってる大学では。(時給がとてつもなく安いのです)
  • 先輩や友人にどういうふうに書いているのか見せてもらうとか、自分書いてもらったものを読んでもらうとか、そういうのもよい。
  • 低い点数つけられたら、それをもってきてどこが悪いか質問してもよい。
  • けっきょく、口あけてお菓子入れてもらうのを待っててはなんもならんのよね。どっかから有益な情報をひきだす努力しないとね。
  • まあ日本の大学教育がだめだから学生さんは犠牲者なのかもしれません。高いお金はらってるのにね。そういうときは、自分のところの大学の先生といろいろ話しあってみましょう。おそらく相談にのってくれるはずです。私も声かけられれば相談にのらないわけではありません。

「なんで丸写しじゃだめですか?」

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1217488667

ふうむ。まあ質問者は本気じゃないっていうかツリなんだろうけど。

こういうのに「法律で決まってるから」とかってのはあんまりよい答じゃないような気がするな。私だったらどう答えるかな。

  • まずレポートとかの課題を出す方としては、そういう課題を出すのはよくよく文献調べたり考えたりして、問題を理解し、なるべく真理に近い答えを探してほしいわけなんで、コピペなんかされちゃうと意味がなくなっちゃうわね。とくに哲学まわりは答よりはその答に辿りつく過程っていうか論証なり思考なりが重要なんで、答だけ出されてもこまっちゃう。
  • そもそもいろいろ文献調べたりするのが課題なんでね。コピペするだけでOKみたいな課題だったら、そもそもコピペなんかせずにURLだけ提出させりゃいいわけだ。「おまえら、webで検索して俺にURLメールしろ」とか。
  • 私は「要約せよ」っていう課題が好きなんだけど、これも誰かの論証と見解をしっかり自分で検証するための予備作業として重要だからそうしてもらうわけでね。まあ大学1、2年生だとちゃんと他人の意見を要約できるようになればふつうの大学では十分だと思ってる。(けっこうむずかしい)
  • そのときにペタっと貼られただけとか、他人の文章を抜き書きして並べるだけでは困るんでね。どこか重要でどこが重要じゃないかを見分けてほしいし、表現や例は自分なりに考えてほしいわけだ。
  • 同じテキストを要約する課題でも、人によってずいぶん違いが出るもんなんですよ。それでその問題をどの程度理解しているか評価することができる。
  • あとまあ、パクリが嫌われるのは、やっぱり我々大学教員とかはある程度の名声のようなものを求めていろいろ勉強したり論文書いたりしているわけでね。そういうのがまじめに勉強するインセンティブ(誘因)っていうかそいういうのになっているわけで。新しいこと考えたり、自分で文章書いたりするのはすごくたいへんだってのがわかってるし、自分が書いた文章を勝手に使われるのは腹がたつから、他の人の文章も大事に使いたいと思うわけだ。ブログやweb書いてる人だってそれなりの時間がかかってる。この文章だって上の●を三つ四つ書くために10分ぐらいは使ってるわけで、それタダでもってかれるのいやだなあ。どろぼう!松本零士先生に訴えるぞ!(うそ)
  • でもまあそういうのは発明して時間が経過したりするとみんなのものになって、わざわざ「~によれば~である」とやらなくてもすむようになるんだけどね。でも他人の見解をまとめたりするだけでけっこう労力がかかるのだ。レポート書かせるのは「他人の見解をまとめるだけでたいへん、新しいことを思いついたり、それを説得力あるように論証したりするのはもっとたいへん」ってことを思いしってほしいからそうするわけでね。高校生と大学生の違いはそれをわかってるかどうかだと思う。
  • まああとはその証拠の真偽や論拠の正当性とかまあいろいろあるわけだけどね。
  • われわれの考えることにたいしたオリジナリティはないとかってことも思いしって欲しいような気がすうけど、これはまあいいや。
  • まあもっとネットでの情報共有が進むと、将来は、「どのデータをコピペしてくるかの センスの勝負!」とかってのが可能になるかもしれんけどね。ヒップホップでサンプルのネタを競うようにね。でもその場合もなんかヒネりが必要になるだろうなあ*1
  • まあレポート書かせるのは教員の心からのサービスです(本当)。そしてコメントしたり添削するのは大学教員が与えられる最大の愛(うそ)。私はなかなかちゃんとできないです。
  • あと、この件については名古屋大のティップス先生がなんか言ってるはずだから、検索でもなんでもしてみてください。んじゃね。

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*1:ヒップホップ的レポート作成法、とかどうか。ぜんぶ他人からの引用サンプリングで構成しちゃう。キーボードは一発も触りません、みたいな。やってみようかな。この「正義」という言葉は~から、「権利」は~からサンプルしました、とかつけなきゃならんか。なんか渡邊二郎先生なら得意そうだ。