「レイプ神話」での性的動機 (3) 原因と動機、アミル先生の行動主義

マッケラー先生は、レイプの「原因」causeって言葉を使ってます。この「原因」ってのは哲学的なネタを豊富に含んでいておもしろい概念ですよね。

原因ってのは、なにかの出来事を引き起す因果的なメカニズムを指すと私は理解しています。実は一つの出来事について、原因とされるものはたいてい複数ある。たとえば家が火事になった原因というのを考えると、寝タバコとか放火とかそういうのが思いうかぶわけで、消防署や警察はそういう特定の原因を探そうとします。でもよく考えると、火事の原因、因果的なメカニズムはもっといろいろあって、たとえば、空気中に酸素がないと家は燃えないから酸素があることも原因だし、コンクリだけの家は燃えないから家が木などの可燃性のものでできていることも原因ですわね。そのなかで寝タバコを原因として特定するのは、我々が「原因」と呼びたいものは、他の同じような状況でそれを引き起こした当のメカニズムなわけです。空気中の酸素はいつもあるし、家もだいたい木で作られている。そしてそれに対して予防や対応の対策がとれるようなものであってほしい。酸素はなくせないし、家も燃えないように作りなおすのはたいへんだ。火事になったのは寝タバコのせいだ。寝タバコしなければ火事にはならなかった。こういうわけでわれわれは「火事の原因は(酸素でも木材でもなく)寝タバコだ」というようなことを言うわけです。

レイプの原因は性欲だ、とか言っちゃうと、性欲はまあ健康な人々はみんなもってて人によってはもてあましているくらいだし、それをなくせって言われてもこまっちゃうから、あんまり対策に有効ではなさそうだ。だから性欲以外の対処できる「原因」を探したくなるわけですわね。

んで実はマッケラー先生は学者ではないのでちょっと言葉遣いが微妙なところがある。マッケラー先生の『強姦』は、実は主にメナケム・アミル(翻訳ではアマール)先生っていう人の60年代の研究をもとにしてるんです。これはアメリカの統計を使ってレイプ犯や被害者がどういう人々か、っていうのを分析している堅い研究。マッケラー先生は、この本の分析と自分で集めた新聞記事などから『強姦』を書いたんですね。このアミル先生の入手して見てみたんですが、まあ立派な研究だと思います。今の目から見ると、白人と黒人に分けて統計研究したりしていて、ちょっと差別的なところも見られるけど、まあここらへんは時代的にしょうがないですわね。

興味はアミル先生がレイプの「原因」をどう説明しているかってことで、「レイプの原因は性欲じゃないよ」とか書いてるのかと思ってたんですが、そうではなかった。そもそも「性欲はレイプの原因か」みたいな問いは立てないんですね。むしろ「動機」motiveって言葉を使う。

「「なぜ」あのひとはあれをしたのか」っていう問いは、その人がそれをした原因(cause)、つまり因果的なメカニズム、をたずねているときもあれば、そのひとの目的や動機をたずねている場合もあるわけですね。動機っていうのは、ある人がなんらかの行動をするときの目標・目的ですわね。ただし、本人が意識している場合もあれば、あんまり意識していない場合もある。んで、実はアミル先生は、動機や動機づけ(motivation)については、心理学とかと社会学とかでは扱い方や注目するポイントが違っていて面倒だ、それに本人がなにを求めてそれをしているのかっていうのは結局他人には知ることができないのだから、そういうことを考えるよりは、レイプの加害者の特徴、被害者の特徴、それが起こる状況などを調べた方がいいよ、動機は問わない、みたいなことを言ってるわけです。当時流行していた行動主義っぽい考え方ですね。人の「心」なんかブラックボックスにしてかまわん、入力と出力だけで十分だ、ってなわけです。マッケラー先生の本ではアミル先生は頻繁に登場するんですが、そういう主張はまったく触れられていなかったので意外でした。

まあこんな感じで、レイプの原因とか動機とかってのはけっこう哲学的に難しい面を含んでるんですわ。そんな簡単に「これが原因だ」とか「犯人の動機はこうだ」とか言いにくい。

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「レイプ神話」での性的動機 (2) レイプ犯は飢えてない

まあ今回こんなん書いてるときにちょうど報道が大きめの事件がったので、マッケラー(マックウェラー)先生読みなおしたんですが、彼女の本では、「レイプの原因は性欲ではない」とは主張されてないんですね。

神話とされているのは、神話が「性的飢餓が強姦の原因である」で、事実は「性的飢餓はレイプの多くの原因の一つでしかない」なんすわ(「性的飢餓」hungerは翻訳では「性的欲求不満」と訳されている)。むしろ、性欲(sex drive)はレイプに踏まれている、と主張してます。男性の方に性的興奮がないと性器セックスはできないでしょうからね。もちろん、男性は性欲があればレイプするのかといえば、そういうことはしない人が大半なわけですから、レイプの原因は他にもいろいろあります、という話になる。まあこれってふつうの話ですね。

このマックウェラー先生の「性的飢餓(感) sexual hunger」は、おなかが空いたときの「飢餓感」と同じように、もうそれに襲われると法も道徳も関係ありません、もうどうしようもなりません、みたいなのになる状態を指しているのだとおもう。単に「おなかが空いたなあ」ぐらいではなく、もう3日ぐらいなにも食べてません、盗みでも強盗でも殺しでもなんでもやります、子供からだってパンを奪います、ぐらいね。

レイプはそういう状態になった男性によって引き起こされると誤解されている。まあ女性にモテず、お金もなく、やむにやまれぬ性欲をもてあまして、暗い路上で女性を襲う、みたいな感じですわね。
でも事実としてはレイプ犯というのはけっこうセックスパートナーがいることが多いんですわ。妻帯者やステディなガールフレンドがいて、セックスぐらい、頼めばいつでもできます、みたいな人々がたいていで、そうでなくても買春施設(風俗)とかを頻繁に利用してたり、ポルノ集めてたりして、数ヶ月、数年セックスもマスターベーションもしてません、みたいな人はめったにいない。これがマッケラー先生が「レイプの原因は性的飢餓だけではない、他にもさまざまある」って主張する根拠ですね。

こりゃまあその通りでセックスできない男性はたくさんいますが、ほとんどの人はレイプなんかしないし、風俗も使わないわけっすからね。レイプする男性は他にも原因があるはずだ。

ところでたしかに性欲は非常に強い欲求だと思われてます。横にそれちゃうけど、女子大生様たちとかが「三大欲求の一つの睡眠欲」とか言ってると、あと二つはなんじゃいな、そんなに強い基本的な欲求ですか、みたいに思う。ははは。そういや睡眠欲、っていうのがあるとしてあれは欲望として強いってより、抵抗できませんわよね。起きてたいけど寝てしまう。

カント先生。イケメンなのを選びました。

性欲はその点おもしろくて、睡眠欲のように場合によってはまったく抵抗できないほど強いものではなく、食欲ほどコントロールしにくいものでもない。人前でいろんなことはじめる人ってのはめったにいないし、そういう人がいたら露出狂とか痴漢とかそういうもんですもんね。

倫理学者が好きなカント先生は、『実践理性批判』というたいへん重要な本で、次のようなことを書いている。

だれかが自分の色情の傾向性について、もしお気に召す相手とそれを手に入れるチャンスとがおとずれるとしたら、この傾向性に逆らうことなどとてもできないだろうとうそぶいているとする。それでも、もしかれがそのチャンスに恵まれる家の前に絞首台が立てられていて、色情を思うままにした後でただちにそこに吊るされるとしたら、かれはその場合でも自分の傾向性を押えることはないだいだろうか。かれがなんと答えるか、長く考えてみるまでもないだろう。

しかし、かれにこうたずねてみるとしよう。もしかれの君主が、おなじように即刻の死刑という威嚇の下に、ある誠実な人物にたいする偽証をかれに要求し、その偽りの口実を理由にその人物を亡きものにしたいと思っているとしたら、はたしてかれは、どれほど自分の命をいとおしむ気持が大きくても、その気持をよく克服することが可能であると思うだろうか。かれがそれをするかしないかは、おそらくかれもあえて確言はできないことだろう。それでも、それが可能であることは、かれもためらうことなく認めるにちがいない。かれは、こうして、そのことをなすべきであるとかれが意識するがゆえに、それをなすことができる、と判断するのであり、もし道徳法則がなければ知られないままにとどまったであろう自由を、みずからのうちに認識するにいたるのである。(カント、『実践理性批判』、第1部第1篇第1章第6節、岩波全集のを使いました)

「俺は性欲が強くて我慢できない、もういい女がいたら痴漢でもレイプでもなんでもやっちゃう」って言う奴だって、「やったら死刑」ってことになったらやるやつはいない。それに対して、「政府のために偽証しないと殺すぞ」って言われたって、「いや、殺されても俺は絶対にまちがったことだけはしないぞ」って決意して、それを実行することさえできる。ここに人間の本当に自由があるのだ、ってなわけですわ。これはかなり感動的なところです。でもまあここでカント先生が性欲の話つかっているのはおもしろいですね。やはり性欲はすごく強いものと思われている。でも飢えてるときの食欲や、徹夜のあとの睡眠欲ほど抵抗できないものではない。

まあこの罰が加えられることがわかればそれを止めることができる、っていうのが人間のポイントですわね。だからこそ刑罰があるっていう考えかたがある。たとえば不可抗力とか、心神喪失とかで、自分で本当にやめることができない場合はも責任能力もなく、罰も加えられないっていうのが刑罰についての正道の考えかたです。

まあむしろ性欲はコントロールできるからこそ、それに抵抗するため意識することが多いってところがポイントですかなあ。年齢層によっては非常に頻繁に意識される、っていうかまあ中学生男子とか頭の95%ぐらいそればっかり意識することになったりしますわね。みんないっしょうけんめい我慢しましょう。いつもいつもエッチなことを考えつつ、それをなさないことにこそ、人間の自由と尊厳がある。ははは。

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「レイプ神話」での性的動機 (1) レイプ神話って何

重大な性犯罪が起きると、きまってSNSには「レイプが性欲によるものだというのは神話」「レイプ神話はいまだに社会にはびこっている」「レイプは性欲が原因ではない、支配欲が原因」みたいな書き込みがなされて広まるっていう傾向があるように思いますが、これはちょっとどうかという感じです。

この「レイプ神話」については最近ちょっと文章書いたので、その一部を貼っておきます。

1960年代後半からのいわゆる第二派フェミニズムの最大のテーマの一つが、女性に対する暴力、特に性暴力の根絶である。 先進国での1960年代の「セックス革命」以降、青少年が多彩な性的な関係をもつことは珍しいことではなくなったが、それは同時に女性を性暴力に晒すことにもつながった。1975年のマックウェラーの『レイプ:異常社会の研究』は1960年代の犯罪学の成果から、性犯罪の実態を広い読者層に知らせ、またブラウンミラーの『レイプ・踏みにじられた意思』は、性犯罪は、男性優越社会での体系的・制度的な女性に対する性暴力の一部でしかないと論じた(MacWellar 1975; Brownmiller 1975)。彼女たちは、性暴力に対する誤解と偏見を「レイプ神話」として告発した。

「レイプ神話」のリストはさまざまなバージョンがあるが、とりあえずマックウェラーがあげているものを確認しよう。 神話によれば、(M1)男性の欲求不満がレイプの原因であり、(M2)レイプは衝動的におこなわれる、 (M3)女性の(自覚的・非自覚的)性的なアピールが原因である、女性が誘惑している、 (M4)犯行の現場では物理的な強制・暴力が使われ、被害者は重傷を負う、(M5) レイプは「見ず知らずの加害者」によっておこなわれる、 (M6)犯行は比較的短時間のうちに、(M7)屋外でなされる (M8) 女性はレイプされたいという隠された願望をもっており、女性の「ノー」はその願望の表明である。 つまり神話によれば、レイプは物理的な力づくの強制や暴力を使用する犯罪であって、同意のない女性はそれに抵抗するためになんらかのケガを負うのが当然であり、逆に、抵抗やそのためのケガの証拠がなければレイプではない、むしろ女性は強引にセックスされたいという隠された願望をもっており、女性が抵抗しなければそれは同意の「イエス」の十分な印であり、また女性の「ノー」でさえしばしば「イエス」を意味するとされるのである。

しかし実際には、(F1)レイプ犯の多くにはセックスパートナーとの性生活をもっている、(F2)多くの加害者は多かれ少なかれあらかじめ犯行の計画を立てている、(F3)被害者選定にあたっては、被害者の性的アピールはさほど重視されていない、(F4)被害者は恐怖などのためにほとんどなんの抵抗もできず、それゆえ傷を負うことはそれほど多くない、(F5) レイプの加害者は多くの場合被害者の顔見知りであり、配偶者やボーイフレンド、職場の同僚といったよく知っている人々の場合が少なくない、(F6)犯行は実際には被害者・加害者の自宅あるいは宿泊施設等でおこなわれ、(F7)また事前に長時間にわたる会話や説得、押し問答などが行なわれる場合が少なくない、(F8)レイプや強引なセックスに関するエロティックな空想を好む女性は存在するものの、現実にそれがおこなわれることを欲求することはない (MacKellar 1975)。

重要だったのは、こうした性犯罪の実態を見るならば、性犯罪・性暴力は、人々の通念におけるものや、犯罪統計に現れるよりもずっと日常的なものであることが理解されるようになったことである。顔見知りやデートする間柄での性的な攻撃や強制、あるいはセックスの無理強いも、「赤の他人に突然襲撃される」というそれまでの通念での赤の他人による暴力的なレイプと同様にレイプである、と意識されるようになった。こうした性的暴行の実態に関する議論は、小倉千加子『セックス神話解体新書』(小倉 1988)などで紹介され、国内でもよく知られるようになった。

M2〜M8はいいんですが、M1、つまり今回書いてみたい「レイプは性欲によるものだ神話」はいろいろ議論があるところなんですよね。続きます。

ちなみに、この件については、動物的道徳日記の「『ガリレオの中指』、『人はなぜレイプするのか』、学問における事実とイデオロギーの関係」もおすすめ。

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ブックガイド:性暴力に関するフェミニスト文献古典

某授業用ブックガイド。作成中。


とりあえず若い女性・男性には以下の2冊読んでおいてほしい。

デートレイプってなに?―知りあいからの性的暴力 (10代のセルフケア)
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下は「強姦神話」というアイディアを展開した本で非常に大きな影響力があった。内容は40年もたった今ではさすがに古いと思う。

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下も同じころにさらによく読まれ、フェミニズト的な性暴力理解の基本。いまでも手に入りやすい古典。マスト。1970年代から90年代ぐらいの主流の考え方。

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↓非常に重要な文献で、ブラウンミラーらの解釈を批判している。これを読まないと議論できない。マスト。女性のみならず、男性こそ絶対に読むべきだ。

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男性も女性の不快さを理解していないだろう

前のエントリのピンカー先生の「求めてもいない突然のセックスを見知らぬ他人とすることになるのは魅力的どころか不快なことであるという心理を、想像することができない男性の視野の狭さ」(ピンカー 下巻p.58)っていうのは重要で、私の根拠のない推測によれば、こういう不快さがまわりまわってポルノやセクハラに敏感で批判的な女性の多くのバックにあるんじゃないかと思われます。

ピンカー先生や、その解釈のもとになってるバス先生やソーンヒル&パーマー先生組なんかの進化心理学者の解釈によれば、女性にとっての大きな課題の一つは望ましくない相手とセックスしてしまわわないことで、特に暴力とかそういうの使われてセックスされて妊娠させられてしまうのを避ける心理メカニズムが発達しているはずだ、と。

twitterとか見てるとけっこう頻繁にポルノや萌え系アニメ・ゲームとかの話題になるのですが、そういうときに男性の側はそういうのがわかってないんじゃないかと思うときはありますね。

「酒の席でちょっとぐらい下ネタの話してもかわまんだろう」「風俗行くのぐらい普通だから職場の雑談のなかでそういうのが出てもしょうがない」「エロマンガぐらい自由に見てもいいだろう」「なにカリカリしてんだお前らみたいな女のことはそういう対象にもなっとらんわ」とかっていうタイプの意見もあるかもしれませんが、そういう相手の見境のないimpersonalなセックスを求める男性的な性欲のあり方それ自体に女性は警戒するようになってる可能性がある。実際、職場関係者から強制的に性的にアクセスされたりレイプされることもあるわけだし、そこまでいかなくてもしつこくされたりストーカーその他面倒なことになるとかっていうのは非常によくあることなわけだから、女性にとってそういう性欲のあり方をおおぴらに公言したりする人々ってのは脅威であるだろうと思いますね。抽象的に「男性とはそういうものだ」みたいなことを理解しているつもりでも、実際に目の前の男が性欲まるだしだったらやっぱり警戒せざるをえない。「私は家でこれこれこういうポルノを好んで見ておりまして、あれはよいものですな」とかっていってるオヤジがいたらやっぱり警戒せざるをえない。そういうのって不快でしょうなあ。

まあそういうんで、ツイッタとかで大学関係者が「おっぱい、おっぱい」とかやってるのを見るとちょっと気になりますわね。ああいうの読む女子学生様とか不快になってるんちゃうかな、みたいな。

「女性だって家帰ったら薄い本とか読んでんだから」とか言う人もいるかもしれないけど、そりゃ女性向けにある理想化をされたポルノであって、職場や学校でうろうろしているダメな男たちの性欲について知りたいとも思わんだろう。気を許しているとヤラれてしまうし。女性たちが「なんで年柄年中まわりの男たちの性欲がどういう状態にあるか気にしてなきゃならんのか」と思うのはまあ当然のことだろうなあ、みたいな。腐女子と呼ばれている人々が「自重!」とかってやってんのも、彼女たちの性的なファンタジーと性欲の存在が男性に知られると集団として性的にアクセスしやすいと勘違いされる可能性があって、そこらに対する防衛なのかもしれんな、とか。まあそういう性的欲望(とその逆の性的嫌悪)に関してはいろいろ謎が多いですなあ。

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女性には男性の性欲がわかりにくいのだろう

前エントリの続き

スティーブン・ピンカー先生の『暴力の人類史』は非常におもしろいので、あらゆる人が読むに値すると思います。暴力の歴史と心理学が延々書いてあってとても楽しい(暴力が楽しいのではなく、各分野の最新の知見が得られる)。最初の方の拷問の話は読むと冷や汗をかくので苦手な人は飛ばしてもいいと思う。そこ飛ばせばあとはそんなひどいのはない。

当然殺人だけじゃなく人種差別、児童虐待、ゲイバッシング、動物虐待とかって話にまじって、女性に対する暴力である性暴力の問題も扱われてます。

『人間の本性を考える』とかではフェミニズム(特にブラウンミラー先生のタイプのやつ)に対してなんか批判的・揶揄的な態度をとってるところもあったんですが、この本ではかなり高く評価してますね。フェミニストたちの運動のおかげで、20世紀後半に性暴力に対して社会は厳しい態度で臨むようになり、数も減ってる、ってのが基本的な立場。

レイプは決して男性性の正常な一部というわけではないが、男性の欲望が基本的に性的パートナーの選り好みに頓着せず、パートナーの内面にも無関心であるという事実によって可能となっているところはある。もっといえば、男性にとっては「パートナー」という言葉より「対象物」(object)という言葉の方が適切なくらいなのである。(下巻 p.58)

こういう男女の性的欲求のあり方の違いはけっこう重要で、性暴力の被害がちゃんと扱われないのには、「求めてもいない突然のセックスを見知らぬ他人とすることになるのは魅力的どころか不快なことであるという心理を、想像することができない男性の視野の狭さ」があるだろうとか。(objectは対象物でもいいけど「モノ」の方がピンとくるかもしれない。)

もっとも、「レイプはセックスではなく暴力」っていう有名なフェミニスト的主張は認めない。ブラウンミラー先生の「先史時代から現代にいたるまで、レイプにはある決定的な機能が担わされてきたと思う。レイプとは意識的な威嚇プロセスにほかならず、このプロセスによって全男性は全女性につねに恐怖をもたせつづけるのだ」っていう有名なフレーズは今回も強烈に否定されちゃう。

このあとが重要で、

もしここで「アド・フェミナム」な〔女性に対する偏見に訴えた〕提言を許されるなら、その気のない他人と人間的感情のないセックス(impersonal sex)をしたがる欲望というのが奇妙すぎて考えるにも及ばない性別にとっては、レイプはセックスとは何の関係もないという説のほうが、もっともらしく感じられるのかもしれない。(下巻 p.59)

てなことを書いてる。(ad feminamは偏見に訴えたというよりは「女性だから論法」の方がよいと思う。impersonal sexは「人間的感情のないセックス」でもOKだけど、「誰か特定できない、お互いを個別の人格とみてないセックス」の意味)

これはワシも昔からそうだと思ってたのじゃ。ワシもワシも。前のエントリで紹介した牧野雅子先生の『刑事司法とジェンダー』で、先生はレイプ犯人の動機が性欲だってされることに非常に抵抗があるみたいで、もっと「加害性を追求」しろということを主張しているわけだけど、レイプ犯の動機を性欲だとすることに対する抵抗の一つは女性にはそんなものが性欲だとは思えないからだろう、みたいな。

牧野先生自身はレイプの動機にあるのは性欲というよりは、「自分には力があることを確認」「自信を回復」「「内なる父」を越える」(牧野 p.190)とかだっていうフェミニスト的解釈やフロイト的解釈に共感しているようだ。

研究対象の犯人はこういってるらしいです。

最近考えているのですが、「強姦」という手段に出たのは、私の中では意味を理解していない絶対悪なので、これをクリアすれば力が手に入る、強者になれる。そして、自分のカラを壊るのに性的興奮のいきおいが必要だったのではないか、そして女性を征服できる喜び、達成感があったのではないかと思っているのです。私が考えているこの三つはかなり私にはしっくりくるものであり、今書いている事自体苦しく、つらく、恐いものです。(牧野 p.190)

これはまあ事後的に「自分はあのときなぜそうしたのかな」っていう問いに対する犯罪者なりの答ですわね。どの程度正直なのかはよくわからない。これを牧野先生はこう解釈する。

Yの強姦行為には、異なる水準の力が関わっている。一つは、被害女性に対する強姦行為に見る力であり、女性を強姦することで、自分には力があることを確認し、職場や家庭で喪失している自信を回復させるものである。もう一つは、「内なる父」を超える力としての強姦である。強姦を行うことで、耐えることを強要する「内なる父」、目標だった父を超えて、強者になったと実感し、父の縛りから解放されるのである。(牧野 p.190)

「レイプはセックスには関係なく、関係するのは力(パワー)だけ」っていうピンカー先生が批判するフェミニスト的解釈にのっかってますね。

Yは、家庭や職場で感じていた自信のなさやままならなさを、「内なる父」の足枷をはずしたり、自分の弱さをさらけ出すなどして、現実の世界で自分を変えるのではなく、自分が自由に振る舞える世界を創り出し、そこで別の自分になることで、自分を解放した。その手段として強姦が選ばれた。Yは、性欲によって行われたということは、最初に発信した手紙で「この犯罪は性的欲求だけでは絶対起こりえない犯罪だと思います」と否定してた。捜査・裁判を通じて、Yの強姦はY生来の強い性欲によって起きたと結論づけられていたが、そのことは終始否定していたのである。(牧野 p.190)

犯人は「性欲だけでは起こりえない」と(おそらく)正しく書いているのに、牧野先生は「否定している」と解釈してしまっている。たしかに犯罪とかっていうのは、強い欲望だけでは実行されずに、他にもいろんな条件が必要で、環境や状況の条件もあれば、弱い自制力、弱い道徳心、低い共感力とかそういう個人の条件も必要だろう。私の好きなJ. S. ミル先生はこういうことを言っている。

人々が誤った行動をとるのは、欲望(desire)が強いからではない。良心が弱いからである。強い衝動と弱い良心とのあいだにはなんの自然的つながりもない。自然的つながりはその逆である。ある人の欲望と感情が他の人のそれらより強く変化に富んでいる、ということは、その人のほうが人間性の素材をより多くもっており、したがってより多くの悪もなしうるかもしれぬが、確実により多くの善をもなすことができる、ということにほかならない。強い衝動とは精力(エネルギー)の別名なのだ。(ミル『自由論』第3章、早坂忠先生の訳を一部変更。)

英雄色を好む、とかそういう感じすかね(ミル先生の性欲がどうだったのかというのは伝記的な謎)。こういうの読むと、たしかに「生来の強い欲望によって起きた」みたいな解釈がどの程度正しいかってのは再考してみる価値はある。けっきょくその人の弱い自制心や道徳心その他の心的能力に較べて性欲がそこそこ強い、道徳や自尊心や合理性より性欲を優先しちゃう奴ってだけで、それは他の人々と同じかそれ以下のものかもしれんしね。「性欲なら、あんな犯罪者よりオレ方がずっと強いぞ」みたいな人は少なくないのではないか。ははは。

まあ「自信の回復」とか「内なる父の超克」とかそういうのも部分的にはあるんかもしれないけど、私は原因として一番強いのはやっぱり性欲だろうな、と思いますね。(もちろんレイプ犯のすべてが同じ動機に同じようにもとづいているわけではない。)ふつうに考えてしまえば、「自分が自由に振る舞える世界」で凶器とかちらつかせて女性を脅していったいなんの自信がつくのかわからんし、どういう内なる父を超えてるのかもわからんし。そもそも犯罪犯して自信がつくってだけの話なら、若い女性を狙う必要もない。どうせ凶器使うなら、偉そうな男性大学教員にでもからんで財布カツアゲしたり土下座させたりした方ががずっと自信がつくのではないか。警察官なんだから体鍛えてるだろうし、大学教員を背負い投げするくらい簡単だろう。一般に「ストレスから」とか「自信をつけるため」とかっていう加害者自身の言い分ってのはどのていど信用していいのかよくわからんです。

→続き「男性も女性の不快さを理解していないだろう」

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牧野雅子先生の『刑事司法とジェンダー』

昼間ちょっと某氏と性犯罪対策みたいなのについて話をする機会があり、牧野雅子先生の『刑事司法とジェンダー』読みなおしたり。この本は非常に興味深い本で、元警察官で、警察学校の同期が連続強姦で逮捕されたという経験をもつ方が書いてる。警察内部の取調べマニュアルとか、その連続強姦魔の書簡や聞き取りなんかから構成されていて非常に読みごたえがある。性犯罪とか刑事司法とかそういうのに関心ある人は必読だと思いますね。

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読んだときに書評もどきというかamazonレビューみたいなものを書こうとしたんですが、そのままになってしまってた。ネタは非常におもしろいのに、全体に微妙に理解しにくいところがあるんよね。

性犯罪と性欲

一つ目。牧野先生によれば、性犯罪では操作から立件、裁判に至るまで、加害者の犯罪行為がとにかく「性欲」という動機にもとづいた犯行であったことを立証しようとしていて、その際に「性欲」や「情欲」が「本能」とされていて内実が問われないままになってる、ということらしい。「男の本能だからしょうがない」みたいな感じですかね。まあたしかに「本能」だから「しょうがない」なんて本気で言われちゃったら困っちゃいます。性欲はわれわれが動物と共通にもっている欲望の一つだろうけど、それをコントロールするから人間であってね。

でも「本能」はともかくとして、犯行の動機が性欲であることを立証しようとするのは、刑事司法としてはある程度やむをえないことな気がする。刑法とかぜんぜん知らんのであれなんですが、素人考えからすれば、もしある強姦に該当する行為が、性欲にもとづいたものでなければそれが性犯罪なのかどうかわからないってことにもなるかもしれない。たとえば、加害者はまったく性的な欲求をもっておらず、女性の性器に男性器を挿入することによって来世で蘇えることができるとかそういうことを信じていてそういう行為を行った場合、それって性犯罪なのかどうか。セックスっていうのがなんだか知らないわからないけど男性器を挿入してしまった、みたいなのもどういうタイプの犯罪なのかよくわからない。やっぱり性犯罪が性犯罪であるためには、犯行の主要な動機の一つが性欲である、セックスである、っていうのが必要なんちゃうかな。

まあもちろん、加害者がなにを考えていようが、被害者にとって性的な行為であれば性犯罪である強姦である、っていうのでもOKなのだろうとは思います。でも「なぜその犯罪を犯したのか」っていう問いに対して、いくつかの動機と、その動機にもとづいた犯罪行為を防がなかった理由がないと我々はそれが犯罪だと理解しにくい。それが犯罪だと思ってなかったとか(強姦の場合はありえないと思うけど)、他人の利益や尊厳なんか知ったことはないという邪悪な性格であったとか、捕まらないだろうと思ってたとか、そういうのも理解した上で、そいつの行為が犯罪と呼ばれるものだったのかとか、どの程度の罰を与えねばならないかとか考えるんだと思う。

牧野先生が懸念しているのは、「強姦が性欲にもとづくものだ」ということよりは、「性欲は本能であり自然なものだ」とか「本能だからしょうがない」とかって考え方の方なんだけど、これってそんなに司法の場で認められていることなんすかね。たしかに邪悪な犯罪者たちはそういう自己弁護をするだろうけど、われわれがそれを認める必要はまったくないように思える。「他人のものを取りあげて自分のものにしてしまいたい」「腹が立つ奴は殴りたい」みたいなのも我々の自然的な傾向であって、もし「本能」っていう言い方をすれば本能。でもそういう欲求を野放しにしたら困るから法や罰があるわけで、自然なもの、本能的なものだからって主張されたってつっぱねることはできるわね。

難しいのは「その時私は自分をまったくコントロールすることができなかった」と主張された場合で、これ心神喪失とか心神耗弱とかそういう面倒な問題になりますわね。もしこの手の話をするのであれば、性欲によってわれわれがそうした自分のコントロールをまったく失うことがありえるかっていうおもしろい話になる。牧野先生は本当はこれがしたかったのかしら。刑法学とかの分野でこの問題がどうなってるか私は知らないんですが、衝動的な行動についていくらか情状酌量の予知はあるのかもしれないけど、たいていの性犯罪はそういう衝動的なものではないだろうから関係なさそうな気もする。この点は後半の事例研究でもはっきり出ていると思う。痴漢やセクハラぐらいのことを考えても、たとえば道を歩いていて、白昼人目のあるところで突然衝動的に女性に襲いかかる奴なんてのはいないわけで、おそらく皆捕まらないだろう、セクハラで訴えられないだろうぐらいの計算をしてからやってる気がしますね。少なくとも頭のなかで何回も予行演習していると思う。

 加害性の追求

二つ目。この本の後半では研究対象となった警察学校動機の強姦魔の悪質さが強調されていて、これはなんともすばらしい研究だと思う。理解しにくいのは、第3章「加害性の追求」での議論でなにを目指しているかっていうことなんよね。牧野先生が考えているのは単なる厳罰化じゃないみたいで、んじゃいったいなにか。研究対象になっている強姦魔はまったく悪質凶悪なやつで、これほど悪質な犯罪者は厳罰に処すべきだと思わされるんだけど、逆に読者にはその悪質さがかえってそうした犯罪者の特異性みたいなのを感じさせてしまう。よくいわれるサイコパス的な感じ(よく知らんけど)。こんなに異常なやつを追求するってのはどういうことなのか。もちろん異常人物として研究対象としては興味深いだろうけど、刑事司法の場で他になにをしようというのかがわからない。

「追求」ってのがわからんのんよね。「加害者は取調べにおいてその加害性を十分に追及されることがない」(p.130)っていう文章なんかが典型なんだけど、警察や検察の取調べは建前としては道徳的・法的非難の場ではなく、事実確認の場だろうと思う。「どんな悪い奴かはっきりさせる」ってことかなあ。「あの事件はなぜ起こったのか」(p.198)という問いの答を追求するのかもしれないけど、加害者の性格や生い立ちや考え方をはっきりさせるのだろうか。あるいは性犯罪をとりまく社会的ななにかをはっきりさせるのだろうか。そこらが見えなくて最後まで不満のままだった感じ。

性欲による行動は不可避なの?

あと最後の方はけっっこうあやういことも書いていて、たとえばp.201では若年者の犯罪は更生可能性があるから量刑軽くなることが多いわけだけど、性犯罪だと再犯可能性が高いから若年であることは軽減ファクターではなく、「むしろ加重ファクターであり、裁判所の判断に誤りがある可能性を示している」とかっていうんだけど、こういうの大丈夫なんだろうか。もうちょっと慎重な議論してほしい感じがある。

まあでも一番気になるのは、やっぱり何度もくりかえされる「操作・裁判は、性犯罪は「性欲」によって行われる、男性の生理に基づく不可避の犯罪であるという前提で進められている」(p.202、下線は江口)っていう主張かな。これほんとうにそう考えられているんだろうか。ほんとうに不可避なんだろうか。牧野先生が勝手にそう読みこんでいるという可能性はないだろうか。なんらかの意味で本当に不可避なんだったら罪を問うことさえ不可能に思える。また逆に、本当に不可避なんだったらそんなもんはどっかに閉じ込めておかなきゃならんってことでもある。刑事罰ではなく保安処分の対象ではないのか。

また牧野先生自身は性犯罪の背景に性欲の他にどういう動機を見つけたいのか、どういう筋書なら納得のいく「加害性の追求」になると考えているのか。たとえば性犯罪は性欲ではなく支配欲に基づくものであるとか、女性を家にとじこめておくための男性集団の共謀によるものだとか、そういうやつなんかなあ。

→続き「女性には男性の性欲がわかりにくいのだろう」

性暴力の被害を避ける:レイプ・デートレイプ編

はじめに

大学で性教育って(おそらくふつうは)やらないし、中高でもどうだったか私は記憶がありません。某女子大では春先の新入生オリエンテーションでちょっとだけ話があるようですが、どういう内容か知りません 1)どうも武道の紹介とかしているそうな。  。まあ私は男性なので性暴力の被害がどういうものかよくわかっていないのですが、なんか対策は必要なんじゃないかなとか思います。

正直なところ、私のような典型的な中年男が女子学生にアドバイスすることがあるのか疑問ですし、また、そういうアドバイスすることと、「被害者を責めるblaming the victims」とか結びつくと考えられることが多いので 2)これは学問的にも政治的にも非常に難しく興味深い問題なのですが、ここでは詳しく触れることができません。 気後れするところがありました。

最近、 Rathus, Nevid and Fichner-Rathus, Human Sexuality: In a World of Diversity: Allyn and Bacon, 2005 (6th ed.) 3)非常によくできてます。しかしとてつもなく高いので学生さんには手が出ないかもしれません。もし図書館にあったら目を通してみましょう。  という米国の大学生向け性科学の教科書を読んでいると、非常にプラクティカルなアドバイスが書いてありました。興味深いのでこれを紹介する形で私が考えていることを書いてみたいと思います。以下は正確な訳ではありませんが、上述の本のpp.618-619 あたりの記述をもとにしています 4)そしてその記述は The New Our Bodies, Ourselves (Boston Women’s
Health Book Collective, 1992)という本の内容に沿ったもののようです。
 。

Human Sexuality in a World of Diversity
Spencer A. Rathus Jeffrey S. Nevid Lois Fichner-Rathus
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レイプ被害を避ける

性暴力の被害者になるのを避けるために、この本の著者たちは以下のことを勧めています。

  • 付近に住んでいる女性と合図を決めておく。

いきなりこれが出てきてすぐには何のことかわかりませんでしたが、なんか起こったらすぐに連絡できるように、ってことですね。レイプの多くは野外ではなく、室内で起きます。京都市内でもマンションに忍びこむタイプのけっこう起こっているようです。

壁をドンドンドンと叩いたら「うるさーいっ」って意味じゃなくて「助けて」なのよ、とかそういう感じで話をしておこうってことかな。携帯のワンプッシュでマンションの隣の人にかかるようになってるとか。一人暮らしでは近隣の女性どうしの連絡は非常に重要なわけです。とにかくなんか様子が変だったらお互いに連絡する、ってことをあらかじめ打ち合わせておくべきでしょう。もし、そういう打ち合わせをしていなくても、隣の部屋でへんな物音とか叫び声がしたら、チャイム鳴らしてあげるとか、電話してあげるとか、場合によっては警察110に電話するぐらいのことはしたいところです 5)私が学生のころに住んでいたワンルームマンションで、ある夜(深夜3時ごろ)、別の階の部屋のチャイムが何度も鳴らされていることがありました(たぶん女性の部屋)。鳴らしているのは若い男で、なんかいろいろ部屋のなかに話しかけていました。いかにもいわゆる「痴話喧嘩」。今思えば、そういうときに私がちゃんと出ていって、「何してんの?迷惑だから帰れ」とか言いにいくとか、せめて警察に電話ぐらいするべきだったと思います。他人のプライベートなことに口を出すのはどうも、というのがあるので、なかなかそういうことはしにくいのですが、おそらくあえてそうするべきときもあるのです。 。

  • 郵便受けやドアには苗字しか書かない。
  • デッドボルト錠を使う。

この「デッドボルト錠」がどういうものかわかりませんがバネ式じゃないドアの鍵ってことらしい。ふつうのマンションのドアでもちょっと前にピッキング泥棒とかはやりましたから注意!いつもチェーンロックもかけておきましょう。

  • 窓は鍵をかける。1階の窓には格子を入れる。
  • 通路には電灯をつけて明るくしておく。
  • 危険なアパートには住まない。
  • 見知らぬ人を部屋に入れない。セールスとか宅配便とかもちゃんと確認してから6)宅配便業者を装おった犯人とかもいました。 。チェーンは確認するまではずさないこと。

ここらへんはアパート選びのときに参考になりますね。特に通路の電灯のようなのは昼間に部屋探ししてもわからないので、目ぼしい物件は夜にも行ってみることをおすすめします。

  • 車に乗るため近づくときは、鍵を手にもって。
  • 車のウィンドウは閉めてドアはロックする。
  • ヒッチハイカーを乗せない(女でも!) 7)

    「男の子はヒッチハイクとかで冒険できるのに、なぜ女はできないのだ!」と不満を感じるのは理解できます。 。

  • 車に乗る前にバックシートに誰か潜んでないか覗きこむ。

車社会のアメリカらしいアドバイスですね。暗い駐車場の車の前で、ハンドバッグごそごそやっているときにどっかに引きずりこまれたり、車を乗っ取られたりすることを警戒しているわけだ。

  • 夜道を一人で歩かない。
  • 人気のないところに行かない。
  • 道端で知らない人と話をしない。

こういうアドバイスってのは色々考えてしまいます。「なんで女だからって行動を制約されるの?悪いのは性犯罪者だ!」はその通り。しかし、紹介している本を書いている人々はこう言っています。

情報を提供することと、被害を受けた人を責めるのことではありません。性犯罪については **常に**犯罪者に責任があるのです。

  • 助けを呼ぶときは「痴漢!」ではなくて「火事だ!」と叫ぶ。

これはどうなんでしょうね。この国の社会と女性の場合、とにかく声を出すのがまず先決だろうと思います。若い女性の多くは大きな声を出すことに慣れていないので、まずその練習をしておくべきだろうと思います。「ギャーっ」「助けてー!」とかちゃんと叫べますか?カラオケとかで叫ぶ訓練しておいてください 8)最近、女性が電車のなかでレイプされたのに、誰も助けなかった、という事件がありました。もし女性が一言でも叫ぶことができれば、話はぜんぜん違っていたのではないかと思います。人びとが動き出すにはなにかのキュー(合図)が必要なのです。 。

http://www.pref.kyoto.jp/fukei/anzen/seiki_t/jyosei_manyual/index.html ← このページにあるPDFも読んでおきましょう。

2007年3月に中京区富小路通四条上ルあたりで女性が車に乗せられて拉致される事件が起きたようです。何度も書くように、車に乗せられると最悪の事態が予想されます。なにがあろうが絶対に車には乗せられないこと。大声で叫ぶこと。

デートレイプ対策

しかし上のようないかにも「犯罪」ってのに気をつけるスベは、女性なら誰でもだいたいわかってるんじゃないかと思います。

でも実際にはレイプの大半は、知らない人が暗闇から襲ってくるとかではなく、むしろ、あなたの友達や知り合いとデートしたりドライブしたりしているときに起こるのだと言われています。そのための対策が必要なわけです。

  • デート相手に、あなたが許せるリミットをちゃんと伝える。

これは難しいんじゃないかと思いますが、どうなんでしょうね。

たとえば、あなたの相手が、あなたが不愉快だと思うようなことをはじめたら、こう言いましょう。「そこは触らないでちょうだい。あなたのことは好きよ。でもまだあんまりよく知らないからそんななことまではしないでいたいわ。 “I’d prefer if you didn’t touch me there. I really like you, but I prefer not to get so intimate at this point in our relationship.”

まあ日本語では別の表現もあると思いますが、正直なところわたしにはよくわかりません。少なくとも上のじゃだめなような気がする。よく考えておいてください。

  • はじめてのデートは人のいる場所で。喫茶店とか映画館とか。いきなりドライブはだめ。
  • あまりよく知らない人やグループとドライブはしない。

グループだから安心と思ってはいけません。デートレイプの多くの事例では、グループだと思ってたのに、暴行の直前には他の人たちが消えていた、ってのも多いそうです。「おーよー、あの子たち連れこんでやっちゃおうぜ。あそこで別々になってよ」とかいうやつですね。危険。

まあ、知らない人の車に乗ったらまずアウトだと思っていいんじゃないかな。「友達の友達」なんてのも、信頼できる友達の本当の友達なら大丈夫でしょうが、実は知り合いの(これまた)タダの知り合いなんてことも多いようなので、ぜんぜん信用ならんのではないかと思います。わかりません。私は怖がりなので、なんとも言えないところです。

  • はっきりと拒絶する。まっすぐ相手の目を見て口に出して返事する。よりはっきり返事をすれば、誤解される可能性が少なくなる。

「うーん、でもー」とかやってるといつまでたっても終りません。相手は誘惑しようとしたり攻撃しようとしているのだから、弱味を見せればつけこんでくる。目を見て「本気だ」というところを見せつける必要がある。こりゃたいへん。

  • 自分の「恐れ」に注意する。相手の気分を害するかもしれないっていう恐れが、はっきりしない態度につながってしまうかもしれないことに注意。もし相手があなたにちゃんと敬意を払ってくれれば、あなたは恐怖や恐れを感じる必要はない。

相手があなたに敬意を払ってくれないのなら、すでにその時点でかなり危険なので、その場できっぱりとサヨナラしてしまう方がよい。ドライブはこれができないので危険なのよね。

  • 自分の「感じvibes」に注意を払え。自分の生理的な感覚(gut-level feeling)を信用しろ。

これ、個人的には非常によいアドバイスだと思います。そういう生理的な感覚ってのは、我々の頭より信用になる場合が多い。「デートレイプの多くの被害者は、事後になって、相手の男性に対して奇妙な感覚を感じたが、それに注意を払わなかったと報告しています」ということらしいです。

まあどんなときでも自分の感覚を信じれば大丈夫なんてことは絶対にありませんが、男女関係についてだけはそういうことありそうな気がするなあ。「なんかヘンだな」と思ったらだいたいその相手はヘンなのです。「ヤバいかな?」と思ったら実際にヤバい。

  • 新しい環境(大学に入学したとか、新しい友達ができたとか、外国旅行しているとか)では特に注意すること。

そうですね。よく知っている環境ではなにが危ないか知っているわけですが、新しい環境とか知らない場所、知らない人々では、自分の感覚が信用できなくなっちゃうからね。

  • 好きじゃないひと、好きになれないひとと関係を切ったら、そのひとを自分の部屋に入れないこと。多くのデートレイプは元彼・元夫によってなされています。

そうなんだろうなあ。つまり(1)もと彼、(2)知りあったばかりの人、が危ない。でも危いひとは他にもいるぞ。「別れ話は電話か喫茶店で」とかってアドバイスも目にしたことがあります。

どうやって逃げるか

しかし実際にそういう奴に遭ってしまったらどうするか、ってのは非常に難しい問題のようです。逃げるか、抵抗するか、泣くか、お願いだから許してと頼むか、冷静に説得するか。とりあげている本でもはっきりした答は出してません。つまりそういう危険な状況に置かれたときに、どうすりゃ助かるかはわからんのですね。いやな話です。とにかく、

  • 叫ぶのは効果がある場合が多い。
  • 相手が一人の時には走って逃げるのもよい、でも相手が複数の時はまずだめ。
  • 力ずくで抵抗するのも時にレイプ自体を避けるのには有効、でもある種の犯人をよけいに興奮させてケガする危険がある。

ってことらしい。

私が見た他の研究 9)Buss, David M. (2003) The Evolution of Desire: Strategies of Human Mating: Basic Books, revised edition. では、

  • レイピストの多くは肉体的な抵抗に会うとあきらめることが多い
  • レイピストが被害者の生命を奪うことは少ない。

という結果があるらしいのですが、あまり自信がありません。少なくとも車に乗せられたらどっかに埋められるなんてことまで心配しなければなりません。以前に米国の女性雑誌を読んでいたら、

  • ピストルで車に乗るよう脅迫されたときは、ジグザグに走って逃げるのが一番生存する確率が高い。

とかって記事を見つけて、実践的すぎて驚いたことがあります。ジグザグに走らないと後から撃たれる可能性があるからですね。ひどい社会だ。まあ日本でも、おそらく、

  • ナイフなどをちらつかせられて「車に乗れ」と脅された場合、乗ってしまった方が乗らないよりひどい結果になる

は言えそうな気がします。

とりあえず、A. パロット, 『デートレイプってなに?:知りあいからの性的暴力』,大月書店.冨永星訳, 2005 は一読しておく価値があると思います。

デートレイプってなに?―知りあいからの性的暴力 (10代のセルフケア)
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セクハラについてはまた今度。

References[ + ]

1. どうも武道の紹介とかしているそうな。
2. これは学問的にも政治的にも非常に難しく興味深い問題なのですが、ここでは詳しく触れることができません。
3. 非常によくできてます。しかしとてつもなく高いので学生さんには手が出ないかもしれません。もし図書館にあったら目を通してみましょう。
4. そしてその記述は The New Our Bodies, Ourselves (Boston Women’s
Health Book Collective, 1992)という本の内容に沿ったもののようです。
5. 私が学生のころに住んでいたワンルームマンションで、ある夜(深夜3時ごろ)、別の階の部屋のチャイムが何度も鳴らされていることがありました(たぶん女性の部屋)。鳴らしているのは若い男で、なんかいろいろ部屋のなかに話しかけていました。いかにもいわゆる「痴話喧嘩」。今思えば、そういうときに私がちゃんと出ていって、「何してんの?迷惑だから帰れ」とか言いにいくとか、せめて警察に電話ぐらいするべきだったと思います。他人のプライベートなことに口を出すのはどうも、というのがあるので、なかなかそういうことはしにくいのですが、おそらくあえてそうするべきときもあるのです。
6. 宅配便業者を装おった犯人とかもいました。
7.

「男の子はヒッチハイクとかで冒険できるのに、なぜ女はできないのだ!」と不満を感じるのは理解できます。

8. 最近、女性が電車のなかでレイプされたのに、誰も助けなかった、という事件がありました。もし女性が一言でも叫ぶことができれば、話はぜんぜん違っていたのではないかと思います。人びとが動き出すにはなにかのキュー(合図)が必要なのです。
9. Buss, David M. (2003) The Evolution of Desire: Strategies of Human Mating: Basic Books, revised edition.

デートレイプ魔としてのジャンジャック・ルソー

ルソー先生。イケメンだけどあやしい。

ルソーには「先生」つけたくない、みたいなこと書いてしまいましたが、いけませんね。ルソー先生の言うこともちゃんと聞かねば。しかしこの人やばい。やばすぎる。まあ実生活でもかなり危険な人でしたが、書くものもやばい。私はこの先生の書くもの、なにを読んでもあたまグラグラしますね。理屈通ってないわりにはなんか情動に訴えかけるところがあって、健康に悪い。肖像画とか見てもなんか自信満々の怪しいイケメンで、なんか恐いものを感じる。

ルソーはセックスと恋愛について大量に書いてます。『新エロイーズ』とか、元祖恋愛小説ベストセラー作家でもある。『エミール』とか教育論の元祖・名作ってことになってていろいろ誉められてるけど、そんないいもんでもない気がする。その内容を見てみるとこんな感じ。

性のまじわりにおいてはどちらの性も同じように共同の目的に協力しているのだが、同じ流儀によってではない。そのちがった流儀から両性の道徳的な関係における最初のはっきりした相違が生じてくる。一方は能動的で強く、他方は受動的で弱くなければならない。必然的に、一方は欲し、力をもたなければならない。他方はそんなに頑強に抵抗しなければそれでいい。

男は強く暴力的に荒々しく迫り、女はちょっと抵抗していいなりになるのが自然だ。

この原則が確認されたとすれば、女性はとくに男性の気に入るようにするために生まれついている、ということになる。男性もまた女性の気にいるようにしなければならないとしても、これはそれほど直接に必要なことではない。男性のねうちはその力にある。男性は強いというだけで気に入られる。……

男は力がすべて。肉体の力も金も権力も。そういうのある男性がモテるってのは、まあそうでしょうね。

女性は、気に入られるように、また、征服されるように生まれついているとするなら、男性にいどむようなことはしないで、男性に快く思われる者にならなければならない。女性の力はその魅力にある。その魅力によってこそ女性は男性にはたらきかけてその力を呼び起こさせ、それをもちいさせることになる。男性の力を呼び起こす最も確実な技巧は、抵抗することによって必要を感じさせることだ。そうなると欲望に自尊心が結びついて、一方は他方が獲得させてくれる勝利を勝ち誇ることになる。そういうことから攻撃と防御、男性の大胆さと女性の憶病、そして、強い者を征服するように自然が弱い者に与えている武器、慎しみと恥じらいが生じてくる。

征服だー。「男性の力を呼び起こす最も確実な技巧は、抵抗することによって必要を感じさせることだ」。迫られてもすぐにチューさせたりしないで抵抗しろ。その方が燃えて無理矢理迫りたくなるからね。

自然は差別なしに両性のどちらにも同じように相手に言い寄ることを命じている、だから、最初に欲望をいだいた者が最初にはっきりした意思表示をすることになる、などとだれに考えられよう。それはなんという奇妙な、堕落した考えかただろう。そういうもくろみは男女にとってひじょうにちがった結果をもたらすのに、男女がいずれも同じような大胆さでそれに身をゆだねるのが当然のことだろうか。……

女から迫ってはいかん、ということです。不自然だから。迫られるのを待ってろ。

そういうわけで、女性は、男性と同じ欲望を感じていてもいなくても、また男性の欲望を満足させてやりたいと思っていてもいなくても、かならず男性をつきのけ、拒絶するのだが、いつも同じ程度の力でそうするのではなく、したがって、いつも同じ結果に終わるわけでもない。攻める方が勝利を得るためには、攻められるほうがそれを許すか命令するかしなければならない。攻撃する者が力をもちいずにいられなくするために、攻撃される者はどれほど多くのたくみな方法をもちいることだろう。

最後のところが注目ですね。女は男が暴力を使うようにしむけているのだ、ということです。

あらゆる行為のなかでこのうえなく自由な、そしてこのうえなく快いその行為は、ほんとうの暴力というものを許さない。自然と道理はそういうことに反対している。

でもそのときに使う暴力は、ケガするような本気の暴力ではないですよ、と。

自然は弱い者にも、その気になれば、抵抗するのに十分な力をあたえているのだし、道理からいえば、ほんとうの暴力は、あらゆる行為のなかでもっとも乱暴な行為であるばかりでなく、その目的にまったく反したことなのだ。

女は本気になれば本気で強く抵抗できるのだが、たいていそうしない、なぜならそれは嘘んこの抵抗だからだ。

というのは、そんなことをすれば、男性は自分の伴侶である者にむかって戦いをはじめることになり、相手は攻撃してくる者の生命を犠牲にしても自分の体と自由を守る権利をもつことになるし、また女性だけが自分のおかれている状態の判定者なのであって、あらゆる男が父親の権利をうばいとることができるとしたら、子どもには父親というものはいなくなるからだ。……

まあけっきょく、女性は力いっぱい抵抗することもできるのだが、セックスの場面ではそんな強く抵抗することはない。最初にちょっと抵抗するとあとはぜんぜん抵抗しなくなる。これは無理矢理セックスされるのを実は望んでいるからだ。

とか危険なのがいっぱい。まあ早い話、女は迫られるのを待っていて、迫ると抵抗するけどそれは本気じゃないからそのままやってもかまわん、それが自然だ、ということですわね。

こんなものが戦後教育の推薦図書とか信じられんですね。「なに?ジャンジャック、やめて、やめてジャンジャック、本気なの? おうおう」「(やっぱり女は最初抵抗してみせるだけだな)」とかってことになった人がたくさんいるのではないか。まあルソーほど有名人でイケメンだったら好きでそういうふうになった人もいるかもしれんけど、そうじゃない人も多かったろう。いやほんとにシャレならんすよ。そういうの読んで女はそういうものだ、みたいにまにうけた戦後知識人もたくさんいたと思う。こういうのは、単なる時代的な限界とかそういうのではないのではないかな。

まあでもルソーの近代社会に対する影響は巨大なので、どの本も読むに値する。読まないでいると、いま一般に言われている政治的・社会的な議論とかがどこに出自があるのかわからなくなってしまう。「あ、日本の〜という人がいっていたあれはルソーの引用なのか」とか気づくことがたくさんあります。あとウルストンクラフト先生という元祖フェミニストみたいな先生がいるんですが、この方はルソーが嫌いでその批判で1冊本書いてます。かならず読みましょう。でもさすがにセックスの話はできなかったみたい。

まああえて好意的に読めば、こういうのも人びとのセックスや性欲に関するある種の真理や理想を描いている、みたいになるんすかね。攻めと受け、っていうBLとかで一般的な構図ですしね。実は人びとはやっぱりそういうのが好きだってのはあるんかもしれない。

まあどう評価するにしても、ルソーとかカント先生とかの著作が一般には非常に抽象的なものとして読まれていて、我々の実際の生活や関心事とかけはなれたことを論じているように紹介されるのは私は不満です。どの哲学者もセックスとかには関心をもっていて、かなりの分量の思索を残してます。そういうがまったくといっていいほど議論されることがないのは、やっぱりおかしいのではないか、みたいな問題意識からもセックスの哲学はおもしろい。でもまあやっぱり堅い(ことが求められている)大学教員としては書きにくいことも多いのはわかんですけどね。

2018年の日本にも同じようなことを考えている人がいます

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女性の権利の擁護―政治および道徳問題の批判をこめて
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ルソーの一般向け紹介本みたいなのはでは仲正先生のがまともで読みやすくてよかったです。「なんとか2.0」みたいなのはまにうけてはいけません。

今こそルソーを読み直す (生活人新書 333)
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右翼・保守の人はルソー嫌いが多くて、もう人身攻撃みたいなのしてます。話のネタには読んでおいてもいいかも。

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酒飲みセックス問題 (4) 薬物の影響そのものは問題ではないかも

セックスにおける同意が問題になるのは恋愛とかセックスとかそういうのには医療行為とか商売上の契約とかとはまったく違う面があるからですね。

お医者が患者を手術したくてしょうがない、みたいなことはないわけです。「手術させろー、シリツシリツ」みたいなのは困るっしょ。それに患者さんに、本人に病気とかがなくても切られたいと思ってほしいとも思わない。まあ「手術受けるならこの先生」ぐらに信頼しててほしいことはあるかもしれませんが、「あの先生に切ってほしいから盲腸になりたい」と思ってほしいとは思ってないだろう。ははは。

でもセックスやもっと広く恋愛っていうのはそういうもんではない。上で「思ってほしいと思う」みたいな表現を使いましたが、ネーゲル先生は超有名な「性的倒錯」っていう論文(『コウモリであることはどのようなことか』に入ってます)で、おおまかに(典型的な)性的欲望や性的興奮ってのは、相手から性的欲望を向けられることに対する欲望だ、みたいな話をしているんですが、たしかにそういうところがある。ジョンレノン先生もLove is wainting to be lovedとか歌ってますね。

そういう相互性とか再帰性みたいなのが恋愛やセックスにつきまとっている。相手の欲求や心理的・生理的反応とまったく関係なくセックスしたい、というのは異常とはいえないかもしれないけれどもかなりおかしなところがあるように思える。

まあそういう恋愛っぽい恋愛抜きでも、とりあえずセックスにもちこむために(おそらく)男も女も相手の判断を変更しようとする。なんとかして相手の欲求をかきたて性的に興奮させ、あるいは相手の抑制をはずそうとするところがある。これがおもしろいところですね。アルコールはそういうことをするツールとして使用されることがある。(もっとも、今話題になっているように、相手を昏睡させて心理的反応とまったく関係なくセックスするために使う人もいるようですが、これは私には気持ち悪いです)

とかだらだら書いてしまいましたが、そういうツールとしての各種物質、はやい話が惚れ薬、媚薬とかってのはまあ人類の昔からのあこがれですよね。

ぜんぜんそういう薬物関係については知らないのですが、薬物と一言で言ってもいろんな効き方をするわけでしょうなあ。

セックスに対する同意みたいなのを中心に考えると、セックスしてもらいたい相手の (1) 欲求を刺激するのと、(2)抑制を取り去るの二つの道がある。これは我々がセックスするかどうか迷ったりするときに欲求とそれに反する抑制の二つがあることを反映してますね。セックスしたくてたまらなくても抑制が強ければ同意しないだろうし、抑制がなにもなくてもこの相手とはしたいと思わないとか、今はとくにしたくないとかそういうことがありそう。

【媚薬】媚薬が開発されたとする(現在のところ存在していない)。AはBの飲み物に薬を入れた。それまでセックスに関心を示さなかったBは興奮して、セックスしようと提案した。

上のような薬はまだないと思いますが、それが開発されたら問題になるでしょうなあ。【媚薬】は私の直観ではアウトです。そういう薬物をこっそり飲まされたくないし。詳しい話はまたあとでやります。でもこれって、Bにこっそり飲ますからですよね。ワートハイマー先生にならって私もオリジナルの例を作ってみたいと思います。

【エックス】AはBに覚醒剤の一種を渡した。それを飲むと楽しくなり相手に性的魅力を感じ、また性的に興奮する。Bはそれを他の人と飲んだことがあり効果を知っていたが、Bとともに飲むことに合意した。

違法薬物、脱法薬物はやってはいけません。しかしこれ合法薬物だったらどうですかね。あんまりうまくないな。

もうひとついってみよう。

【香水】効果的なフェロモン入り香水が開発されたとする(現在のところ存在していない)。Aはそれを体にふりかけてBとデートした。BはAとのセックスに同意した。

そんな香水があったらどうですかねえ。ふつうの香水ってそういうのにどの程度役だつんでしょうか。私は基本的に香水は使いませんが、それが原因であれなのでしょうか。遺伝子型に応じたオーダーメイド医療とかってのが発達してくると、オーダーメイド香水とかってのも開発されるかもしれませんね。ターゲットと自分の遺伝型に応じてなんか特に好かれるような香水をオーダーメイドする、みたいな。夢の世界だけどそんな遠い先の夢ではないかもしれない。まあよくわからないけど、【香水】が道徳的に問題あるかどうかはよくわからんです。

まあとにかく【媚薬】や【エックス】は欲求をかきたてる方の物質なんでしょうな。思弁だと特定の欲求をブーストするっていうのはかなり難しそう。

これに対して、抑制をとる方に効果がある物質もある。思弁だとおそらくアルコールはまさにこっち系の薬物なのではないかと思ってます(あんまり自信ありませんが)。アルコールってセックスだけじゃなくていろんな抑制を取りさってしまうじゃないですか。だからひどいこと言ったり暴力ふるったりする人も少なくない。アルコール恐いです。しかし抑制をとりさることが求められる場合もある。

【】AとBはデートする仲だった。Bはまだセックスの経験がなく、セックスについて恐れや罪悪感を抱いていた。シラフではいつまでも同意できないと思ったBは、1時間に4杯飲んだ。キスとペッティングしてからAが「ほんとうにOK?」と聞くと、Bはグラスを掲げてにっこり笑って「今なら!」と答えた。

アルコールの力を借りて告白する、みたいなのも多いでしょうね。この【空元気】【オランダの大学】(原題はDutch Collegeなんですがなぜそういうタイトルがついているかわからない)ケースでは、AはもとからBとセックスしてみたいとは思っていたが、抑制が強すぎてその勇気がなかった、程度だと解釈すると、これはOKだろう、って言うひとは少なくないんじゃないかと思うわけです。同意能力のあるBはいろいろ自分の利益について合理的に考えたうえで、自発的に酔っ払ってセックスすることを選択した、というケースですね。

次のは誰も問題ないと考えると思います。

【ラクトエイド】Bは、お腹が痛いという理由でAとのセックスを拒んでいた。乳糖不耐症が原因であることが判明したので、Bは乳糖不耐症用錠剤を飲んだ。この「薬」のおかげでBは気分よくなり、セックスに合意した。

おなかの具合悪いのはいやなものですからね。薬があってよかったよかった。でもこれを次のように変更したらどうでしょうか。これも勝手に作ってみました。

【不同意ラクトエイド】Bは、お腹が痛いという理由でAとのセックスを拒んでいた。Bに乳糖不耐症が原因であることが判明したので、AはこっそりBの食事に乳糖不耐症用薬剤を入れた。この薬のおかげでBは気分よくなり、セックスに合意した。

なんでそんなのをこっそり食事に入れるんだとか考えちゃいますが、まあそういうこともある。性欲を昂進させるという食品を食事にたくさん入れて食事つくる人、みたいなのはまあ考えられるし。男性ホルモンや女性ホルモンが盛んにでるような食材を料理に入れる人なんかもいるような気がする。この【不同意ラクトエイド】では、食い物にそういうの入れるのがどうかっていう話は別にすると、Bの同意は無効だと考える必要はない感じがします。まあ【ラクトエイド】や【不同意ラクトエイド】とかを見ると、問題は単に薬物の影響下にあることではなく、薬物の影響によってシラフのときとは判断が変ってしまうという点にあるように思えます。

あれれ、適当に書いてたら話がよれた。やりなおし。ジョンレノン先生でも聞いて心を清めますか。

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