ルソー先生、あなたの弟子たちが性犯罪に手を染めています(『恋愛工学の教科書』)

以前、ルソーの『エミール』に見られる性暴力の危険性について書いたのですが、あれから250年近くたってもルソー先生と同じ連中はいるわけです。

さて、ここまで密室に移動してからセックスまでのプロセスを見てきましたが、どのプロセスでも女の子は抵抗を見せるはずです。……S[セックス?]フェーズでの抵抗はさらに激しいものとなります。

なぜこのような抵抗(関門といってもいいかもしれません)があるのかと言うと、女の子はセックスすると妊娠する可能性があるので、優秀な遺伝子を選別する必要があるわけです。関門を設けてそれをくぐり抜けることができるGood Genesかどうかを本能的にテストしているわけです。

しかし、その抵抗がテストのための形式的なものか、本当に嫌がっているかは、よく見極める必要があります。行き過ぎると、レイプで訴えられるリスクもあります。

ここでの見極め方としては、力の入り方が挙げられます。女の子はか弱そうに見えて、全力で力を入れると結構強いのです。クリタッチのあたりで、女の子の又に手を入れる際に抵抗して手を掴んでくると思いますが、このときの力の入れ具体をよく見ていた方がいいでしょう。男の力か、というくらい強い力で抵抗されることがあありますが、これはおそらく本当に嫌がっています。

逆に、「いや、全然力入っていないやん」と思ったり、数秒抵抗しただけですぐにやめてしまう場合は、形だけの抵抗だったと言えるでしょう。

このように、抵抗は女の子の性質上、絶対に存在します。その抵抗を額面通りに信じて、やめてしまうのは非モテのマインドです。本当の抵抗なのかどうかという点を常に検証した方がいいでしょう。(pp.222-223、下線は原文ゴシック)

私はこういうのが実際にどうなっているのか全然知りませんが、この筆者は、(1) 女子が本気で嫌がっていることがありえることもありえるのを自覚しながらも、(2) その抵抗が弱い場合には本当の抵抗ではないので、形だけの抵抗であると疑って、とりあえずチューと「クリタッチ」ぐらいしてみるべきだ、と主張しているわけですね。そして強い抵抗でないのは抵抗でないのでもっとした方よい。「未必の故意」みたいなもんですわね。

これは生活道路を自動車でぶっとばしてるようなものですね。もしかすると人を轢いちゃう可能性もあるけど、とりあえずぶっとばしたいからぶっとばす。べつにぶっとばす必要なんかなにもないのに。安全第一なら、問うべきは当然「抵抗してないように見えるけど実は嫌がってるのではないか」でしょう。

まあ女子のみなさまにおかれましては、こういう思考をする人々はけっこういて、ネットで情報交換したりしている、ってことを知っておいた方がいいと思います。

さっきのルソー先生の話もぜひ読んでおいてください。

ちなみに、草食系男子へのアドバイスでもとにかくおずおず同意をとったりしないでやってしまえ、ということが言われることがあるので、論文にしてみましたのでよかったら読んでください。まああんまりまじめに女子とセックスの同意を確認する、というのは非モテ思考である、というのはかなり一般的なようです。

いい人・ナンパ師・アリストテレス (4) アリストテレス先生の「高邁な人」はモテそうだ

まあそういうシステマチックな「ナンパ」というのはおそらくあれですわね。ふつうだったら人間の関係っていうのはもっと長い時間かけてゆっくりはじまるわけで、クラスで一番足が早いとか勉強ができるとか、みんなから信頼されているとか、そういうふうにしてどういうひとか知ってからおつきあいしたりセックスしたりするわけですが、高校とか出てしまうともうそういう関係を築くことが難しくなってしまう。自分の価値みたいなのを知ってもらう時間がないんですね。そこで自分に価値がある「かのような」偽装をおこなう。それはちょっとつきあえばすぐにバレてしまうものなので、長くはつきあうことができない。なのであえてその日かぎり、2、3回限りで次にのりかえるってのをくりかえすわけですな。

そういうの価値があるかどうかはよくわからないけど、宮台先生なんかに言わせれば、とりあえずそういうの繰り返していればそのうちだんだん自信がついてきて、ちゃんとステディな関係をもてるようになる、みたいな筋書。どの程度ほんとうなのかはよくわからん。まあなんらかの真理をとらえているかもしれません。

哲学者・倫理学者にとっての、問題はそういうナンパや偽装やカジュアルな関係とかってのが我々の生活や幸福や道徳にどういう関係があるか、みたいな。まあ私自身は実践的にはそういうのちょっと無理だし、かえってしんどそうだと思うのでどうでもいいのですが、まあそんなうまい(?)方法があるなら気にはなるし、われわれの生活についてのなんか洞察をもたらしてくれるのではないかみたいな気はするわけです。

前に名前をあげたRichard Paul Hamilton先生は、ナンパコミュニティの隆盛とかどう見るべきなのか、みたいな問題意識でエッセイ書いてるわけです。

ハミルトン先生によれば、ほとんどお互いについての情報がない状態で、クラブやバーやオフ会なんかで人びとが出会ってお互いを求めあう、なんてのは人類の進化の過程ではほとんどありえない状況だったろうから、我々がそういう状況でどうふるまったらいいかわからないってのも無理はない、と。盆踊りとかのお祭りとかはあったろうけど、だいたい村とかで「どこそこの誰それ、評判はこれこれ」とかってわかる状況だったでしょうからね。そういう状況で問題になるのは「社会的証明」だ。特に女性はセックスまわりではリスクが男性より大きいので、相手がどういう人間かをよく見ようとする。

いい人は女性のそういうのを配慮して、自分は危険のない人間だってのを示そうとして、お世辞そのたさまざま女性のご機嫌をとろうとする。でもそれなんか自信のなさを示すことになり、魅力がなくなってしまう。

岩明均先生の『ヒストリエ』でも
大活躍。落ちついてます。

一方、ジャークやナンパ師は他人の意見なんか気にしない。そしてその他人の意見なんか気にしないことが魅力になっているのだろう。

ハミルトン先生によれば、この人びとっていうのは、ある点で、アリストテレス先生のいう高邁(メガロプシュキアー)な人と似てるね、と。直訳すると「魂の大きな人」ですね。『ニコマコス倫理学』第4巻第3章に登場する。「自分自身のことを大きな事柄に値すると見なしており、また現に値する人」、偉大な人。自分の価値をよくわかっている。自分自身に満足していて、他人からの評価など必要としない。落ちついていてなにがあっても動揺しない。なにがあっても驚かない。いつも「ゆったりしとした動作、深みのある声、落ちついた語り方」をする。自信があるからだ。自信ないやつはセカセカしたり声がうらがえったりしてかっこわるい。とにかく「高邁」は男性のモテるタイプの一つの典型なんですね。このアリストテレス先生の「高邁な人」は19世紀的な「ダンディ」とも関係があっておもしろいです。007のジェームズボンドとか想像してもいいかもしれない。

こういう健全な自己評価をもっている高邁な人と比べると、ジャークってのはアリストテレスの言う「うぬぼれ」の方に近くて、自分の本当の価値よりも自分を大きなものと見ている。いずれは本当の価値がないことがバレちゃって馬鹿にされることになる。彼らは愚かだ。しかし自分を卑下して他人の顔色をうかがいご機嫌をとろうとする「いい人」は、ほんとうはそのままでもモテるかもしれないのに自分はだめだと思いこむことによって、自分から善きものを奪ってしまう。これは「うぬぼれ」よりずっと悪い。一方、ナンパ師は、実際には気の弱い価値のない人間にすぎないのに各種のテクノロジーによって「高邁の人」の見かけだけをまねているにすぎない。

ハミルトン先生は、ナンパ師たちはアリストテレスでも読んで、上辺だけじゃなくて実際に中身のある高邁の人をめざしたらどうだ、みたいなことを書いてます。ただしアリストテレス先生は、美徳を身につけるには、美徳をもっている人が行うようなことを実際に行いつづけることによって身につけるしかないって言ってます。高邁な人になりたけければ高邁なふるまいをとりつづけてそれを習慣にするしかない。だからナンパ師たちの教えにしたがってモテるようなふるいまいをするのにもなんか意味はあるかもしれない。上辺だけじゃなくて中身も同時に鍛えれば、なにか偽装することなくモテるようになるかもしれない。宮台先生のアドバイスにも(道徳的な邪悪さや実際の危険はさておいて)なんか真理が含まれているかもしれないっていうのはまあそういう感じで。

あれ、おもしろくならなかった。このエントリ失敗。まあナンパとかしたことないことについても考えてもやっぱりあれですね。まあまたそのうち「ダンディ」についてあれするときに戻ってきたいです。まあちょっと言いわけしておくと、ここらへんのネタというのは、私が昔から読んでるキェルケゴール先生の解釈といろいろ関係しているんですよね。あの人の初期の著作(『あれか/これか』)に出てくるダンディズムとか誘惑論とかとここらへんの話に関係しているはずなんですわ。

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いい人、ナンパ師、アリストテレス (3) ナンパ師の世界というのがあるらしい

まともな常識ある人は簡単にはジャークにはなれない。突出した長所のない「いい人」は長期的なおつきあいにはいいかもしれないけど、モテない。それにまあ現代の社会生活は断片化しているというか、誰かといっしょにいることが凄く少なくなってますよね。高校ぐらいまでなら(共学なら)同じクラスでずっといっしょにいたり文化祭とかしたりして同性・異性をとわず、お互いを時間をかけて知ることができたけど、大学になるとサークルにでも入らないかぎり週に何回も顔を会わせることはない。社会人になればなおさら。イケてる男子も女子もすでにステディな関係の人がいて手が出せない、みたいな。んで合コンとかするけど、その場の2時間や3時間では話もはずまずそのままさよなら、みたいな。どんな「中身」のある「いい人」も単なる飲み会2時間でいいところを見せるのは難しい。そんなこんなでふつうの常識的なひとはAFC (よくいる欲求不満のマヌケ)になる。でもある程度しょうがないっすね。

まあそれはしょうがないと思えない人、ちゃんとした長いつきあいをしたいのではなく、モテたい、セックスしたいっていうのが男性の本当の望みであるならば、もう「いい人」になって女性にモテるようになろうとするよりは、直接に女性を操作してひっかけて即座にセックスするまでもっていってしまえばよかろう、っていうのがピックアップ・アーティストたちの考えかたですね。中長期的な関係ではなく、もうその日だけのことを考えるならば、女性にはもっといろんなアプローチの仕方がある、ということらしい。

まあとにかくジャークであるフリをして、ナンパしてしまえ、と。女性に好かれる、とかそういうことを考えず、なんでもいいから自信をもっているフリをして、できるかぎり多くの女性に声をかけて、あらかじめ考えておいた(あるいは先生から教えてもらった)手順で事をすすめ、女性をおかしな状態にしてセックスしてしまえ、みたいな発想ですね。

フリをするためには準備が必要。声のかけかた、話へのひっぱりかた、話題、自分の魅力を示す方法、相手が興味をもったかを知る方法、店を出る方法、自分の家にひっぱりこむ方法、までぜんぶ手順とノウハウがあるわけです。それを覚えて練習して、街なりクラブなりにくりだす。そのノウハウの多くの心理学なんかをもとにした疑似科学や経験則。

たとえば、

  • 3秒ルール。目についた女性に3秒以内に声をかける。それ以上時間がかかると声をかけるタイミングを失う。
  • その場で一番ルックスの優れた女子に声をかける。他の男は手が出せないが、女子自身は自分が一番だと思っているので声かけられるのを待っている。
  • あらかじめ決められた話題。女性が興味をもちそうなネタをもちかける。たとえば「最近ガールフレンドができたんだけど、その子が僕の昔の彼女の写真を見つけて破って捨てちゃったんだけど、ひどいと思わない?」
  • ネグ。女性のプライドをなにげなく傷つけるようなお世辞を言う。他の人の前で女性を侮辱するようなことを言う。プライドを傷つけられた女子は、相手から肯定的な意見をひきだそうとして興味をもつ。
  • アルファメール。その場にいる男性のなかで、自分がなんらかの点で一番優れていることを示す。たとえば、遊びかたを提案してリーダーシップを見せる、手品などをして注目を集める、他の男を笑わす、からかって上位であることを他に示す。

他にも山ほど「テクノロジー」があって、各自先生に教わったり自分で試行錯誤して開発したりするわけだ。ポイントはとにかく自分は非常に価値のある希少な人間だ、君のような人間にはふつうは手が届かないのだ、ということを女性に見せること、自分は女性には飢えていない、女性にはむしろ興味がない、もし女性に興味があれば遊んでもいい、みたいな態度であることを示すことのようです。「いい人」のようにご機嫌をとりに行かない。むしろ価値のあるジャークであるフリをする。

「連れこんだはいいけどどたんばで抵抗されたらどうするか」みたいなのはほとんど(脱法的な?)デートレイプの方法みたいな感じで、読んでて不快なものも数多くありますわね。「とにかく酒飲ませ」みたいなのを書いているウェブとかもあります。本気でやばい。プレデター。

こういうのは別にそういう人びとの経験以外にはなにもエヴィデンスはないわけですが、読んでるとたしかに効果があるやつが入っている気がする。もしかするとちゃんと機能してしまうかもしれない。私がはじめてその種のものを読んだときに思ったは、それを試してみたいというよりは、これは学生様とかにとって実際やばいかもしれない、という危惧でした。そういう操作的なテクニックを駆使されて、いやな思いをした人や、これからいやな思いをする女子はけっこういるんじゃないかと思う(もちろん楽しい思いをする女子もいるだろうけど、どれくらいの割合なのか)。

実際、2ちゃんねるとかでもそういう板に行くとナンパ報告とかテクニック交換とかしている人びとがいて、ある程度の「成果」をあげてるみたいな感じ。amazonとかでも書籍やDVDけっこう出てますね。youtubeにもある。全部がホラとは思えない。

宮台真司先生という有名な社会学者の先生がいるんですが、彼は大学院生のころからナンパをくりかえしていたってのが自慢で、数年前に上に書いたようなナンパを実践している人びとと本を出してたみたいですね。この前気づいて読んでみましたが、だいたい上のような感じの(あるいはさらに強引な)ナンパテクニックが語られて、それがなんか現代の恋愛なるものと難しい話で結びつけられる。まあとにかくとにかく女は数だ、数をこなしてしまえば、いずれは深くつきあえるようになる、みたいな。『ザ・ゲーム』やそこらへんのアメリカのものは性暴力や酔わせてセックスするのはぜったいだめ、とにかく相手を誘惑して同意させるのだ、という方針がはっきりしていますが(まあ法的な問題もある)、宮台先生たちのはそういう縛りさえなく、とにかくやってしまえば勝ち、みたいなので非常に危険で不愉快なものになっている。

宮台先生というの人はよくわからない人で、そういうのが現代の若者が目指す道だみたいなことを言っていて、それってどういう根拠からそう言ってるんだろうとか、そういう操作的な対象になる方はどう感じるだろうか、とか、そういうのの道徳性や危害の危険性についてどう考えているのかさっぱりわからない。どうも学者としてどうなのか、社会学というのはそういう学問なのか、ずいぶんフリーダムな学問だな、とかいろいろ考えてしまいます。でもたしかにその自信はすごくモテそうで、自分の体験として話していることはホラではないだろうなと思います。そりゃあれくらいのルックスの東大社会学院生、いずれ本もバンバン出すしテレビにも出ます、みたいな人に誘われたらついていく女子は少なくないと思う。

しかしまあ女子はナンパ系男子がどういうことを考えているのか知る上で覗き見してみてもいいかもしれない。

いい人・ナンパ師・アリストテレス (4) アリストテレス先生の「高邁な人」はモテそうだ

下は読んでないけどおそらく上のに加筆したもの。

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いい人・ナンパ師・アリストテレス (2) なぜ「いい人」は魅力がないのか

まあ実は経済力のある「いい人」nice guy は結婚相手としては求められてるかもしれないですよね。そりゃ長期的な関係をもつとなればやっぱり性格のいい、自分のことを大事にしてくれる「いい人」に限る、っていう女性は多いように見える。

でも性革命を経た現在の恋愛市場では、女性は必ずしも一対一の長期的な関係ばかりを求めているわけではない。アラサー以上の「婚活」とか話題になる昨今ですが、それでも十代後半から二十代前半は女性はその性的な魅力をフルに使って長期的な関係をもてるような男性を(おそらく数人は)探したいだろうし、さらには人生を楽しむため、経験をつむため、あるいは、自分の(性的な)価値を知るため、あるいはその他の理由で短期的におつきあいをする男性を求める女性も少なくないように見える。

なんでいい人はそういう女性たちにモテないのか。ハミルトン先生は、いい人っていうのは特に特徴のない人のことでもある、って分析します。飛び抜けた力をもっている人は「いい人」なんかじゃない。ウィトゲンシュタイン先生やラッセル先生やハイデガ先生が「いい人」だなんて考えられないだろう、と。まあこの3人は「すごい哲学者」であって、どうしたって「いい人」と呼ばれることはありせんね(むしろ人間的には問題ある人びとな気もするけど)。つまり「いいひと」ってのは他にとりえのない人である。

さらにいいひとがいい人なのは、実は人工的で表面的なもので、欲しいものを直接欲しいと要求するガッツや男らしさが足りないように見える、と。「お前が欲しい」って言えないもんだから女性にやさしくしてなびいてくるのを待っている。女性の気持ちやニーズを研究して女性に好かれるようになろう、っていうのはけっきょく女性を性的な対象と見てるだけじゃなく、操作可能な対象と見てるわけですよね。さらには、いろいろ努力していい人になってもモテない男性の多くはルサンチマンみたいなものを抱えて女性を憎むことがある。はてな増田とか見てても、「俺はこんなにいい人なのに誰も気づいてくれない」みたいに考えてる人は多そう。

さらにはいつも女性のご機嫌をとりつづけている男性がDV加害者になる、みたいなことも十分にありえる。女性にプレゼントするんだってプレゼントしたくてするとうよりは、女性が欲しがっているからプレゼントする、そしてプレゼントすれば自分を好きになってくれるだろう、みたいなのから来る。ストーカーみたいなのの一部は「あいつのためにこんなに尽したのにあいつは!」みたいな心理があるんじゃないかと思いますが、それってけっきょく「やさしくすれば女性は自分を愛してくれるはずだ」という思いこみや、そういう操作可能な対象と相手を見ることから来てるわけですよね。

つまり、ひょっとすると人工的な「いいひと」の裏側には、女性に対する蔑視みたいなのがあるかもしれない。みかえりを期待して女性にやさしい男性というのは、けっきょく自分の幸福のための手段として相手を見ているわけですわ。アリストテレス先生だったら、そういうのは有用性、あるいは快楽にもとづく友愛関係でしかないって言いそうだ。カント先生だったらそういう動機からプレゼントしたりやさしくしたりするのに道徳的な価値はない、むしろ道徳的には非難されるって言いそう。

自分勝手、自己中心的な「ジャーク」は「いい人」とは対照的で、ジャークはまず常になにかしている。バンドでベース弾いてたり、バイク載ってたり、サーフィンしたり、ホストで祇園ナンバーワンになることを目指していたり。とにかく、まわりの「いいひと」たちとは違う。「いいひと」は女性が望む平凡なことしか提供しないけど、ジャークはライブで愛を叫んだあとに楽屋でへんなことしたり、バイクの後ろに乗せてぶっとばしたり、サーフィンに連れていったり、シャンパンタワー立てたり刺激を与えてくれる。彼らはなにかすることがある。そういうことするのは、相手の女性のためというよりは、単に自分がそうしたいからしているだけなんだろうけど、それは少なくとも常に女性になにかを求めてその言いなりになる「いい人」たちとは違う。たしかに彼らも女性を自分の快楽のための道具にしているんだろうけど、少なくとも彼らは自分に満足しているし欲しいものは欲しいと言うことができる。自発的だし、自己充足してるんですね。女性がいればいいけど、いなかったらいなかったでしょうがないし、すぐに次を探す。ご機嫌とりに汲々としない。

「いい人」は他人の評価を気にしておどおどし、誰かから厳しいことを言われると「すみませんすみません」とかすぐにあやまって反省して自分の悪いところを直そうとするけど、ジャークは他人がどう評価しようがかまわない。他人にどう評価されるかなんてことより自分の基準を優先する。そしてそういう人だけが成功することができる。もちろん失敗する奴も多いだろうけど、でもその自信と挑戦や活動はやっぱり魅力的だろう。女性からすれば、少なくとも短期的におつきあいするぐらいの価値はあるかもしれない。すくなくともその場では刺激的だろうし、なんらかの経験にもなるかもしれないし。そのあとで長期的につきあうかどうか決めたらいいわけだしね。この前「バンドマンは性格悪いからつきあうな」みたいなネット記事を見ましたが、でもとりあえず1回ぐらいつきあってみたい、と思う人も少なくないはず。いいひとなんかとつまらないデートしているよりずっといいだろう。バンドマン、美容師、バーテンダーとはつきあってはいけない、と言いつつ、そりゃみんな1回はつきあってみたいから「つきあってはいけない」になるわけですよね。「〜したい」っていう欲求がないなら「〜してはいけない」っていう禁止は必要ない。

(c)地獄のミサワ先生
使ってこめんなさい

「まえー、バンドマンとつきあってたんだけどー、そいつほんとにクズでー」とかって不幸話か自慢話かわからないこともできる。「いいひとだったんだけどつまんなくて」「どうつまんなかったの?」「特にめだった特徴のない人で、何も思い出せない」とかぜんぜん話が続かないっすよね。

でもやっぱりジャークにはなれない男性というのはいるわけです。やっぱり無根拠な自信みたいなのはふつうの人はもつことができないっすからね。ジャークであるにも才能が必要だ。ジャークに特有の各種の活動の才能も必要だし、それは選ばれた人びとのものだ。ベース練習すんのもたいへんですよ、ほんと。指痛いし。ハミルトン先生によれば、んじゃどうするか、というところで発見されたのが、各種のナンパテクニックだ、っていうわけです。

いい人、ナンパ師、アリストテレス (3) ナンパ師の世界というのがあるらしい

いい人、ナンパ師、アリストテレス (1) モテとナンパ

オウィディウス先生からのあれですが、まあナンパとかそいうの縁がなかったし、バーとかは好きだけど、(男女問わず)隣に座った人やよく知らないお店の人と話をしたりするのもすごい苦手であんまり関係ないんですが、ナンパ業界というのはおもしろいなと思ってちょっと本読んでみたことがありました。

きっかけはPhilosophy for EveryoneシリーズのDating: Flirting with Big Ideasっていう本をめくったことかしら。このシリーズはその本のテーマにそった哲学的エッセイ集みたいな感じでおもしろい。私はゴリゴリの哲学本道より、そういうのが好きなんですね。このなかにRichard Paul Hamilton先生っていう人の”Hitting the Bars with Aristotle: Dating in a Time of Uncertainty” 「アリストテレス先生と飲みに行こう!」っていうのが収録されていたのです。

話の筋は、まあよくある男性の視点から見た恋愛に関する哲学風味の分析。

現代社会では恋愛が大事だっていわれていて、女性に相手の選択権があるから、まあ男性はとにかくモテようとする。少なくとも女性に嫌われないようにいろいろ勉強している。女性も男性にいろんなことを要求するし。んでまじめな男性は、ママやお姉さんや女友達や女性ブロガーが言うことをちゃんと聞いて、それを実行しようとする。ちゃんと女性を尊敬しなさい、平等にあつかいなさい、マナーを守りなさい、話をしっかり聞きなさい、真面目におつきあいしなさい、相手のことを考えなさい、家事をしなさい、とにかくきちんとしなさい、そうすればあなたは女性から愛されるでしょう。

でもそういう女性の言いつけを守る人は「いい人・ナイスガイ」にはなるけどモテないんですよね。日本でも「草食系男子」っていうのは話題になりましたが、あんまりもてない感じがする。国内のブログの世界でもそういう話はもうずっとつづけられているみたいですね。

まわりを観察してみれば、実は女性はいい人より、「ジャーク」、自分勝手なダメ男に集まっている。『だめんずウォーカー』とかってエッセイマンガがあったようですが、まあとにかくどう見てもダメな男の方がもてている。

この前どこかの大学のサークルが酒飲みとかで事件になってましたが、そういう不真面目なところにも(あらかじめそれがある程度わかっているのに)女の子はたくさん集まる。わけわかんないイベントサークルとかね。いわゆる「リア充」の世界。そこにいる人びとは、女性を尊敬しようなんて思ってなくて、とにかく酒飲ませて暴れよう、みたいに思ってるのに、実際には女性はそういうのに参加して、それなりに楽しくやっている。少なくとも「いいひと」とお茶飲んだりするよりずっとおもしろいのだろう。

ネットの世界を見ても、女性が推薦する真面目で誠実でおだやかでやさしい人より、とにかく自分勝手なことを書きちらす人の方が注目を浴びてるし、おそらくモテている。私自身、学生様がコンパとかでコイバナとかしているのをこっそり聞いたりしていると、なんでそんなんとつきあうのだろうか、みたいに思ったりすることが多いです。真面目でいい人はとにかくもてない。ここにパートナーを探している若い男性にとっての大きな問題があるし、女性に対する不信の根っこみたいなのがある。

まあ正直なところ、男性から見ても「いい人」っていうのはそんな魅力がないですよね。ブログとか読んでも、ああでもない、こうでもない、僕はどうしたらいいんだろう、みたいなの見てると、自分もそうなのに、「好きにしたらいいだろう」ぐらいで通りすぎたくなってしまう。とにかく他人の顔色うかがっておどおどしているのは魅力がないのは間違いがない。

1990年代後半にアメリカでネットの世界が爆発したときに(net news)、ナンパ師のコミュニティみたいなのができたんですね。彼らは自分たちをPick-up Artist (PUA)と呼ぶ。ナンパ pick-upはアートだ、それは習得できる技術でもある、と。ふつうの「いいやつ」は彼らに言わせれば、AFC、Average Frustrated Chump、よくいる欲求不満のマヌケでしかない。女の子に好かれようと女性自身による馬鹿なアドバイスをまにうけて、毎日けっきょくなにもできずに家でAV見てマスターベーションするくらいのことしかできない。それに比べてピックアップアーティストは覚醒した人びとであって、ネットでナンパのハウツーを交換し、それを実行することで人間関係とセックスを手に入れる。んでうまくいくとそのハウツーを講習会みたいなので売ったりもする。2000年代後半にはそういう関係のテレビ番組みたいなのも制作されたり、アメリカのトレンディドラマにも必ずそういう登場人物が出てくるようになったみたいですね。日本でも同じころからそういうのはやってるみたい。

ここらへんの事情があることを上にあげたハミルトン先生のエッセイで見て、実際それ読んでみた。ネットの情報をまとめた『レイガイド』(確実にオンナをオトす法則)っていうのが最初に有名なった本のようですが、それより、そこらへんの業界の裏事情まで解説したナイル・シュトラウスの『ザ・ゲーム』っていう本の方がすごくおもしろかったですね。インテリで仕事(音楽ライター)でもけっこうな成功を収めてるのに、チビでハゲでモテない平均的な欲求不満のマヌケである主人公が、ナンパ師のコミュニティに関心をもって取材しているうちにナンパの世界にはまっていく、という筋。ある手の青春小説であり、ピカレスクロマンであるような物語になっている。

→いい人・ナンパ師・アリストテレス (2) なぜ「いい人」は魅力がないのか

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