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売買春の実態調査は難しい (6) 補遺

各国の売買春事情についてのProConはちょっと信頼できないなあ、みたいなことを書いたんですが、その後、ProConが根拠にしている The Continuum Complete International Encyclopedia of Sexuality: Updated, With More Countries (2003)ってのをちょっとめくってみました。

この本は分厚いというか凶器になるでかい本で、各国のセックス事情が各種の統計データを参照してまとめられてる、みたいな本です。たとえば日本Japanの項は百科事典サイズで44ページもある。おそらく有用。ただし、最初は日本人が書いたものに、Updateのために編集者の人とかが新しい項目立てたり、情報を追加したりしているんですね。

Prostitutionの項は、もともとの日本人著者の版では存在してなくて、1997年に編集者のFrancoeur先生が Barnoff 1991ってのを典拠に書き加えてますわ。最初のは統計資料使ってちゃんとしているのに、ここであんまり信頼ならんものが入っちゃってる。

ストリップ劇場とかは警察とずるずるなので、いつ手入れがあるかわかってますよ、みたいな、90年代でもそうかなあ、みたいな話が紹介されたりしている。もう一つはソープランドの話で、Barnoff先生がソープランド体験した話をそのまま引用している。あと内閣府の古い調査とかをBarnoff先生が参照しているのを孫引きしたり。あんまり質のよいものではないですね。

しょうがないので、そのBarnoff 1991、つまりThe Pink Samurai: The Pursuit and Politics of Sex in Japanも入手してみましたが、すごいページ数で読めない。まあ「日本に滞在してエッチな見聞してきたよ」ぐらいの本です。アカデミック味はぜんぜんない、ジャーナリスティックというか、まあそういう感じの。変な国をおもしろおかしく、みたいな。あんまり読む気になれない。

ってんで、まあむかし毎日新聞WaiWaiとかが飛ばし記事みたいなのばんばん書いて世界に発信していた、みたいなのを連想しましたね。あんまりコメントに値するものではないです。

まあどうでもいいような本 → ちゃんとした専門事典 → ネットの大手サイト → Wikipedia (en)ってな感じで情報がおかしくなってるような気がします。ソースロンダリングってんですかね。

 


売買春の実態調査は難しい (5) ハキム先生の指摘

売買春の実態調査は難しい (4) の続き)

 

んで最後に、なぜ売買春の実態調査が難しいのかを推測。まあ当たり前ですが、非合法な国では低めに出るでしょうね。非合法だから抑制されているってのもあるかもしれん。アメリカでストリップクラブだのトップレスバーとかが主流の風俗になっているのは、売買春は基本的に非合法だからだろう、イギリスが低いのも(女性などがストリートで個人でお客をとるのは合法だけど)管理売春は非合法だからだろう、みたいな。まあ日本でも売買春は非合法なので低めに出そうなものですが、いわゆる「風俗」みたいなグレーゾーンがあって、あれは非合法ではないっぽいし。性器セックス以外のを売買春に入れるか入れないかとか、そういうのが国際比較とかしようとすると難しくなるかもしれないですわね。

もう一つ、売買春にはスティグマがついてるから、恥ずかしいこと、恥ずべきことがらだと理解されているっていうのもあるかもしれないですな。よく売春する側、主に女性の側に「売春婦」というスティグマがつけられていて、男性の側はそうではない、っていうようなことが言われたりするように思いますが、これももうちょっと考える必要があるかもしれない。

やっぱりあいかわらずキャサリン・ハキム先生をもってきてしまいますが、彼女はつぎのようなことを言っている。

客にとって買春がスティグマになったのは、恐らく1960年代の性革命以降だろう。性革命以後、男性たちは建前では、スウェーデンでいうところの「普通のセックス市場」で、いわゆる素人の女性と好きなだけ婚外セックスを楽しめるようになったはずだった。だが実際には、一部の男性にとっては、気軽にセックスできる相手を見つける場が限られてしまっているため、性風俗産業が唯一の選択肢となってしまった。身体に障害のある人や、肉体的に魅力に欠ける男性などがそのグループに含まれる。」p.203 (訳を一部変更している)

いわゆる日本でも一時流行した「性的弱者」論ですか。大昔に比べると、「素人」の女性もわりと簡単にセックスさせてくれるようになったといわれていますが、好きなようにセックスできる男子はごく一部でしかない。このシリーズの最初に出したNHKの調査その他でも、たくさんセックスできる男子はいるもののそれは一部で、その他大勢の男子は相手がいないのでセックスしないままでいる、ポルノを見る、あるいはセックス産業を利用するって言う形ですわね。そしてそれには「みっともない」「かっこ悪い」「モテない」「不潔である」「金払わないとセックスできない」「コミュ力がない」その他の強力なスティグマが付いている 1)そういう「カッコ悪さ」はけっこう強力そうで、アンケートの回答者が認知的不協和を起こす、みたいなのもありえるかなと思います。

……風俗業ではたらく女性たちに関する調査に比べ、顧客側に関する調査は非常に少ない。富と社会的地位を持つ客が多いため、女性よりも自分たちのプライバシーと匿名性を守ることを気にしているのだ。いつもながら、調査結果には、肝心の客についての分析とほぼ同じ分量で、調査者の偏見と固定観念が散りばめられている。買春を違法とする国(米国など)や半合法としている国(英国など)での調査、また買春を法律で取り締まるべきだとして運動を続けている人々による調査(…)は特に、公平で客観的な分析が成されず、自分の論理を擁護するような結果になりがちだ。性的サービスを買う男性は変人ではなく、どこにでもいる普通の人なのである。」pp.206-207

ここも重要で、実は国内でもセックスワーカーの調査は(アカデミック・セミアカデミックに)それなりの蓄積があるのに、利用者側のはあんまりない、と。新書や文庫みても、売春する女性についてはたくさんあるのに、男性側のはめったに見かけないですよね。坂爪先生とかの活動はそういうのでいろいろ価値があるわけです。

ただし、このパラグラフの最後の一文は大事で、坂爪先生は「マイノリティだ」っていうので(正確に何を言おうとしているのかは検討が必要だけど)、セックス産業を利用するのは一部の人間だって主張しようとしているらしいけど、ハキム先生はそうは見ない。「どこにでもいる普通の人だよ」って言うわけです。実際にどういうサービスを利用するかっていうのはその人の好みによって様々だろうけど、オンラインで好みのエッチなビデオみたりするのはまあごくごく普通の人だろうなと私も思いますね。

まあ「普通」であるからといって道徳的に正しいことにはならない。でも、ポルノだのセックス産業だのお色気産業だのを利用する人々がごく一部の異常な人々だと見なす理由はあんまりないし、そういう考え方をするといろいろ間違ってしまうのではないかと思う。(坂爪先生がそういう意味で「マイノリティ」を使おうとしているとは私は思ってないにしても)

というわけで、最初にもどれば、北原先生が坂爪先生をゲス呼ばわりしているのはあんまり筋がよいとは思われないし、また日本が特に「買春天国」だと主張する根拠はあんまりないように思える。一方で、坂爪先生が売買春を利用する人はごく一部、「マイノリティ」だと主張しようとしているのは、坂爪先生の意図はともかくとして、誤解を招きやすいものだったかもしれないと思うです。

なんにせよ、こういうのちゃんとした調査やデータがないままにいろんなことを主張しやすい分野なので、これから調査が進むといいですね。応援したいです。がんばれー。

(とりあえずおしまい)

 

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References   [ + ]

1. そういう「カッコ悪さ」はけっこう強力そうで、アンケートの回答者が認知的不協和を起こす、みたいなのもありえるかなと思います。

売買春の実態調査は難しい (4) ワイツァー先生たち

売買春の実態調査は難しい (3) の続き)
んで、他の国はどうなってますか、ってわけで、これはネットみてもノイズが多くてしょうがないので、まともな情報を探して本を見るのがいいですね。Ronald Weitzer (ed.) (2000) Sex for Sale、ってのをぱらぱらめくってみると。

Waltzer先生自身の”Why we need more research on sex work”って論文では、

  • 1991年、アメリカ男性の11%がストリップクラブを訪問、0.5%がテレフォンセックス業者に電話。ギャラップ調査。
  • Time誌の1986年の調査では31%がトップレスナイトクラブ経験あり、11%が過去1年間に訪問。
  • 1994,18%が生涯においてセックスにお金を払ったことがある。Davis and Smith, General Social Survey
  • 16%が生涯においてセックスにお金を払ったという調査もあり。Laumann et al., The Social Organization of Sexuality.
  • 1998、英国、ITV poll、19-59才の1/10の男性が売春婦にサービスを受けた。
  • 1994、カナダでは7%が同様。(ギャラップ)

次はMartin A. Monto先生の “Why Men Seek Out Prostitutes”って論文。これはMichealらのSex in Americaに大きく依存してる。(これは翻訳がある。)

  • 1948年のキンゼイの調査では、アメリカ白人の69%の男性が生涯に一度は買春の経験あり。ただしサンプルに問題あり。
  • 1964、Harold Benjaminらは80%と推定。調査の質には問題があるが、売買春反対派・許容派の両方に使われる。
  • 1992 National Health and Social Life Survey (NHSLS)、16%の男性が買春経験あり、0.6%が毎年。初体験を売春婦とすませる男性が1950年代の7%から1990年代の1.5%に減少。

とか「古いなー」って思いながら見てたら、実はこの本、2009年に新板が出てました。ぎゃー。そもそも古いのも翻訳あるんだった

んでそれのWeitzer先生の”Sex WorK; Paradigms and Policies”っていうイントロダクション相当のところを見ると、

  • 2000年代後半、アメリカには3500軒ぐらいのストリップクラブがあります。
  • 1991年-2006年の8回のGeneral Social Surveyによれば、15−18%のアメリカ男性が売春婦にお金を払ってセックスしてます。
  • オーストラリア16%、ヨーロッパ15%、イギリス11%と、だいたい似たような数字が並びます。もちろん売買春にはスティグマついてるので、実際の数はもっと多いかもしれません。
  • スペインは39%、タイでは独身の43%、既婚男性の50%が生涯1回はお金はらってます、
  • 「十分なお金もらえたらセックスしますか」という質問をイギリス人にすると、18%の女性と36%の男性がイエスと答えます。

みたいなのが増えてる。なんか、We need more researchって言っててた割にはそんなに精度が上がってるようにも思えない。セックス調査はむずかしいんですね。
まあワイツァー先生が指摘している、「似たような数字」っていうが私が考えてることで、坂爪先生が挙げていた1割強の男性、っていう数は、だいたい先進国なら似たようなもんちゃうかなって感じはする。いや、15%と39%じゃずいぶんちがうか。でもまあとにかく、日本がぶっちぎりで買春天国ってのはあまり信じられないです。


売買春の実態調査は難しい (3) ProConは信頼できない

売買春の実態調査は難しい (2) から続き)
んで、問題の国際比較なんですが、これほんとに難しくて、ほとんど無理っぽいですわね。北原先生は「米1992年0.2% 英1990年0.6% 仏1992年1.1%に比べ、ニッポンぶっちぎりの買春大国であることが、指摘されてます」って言うわけだけど、このもとの2000年の厚生省の調査がどういう典拠にもとづいて米0.2%とか英0.6%とかって数字出してるのかよくわからん。これから調査します。
これもちょっとgoogle様にお伺いをたてると、すぐにひっかかるのが、ProConというサイトのこれです。これは生涯で一度でもセックスにお金を払ったことのある男性の割合。

http://prostitution.procon.org/view.resource.php?resourceID=004119

パット見、日本はたしかに買春大国っすか。ちょっと最初の文章を要約すると、これは1994から2000年のあいだの21の調査をまとめたもので、15カ国しかないのは、「最近1年間で」じゃなくて「生涯での経験」をあげてるのがそれしかないから。最近1年のは排除している。高めの推定から低めの推定があるので、それを示している、とか。まあとにかくデータがなくてしょうがないっすね。

んで、このサイトでは、日本はかなり高いんで、日本はカンボジア、タイ、イタリア、スペインに次ぐ買春大国だ、って言えるかってことなんですが、ちょっと微妙。下の方の説明文を見ると、「日本では、夫が同僚や友人とソープランドに行くことがあるというのはおおっぴらではないにしても受け入れられ理解されている」とか、「昔ながらのゲイシャとの本番セックスは最近衰退して、オーラルセックスとか覗き見とかの安い形態のものが普及している」とかってなはなしになっていて、おやおやっていう感じですね。ちょっと情報がおかしいのではないかという疑惑がある。出典は Robert T. Francoeur, PhD, Editor’s Comment in Yoshiro Hatano, PhD, and Tsuguo Shimazaki, “Japan,” Continuum Complete International Encyclopedia of Sexuality, Eds. Robert T. Francoeur, PhD, and Raymond J. Noonan, PhD, Kinsey Institute, 2004 ていうやつらしいけど、あとで見てみます。

このサイトは全体におかしくて、あちこちのネット上の有象無象のニュース記事を見てそれをまとめてるだけっぽいんよね。ここの内容をまとめたものがKindleになってるので入手してみましたが、「日本では買春は2.3兆円産業」で、ギンザシティのホステスはひとり月200万稼ぐ、みたいな話が出て来る。ギンザシティのホステスさんのどれくらいが売春しているのかどうかしりませんが、大半はそういうことはしてないんじゃないですかね。どうなんすか。っていうかそういうレベルの不正確な情報やトバシ(?)みたいなのが含まれているデータはとても信頼できないっすね。他の国のデータもそのレベルだと判断せざるをえないんじゃないでしょうか。こまったことにwikipedia (en)のProstitutionの項目もこのサイトを出典にしていて、信頼性に問題がありそう。


売買春の実態調査は難しい (2) ヌエックの調査

売買春の実態調査は難しい (1) の続き)

ちょっとgoogle様にお伺いをたてて、まともな調査をさがしているのですが、こここらへんんはどうだろう。国立女性教育会館(ヌエック)の2007年の調査を2011年に再利用(?)したもの。
「お金を払って性的サービスを受けた経験のある男性」 1)これ、実際のワーディングがすぐにはよくわからないんだけど、「お金を払って性的サービスを受けた経験」はわかるけど、本文にある「性的サービスを買った経験がありますか」っていう尋ね方はどうなんでしょね。「サービスを「買う」」って(ないとは言わないけど)あんまり使わない表現よね。「女買った経験ありますか」っていうワーディングが先にあるんちゃうかな。たとえば、大学レベルの教育サービスを買った経験がありますか、とは聞かないっしょ。あ、前エントリで紹介した松沢先生も「女を買う」って表現に文句つけてるわ。http://www.targma.jp/vivanonlife/2016/05/post13255/ 。「よくある」が1%、たまにあるが13.4%、ほとんどないが27.6%、まったくないが53.9%。ここは「ほとんどない」をひっくりかえして「一度はある」と考えて、41.8%が経験があることになる、って主張している。またこの調査は回収率が悪い(24.8%)けど、まあしょうがないか。ただ回答者の内訳もオンラインにしといてほしい気がする。あるかもしれんけど探しにくい。とりあえず、坂爪先生のおおかた1割強(〜2割弱?)っていう見積もりは、2007年ごろについても大雑把な見積もりとしてそんな悪くないかもしれない。

もっとも、「生涯における経験」となるとあきらかにマイノリティではないことになる。しかしここで、「性的サービス」がちょっと曖昧なので微妙。性的サービスっていうのはいろいろありそうなので、NHKその他の調査のように業種みたいなの明示しないと、ナイトクラブやキャバクラ、ストリップ、横丁のタバコ屋のミヨちゃんも性的サービスにはいってしまう可能性がある。

ここは難しくて、どこらへんから「性的サービス」って考えればいいですかね。まあおそらく、一般には、身体的接触、それも手をにぎるとかではなく、特にサービスする側の、あるいはサービスを受ける側の身体のなかでも特に性的な部分にかかわるって考えるんだろう。ただ「接触」にこだわるとストリップのような(おそらく)見るだけのところが排除されてしまう。身体接触を抜きにして、一般に、「性的な刺激を与える」あるいは「性的興奮をを引き起こす」ことを一般的な目標とし、業者と客が相互に了解しているサービス、とかってのは私の好みの定義ですが、いろんなものに性的刺激感じちゃうひとがいるかもしれんからこれもむずかしいかもしれない。まあそこらへんのワーディングには微妙なところがありそうだけどここではスルー。

んで、問題の国際比較ですが、次のエントリに。だらだらしてなかなか進みません。


References   [ + ]

1. これ、実際のワーディングがすぐにはよくわからないんだけど、「お金を払って性的サービスを受けた経験」はわかるけど、本文にある「性的サービスを買った経験がありますか」っていう尋ね方はどうなんでしょね。「サービスを「買う」」って(ないとは言わないけど)あんまり使わない表現よね。「女買った経験ありますか」っていうワーディングが先にあるんちゃうかな。たとえば、大学レベルの教育サービスを買った経験がありますか、とは聞かないっしょ。あ、前エントリで紹介した松沢先生も「女を買う」って表現に文句つけてるわ。http://www.targma.jp/vivanonlife/2016/05/post13255/

売買春の実態調査は難しい (1) 坂爪先生と北原先生

北原みのり先生という有名なフェミニストの先生が、セックス産業に関する注目の若手(?)坂爪真吾先生の著書の一部を批判していて、ちと興味を持ちました。売買春の女性の側の調査は90年代からそこそこあるんですが、男性の側のはあんまり見ないんよね。今のところ、少なくとも国内については数さえよくわからない、っていう状態。

まず北原先生の言い分

坂爪真吾「見えない買春の現場 『JKビジネス』のリアル」 見事なゲスだわー! 日本の買春者は男の一割強でありマイノリティである。それなのにフェミは、日本が買春に寛容な国とイメージを形成してきたと。一割強の根拠は、2000年の厚生労働省調査で、過去一年買春したか? という質問。どのような調査方法だったか、何割が正直に伝えるのか、過去一年という区切りをなくした場合、どのような結果になるか。という考察はなく、いきなり、買春者は日本社会のマイノリティ認定。そもそも一割強が多いのか少ないのか、といえば、十分多いでしょ。ちなみに、この調査を引用した論文みつけた(西村由実子、日高康晴 2013)。ここでは海外で行われた買春者率調査が、報告されてる。 それによれば、米1992年0.2% 英1990年0.6% 仏1992年1.1%に比べ、ニッポンぶっちぎりの買春大国であることが、指摘されてますけど。こういう情報出さずに、さもマイノリティぶってるけど。そもそも、フェミが日本を買春大国と批判したのは、買春者に寛大すぎる日本の特殊な状況への批判だったんですけどねー。

この言い分にどれくらい理があるかっていうのはおもしろい調査課題です。とりあえず坂爪先生の主張を確認したい。

本はこれね。

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坂爪先生はいろいろ野心的で活動的なので注目しているんですわ。まだなんか十分煮詰まってない雰囲気や、彼が考えていることを書いていいものやら悪いのやら迷っている雰囲気があって魅力的。この本あたりからだんだん攻めに入ってる感じがある。問題の箇所はp.30から。「当時(90年代後半)の買春男性の実像」という見出しのところ。

まず紹介されるのが、1997年の「男性と買春を考える会」のアンケート調査。 『買春に対する男性意識調査』報告書 (男性と買春を考える会): 1998。私は入手してない。オンラインにしてくれんかなー。

これは2500人ぐらいのアンケート調査で、25才以上の男性の買春経験率が51.7%ってことになってる。サンプルがどういうものかは私はわからない。これはまあたしかにけっこうな数ね。ただしこの調査は松沢呉一先生あたりが厳しく批判している。坂爪先生も知ってるはず。有料だけど、この手の話について松沢先生は言わずと知れたエキスパート。

松沢先生によれば、この調査の売買春には「キャバクラ」とかまで入ってるらしく、先生は少しはまじめに調査しろと怒ってるです。

坂爪先生はこんな感じ。

本調査の結果は、「日本人男性の半数が買春をしている!」というセンセーショナルな語り口で、女性団体が「買春に寛容な日本社会」を糾弾する根拠として用いられたが、アンケートの回収率が低く、かつ質問項目自体が女性団体のグループによって作成されており、結論ありきの誘導的な項目になっているなどの問題点を指摘する声もある。

と。坂爪先生は松沢先生の見てるんだろうから名前出したげたらいいのに。一般に坂爪先生は典拠をしっかり出してほしい。まあ新書だからしょうがないってのはあるんだろうけど、がんばれ。

 

んでまあ本論。坂爪先生が1990年代後半の買春男性についての記述の典拠にするのは二つの調査。まずこれをチマチマ確認しておきたいですね。

1999年に行われたNHKの調査を収録した『データブック日本人の性行動・性意識』(2002年・NHK出版)によると、過去1年間にセックスをした人数は、20〜60代の男性の約8割が「一人」と回答している。」

この調査はさすがにサンプリングなど立派なもので、かなり信用できる。質問項目の立て方とか私はちょっと批判的なんだけど、それでもまあ数少ない信頼できる調査です。ていうか継続的にやってほしかったでうすね。せめて20周年でもう1回やってくれないだろうか。

16−19は男女ともに暴れている人々がけっこういますね。20代30代もモテてるのかなんなのか、性的に活発な人がいる。女子はおさまってる感じ。まあ20年近く前の話で、いまどうなっているのかは別の調査見ないとなりません。

 

「そして約7割の男性が、過去1年間にソープランドなどの風俗店を利用したことは「一度も無い」と回答しており、」

これです。この坂爪先生の記述はちょっと微妙なところがあって、たしかに「してない」は男性全体の67%、約7割っていうのはまあ正しい。過去1年間にセックスしたことがあるひとのなかの割合であることにも注意。ただし、30代男性なんかだと、「してない」は54%しかなく、さらに無記入が23%あるのも気になるところではある。

「同じく過去1年間に風俗店以外の場での金銭の授受を伴うセックス(援助交際や愛人契約など)をしたかどうかについては、約8割の男性が「しなかった」と回答している。」

これは店舗じゃないかたちの売買春、いわゆる当時流行ってた愛人とか援助交際とかそういうのの数をみたかったわけですね。先の店舗風俗の利用とは独立なので、重なっている人々も少なくないかもしれない。これも無記入が30代・50代男性で1/4ぐらいある。坂爪先生の記述は間違ってはいないけど、但し書きつけてもいいんじゃないかというのはある。 無回答の扱いはどうするのが社会科学的に正しいのか、私はよくわかりません。

「買春に対する許容度については、約6割の男性が「よくない」「どちらかといえばよくない」と否定的な回答をしている。」

この「よくない」や「かまわない」が道徳的な意味でよくないなのか、それ以外、非道徳的な意味で、つまりたとえば、単に法に触れるとか、お金払う本人にとって合理的でない、経済的でない、男として恥ずかしい、かっこ悪い、美しくない、不衛生である、などの意味で「よくない」なのかはちょっとわからない。下の「もらってセックスをする」も同様。

まあNHKの調査についてはこんなもん。


坂爪先生のもう一つの典拠は、2000年の厚生省研究班の『日本人のHIVSTD関連知識、性行動、性意識についての全国調査』。これもオリジナルのは手に入れてないけど、要約の魚拓のようなものがある。

「2000年に厚生省研究班が発表した『日本人のHIV/AIDS関連知識、性行動、性意識についての全国調査』によれば、18〜49歳の男性の中で、過去1年間に買春を経験した人の割合は13.6%。全男性の一割強だ。」

坂爪先生がオリジナルの報告書を手に入れているかどうかわからないけど、この表30にでているものだろう。

日本1999年に、過去1年間に売買春を経験した男性は13.6%。この「国際比較」がどの程度信頼できるのか、っていうのが興味ある。北原先生があげている、西村由実子・日高庸晴先生たちの「日本の就労成人男性におけるHIV/AIDS 関連意識と行動に関するインターネット調査」でこの2000年の調査結果の表を鵜呑みにしているのは、私には疑問。この点は次回以降。


坂爪先生の結論はこう。

「以上のデータから推測すれば、90年代後半に買春をしていた男性の割合は、多く見積もっても全体の1〜2割程度だと考えられる。買ったとしても一度きりでやめる男性や、買うのは1〜数年に1回程度という男性も多いため、日常的・習慣的に買春を行っている男性の割合はさらに少ないと予想される。「買う男」は、あくまでマイノリティなのだ。」(p.32)

私のコメントとしては、だいたいそんなものかなっていう感じ。ただし無回答みたいなのを入れると、もう少し高いん可能性があるんちゃうかという疑いはある。

北原先生が噛み付いているのは、ここで「マイノリティ」っていう言葉をつかっているのがどうかって話よね。単に多数派/少数派っていう意味での「マイノリティ」を使ってるんだろうけど、「あくまでマイノリティなのだ」の「あくまで」みたいなのがちょっと微妙ねえ。男性全体の2〜3割ぐらいいるとたしかにマイノリティはマイノリティだろうけど、それほどマイノリティでもないだろう、ごく普通に行われている慣習的行動だ、みたいな北原先生の指摘に一理ある感じもありで微妙。性行動、特にスティグマ貼られている行動・活動の調査はかなり難しいですわね。

でもとりあえず、今のところ、坂爪先生の側で典拠の示し方や但し書きが若干足りなかったとしても、資料を示しにくい一般向け新書という枠のなかで、一定の典拠にもとづいて論を展開しているので、特にゲス呼ばわりされる筋合いはないように思う。北原先生がどういうつもりで「ゲス」呼ばわりしているかはわからんけどね。

続きます。

 


ラッセル先生のセックス哲学(2) 女性の性を解放するのじゃ

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実は若いときはけっこうイケてる。 コメディアンのようでもある。

まあラッセル先生はそうしたキリスト教、特にプロテスタント的な性的禁欲を捨てちゃおうってわけです。でもラッセル先生は売買春とかには大反対。前のエントリでも書いたと思うけど、19世紀〜20世紀のイギリスとかって、表はヴィクトリア朝的な禁欲的な雰囲気でセックスの話なんてジェントルメンやレディーズはしないわけですが、ジェントルメンも夜になるとへんなところで下層の女性を安くあれしていた。中上流の女性は岩よりも堅い貞操を求められてた。そしてそれはみんなで守らねばならぬ。

ちゃんとした女性の貞操は、非常に大切なものだと見るかぎり、結婚の制度は、もうひとつ別な制度で補われなければならない。この制度は、実は、結婚制度の一部とみなしてさしつかえないものである——私が言おうとしているのは、売春の制度である。(p.44)

これは、前エントリのエリス先生もいってて(実はラッセル先生の議論の元ネタの多くは前年出版されたエリス先生)、そのまえには「売春婦は、家庭の神聖と、われわれの妻や娘の純潔の防波堤である」っていうレッキー先生の有名な言葉もあって、ラッセル先生も引用している。この手の、「ちゃんとした女性」を誘惑や暴力から守るために売春婦が必要だって議論は昔から多いんよね。

18世紀のマンデヴィル先生という方は、『蜂の寓話』って有名な本で、自由市場にまかせた方が公益につながるよ、っていう古典経済学者が言いそうなことを言ってるんだけど、売春についてこんなことを言う。

もし売春婦や女郎が愚かな人々の主張どおり過酷に告発されるべきだとすれば、われわれの妻や娘の貞節を守るのに、どんな錠前なり閂(かんぬき)があれば十分だというのであろうか。というのも、女性全体がいままでよりもはるかに大きな誘惑に会い、無垢な乙女をわなにかけようという企てが、まじめな人間にさえ現在よりずっと許せるものに思えるだろうからである。そればかりか、ある者は乱暴になり、強姦がありふれた犯罪になるだろうからである。アムステルダムでしばしば起こるように、何ヶ月ものあいだ男しか見ていない船乗りが六、七千人ぐらいどっと着くようなところでは、ほどよい値段で売春婦が得られないなら、貞淑な女性がだれにもわざらわされずに通りを歩くことなど、どうして考えられるであろうか。……一方の女性たちを守り、ずっと凶悪な性質のわいせつ行為を防ぐために、他方の女性たちを犠牲にする必要があることは明白だ。

これほとんど似たような表現をラッセル先生も使っている。もっと昔からあって、アウグスティヌス先生は「公娼を圧迫するならば、熱情の力はすべてのものを破壊するだろう」、トマス・アクィナス先生も「都市における売春は宮殿における下水道と同じだ。下水道を取りのぞく時は、宮殿は悪臭ふんぷんたる不潔な場所となるだろう」、ってなことを言ってるらしい。これはたしか、ドイツ社会民主党開祖のベーベル先生の『婦人論』(1879)からの孫引きだけど(この本の売春論もおもしろい)。

でもラッセル先生はこういうのある程度認めるものの、かなり強硬な売春反対論者なんよね。売買春は、公衆衛生上の問題を起こすし、女性にも男性にもそれぞれ心理的な損害を与える、と。まず「保健上の危険が最も重要である」(p.148)とかて公衆衛生が一番に上がるっていうのはまあ今見るとあれだけど、まあ当時は抗生物質とかもないし、梅毒とかで脳病になって死ぬし、淋病で兵隊さんや水兵さんが数ヶ月使いものにならなくなるしでたいへんだったみたいね。(ここらへんの歴史での女性運動家の活躍もおもしろい。興味あるひとはジョセフィン・バトラーとかで検索してください。)

女性に対する悪い心理的影響ってのは、売春でお金稼ぐようになると、怠惰になったり、酒を飲みすぎたりしてどんどん堕落してしまう。また人々からさげすまれてしまう(p.149)。これは社会の偏見とかあるからだろうけど、まあ売春する女性に対する風あたりは強い。男性も、「ちゃんとした」女性も「売春婦!」みたいな感じになってたみたいね。

男性に対する悪い心理的影響ってのは、「性交するために相手を喜ばせる必要ない、とい考える癖がつくだろう」(p.150)みたいな。まあ一説によると、女性は尊敬して褒めてプレゼントして甘いこと言わないとセックスしてくれないものらしく(でもそうしたからといってセックスするわけではない)、「金払うんだからしのごの言うな!」みたいになっちゃうってことですね。いやですね。

だから、ラッセル先生はセックス肯定論者だけど、どんなセックスでもよいっていってるわけではない。

性関係は、相互的な喜びであるべきであり、さらには、もっぱら両者の自然な衝動から始まるものでなければならない。そうでない場合は、価値あるすべてのものが失われる。このように親密な形で他人を利用することは、あらゆる真の道徳の源泉となるべき、人間そのものに対する尊敬の念を欠くことになる。…性関係における道徳は、……本質的に、相手を尊敬すること、および、相手の気持ちを考えずに、自分一人を満足させる手段としてのみ相手を利用するのを潔しとしないことから成り立っている。(p.151)

これが正しいセックスです。いいですか。まあ「相手を単なる手段としてではなく、尊敬するのだ」とかっての、雰囲気カント的でもありますわね(実際には考えてることはぜんぜん違うと思うけど)。

これ、同趣旨の強硬な売買春・ポルノ反対派の杉田聡先生の非常に印象的な一文を思い出させますね。先生はこんなこと言ってる。

売春が、抱擁・性交・射精などを含む点においてセックスを模した営みと見えたとしても、それが経済行為・サービスとして金銭を媒介に行われるとき、そこで行われる営みはすでに愛し合う者同士の、あるいは互いに性行為そのものへの自発的な意思を有する者同士のセックスでないのはもちろん、それを模してもいない。金銭を媒介にしているという事実、したがって売春者にセックスそのものへの欲求と同意がないという事実は、その性的営みそのものに投影されざるをえない。金銭的動機にもとづく性行為においては、セックスにあるべき女性の自主的な興奮も反応も、それに伴う性的な喜びも存在しないのである。(杉田聡、『男権主義的セクシュアリティ』、青木書店、1999、p.174)

正しいセックスでは、お互いを愛しあい、女性が自主的に興奮して自主的に反応して自主的に性的な快感を味わうものです。ははは。そういうんじゃないのはそもそもセックスですらないよ!とかって感じですね。まあ杉田先生ははっきりラッセル読んでると思う。

まあこれがたとえば「おっぱい募金」に対する反感の根っこにあるものでもある。性的な関係は互いが尊敬しあい楽しいものじゃないとならない、しかるにおっぱい募金でおっぱいもまれても気持ちよくないどころか痛いかもしれない、したがっておっぱい募金は性道徳に反する。

さて、こっからのラッセル先生の議論がたのしい。セックスはしたい、でも売買春はだめ。どうしますか。

(ハブロック・)エリスの説では、多くの男は、束縛や、礼儀正しさや、因襲的な結婚という上品な限界の中では、完全な満足を得ることができない。そこで、そういう男たちは、ときどき娼婦のもとを訪れることに、彼らに許された、ほかのどんなはけ口よりも反社会性の少ないはけ口を見いだすのだ、とエリスは考えている。

エリス先生はなぜ男性は買春するのか、っていうのをいろいろ書いてるんだけど、基本的に(1)若いときはお金なくて結婚できないから、(2)結婚してからは奥さんとセックスできるけど、「ちゃんとした女性」はセックスに消極的でいやがったりするし、しても楽しくないし、(3) フェチとかそういう特殊な趣味もってる人は奥さんから怒られるのを恐れて買春するのだ、ということらしい。だからまあ売買春はあるていどしょうがない、撲滅はおそらく無理、みたいな話になる。しかしラッセル先生は哲学者で旧来の性道徳に対してもっと批判的なので、もっと過激な解決法を提案する。

しかし、この議論は、形式こそ一段と近代的ではあるが、根本的にはレッキーの議論と変わらない。抑圧されない性生活を送っている女性は、男性と同様に、ハヴェロック・エリスが考察している衝動に駆られやすいので、女性の性生活が解放されたなら、もっぱら金目当てのくろうと女とのつきあいをわざわざ求めなくても、問題の衝動を満足させることができるだろう。これこそ、まさに、女性の性的解放から期待される大きな利点の一つなのだ。(p.152)

これはすごい。この文脈での「エリスが考察している衝動」てのは、前回エントリでの「刺激への衝動」ではなくて、「性的衝動」そのもの。つまり、(1) 売春はよくないです。(2)でもセックスはしましょう、したいです、それはよいものです。(3)だから、女性の性を解放すれば、女性は性的衝動を素直に実行するようになります。もっと簡単にセックスしてくれるようにしましょう。避妊手段が手に入りやすくなったんですから、どんどん解放しちゃえばいいじゃないですか。そして、実際1920年代後半ってのはいわゆる「ジャズエイジ」で、人々が楽しくセックスしはじめた時期でもあった。

以前は、ときどき娼婦のもとを訪れることを余儀なくされた青年も、いまは、自分と同類の娘と関係を結べるようになっている。──その関係というのは、どちらの側も自由であり、純粋に肉体的な要素に劣らず心理的な要素も大切であり、しばしば、どちらの側にもかなりの程度の情熱的な愛が含まれているものである。いかなる真の道徳の立場から見ても、これは、古い制度に比べて、すばらしい進歩と言わなければならない。(p.153)

「若い人々はセックスできていいねえ。わしもまだまだこれからじゃ!」という感じですね。まあ「ジャズエイジ」なんで酔っ払ってみさかいなくセックスする男女も当然いた。それほどあれじゃない人々も、実際ここらへんから、とりあえず「婚約」という形をとってセックスしちゃう人々が出てきたみたい。

この『結婚論』でラッセル先生は1950年にノーベル賞もらうことになる。みなさん自由にセックスできるようになりましたとさ。いったん、めでたしめでたし。(まだ続くよ)

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ハヴロック・エリス先生の売春婦論

最近また性の商品化やセックスワーカーの話がネットでもりあがっていて、興味深くながめたりしてます。ここらへんはいくつか難しい問題がからんでて、テツガク的にも実証的にもおもしろいところですわねえ。いまのネットでは「性的消費」とか(まあ私は「性の商品化」や「モノ化」の方が好み)、搾取、そして自己決定、ってあたりが繰り返され議論されるテーマですかね。「倫理学」とかってのの研究者もどきとしてずっと興味あるところなので、いろいろ考えちゃいます。

ある労働や活動をするときに、それが自己決定の結果であり尊重されるべき場合と、搾取であると考えられて、搾取者に対する非難や、被搾取者のなんらかの保護が必要であるとされる場合との区別ってのはこれはむずかしいですわね。

「セックスワーク」とかについて批判的・懐疑的な人々は、「セックスワークとかっていったって、それは貧困でしょうがなくやってるんであって搾取的なんだよ!」みたいな議論をすることが多い感じ。

この前、菊地夏野先生の「セックス・ワーク概念の理論的射程:フェミニズム理論における売買春と家事労働」、『人間文化研究』(名古屋市立大学)、第24号、2015ってのめくってたんだけど、これだと以下のような記述がある。

「原則的に貨幣をもたなければ生きていけない現在の社会にあって、多様な事情からセックス・ワークに就いている者たちを差別し抑圧する権利は誰ももっていない。その多くが貧困を背景にしているとすればなおさらである。」(菊地 2015, p.50)

菊地先生は、基本的に、セックスワーカーはセックスワークしないと生きていけないほど貧困に困ってる、と考えているみたい(これは私の読み間違い。以下で考えてみてる見解の代表みたいにあつかうのは不適切でした。下のコメント欄参照。すみませんでした)。そういうのは「生の権利としてのセックスワーク」「生存権としてのセックスワークの主張」といった見出しの表現にも出てる(この「生の権利」「生存権」も私読みまちがってる。すみませんすみまえん。)。まあギリギリで生きてなかなきゃならないなら、法に触れないような活動をしてお金を稼ぐのは当然の権利でしょうね。そしてそういうギリギリの生活を送らねばならない人々を多く抱える社会はよい社会ではない。特に、他に少なからぬ人々が余裕をもって暮していくことができていればなおさらだし、裕福に楽しく暮している人々が、貧しい人々を食い物にしているのならさらになおさら。それはいかん社会だ。これはほとんど議論の余地がない気がする。

しかし、「セックスワークする人々の大半はギリギリで生きていて他の仕事の選択肢がなく、そうした仕事に追いやられているのだ、ひどい仕事をいやいややらされているのだ、被害者なのだ」といわんばかりの事実理解はどの程度正しいだろうか。これは私には、完全にとは言えないにしても、かなりの部分は事実的な問いのように見えますね。そもそも他の仕事につけないほどギリギリの人々が、セックス産業や「お水」で働くために必要な魅力や健康や知性を維持できるかどうか。

さらに最近、今注目しているラッセル先生からのつながりでハブロック・エリス先生の『性と社会』読んでたんですわ。Havelock Ellis, Studies in the Psychology of Sex, 1928。日本語訳は佐藤晴夫先生。出版社は未知谷。えらい。この本はおもしろい。

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これの第7章が「売春」で、19世紀から20世紀頭にかけての売春者に関するいろんな実証的文献集めて検討してんですね。んで、当然「経済的要因」が問題になる。19世紀後半のイギリスとか、下層階級の売春とかふつうで中上流の食い物になっててやばい、っていう理解がふつう。まあ著者不明の『我が秘密の生涯』とか、それを元ネタにしたスティーブン・マ〜カスの『もう一つのヴィクトリア朝』とかそこらへんおもしろいですね。

売春を論じている著述家たちはしばしば、売春の根底には経済的条件があり、その主たる原因は貧困であると主張している。(以下エリス邦訳上巻 p.283)

エリス先生も「経済的な条件を売春の一要因とみなすことは妥当な見解である 1)これ、「貧困」ではなく「経済的な条件」であることにも注意しておいてほしい。 」と同意している。しかしもっと綿密な調査を見るとそうとは言えないみたいよ、と。

19世紀広範は社会学とか犯罪学とかが勃興した時期で、いろんなことが調査されて、売春なんかも犯罪との関係でけっこう実証的に調査されはじめた。たとえばストローンベルグ先生という人は「462人の売春婦を詳細に調査して、貧困のために売春の道を選ばなければならなかった、と告白した売春婦はたった一人しかいなかった」とか。他にもいろんな先生がそういう報告している。貧困は売春者の行動の絶対的な原因ではないかもしれない。

一般の産業に就業している女子に支払う賃金率をどれほど引き上げてみたところで、またく普通の能力をもっているだけであるが、たまたま多少の魅力に恵まれている女子が売春によって手に入れる収入と見合うだけの賃金に達することはありえないということを認めざるをえない。p.289

現代日本でこれがどの程度真に近いかっていうのは事実的な問題ですわね。まあここに自己決定だの搾取だの、っていう問題がはいりこむわけですなあ。

もうひとつ印象的なのが、エリス先生自身の次の分析。売春婦の大半はの前歴は、女中・子守娘などの家事使用人であるが、こうした職業の女子は、実は比較的経済的に不安のないグループで、食費、住居費などを心配する必要がなく、また他の仕事もある。まあもちろん19世紀末〜20世紀頭の女中さんの労働条件がよかったとは思えないけど、女中さんとかもできない下層の人々よりずっと恵まれている。

引用しとくか。

彼女たちは、食事も宿泊費も支払うことはない。自分が雇われている主婦と同じように生活し、時には主婦のように金銭上の心配をする必要もない。そればかりではなく、彼女たちに対する需要はほとんど至る所にあり、普通の能力を持つ女子であれば仕事不足で困るようなことはない。それにもかかわらず、彼女たち……が売春婦を補充する特定の一グループであることは疑いもない事実なのである。そのように、何ら生活に不安を感じない彼女たちが売春婦の主要な貯蔵庫の一つであることを理解するならば、衣食住に対する渇望だけが決して売春の主要な原因でないことは明らかである。

まあんじゃ貧困そのものじゃなくて、他になにが要因なのか、ってことなんだけど。一つは、女中さんたちは経済的には恵まれてる方だけど、扱いはよくないってことにありそうだ、と。「彼女たちは他の女子とちがって敬意を払われることもないし、丁寧に扱われることもない」こういう精神的に不利な状況にある。まあ比べられているのは、女中さんを雇うような家にいるお嬢さんだわね。だからどうせ扱いが同じだったら売春もしてしまった方がよい、みたいな。

もう一つは、もうちょっと個人的な性質に訴えてるやつで、レイケール先生という人をひっぱってきて、女中さんたち家事従事者の人の「洞察力・創造力の欠如、虚栄心、模倣性、変易性」とかあげて、これも売春婦と同じだ、みたいな。まあ女中さんやセックスワーカーに気質的性格的な特徴があるかどうかっていうのは、いまみると微妙な感じはある。

とにかく経済的要因だけじゃないよ、みたいなことを主張するわけね。あと「生物学的な要因」ってので売春者に特殊な要因(特に性欲が強いとか不感症だとか)があるっていう見解を紹介し検討して、そこらへんはなさそう、みたいな結論。

「売春婦が存在する要因としての道徳的必然性」とかってタイトルの節では、セックスワークを肯定するような意見がいろいろ検討されてて、ここは商売がら興味深い。まあたとえば「セックスワーカーが性欲とか処理しないと犯罪が増えますよ」みたいなタイプのやつとか。どれもあやしい。

おもしろいのは次の。18世紀フランスのミューニエ・ド・ケルロンって人の小説の一節。

殿方たちは売春婦をご自分の快楽の軽蔑すべき犠牲者であると考えているようですが、そうした見せかけの暴君たちは、実は、ご自身が、足許に踏みつけている売春婦の必要を満たしている愚か者であることに気がついていないのです。

まあ18〜19世紀の高級売春婦小説とかに出てくるタイプの男性を軽蔑し操るタイプの人ね。こういうのがどれほど事実に即しているかっていうのはわかんないけど、お客とセックスワーカーの関係は、一方的な搾取/被搾取の関係ではないかもしれないってことに気づかせてくれる。

しかし彼女はすべての男が売春婦に対してそうした態度をとるわけではないと付言して、次いで、多少皮肉を交えながら娼家は抜け目ないかもしれないが、有用で便利な施設であると賞賛している。(pp.311-312)

私、祇園の寿司屋(わりと安くてそこそこうまい)であきらかにこれから「同伴」って中年男性と若い女子の組合せを見たことがあるんですが、女子は寿司屋のカウンターでずっとスマホ見てるのね。まあ仕事の連絡とかもいっしょにとってんだな、でも寿司おごってもらってんだからもうすこしサービスしたらいいのに、とか思って見てたんだけど、後ろ通りかかったときに見えたそのスマホの画面はキャンデークラッシュかなんかでしたよ!驚きました。これ、中年男はあきらかに餌食。搾取されてる。かわいそうすぎる。あんなめにあうんならキャバクラとかクラブとか行きたくない。こわすぎる。他にも京都は客引きの人がけっこういて、ああいうのに「社長、おっぱいどうですか」っていって付いてっちゃうとすごいお金むしられるとかそういうのを聞いたことがある。本当かどうかは知らん。いや、話それた。

んでまあ、「文明的条件」っていうか文化的・社会的条件なんだけど。まあ(男性の方は)お金なくて結婚できない。

「都市生活は社交の機会を増大させる。匿名化する傾向がある都市生活は、婚外交渉が発覚する機会を減少させるが、同時に結婚を一層困難にする。なぜなら、都市生活は人々の社会的野心を強め、生活費の高騰などによって家庭をつくる時期を遅らせるからである。都市生活は結婚を遅らせながら、その上、結婚の代用物を必須なものにさせるのである。」pp.313-14

一方、女子の方は

娘たちが一時的あるいは永続的に売春生活をするようになる原因はさまざまであるが、その主要な動機の一つは、疑いもなく、我々の拘束的な、機械的な、骨の折れる文明生活が自己発達の機会を十分に与えないので、彼女たちがそうした機会の不足を満たそうとするためである。……これまで考察してきたように、娘たちが売春婦になる有力な動機は経済的な欲求でもなく、抑制しがたい性的衝動に駆られるわけでもない。……若い娘たちの多くは、自分自身でもはっきりと認識し、説明することができない、あるいは気持ちはおおよそわかっているものの恥ずかしさから告白することのできないような、漠然とした衝動——刺激を求める欲求——に動かされて、本能的に売春生活に入って行くのである。(p.314)

ここらへんがエリス先生の結論に近いっぽい。経済的条件はたしかに重要だけど、それだけえではないだろう、自己開発とか自己実現とか刺激とか、そういうものも要因になっている。あと、田舎から都会に来た女子がそうなりやすい。

娘たちが田舎の生活を送っている時には、思春期特有の爆発的な激しい感情の動きは潜在化されているが、都市に出て、救いのない苦役の中で贅沢な光景を見せつけられることによって高揚し、最後に売春生活のなかで衝動を満たそうとするのである。(p.320)

の「感情の動き」や「衝動」は、金銭的なものだけじゃない、なんかキラキラしたものへのものなんだろうと思う 2)キラキラっていう表現は、鈴木涼美先生が使ってたんじゃないかと思う。 。我々はテレビやネットで贅沢で楽しい生活を毎日見せられていて、男も女もそれに刺激されてあれになってるってところはあるだろうな、とか思ったりもする。そういうのは、1928年当時はせいぜい雑誌でみかけくらいのものだったろうけど、いまは田舎だろうが都会だろうがいつでも刺激されつづけるしねえ。

ここらへん、1990年代に宮台真司先生が「援交少女」とかっていうのが新しい姿の女性で、みたいな話してたのが、ぜんぜんそんなことないってことがわかる気がする。

ちょっとエリス先生から逸れちゃうけど、あの「おっぱい募金」の動画の一部を見て思ったのは、「この人たちはお金よりはアイドルしたいのだな」みたいな。もっといえば、自分たちなりのしかたでAKBしてみたいんだろうな、みたいな。集まった方も、「おっぱいもみたい」で集まってるはずがないとも思った。むしろファン交流会に参加したかったんだろう、みたいな。ガールズバーとかキャバクラのいわゆる「お水」で働く人々も、稼ぐお金の他に、やっぱりいろんな充実を求めている場合もあるだろう、みたいなことも思う。

貧困は問題だけど、搾取/被搾取みたいな図式でだけ性の商品化を見ようとするっていうのはなんかちょっとちがうんちゃうかな、という印象をもっている。もちろん、そういうのしたくない人々もけっこういるだろうけど、もしセックスワークや性の商品化自体に道徳的に不正な点がなく、むしろ搾取的であることに問題があると問題があると考えるのであれば、どういう意味で搾取的であるのかは、はっきりさせなきゃならないんじゃないかという気がする。

もし性の商品化が(おもに)女性たちに与えるキラキラ感みたいなもの自体が搾取的手段の一部である、ってことになるとまた話はちがってくるけど、そこまで主張しなきゃならんものなのか。もうそうなると、我々のにはほとんど自由な選択とか自己決定とかってものは存在しない、みたいな主張しなきゃならないようになるように思える。

ただ、「AVに出ると有名になれるかもしれないからいやいやチャレンジ」って形ではなく、AVのような刺激的な場所にいること自体がある種の報酬をもたらすんじゃないかと思う。でも地下アイドルとかも含めて、参加者はもっとわかってやってるんじゃないかという気がする。

もちろん、悪い人々はどこにでもいるので、場合によっては悪い奴らの脅しや騙しみたいなんもあるだろうし、弱味につけこんだいかにも搾取なのもあるだろう。セックスワークのようなのはまわりの人に秘密で働くことが多いから、相談できなかったり、泣き寝入りしている人々も少なくないだろう。

しかし、性の商品化それ自体が当人たちに重大な危害をもたらす、っていうのは話が別。性の商品化はそれ自体搾取だからだめ、っていう主張をしたいのであれば、なぜ搾取なのかを説明しないとならない。搾取によって性の商品化させられるから、では循環して説明になってない。「他の条件が同じであれば(たとえばお金もらえなければ)、それ自体をする動機そのものはもたないであろうことをさせる」っていうのだけでは搾取とはいえない。搾取であるためには、なにか強制するか、あるいは合理的な判断を狂わせるものが含まれていなければならない。

もどって、まあエリス先生の議論の仕方っていうのはいろいろ問題があるとも思う。一つはなんのかんのといいながら、売春者を特別な存在であると考えてたり、売春自体に(自愛の思慮に反するかもしれないだけでなく)道徳的な不正さがあるってのを前提としてることか。

まあ当時としては売買春は道徳的に不正なものだったろうし、いまでも実際に不正だと言うべきかもしれないのでこれはあれか。経済的な要因や、女性の性戦略の多様性みたいなのを軽視しすぎてるかもしれない。ここらへんは『セックスと恋愛の経済学』 みたいなのの方が、当然ながら分析が細かい。そういうの見た上で、「多様な事情からセックス・ワークに就いている者たちを差別し抑圧する権利は誰ももっていない。その多くが貧困を背景にしているとすればなおさらである」って文章を見たときに、「お金とかもっててそこそこ精神的に安定しているけどもっとお金が欲しいから風俗で働く」とか「他でも働けるけどナイトワークが楽しいからキャバクラで働く」とかっていう人なら差別したり抑圧したりできるのか、みたいなことを考えてしまう。そういうこと言いたいわけじゃないだろうけど。

現代日本のセックスワーカーがどういう人々か、っていうのは、松沢呉一先生や要有紀子・水島希先生たちのやつが10年前の定番ですか。最近だと鈴木大介先生や中村敦彦先生のになるか。中村先生の方は時々ちょっと疑問に思うところあるんだけど、ここらへんは大丈夫だと思います。どれ読んでも、「まあ実情はこういうものかな」と思わされる。まあ、エリス先生のころから90年、いろんなルポや調査なんかの実証的な研究もあるのに、いまだに「極貧が性の商品化の主要な要因」みたいなのはちょっとどうか。SWASHみたいなセックスワーカー団体もあるし、ネットでも匿名・実名でいろんなワーカーの人が実態を知らせたり発言したりしているのに、「あの人々は搾取されている」「強制だ」「あの人々には選択肢がないのだ」みたいに決めつけるっていうのは、私は失礼なことなんじゃないかと思ってます。

ちなみに「搾取」については、スタンフォード哲学事典のウェルトハイマー先生が書いた項目を訳してみたけど、ヘタだし誤字脱字魔人に襲われててやばい。

 

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References   [ + ]

1. これ、「貧困」ではなく「経済的な条件」であることにも注意しておいてほしい。
2. キラキラっていう表現は、鈴木涼美先生が使ってたんじゃないかと思う。

杉田聡先生の考えるあるべきセックスの姿

国内で売買春やポルノグラフィを猛烈に批判している人の一人に、杉田聡先生がいます。

杉田先生によれば、本来セックスは双方が「自発的な意思」によって「自主的に興奮」し、双方が「性的快楽」を味わうことができなければならない。売買春は一方だけが性的興奮や性的快楽を得るものなので不道徳だ、それはもはやセックスではなく性暴力と等しい、と言いたいようです。セックスに金銭をはさむな、そんなのはセックスではないと。

売春は女性の望まない性行為を模し、「強制わいせつ」を模し、「強姦」を模している。要するに売春は性的侵害を模している。……売春が、抱擁・性交・射精などを含む点においてセックスを模した営みと見えたとしても、それが経済行為・サービスとして金銭を媒介に行われるとき、そこで行われる営みはすでに愛し合う者同士の、あるいは互いに性行為そのものへの自発的な意思を有する者同士のセックスでないのはもちろん、それを模してもいない。金銭を媒介にしているという事実、したがって売春者にセックスそのものへの欲求と同意がないという事実は、その性的営みそのものに投影されざるをえない。金銭的動機にもとづく性行為においては、セックスにあるべき女性の自主的な興奮も反応も、それに伴う性的な喜びも存在しないのである。(杉田聡、『男権主義的セクシュアリティ』、青木書店、1999、pp.172-174)

まあなかなか説得力がある。

しかしこれってどうなんですかね。

「自発的な意思」ってのは相手の身体、あるいは身体との接触に対する性的欲望と考えていいんでしょうか。

まず気になるのは、本当に売買春においては性的欲望や性的快楽が一方にしか存在しないのかどうか。なんか男性誌とかAVとか掲示板とか見てると、男性客ってのはいかにして女性に性的快楽を味わってもらったり性欲を喚起するかをいっしょうけんめい考えたり試したりしているように見えますね。

第二に、通常の愛ある人々の間のセックスにしても、お互いが同時に自発的に開始するものなのかどうか。ふつうの人のセックスっていうのは「見あって見あって、はっきょい、のこった」みたいに始まるものなのかどうか。それに多くの男性は女性の歓心をひくためにおもしろい話したりプレゼントしたり指名でお金つかいまくったり、もういろんなことするわけでねえ。セックス産業でもそういうのは多いんじゃないかな。

まあ性産業にしてもキャバクラにしても上から目線っていうかお客だから接客しろ、とか、「キャバ嬢は江戸時代も知らないバカ」とか言っちゃう人もいるみたいだけど、そういうひとってのはたいていモテないことに落語の世界でもなってる。お金払って、さらにもてようとするのがまあそういうのが好きな人々なんじゃないっすかね。

性的快楽もなかなかあれだ。片一方に性的快楽がないと不道徳なセックスなんて言われると、ヘタな人はセックスするのは禁止しないとねえ。まあいろいろ考えちゃいます。

女性の自主的な興奮や反応なんて言われると、「自主的」ってどういうことだろうなあ、と思いますね。どうすると女性は自主的に興奮するんだろうか。男だってどうすりゃ「自主的に」興奮するのか。自主的ってどういうことだろう。まあお金払ったら興奮する人がいるとは思えないけど、あまりにもお金使わないと興奮しない人はいるような気がする。ははは。

またたしかに愛のあるセックスの方が強い性欲をいだくことが頻繁だろうし、性的快楽も多いだろう。愛のあるセックスの方が非道徳的な意味で「よい」セックスな場合は多いかもしれません。愛のない金銭セックスがそんな不道徳かどうかはまだわからない。

それに必ずしもお金払ったりもらったりしたら快楽の点で劣るセックスになるかどうか。愛だの親密さだのを考えないセックスが快楽などの点で優れている場合ももしかしたらあるかもしれんし。

互いの快楽を追求するのがセックスの本来の/あるべき姿だ、みたいなのはそうなのかな、と思うわけですが、お金払ったセックスがそれを目的にしてないのかどうか。けっこう重なりあってる部分もあるんじゃないですかね。わからんですが。ゴルゴ13だって、よくお金払ってセックスしてるけど性の達人ってことになってますからね。ははは。「当店では嬢の自主的興奮と性的快楽を最重視いたしますので、お客様のそのようにお心得ください」みたいな店もけっこう流行るのではないか。

でもまあ杉田聡先生は独善的なところも感じないではないが、哲学者らしいキレ味の議論を提出しているので、売買春やポルノ、性暴力などを考えたい人は必ず読んでみるべきです。上野千鶴子批判とかもなかなか迫力がある。

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杉田先生はもとはドイツの哲学者カントの研究者のはず。私とってはH.J.ペイトン先生の『提言命法』(行路社)を訳してくれたひと。これは手に入りにくい名著。amazonには古本でもないね。あとポルノ批判・売買春批判の他に、自動車批判でも有名。まあ筋金入りの反資本主義左翼。けっこう説得力があるので一読してみるとよい。

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