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テイラー・スウィフト先生は好みではない(ファンのひとはごめんなさい)

ask.fmでカミーユ・パーリア先生がテイラー・スイフト先生をディスっているという話を教えてもらい、3曲ほど聞いてみました。たしかにこの方はちょっとあれねえ。

最初に聞いたのはI shake it off。他人がなんと言おうが関係ないわ、私は好きに踊り続けるわ、ってな曲。

その主張自体はよい。我々は人にかまわず踊り続けるべきだ。踊りましょう。音楽的には、歌詞のshke shake shakeとかの繰り返しがおもしろいね。でも歌詞は凶悪で、世界は私と悪者(いつまでも同じままのヘイターやハートブレイカーやフェイカーたち)によって構成されています、みたいなのってちょっと受け付けられない。

バレリーナのシーンとかとかスタント使ってるわねえ。っていうか踊れないなら踊れないでかまわんし、むしろ最後のシーンのように「私はちゃんと踊れないけど、それでもOK」ってのなら、スタント使う必要ないのではないか。あと、いつまでも「I」shake if offであって、途中でcome onとか呼びかけてるのに最後も一人だけってのが気に入らない。

次に見たのがWe are never ever getting back。これは私淑する細馬宏通先生がコメントしているってんで、それ読む前に聞いた。

これもいかん。こっちは音楽的にはあんまりおもしろいところはなくて、イントロのギター、単にミュートするんじゃなくて機械的に切ってるのが耳を引いたけど、それくらいか。

歌詞の内容は私には最悪に思える。まあ細馬先生の聞き込みは大筋で正しいと思う 1)We will rock youは聞き取れないし、すぐあとで書くようにこんなものがガールたちのアンセムではありえないけどね。ビヨンセのRun the Worldの堂々とした勝利の響きとくらべてほしい。 。この曲は別れの歌ではない。そもそも、本気で別れるつもりのときに「絶対ぜったいぜったいヨリもどさないからね」とかって言うはずがない。「我々は終わってます、ピリオド」でなければならない。ネバーは1回でよろしい。「ぜったいぜったいぜったいぜったいより戻しません」って増やせば増やすほど説得力がなくなる。もし2回いうとしてもネバーエヴァーじゃなくてネヴァネヴァネヴァネヴァでしょ。

こんな歌、けっきょく女の「ノー」どころか「ネバー」でさえネバーじゃなくて「イエス」やむしろ「カモン」だ、って言う歌じゃん。それでいいんかね。

男子がなに気に触ることしたのか知らんけど、スペースを必要とする人がいるのは確かなことだし、なんか言っただけで「私が正しいの!」って叫ばれたら、ヘッドホンして好きな音楽聞くくらいしかないじゃんよ。わめく女は殴ればいいって話じゃないでしょ。

You talk to your friend talk to my friend talk to me、のところも(詞の作りはおもしろいけど)よくわからなくて、男子って元カノのことを友達にそんなしゃべるかな。もし仮に「ヨリを戻したいから口きいて」ってのがあるなら(ないと思うけど)こういうんじゃなくて女子の友達に直接頼むだろうし、悪口であればまあしょうがない気がするけど男子は女子ほどそういう話はしない気がする。まあせいぜい「ひでー女だったからね」ぐらい。女子はいろいろ事細かに話す傾向もがあるかもしれないけど。なんかおかしい、っていうか男子の行動を理解してない気がする。まあでもいろいろあるんだろう。わからん。さっきの「あんたがケンカ売ってきて」you picking fightsのところと同じように、自己中心的な感じがする。

「あんたとは別れました」とか言ったそのだらしないパジャマ姿のままで、友達に「あのひとまだ私のこと好きなんだって、でもうんざりしてるの」とかノロケなのかなんなんだかわからんこと喋ってるのも許せん。これが21世紀のエンパワされたガールなのか。

最後見たのはBad Bloodで、これもひどい。

最初っから(理由なく?)腕折ったりしていて、ものすごくネガティブになる。このPV見て好意的な評価をするのはものすごく難しい。なんで殴り合ってるのわからんし、歌詞も憎悪に満ちている。女性が物理的に戦ういろんな映画のパクリだらけだけど、それに対するオマージュみたいなのが感じられないよ。せめてテレビ1台出して、最初は自信なかったけど、映画に出てくる強く戦う女性たちからエンパワしてもらいました、ぐらいの敬意は表してほしい。もっと練習して格闘シーンはそれらしく見せてほしい。これじゃ女の子の演芸会かキャットファイトやアマチュア泥レスリングじゃん。それに映画のヒロインたちはだいたい憎悪以外のちゃんとした理由があって戦ってるけど、これは単なる個人的な憎悪だけに見える。ケンドリック・ラマー先生もなんでこんなPVにからんでるんだ。がっかりしました。これやばいっしょ。いくら嫌いだって、ライバルや論敵を「bad blood」呼ばわりするとか、そらパーリア先生怒るわよ 2)ナチを引き合いに出したのはどうかと思うけど。bad bloodの意味はこうか

前エントリのビヨンセの、最新の3)あれは南アフリカあたりのダンスなのね。 鍛え上げられた踊りや、自己を主張する覚悟や、考え抜かれた戦術や、他の女性との連帯感みたいなのと比較したら、たしかに退行的だって思います。こういうのがガールの理想であってほしくない。

でも好意的に解釈すれば、右派左派に分かれてしまったと言われているアメリカについて悲しみ歌ってる曲ってことになるかなあ。でももっと希望あっていいじゃんよ。ファレル先生のハッピーみたいなとはいわないまでもよ。

前2曲も好意的に解釈すれば、とにかく私は私の我を通します、ってんで、それはそれで敬意に値するかもしれない。でもそう聞くのはなかなか私には難しいです。PVもう少し上手く作ってくれたらちがったかもしれない。

 


んで、パーリア先生オススメのレスリー・ゴーア先生のIt’s my party聞いてみましょう。

 

ははは。いいじゃないっすか。歌詞と簡単な解説はこちら。私のパーティーなのに、私のジョニーは馬鹿のジュディーとこっそり外出ていってエッチなことをしている、私のパーティーなのに許せない、私泣いちゃうわ。私大声で泣くわよ私のパーティーなんだから。あなただってそういうときには大声で泣いていいのよ。

パーリア先生が、この歌には社会的主張とガールの心理についての、より深い洞察が含まれていると主張するのも理解できますなあ。


まあこのエントリ、私自身ちょっとネガティブになりすぎましたね。だって理由なく腕折るんだもん。あれでOKなんてないわよ。


References   [ + ]

1. We will rock youは聞き取れないし、すぐあとで書くようにこんなものがガールたちのアンセムではありえないけどね。ビヨンセのRun the Worldの堂々とした勝利の響きとくらべてほしい。
2. ナチを引き合いに出したのはどうかと思うけど。
3. あれは南アフリカあたりのダンスなのね。

オペラを勉強してモテるようになろう!

「セックスの哲学」といえば、面倒なことせずにモテる方法とかってのを期待している人も多いんじゃないかと思うので、おそらくモテるために学んでおくべきことを示唆しておきたいですね。まああくまでおそらくなんですけど。あとに述べるように哲学者や哲学研究者自身はモテることはむずかしい。

モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』の主人公はドン・ジョヴァンには伝説的女たらしで、もうどんな女性でもオトせます。

まずはドン・ジョヴァンニの従僕レポレロによるカタログの歌。スペインでは1003人。
歌詞はこれで見てください。「旦那様に泣かされたのはあなた様でけではありません。イタリアでは640人、ドイツでは231人、しかしここスペインでは何と1003人!」舞台だとこんな感じ。女性はジョヴァンニとあれして「妻」のつもりでいるエルヴィーラ。ところがジョヴァンニ先生はそんな人ではない。
ちなみにこの演奏は歴史的名演。配役もドンピシャだし。指揮は伝説のフルトヴェンクラー先生。

 

「シャンパンの歌」って有名なところ。ドン・ジョヴァンニの快活さが魅力です。酒もいくらでも飲めるよ。

訳詩書いときますか。

みんな、葡萄酒(ワイン)で
頭がかあっとなるほどに
大宴会を
準備させろ
もし広場で見つけたら、
これという娘を、
それもそなたが自分で
うまく連れてこい。
なんでもいいから
踊りでありさえすれば
あっちはメヌエット、
こっちはフォリア、
そっちはアルマンドと
おまえが踊らせるのだ。
で、わたしはその間に
そっち別に
あれやこれや相手にして
愛のお楽しみといきたい。
ああ、わたしのリストに
明日の朝には
十人がほどの女を
おまえは加えねばならないぞ。
(オペラ対訳ライブラリー『ドン・ジョヴァンニ』、小瀬村幸子訳、音楽之友社、2003、pp.67-68)

まあとにかく快活さ、これがセクシーなのです。貴族というのはもうなんか意味のない自信をもってなきゃならん。そしてなんといっても強い性欲をもつことがモテの最大の秘密です。モテない人間ってのは欲望がそれほど強くないんよね。

口説くときはこういう感じです。相手は本日結婚式の花嫁さんツェルリーナ。結婚式ななのにこんなことしてるとはドンジョバンニ様もひどいけどツェルリーナ(ヅェルリーナ)さんひどいですね。

 

 

(ドン・ジョヴァンニ)やっとわたしたちは解き放たれましたよ、
愛らしいヅェルネッタ、あの馬鹿者から、
どうです、我が想い人、わたしは見事にやるものでしょう?
(ヅェルリーナ) 殿様、あたしの夫です……
(ド)誰が?あいつが?
あなたには思えるのだろうか、立派な男に、
わたしほどの自らを誇りとしている気高い騎士に
我慢できると、その優美な可愛い顔が
その砂糖ほどに甘い顔が
粗野な田舎者に手荒く扱われるなど?
(ヅ)でも、殿様、あたしは彼にいたしました、
彼と結婚する約束を
(ド)そんな約束
なんの意味もない、あなたは生れついていあにのですよ、
農婦になるようには、もっと別の運命を
あなたにもたらしてくれるのですよ、その生き生きした目、
そのそんなに美しいちいちゃな唇、
その真っ白く芳しい華奢な指は、
それにしてもできたてチーズにふれ、バラをかぐようんだ
(ヅ)ああ、あたしは望ましくないと
(ド)何が望ましくないと?
(ヅ)シマイニ
騙されるのがです、あたしは知ってます、ほんのまれに
あなた様がた騎士は女たちに
正直に、そして本気になられるのだと。
(ド)うむ、それは虚言、
平民たちの!貴族というのは
眼に誠実を映し出しておる。
さあもう、時間を無駄にすまい、今すぐ
わたしはおまえと結婚したい。
(ヅ)あなた様が?
(ド)もちろん、わたしが。
あの別荘はわたしのだ、ふたりきりになろう、
そしてあそこで、わたしの宝よ、結婚するとしよう。
(二重唱)
(ド)じゃそこで我らは手を取り合おう、
あそこでおまえは「ハイ」というのだ。
見てごらん、遠くはないぞ、
行くとしよう、愛しいおまえ、ここを離れ。
(ヅ)そうしたくもあり、でもそうしたくもなし、
心臓がちょっと震えるわ、
あたしは幸せになる、ほんと、もしかしたら、
けど弄ぶってことだってあるし。
(ド)おいで、わたしの可愛い恋人
(ヅ)マゼットが可哀想になるし、
(ド)わたしがおまえの運命、変えてやろう。
(ヅ)もうすぐ、これ以上、頑張れないわ。
(ド)行こう!……
(ヅ)行きましょう!……
(二人)言こう、行きましょう、愛しのひと、
苦しみを和らげるために、
罪などない清らかな愛の。

もうなにがなんでもするぞ、という欲望がいいですね。女というものはその欲望を欲望するのです。歌うまいやつは磨きをかけておいてカラオケでがんばるとあれかもしれんぞ。ははは。

もう歌詞だけ見るとビートルズとかそういうとぜんぜん違わないっすね。歌うまい人はみなこうして口説いてるらしいです。

ぜんぜん反省しない自信と欲望のかたまりとしてのドン・ジョヴァンニ、っていうのは多くの哲学者をひきつけてきたと思います。一番有名なのはキェルケゴール。『あれかこれか』って本で、「直接的・エロス的な諸段階、あるいは音楽的=エロス的なもの」なんてタイトルで「ドンジョヴァンニ論」やってます。とにかく音楽はエロいことに気づいた男。

ニーチェが『道徳の系譜学』書いたときもあそこで描かれる「貴族的」な人間のありかたってのはドンジョヴァンニ的だったんちゃうかな。ウソをつくのは平民のやることであって、貴族ってのは誇り高くそんなことはしないのだ。実際自分ではウソついてる気ないんじゃないですかね。

まあとにかく「反省しない」っていうのが大事です。「哲学ってのは反省だ」みたいなことを最初のエントリに書いたわけですが、そういうんでは哲学なんかに興味をもつ人は最初からモテの世界から放逐されておりますわね。実際キェルケゴールもニーチェもモテなかった。ははは。

キェルケゴールやニーチェはそのまま読んでもすぐにはわからんですが、岡田先生のこの本はおもしろいですよ。

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