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無調音楽入門(10) ウェーベルン先生は新しい音楽を作ったかもしれない

まあシェーンベルク先生やベルク先生は、なんというかロマンチックで19世紀のドイツ音楽の後継みたいな感じなんですが、ウェーベルン先生はもっとラジカルで音楽そのものを変えちゃった感じがあります。

ピアノ変奏曲はもう聞いたので、「子どものための作品」とかどうぞ。

まあやっぱりウィーンな雰囲気は残ってるけど、こう音がまばらで密度が高い。あの暑苦しいドイツ音楽とはなんかぜんぜん違うものが発生してる感じ。

なんというか、音楽を聞く態度そのものを変更させてしまうところがあるですな。19世紀音楽の「感情」とか「情動」とかを無理矢理動かそうとするのとはぜんぜんちがう。19世紀の音楽だと「きれいねー」「ロマンチック」「情熱」みたいな感じだけど、ウェーベルン先生のはなんか鉱物かなにかを観察してるみたいな感じになる。ほう、そっちからだとそういうふうに輝きますか、みたいな。


無調音楽入門(9) ベルク先生は天才

シェーンベルク先生の実作は、なんかこう一流だけどもうひとつ、みたいな感じがあるんですが、弟子のベルク先生のはほんとうに名曲みたいなのを感じますね。特に抒情組曲とヴァイオリン協奏曲は聞いておくべきだと思います。12音技法使ったり使わなかったりしてるんだろうけど。

弦楽六重奏バージョンの方がよいのですが、まあ長いのでカラヤンの弦楽合奏の組曲の方を。

シェーンベルク先生のは古臭いドイツ音楽だけど、ベルク先生のはまったく新しい音世界みたいなのが広がってる感じ。

ヴァイオリン協奏曲はロマンチックです。

抒情組曲フルに聞いてみたい人はこちら。


無調音楽入門(8) 十二音技法誕生

まあドビュッシーとかバルトークとかストラヴィンスキーとか素敵で斬新な音楽作ってるわけですが、シェーンベルク先生はそういう方向には進まなかった。なんでですかね。こういう斬新な音楽作ってる人々は民族音楽とか取りいれてやってるわけで(ドビュッシーだって「おフランスだなあ」だし、ラヴェルの真似してスペイン音楽とか使ったり)、シェーンベルク先生はそういう道に行きたくなかったか行けなかったんでしょうな。ドイツ音楽な人なわけです。モーツァルトやベートーベンやシューマンやリストやワーグナーやブラームスの道を進みたかったんでしょう。

まあシェーンベルク先生はそういうドイツ的な「テーマの変奏と発展」とかってのをやりたかったんなと思うんです。リストやブラームスはハンガリーの音楽とかあれしてるけど基本は「テーマを有機的に発展させる」っていうやりかたをしている。ベートーベンとかそういうの本当にすごくて、第五交響曲「運命」なんて「ジャジャジャジャーン」だけで1楽章できてるみたいなもんだし。そういう音楽の聞こえ方やサウンドよりは構成とかそういうものに注意しいたのでベトベン先生は耳聞こえなくなってもすばらしい音楽つくったりできたわけだ。ここらへんリスナーがどの程度まで「展開」を理解できるかっていうのは微妙で、聞いてるだけではさっぱりわからないような隠し味になってたりすることも多いです。でも作曲家、特にドイツの系統の人はそういうことをやっていた。作曲というのは建築みたいなもので、できあがった作品を見てもどういうふうにしてそれができているのかはわからない、だけど実はいろいろ計算されている、みたいな。

シェーンベルク先生もそういうのをやりたかった。サウンドではなく構成。上にあげた同時代の人々はサウンドが素敵すぎますよね。そういう道はとれなかった、ってことなんかな。

作曲技法的にシェーンベルク先生は非常に古くさい人で、テーマがあってそれの部分とかを発展させる、という技法をとってます。無秩序に聞こえることもあるけど、実は最初の方に鳴らしたテーマを反対から弾いてみたり、音階の上下逆にしてみたりして構成されてるのね。実は前に聞いた「ピエロ」もそうやってできてる(らしい)。あんな無秩序に聞こえるんだから信じられないけど。こういうのはベトベンがやったこととあんまり変わりはないわけです。

シェーンベルク先生は「音楽の美というのは実際に鳴らした音にあるんじゃなくて、楽譜読んで頭のなかに思いうかべれば十分わかる」みたいなことを言ってるはず。こういう人にとっては具体的な演奏なんてのはどっか別世界にある「曲そのものの美」を現実世界に反映したものにすぎないんですね。理想は別にある。

んでまあ無調音楽に入っていったけど、無調とかってなんでもできすぎて困ってしまったのではないか。調性あんまり気にせず好きなように音を置いていっていいですよ、っていわれちゃっても選択肢が多すぎてこまっちゃうし、ついいつものクセで調性を感じさせてしまって古くさくてダサくなったりする。「んじゃ、あらかじめ音を使う順番を決めておきましょう、この順番で使ってください」みたいな約束事を定めると、そこそこ無調でいい音が鳴る、と。

まあそんなこと考えながら先生がおそるおそる作ってみたのがこの「三つのピアノ小品」作品25。

まあ12音音楽ってので想像するような無機的な感じもありますが、実はいろいろ有機的で同じモチーフ何回もつかったりまあいろいろやってる。

まあ実際には選択の幅を狭めただけなんすよね。「十二音技法を使っても作曲は簡単にはならない、むしろ難しくなる」みたいなことも先生は言ってるはず。わざと束縛をかけることによって音に対して慎重になるとかそういうのもあったんじゃないかな。

まあとにかくそういう事情なので、われわれリスナーはあんまり12音のことなんか考える必要はないわけです。12音がどういうふうに使われているかも意識する必要がない。せいぜい「この部分がテーマなのだろうなあ」ぐらいだし、どう発展されているかもわかればおもしろいだろうけどわからなくても別に困らんというか。

この曲はそこそこだけど、それほど名曲っていうわけじゃない気がしますね。シェーンベルクの12音音楽時代で名曲っていうのは「オーケストラのための変奏曲」と「ピアノ協奏曲」の2曲しかないんじゃないかと思ってます。特にピアノ協奏曲は名曲だと思う。(あとオペラ『モーゼとアロン』)

内田光子先生のが最高。

この曲は12音技法を発明してから20年近くたった1942年ごろの曲で、なんかナチスとかあれしてユダヤ人だったシェーンベルク先生はアメリカ逃げなきゃならんようになったりして、「馬鹿や邪悪な奴が多くて人生いろいろあるけどとにかく生きてかなきゃならんよね」みたいなプログラムがあるらしい。まあなんかわからんけど切実な感じはしますね。


無調音楽入門(7) ストラヴィンスキーもかっこいい

もちろんストラヴィンスキー先生もかっこいいです。『春の採点』じゃなかった『春の祭典』とかは有名だからおいといて、私が好きなのは「兵士の物語」とか「結婚」とか。なんか第一次世界大戦とかあって景気が悪くなってオーケストラとか使えなくなったので、少人数でできる音楽を作ったとか。

クラリネット、ヴァイオリン、ファゴット、トランペット、トロンボーン、コントラバス、打楽器とかなんかよくわからん。

ユーモラスでいいっすよね。

「結婚」はピアノ4台とコーラス、みたいな変な編成。

兵士の物語は1918年、結婚は1923年ですか。


無調音楽入門(6) バルトークはかっこいいよ

まあシェーンベルクがいろいろやってるときに有力だったのはドビュッシーのライン、ラヴェルやストラヴィンスキーのライン(ドビュッシーとラヴェルはぜんぜん違う派閥なのではないかと思います)、そしてバルトークのラインですか。

バルトークは好きなんすよね。なんていうか、ちょっとインテリのふりしたかったらiPodにバルトークの弦楽四重奏入れておいて通勤に聞くといい、みたいなそういうウケ。まあそういうかっこつけはおいといてもよい曲をたくさん書いてます。

今「中国の不思議な役人」とかいくつかの演奏バージョンで聞いてるけど、かっこいい。

まあこういうのはパソコンのスピーカーじゃうまくなならないので図書館とかでCD借りてみてください。金管楽器がブウブウ言うし弦楽器も暴れまわるし。

おそらくYoutubeにはバレエの動画もあると思う。

バルトークがなんぼ偉かったか、というのは、これ書いているときのお手本の一つにしている小倉朗先生の名著『現代音楽を語る』を読むとわかります。この本はすばらしい一冊なのでぜひ入手してください。1970年の本で、日本の作曲家たちがどういうふうに無調音楽とかを理解していたのかもわかる。

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無調音楽入門(5) 別に道もたくさんあったんだけど

しかしまあシェーンベルク先生みたいな方向しかなかったのか、というとそういうわけではないですよね。1890年ごろにはサティ先生とかワグナーっぽいものとはぜんぜん無縁な世界を作りだしてるし。

この曲は、ワーグナーのあのしつこいセックス、じゃなかった不協和音や調性を感じさせるためのドミナントや転調みたいなのとは無縁の新しい世界を作ってる。楽譜見るともう小節線さえなくてキレてる感じ。

シェーンベルク先生が作品11作った翌年ぐらいにはドビュッシー先生が「前奏曲集」出してるけど、そのなかにはいろいろ調性的におもしろい曲も多い。

この「ヴェール」っていう曲なんかは実は(真ん中の部分を除いて)はっきりした調性がない。全音音階ってやつをつかってる。

第1曲の「デルフォイの〜」なんかも新鮮な響きで、初めて聞いたときはすごい印象的だった。

もっと前にもどって、「牧神の午後への前奏曲」なんかロマンチックでワグナー的なところもあるけど新鮮な音がしますよね。

まあ他にもいろんな道もあったのをシェーンベルク先生は知ってたけど、なんか「ドイツ-オーストリア的」じゃないから却下だってことらしい。よくわからんけど。


無調音楽入門(4) 名曲誕生

んでシェーンベルク先生、「清められた夜」とか巨大オーケストラ使った「グレの歌」みたいなおおげさなものを捨てて、いろいろやるわけです。最初はピアノ曲みたいなものではじめて、2〜3年ぐらいすると大傑作ができる。

ヒントになったのはキャバレー音楽。

まあこれは1970年ごろのミュージカルだけど、雰囲気はこういうのがあったわけでしょうね。ケバい女性が数本の楽器をバックに歌っていやらしい、みたいな。映画『愛の嵐』はナチス期で時代が違うけどまあ似たようなのがあったんでしょう。

で、これを思いっきり歪ませるとこういうのができる。「月に憑かれたピエロ」(1912)。上の動画みたいな退廃した雰囲気を思いうかべながら聞いてみてください。

 

なんか悪夢見てるみたいですごいっす。こう、ワーグナーとか「清められた夜」みたいな美しいことは美しいけど大袈裟で鬱陶しくてなんか嘘くさいものからなんか脱皮してぜんぜん違う世界が広がっている。ああいうのは中世の神話だと、愛だの恋だのなんか女子どもの世界みたいだけど、こっちは汚い世界、狂った世界を歌います、みたいな。かまあこれはこれで嘘くさいんですが。20世紀最初の20年ぐらいのウィーンってのはもう虚飾の街みたいなところだし、こういうのがそれはそれで説得力あったわけですわね。フロイト先生とかそういう人々がセックスのことばっかり考えた時代でもある。キャバレーあたりに題材をとって、現実のあんまりきれいじゃない世界がデフォルメされてるわけです。

Youtube動画は楽譜もついているので見てみると、作品11のときはそれなりにまだ昔の音楽と同じような譜面の見た目になってますが、この作品なんかは拍子は変わるわメロディーが小節をまたいでるわごちゃごちゃしていて違う世界に入っているのがわかりますね。もうシェーンベルク先生は本気で19世紀的な音楽を壊しに行ってる。

シェーンベルク先生はここらへんで自分を確立している。誰の物真似でもないし、美しい。


無調音楽入門(3) 調性を拡張して美しい曲を作ろう

まあ「清められた夜」みたいなのをいくつ書いても同じようなもんですわね。芸術家というのはもっと新鮮なことがしたい、と思うんだと思います。

んで、んじゃカデンツとかキメたりして調性とかでつれまわすのやめて、もっと自由にやってみたら別の美しい音楽ができるんではないか、と。

「三つのピアノ曲」作品11っていう記念碑的作品の1番目の曲がこんなんできましたー、みたいな。1909年ぐらいっすか。うっすらリストのロ短調ソナタを短縮して密度高くしてみませした、みたいな雰囲気もある。

まあ「無調音楽」とかって言われるけど、こういうのは調性がないわけじゃなくて、調性を極端に拡張しているというか、ワーグナーの方向をおもいっきり進めるとこうなりました、ってことだと思うんですわ。

実はこの曲を書く1、2年前にシェーンベルク先生の弟子のベルクがピアノソナタ作品1ってのを書いてるんですよね。これは名曲なんよ。かなりギリギリだけどいちおう調性はある。すごいロマンチックな曲ですよね。シェーンベルクの作品11とどっちが先に書かれたか知らんけど、お互いに影響してるんでしょうなあ。ベルク先生はなんか天才で、シェーンベルク先生よりもメロディーとか作る才能があると思う。内田光子先生のがおすすめだけどYoutubeにないし、グールド先生のもよいのでそっちで。

 

名曲。こうロマンチックで内省的で。


無調音楽入門(2) どんづまっております

音楽にかぎらず、なにか新しいことをするのはたいへんだけど、一回だれかがやったことを分析して自分のものにするのは能力ある人にはそんな難しくない。
ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」(1865年初演)にはみんなびっくりしたけど、一回ああいうものができてしまえば、みんなそのライン上でいろいろ発展させることができる。
シェーンベルク先生は1874年生まれで、25才の1899年にはこんなすごい曲を書いている。「清められた夜」とか「浄夜」とかって呼ばれてる曲。作品4。もうなんというかよく鳴ってて熟練してる感じっすよね。すごい職人芸。マーラーの交響曲1番とかなんか楽器鳴らなくてたるいんですが、シェーンベルク先生は最初っから完成された作曲家なわけです。もうなんでも書けたんじゃないですかね。この程度の曲だったらいくらでもできます、でも簡単すぎますからつまんないです、みたいなもんだったんではないか。シェーンベルク先生は作曲も猛烈に早くて、作曲を教える授業なんかでは黒板でその場でばんばん書けてけたとかって話です。この曲は弦楽六重奏(あるいは弦楽オーケストラ)だけど、その次の作品5の「ペレアスとメリザンデ」はすごい大きなオーケストラを使ってみてます。まあそれもそんな苦労なく書けたんでしょうなあ。

でもまあ、この曲おおげさで私は正直あんまり好きじゃないです。あと、これ聞いて「新鮮〜」っていう人はあんまりいないんじゃないですかね。あと私自身は初めて聞いたとき、「どっかで聞いたことあるんではないか」とか思いました。美しい曲だけど、なんか完成されすぎていて、最初っから手垢がついている感じがあるんですね。

なんかこれはプログラムというかストーリーのある曲で、最初はロマンチックに恋人どうしが夜に語りあってると、女が泣き出しちゃって、なんで泣いてんのって聞いたら、妊娠してるんだけどあんたの子供じゃありません、みたいな。んで男の方が「まあそれでもいいですよ、生んでください」みたいなことを言う、という話らしい。わけわからんですね。最後の方が能天気な感じになっててもうなんか宗教にでもかぶれたみたいにハッピーなってて怖い。

こういう音楽のもつストーリー性ってのも興味があるところで、モーツァルトやベートーヴェン先生のころはストーリーなんかいらなくて「交響曲第7番」「ピアノソナタ30番」とかでいいわけですよね。ベートーベン先生のはタイトルついてたりするけど、あれは後の時代の人が勝手につけたもんだから本人はあんなタイトルとか要らなかった。別になんかのストーリをからめているわけじゃない。音楽だけで自分で立てることができるわけです。でも19世紀にロマンチックな表現を追求していくと、なんか音楽だけでは自立することができなくなるんすね。交響詩とかってのはそういうもんで、なんか物語を描写する形になっちゃう。

標題を抜いちゃうとどうなるかというと、たとえばリストのピアノソナタロ短調(1853年)ってのがあるんですが、これなんかも実は物語を描写してるんだろうけどなにが起こったのかはわからない、みたいになっちゃう。ちゃらららーん、ちゃちゃちゃちゃ、とかってなんでしょうね。なんか運命的ななんかなんだろうけど。

モーツァルトあたりはかっちりとした形式があったから、その形式が曲を守ってくれてた。でもロマン派の人はみんなでよってたかって自由を追求して形式を壊していったら、曲そのものが成り立たなくなりそうになっちゃう。オペラとかはまあ筋があるからいいけど、純音楽はあんまり自由だとなにやってるのかわからなくなっちゃう。19世紀後半にストーリーとかに頼らずがんばってたのはブラームス先生ぐらいではないのか。

まあそういうわけで、調性をあやつって聴衆の頭をぐらぐらさせるのは誰でもできるようになっちゃって簡単すぎて退屈してたし、音楽の独立性みたいなのもあやうくなってた、それが19世紀から20世紀のはざまだったわけです。


無調音楽入門(1) いきなり調性とは何かについて語る

無調音楽の話をするためには調性音楽がどんなものかっていう説明をする必要があるわけですが、まあふつうの音楽ですわね。

たとえばモーツァルトのピアノソナタ10番の第1楽章を聞いてみましょう。

この曲はハ長調(Cメジャー)のあかるい曲っすね。曲の構造はソナタですが、とりあえずくりかえしが入ってAABBという形になってます。
Aの部分は最初はハ長調で後半はト長調(Gメジャー)になって、ハ長調に対してドミナントでちょっと緊張感があるのね。Bの部分はト長調からはいってハ長調にかわる。(まあソナタ形式についてはいろいろ語りたいことがあるんですが、それはずっと先のことになります。)AとBをそれぞれくりかえしているので、
A弛緩-A緊張-A弛緩-A緊張-B緊張-B弛緩-B緊張-B弛緩、
っていうふうに曲が進んでいます。まあ「弛緩」とか「緊張」のなかでも和音があっちいったりこっちいったりはおこなわれているのであれなんですけど、まあそういうのは無視して見るとだいたいこんな感じ。この調性による緊張と弛緩の組合せこそが西洋音楽であり、ジャズやロックまで続いている調性音楽の核なわけです。

もう1曲、ベートーベン先生のピアノソナタ23番、いわゆる「熱情」の1楽章とか聞いてみましょう。

これはぜんぜん雰囲気違いますね。ヘ短調(F Minor)のはず。最初がびっくりしますよね。
Fマイナーでどーんどどーん、ってやってC-Fdim-Cってやって落ちつく、わけじゃない。落ちつかない。不安になったところで半音上のGbでデーンデデーン、って同じ音型だけど、すごく遠い調に連れていかれてるのでもう目がまわる感じがする。ここらへんでもう最初っから不安定な感じをあおりくるのです。あっちこっちにディミニッシュコードがつかわれていて不安不安。ワシ、この性欲をどうしたらいいんやろか、目がくらむようだ、犯罪者なるんちゃうやろか?みたいな。

まあモーツアルトのころは社会もまずまず安定しておりますが、ベートーヴェンの頃は革命とか起こったりみんな決闘したりでもうたいへんで。不安定だけど情熱的なのが求められたわけですわなあ。これを調性で表現している。

こういうのがロマン派の音楽で、これ以降シューマン先生やリスト先生とかがいろいろ和音で複雑なことをするわけですが、それが最高に逹したと言われてるのがワーグナー先生ね。ピアノ曲はないからまあトリスタン聞きましょう。

これはもう落ちつくことがないのね。不安定な調性がつみかさなってどこまでも登ってくみたいな。ずっと残尿感があるような。不協和でどうにもこうにも。私はどこへ行くのですか?みたいな。西洋人のセックスはあざといなあ、みたいな感じですよね。すごい。

あとこの曲、最初にちゃーらー……ちゃーらー……とかやったあとの「ドコっ!」って音がすごいですよね。エロいこと考えたときの心臓ってのはこういうふうに鳴りますわねえ。恋に落ちるってこういうことなのかしら。

この曲はおかしな曲で全体はBメジャーだと思うけどこの主音がちゃんと鳴らされるのは3時間にもなるオペラの最後だけで、それまでそのBメジャーをめざして延々宙吊りにされてきもちわるい。この序曲も最後落ちついた感じ、なにか解決したって感じじゃなくて「これからなんか起こるなあ」って感じでおわってるんじゃないかな。

まあ調性の魔術というかそういうのが西洋音楽なわけです。