デヴィッドボウイ先生とわたし(下)

→ デヴィッドボウイ先生とわたし(上)から

んでまあベスト盤とかで過去の曲も勉強したわけですが、ボウイ先生はえらいっすわね。まさにロック。

70年代を振り返って、ボウイ先生とかT-REXあたりっていうのは、「グラムロック」とかってくくりで、なんか女子ウケを狙ってるって感じで、男子にはあれだったんですわ。これ、いまとなってはわかりにくいかもしれないけど、中性的なイケメンがあんまり難しくないことをする、ってんでとにかく少女マンガの世界だったんよ。

でも曲はいいんよね。

こう、ものすごくシンプルなのに力がある。パンクロックとか先取りしてるっすね。でもそんな年がら年中叫んでなきゃならないわけではないし、テンポだてゆったりとってかまわん。

それにリズム的にもおもしろい、っていうか、このまえ、ジョージ・クリントン先生の自伝読んでたんですよ。『ファンクはつらいよ』っていうの。ジョージ・クリントン先生はパーラメントとかファンカデリックとか、P-Funkと呼ばれる黒人音楽の総本山の中枢というかプロデューサーというか、とにかくご本尊なわけよ。

クリントン先生はとにかく黒人音楽コミュニティではものすごく偉いんだけど、若いときは実は黒人音楽じゃなくてイギリスのロック聞いてたらしいんですわ。ビートルズとかストーンズとかエリック・クラプトンとか。これおかしいっしょ。んでラジオでクラプトンがブルースについて喋ってるの聞いて黒人音楽について学んだ、とか言ってんの。おどろいた。

んで、パーラメント(P-Funk)がブレークした1曲であるGive Up the Funkって曲があるんすわ。

まあものすごくファンクでかっこいい。ところがこの曲、ボウイ先生のFameのパクリだったと。

Mothership Connection第三の主要楽曲は、デヴィッド・ボウイのFameを聞いたときに閃いた。この曲がラジオから流れてきたとき、俺はチェンバーズ・ブラザーズからバンドに加入した新ドラマー、ジェローム・ブレイリーと一緒だった。これがGive Up the Fuunkに彼が共作者としてクレジットされている理由の一つだ。スタジオに戻ると、俺たちはビートをアレンジし、Gie up the Funkの中で再構築した。(p.174)

なるほど!っていうかたまげましたね。普通、ポップ音楽では、黒人→白人っていう影響関係ってことになってて、いつも黒人のほうが偉いんだけど、そうじゃないんよね。

ていうか、そういうことを知ると、ジョージ・クリントン先生が名盤マザーシップコネクションでやってる「宇宙からスターチャイルドが地球にやってきて」とかってお話は、ボウイ先生がジギー・スターダストでやってることなわけよね。

ボウイ先生のジギースターダスト
クリントン先生のスターチャイルド

とかなんとかってんで、ボウイ先生は偉大だなあ、みたいなの感じてましたわ。

あとまあ歌詞の面についていえば、HerosとかAbsolute Begginersとかもう最高すぎるわよねえ。君も僕も、1日だけヒーロになれますよ。1日だけだけど。でも誰でもヒーローになれる。シンプルで、これぞロックという歌詞。訳詞はたくさんあるから探してみてください。

というんで、ボウイ先生には本当にお世話になりました。さよならボウイ先生。


これものすごく面白いから黒人音楽ファンは必読。

デヴィッドボウイ先生とわたし(上)

デヴィッド・ボウイ先生の名前を知ったのはいつだったかわかりません。高校生のころには存在は知ってたと思うし、そもそも70年代の少女漫画に出てくる主人公はみんなボウイ先生だったし。

私自身がボウイ先生を本気でミュージシャンとして意識したときは覚えていて、まず、渋谷陽一先生のラジオで聞いたんですね。そしておそらくその数ヶ月後に、なんか受験雑誌か英語雑誌でLet’s Danceの歌詞についてのエッセイっていうか英語の説明みたいなのを読んだ。まあシリアスムーンライトがどうのこうの、レッドシューズがどうのこうの、とかそんな面倒なことは書いてなかったと思う。でもそういうの読んで興味をもって、レコード買ったんちゃうかな。6月か7月のはず。

そういう、歌詞の鑑賞の手引ってけっこう大事なんよね。音楽なんか大量にあるから、なんかひっかかるところがないと興味をもつってことは難しい。「へえ、そういう歌詞なのか、んじゃ意識を集中して聞いてみよう」みたいにしないと、心に響かないことは多い。そういうきっかけは、他人のごく個人的な話でもいいんよね。「へえ、この人そういう事情でこの曲好きなのか」「そんなふうに聞いてるのか、キモい」みたいなのでも趣味は広がることがある。私自身こういうのいろいろ書いてるのは、そういう文章を書いてくれた人々への恩返しみたいなところがあるんよね。

まあ当時は田舎の高校生で、田舎ではまだMTVとかやってなかったから、ラジオと文章はとても大事だったってのもある。いまはなんでもありすぎてよくわからんわよね。

んでレコード聞いてみて、とにかくLet’s Danceより、最初の曲であるModern Loveのドラムにしびれましたね。こんなかっこいいのがあるのか!オマー・ハキム先生ね。Let’s Danceの方はトニー・トンプソン先生。それにしてもドラムよすぎる。いろいろ細かいゴーストノートとか入れてこういう感じになってるんだろうけど、私の耳では聞き取れないですね。それにしてもかっこいい。

まあ「ナイル・ロジャースがプロデュースして」ってよく言われてたけど、私自身はロジャース先生が誰だか知らなかったし、当時の多くのリスナーは実はChicとか知らなかったと思うね。むしろこのアルバムでは、当時のロック系一般リスナーには、「スティーブ・レイ・ヴォーンがテキサスブルースギター弾いてる」の方が話題になってはず。まあテクニカルじゃないけどかっこいいですわね。

このアルバム、高校3年の春のやつで、大学入ってからも「モダンラブのドラムいいよなあ」とかしゃべってたのを覚えてる。しかし私にとってのボウイ先生はレッツダンスではないのですわ。大学1年の秋に「トゥナイト」が出て、これはすぐ買った。これはいかれた。

最初のLoving the Alienはロマンチックだし、Don’t Look Downのなんか下向いてる感じが、みんなきれいな服着て木屋町で遊んでるのに私はゲームセンターでバイトなんかしてる、みたいなのにあれしてね。

私のレゲエ好きはここらへんからも来てるんよね。

Tonightのポジティブさもいいし、God Only Knowsはビーチボーイズのおりじなるよりよい。もうこれのA面は最高。

聞いてください。

この1回生から2回生にかけての時期は、まだ外で酒飲む習慣とかもなくて、自分や友達の部屋でごろごろしていることが多かったんよね。1回生の冬はゲームセンターのバイトずっとしていて、大学の友達よりそっちの知り合いといるときが多くて、このアルバムとかも衣笠大学のやつと酒飲みながら聞いた記憶がある。まあ酒飲みながらだらだら話するっていうのは大事よね。大人になるとなかなか難しい。

(→ デヴィッドボウイ先生とわたし(下) へ)

ワム!の「ラストクリスマス」は失恋の歌ではない

ジョージ・マイケル先生(Wham! )は私ものすごく好きで、デビューアルバムのラブマシーンあたりから死ぬほど聞いて、Last ChristmasやCareless Whisperもリアルタイムで楽しみました。クリスマスには必ずLast Christmasが流れるし、テイラースイフト先生とか多くの人がカバーしているけど、この曲の歌詞、ちゃんと理解されてないのではないかという気がします。

一般的な和訳・解釈 → http://ryugaku-kuchikomi.com/blog/last-christmas http://xn--tfrt83ip2e.biz/1056

まあシンプルな英語だし、訳はこんな感じでいいと思うんだけど、ちゃんと注目すべきところがある。

Last Christmas
I gave you my heart
But the very next day you gave it away.
This year
To save me from tears
I’ll give it to someone special.

去年のクリスマスに一発やったけど次の日にはもう他人、というワンチャン・ワンナイトの歌なのははっきりしてますよね。そんで、今年はやり逃げされて泣きたくないから、「特別な人」とセックスするつもりです、という歌です。

しかしここでひっかかるべきなんすよ。someone specialってどういうことよ。「今年は誰か特別なひととしますよ」って、なんじゃないな。今年は「大好きな彼女/彼氏としますよ」ならわかるのに、「誰か」とするっていうのは、つまり、スペシャルなひとはまだいないわけですわ。

Once bitten and twice shy
I keep my distance
But you still catch my eye.
Tell me, baby,
Do you recognize me?
Well,
It’s been a year,
It doesn’t surprise me
(Merry Christmas)

一回ひどい目にあったから、今年は遠巻きにしておいります、でも君はやっぱりイケメンか美人かで僕の目をひくなあ。んで、「君、僕のことわかる?」ですよ。こんな異常なセリフを言う機会っていうのはあんまりないですよね。20年ぶりの同窓会とかであって、「僕のことわかる?」ってのだったらありですわ。でも去年のクリスマスにセックスしてるのに「僕のことおぼえてますか?まあ覚えてなくても、1年前だからしょうがないねえ」っていう関係って、どういう関係なんすか。

I wrapped it up and sent it
With a note saying, “I love you,”
I meant it
Now I know what a fool I’ve been.
But if you kissed me now
I know you’d fool me again.

なんかカードみたいなに「アイラブユー」って書いて渡すとセックスできるわけです。そういうのやって、去年はひどいめにあったけど、もしいま僕にキスしてくれたら、君はまた僕をひどい目にあわせることができるよ。つまり、いまちゅーしてくれたら、今年もセックスお願いするですよ、という歌です。

A crowded room,
Friends with tired eyes.
I’m hiding from you
And your soul of ice.
My god I thought you were someone to rely on.
Me? I guess I was a shoulder to cry on.

その場所はたくさんの人がいるパーティールーム、みんなお友達だけどコカインとかマリファナとかやばい薬とかもやっててみんなやばい目をしている。君は氷のように冷たい奴だ。去年は信頼できる人だと思ってセックスしたけど、君は僕を単なる寂しさをまぎらわせるセックスオブジェクトとしてつかいましたね。許しません。

A face on a lover with a fire in his heart.
A man under cover but you tore me apart, ooh-hoo.

ここはちょっとむずかしい。a man under coverは相手のことだろうと思う。業界でいういわゆる「クローゼット」かな。いやちがうな。

Now I’ve found a real love, you’ll never fool me again.

ここが一番のポイントでむずかしい。

一つの解釈は、「もうほんとうの恋人見つけたから、君にひどいめにあわされることはないよ」。でもあとで出てくるように、その恋人とは今年のクリスマスはセックスしないのです。

もう一つの解釈は、ここで見つけた「本当の恋人」っていうのは、実はこのyouなんよ。去年は遊びだったけど、今年は本気でセックスしようじゃないか、と解釈することもできると思う。あるいは強がりか。

Maybe next year I’ll give it to someone
I’ll give it to someone special.

ここを見逃してはいかん!いつのまにか、まあ来年は特別な人とするわ、になってるじゃないの!つまり、今年はけっきょく去年と同じように誰だかわからない君とチューしてセックスしてしますしますぜひやりましょう、特別な人は来年の話ということにして、今年はやっぱり君とカジュアルセックスセックスイエース、ワンナイで。

もうちょっと好意的に解釈して、去年は君は特別な人じゃなかった、今年もまだ特別な人じゃない、でも今日セックスして、来年までおつきあい続けて特別な人になってくれたらいいね、ぐらい。

まあつまりこの曲は、非常に華やかで性的に乱脈とされるようなパーティーで一発やることを歌っているわけです。まあ80年代ってそういう時代だったんよね。それがエイズ問題とかにつながるわけです。

ちなみにマイケル先生はワム解散して某事件をきっかけにゲイのカミングアウトする前に、自伝みたいなの出してるんですが、「ぼくらワムの頃はもててもててしょうがなくて、そういうのも好きだったんで目の前を動くものはなんでもf**kしてたよ」みたいなことを語っています。そんなロマンチックな人ではないのです。

自伝 裸のジョージ・マイケル
ジョージ マイケル トニー パーソンズ
CBS・ソニー出版
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ジョージ・マイケル先生はあとで(1996)、Fastloveっていう超名曲作ってるけど、そっちはもっとはっきりとそういう世界を描いてますわね。


その後、この本(良書!)でこの「ラストクリスマス」紹介されているのを発見しました。

英詞を味わう 洋楽名曲クロニクル
泉山 真奈美
三省堂
売り上げランキング: 749,188
ストーリー:1年前のクリスマスに、ずっと好意をよせていた女性の熱い思いを打ち明けた純粋で誠実な一人の男(=僕)、ところが彼女は、その日は僕に向っておもわせぶりな態度だったのに、翌日にはあっさりと僕の気持ちを拒絶してしまった。その時に被った心の傷を引きずりながら、1年後のクリスマスに僕は彼女と再会し、「もう君に未練はない」といいたげに強が手見せるのだが、それでも心は揺れ動く。僕にとって、クリスマスは苦い思い出の日にほかならないのさ。 (p.332)
っていう泉山先生の解釈なんですが、ちょっとちがうと思いますね。でも読んでみてください。

テイラー・スウィフト先生は好みではない(ファンのひとはごめんなさい)

ask.fmでカミーユ・パーリア先生がテイラー・スイフト先生をディスっているという話を教えてもらい、3曲ほど聞いてみました。たしかにこの方はちょっとあれねえ。

最初に聞いたのはI shake it off。他人がなんと言おうが関係ないわ、私は好きに踊り続けるわ、ってな曲。

その主張自体はよい。我々は人にかまわず踊り続けるべきだ。踊りましょう。音楽的には、歌詞のshke shake shakeとかの繰り返しがおもしろいね。でも歌詞は凶悪で、世界は私と悪者(いつまでも同じままのヘイターやハートブレイカーやフェイカーたち)によって構成されています、みたいなのってちょっと受け付けられない。

バレリーナのシーンとかとかスタント使ってるわねえ。っていうか踊れないなら踊れないでかまわんし、むしろ最後のシーンのように「私はちゃんと踊れないけど、それでもOK」ってのなら、スタント使う必要ないのではないか。あと、いつまでも「I」shake if offであって、途中でcome onとか呼びかけてるのに最後も一人だけってのが気に入らない。

次に見たのがWe are never ever getting back。これは私淑する細馬宏通先生がコメントしているってんで、それ読む前に聞いた。

これもいかん。こっちは音楽的にはあんまりおもしろいところはなくて、イントロのギター、単にミュートするんじゃなくて機械的に切ってるのが耳を引いたけど、それくらいか。

歌詞の内容は私には最悪に思える。まあ細馬先生の聞き込みは大筋で正しいと思う 1)We will rock youは聞き取れないし、すぐあとで書くようにこんなものがガールたちのアンセムではありえないけどね。ビヨンセのRun the Worldの堂々とした勝利の響きとくらべてほしい。 。この曲は別れの歌ではない。そもそも、本気で別れるつもりのときに「絶対ぜったいぜったいヨリもどさないからね」とかって言うはずがない。「我々は終わってます、ピリオド」でなければならない。ネバーは1回でよろしい。「ぜったいぜったいぜったいぜったいより戻しません」って増やせば増やすほど説得力がなくなる。もし2回いうとしてもネバーエヴァーじゃなくてネヴァネヴァネヴァネヴァでしょ。

こんな歌、けっきょく女の「ノー」どころか「ネバー」でさえネバーじゃなくて「イエス」やむしろ「カモン」だ、って言う歌じゃん。それでいいんかね。

男子がなに気に触ることしたのか知らんけど、スペースを必要とする人がいるのは確かなことだし、なんか言っただけで「私が正しいの!」って叫ばれたら、ヘッドホンして好きな音楽聞くくらいしかないじゃんよ。わめく女は殴ればいいって話じゃないでしょ。

You talk to your friend talk to my friend talk to me、のところも(詞の作りはおもしろいけど)よくわからなくて、男子って元カノのことを友達にそんなしゃべるかな。もし仮に「ヨリを戻したいから口きいて」ってのがあるなら(ないと思うけど)こういうんじゃなくて女子の友達に直接頼むだろうし、悪口であればまあしょうがない気がするけど男子は女子ほどそういう話はしない気がする。まあせいぜい「ひでー女だったからね」ぐらい。女子はいろいろ事細かに話す傾向もがあるかもしれないけど。なんかおかしい、っていうか男子の行動を理解してない気がする。まあでもいろいろあるんだろう。わからん。さっきの「あんたがケンカ売ってきて」you picking fightsのところと同じように、自己中心的な感じがする。

「あんたとは別れました」とか言ったそのだらしないパジャマ姿のままで、友達に「あのひとまだ私のこと好きなんだって、でもうんざりしてるの」とかノロケなのかなんなんだかわからんこと喋ってるのも許せん。これが21世紀のエンパワされたガールなのか。

最後見たのはBad Bloodで、これもひどい。

最初っから(理由なく?)腕折ったりしていて、ものすごくネガティブになる。このPV見て好意的な評価をするのはものすごく難しい。なんで殴り合ってるのわからんし、歌詞も憎悪に満ちている。女性が物理的に戦ういろんな映画のパクリだらけだけど、それに対するオマージュみたいなのが感じられないよ。せめてテレビ1台出して、最初は自信なかったけど、映画に出てくる強く戦う女性たちからエンパワしてもらいました、ぐらいの敬意は表してほしい。もっと練習して格闘シーンはそれらしく見せてほしい。これじゃ女の子の演芸会かキャットファイトやアマチュア泥レスリングじゃん。それに映画のヒロインたちはだいたい憎悪以外のちゃんとした理由があって戦ってるけど、これは単なる個人的な憎悪だけに見える。ケンドリック・ラマー先生もなんでこんなPVにからんでるんだ。がっかりしました。これやばいっしょ。いくら嫌いだって、ライバルや論敵を「bad blood」呼ばわりするとか、そらパーリア先生怒るわよ 2)ナチを引き合いに出したのはどうかと思うけど。bad bloodの意味はこうか

前エントリのビヨンセの、最新の3)あれは南アフリカあたりのダンスなのね。 鍛え上げられた踊りや、自己を主張する覚悟や、考え抜かれた戦術や、他の女性との連帯感みたいなのと比較したら、たしかに退行的だって思います。こういうのがガールの理想であってほしくない。

でも好意的に解釈すれば、右派左派に分かれてしまったと言われているアメリカについて悲しみ歌ってる曲ってことになるかなあ。でももっと希望あっていいじゃんよ。ファレル先生のハッピーみたいなとはいわないまでもよ。

前2曲も好意的に解釈すれば、とにかく私は私の我を通します、ってんで、それはそれで敬意に値するかもしれない。でもそう聞くのはなかなか私には難しいです。PVもう少し上手く作ってくれたらちがったかもしれない。


んで、パーリア先生オススメのレスリー・ゴーア先生のIt’s my party聞いてみましょう。

ははは。いいじゃないっすか。歌詞と簡単な解説はこちら。私のパーティーなのに、私のジョニーは馬鹿のジュディーとこっそり外出ていってエッチなことをしている、私のパーティーなのに許せない、私泣いちゃうわ。私大声で泣くわよ私のパーティーなんだから。あなただってそういうときには大声で泣いていいのよ。

パーリア先生が、この歌には社会的主張とガールの心理についての、より深い洞察が含まれていると主張するのも理解できますなあ。


まあこのエントリ、私自身ちょっとネガティブになりすぎましたね。だって理由なく腕折るんだもん。あれでOKなんてないわよ。

References[ + ]

1. We will rock youは聞き取れないし、すぐあとで書くようにこんなものがガールたちのアンセムではありえないけどね。ビヨンセのRun the Worldの堂々とした勝利の響きとくらべてほしい。
2. ナチを引き合いに出したのはどうかと思うけど。
3. あれは南アフリカあたりのダンスなのね。

ファレル先生のBlurred Linesは危険な歌(R18)

ついでだからもう1個音楽の話。

私は情報に疎いので数年遅れてヒット曲を聞くことが多いのですが、今年聞いて一番イカれたのはRobin ThickeのBlurred Linesかな。この人に「先生」がつかないのはあんま好きじゃないから。イケメンだし。敵。

まあ音楽もいいけど、PVがものすごくセクシーですわね。特にエミリー・ラタコウスキー先生はものすごいエロチックキャピタルで、昔のナスターシャキンスキー並ね。演技できるかどうか知らんけど。とにかくこんなPV見せられたらひとたまりもない。

このBlurred Linesはセックス哲学的にいろいろおもしろいところがあるんですわ。まあ日本でも今年たてつづけに数件事件が起きてるけど、何回もこのブログで書いてるように、アメリカの大学でも女の子を酔っ払わせてレイプする、とかって事件は多いわけです。このBlurred Linesはそういう文化(「レイプ・カルチャー」)を背景にしていて、まあ「楽しく飲んでセックスしようぜ、セックスさせてくれる君は「いい娘・グッドガール」ってな曲なわけです。あ、歌詞はこの方が訳詞してくれてる。えらい。

いかにもデートレイプやパーティーレイプみたいなのを連想させる歌詞なので、イギリスの大学とかでは学内放送で流すのを禁止した、みたいなニュースが流れてるんね。

https://www.theguardian.com/music/2013/nov/12/robin-thicke-blurred-lines-banned-another-university

曲を作ったファレル・ウィリアムズ先生(こっちは「先生」)自身は、そういう歌じゃないよって弁明している。

http://www.independent.co.uk/arts-entertainment/music/news/pharrell-williams-defends-blurred-lines-the-song-came-from-a-decent-place-9801336.html

まあこれは微妙ねえ。そういうの好きな人々は男女問わずいるかもしれんしねえ。よくわからん世界だけど、ネット見たり、話聞いたり、クラブとか行ってみると、たしかにあるようだ、っていう予感はありますね。

今日はまあそれについてなんか書きたいわけじゃなくて、このPVの作り方とラタコウスキー先生についてあれしたいんだけど、他の二人はともかく、ラタコフスキー先生の演技は、これは人間ではないわよね。むしろセックスロボット・アンドロイドとかを真似てる感じ。エロ心を刺激するっての以外の感情や思考みたいなのを感じられない。ほかの二人はまだ人間らしい。

ちょっっと前にオーストラリアの偉い哲学者が来て、飲み屋でセックスロボットとセックス哲学の話をしたんですが(講演は出られなかった)、「日本には昔からセックスロボット、セックスアンドロイドの歴史があるよ」みたいな話したんですわ。石ノ森章太郎先生の『セックサドール』と、松本零士先生の『セクサロイド』ね。特に松本先生のはけっこう読まれたんちゃうかな。もちろん、『宇宙戦艦ヤマト』と『銀河鉄道999』で我々の世代に与えた影響はでかい。小学生・中学生、どうしても読んじゃうわよねえ。あれはいかんかった。ははは。松本先生北欧〜スラブ系の女子好きだから、PV見てすぐに連想しちゃいました。うわメーテル、じゃなくてユキやシヌノラだ。

セクサロイド(1)

セクサロイド(1)

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まあそういう男のファンタジーみたいなのをこのPVはものすごくうまく刺激していて、脳味噌のどっかを局所的に刺激されているような感じがする。ほとんど暴力か洗脳。モデルもすごいけど、PV自体がすごいテクノロジーに支えられてる。誰が作ったのかというと、これが女性でダイアン・マンテル先生って人なのね。ダンスの振り付けとかもしてるのね。すごすぎ、っていうかSex Sellsっていう原則を隅から隅まで知りつくしている感じ。

R-18バージョンもある(「Blurred Lines unrated」でyoutube検索)けど、18才未満とエロが嫌いな人は見てはいけません。同じようなのもんだけど、私はRestrictedバージョンの方ができがよいと思う。

まあそういうんで、この曲がレイプカルチャーを代表するかどうかはわからんけど、性の商品化や女性のモノ化みたいなのを表現しているのはそうなんだと思う。とにかく、あえて人間じゃないんだもんよ。私にはそう見えるね。

まあこの曲聞いたときはロビンシック先生はイケメンすぎていやな感じだと思ったけど、でもやっぱり過去のマーヴィンゲイやジェームズブラウン先生たちをリスペクトした名曲だな、とか思った。んでファレル先生聞いてみると、この人はほんとにすばらしいミュージシャンなのね。

この曲にはほんとうにイカれた。おれたちそれぞれいろいろあるけど、ハッピーだから手を叩こうぜ。これほど過去のR&B作品とポジティブなその他の文化、特に黒人音楽に対するリスペクトが感じられる曲はめったにない。

ものすごいプロダクションの成果で、正直一日中何回も聞いてられるし、そういうサイトもある

次の曲も、単に女の子酔わせてセックスしよう、って曲じゃないね。アリシアキーズ先生がフィーチャーされてるけど、歌詞もすごくいいので調べてみてちょ。

和訳はここ。えらい。

Vol.4 強く働く女性へ向けた応援歌。『Know Who You Are / Pharrell Williams feat. Alicia Keys』

まあこういう曲の影響で、どうしてもファレル先生には甘くなりますね。ロビンシックはどうでもいいけどファレル先生には逆らえない。

まあそんなこんなで、性の商品化とかポップカルチャーとかおもしろいなあ、みたいな最近。


追記。

これ忘れてた。こういうパロディーがけっこうある。

ビヨンセ先生のRun the Worldはセックスワーク/エロティックキャピタルの歌

数日前、ビヨンセ先生のRun the WorldのPVを見る機会があって、圧倒されました。昔の曲だし、かなり売れたので、一部は聞いたことあったはずだし、それに合わせてダンスする日本の女子たちも何回もみている気がするんですが、だいたい通りすがりで見るだけなので、「ドラムだけのへんな曲だなあ、私自分では黒人音楽好きだとか言ってたけど、こういうのはもうついていけないな、もう老人だから」みたいに思ってた。集中して聞いたりPV見たりしたことがなかった。しかしこれすごい曲じゃないっすか。

歌詞の和訳は http://ameblo.jp/daruma-korokoro/entry-11619444505.html この方が試みていて、えらい。そんなすぐに分かる歌詞ではないので、英語得意な人がこういうのやってくれるのはありがたい。

ただ、Who run the world – Girls!のところは、現に誰が動かしているのか、って意味だったら Who run_s_ the worldになりそうで、文法的には仮定法とか叙想法とか言われてるやつなのではないか、つまり、「誰が動かしているですか」ではなく「これから誰が動かすべきなの?」「ほんとうは誰が動かすの?」みたいなのではないか。という気がするけど、これから偉い人に質問する予定です。「世の中動かすのは誰だ?」「ガールだ!」ぐらいか。うしろでもgilrsが世界をtake over引き継ぐって歌ってるしね。でもまだちょっとわからん。

まあそれはそれとして、名曲っすよね。歌詞の内容は日本では女性を応援するものだ、ぐらいに解釈されているみたいで、それはそうなんですが、内容とPV読めば、まずはセックスワーカーを擁護する歌ですわね。エッチな格好をしてPay Me! っていってるし。テキサス・ヒューストンって地名が出てくるけど、ここはなんか売買春は盛んだけど差別もひどいところなんかな。去年(2015)もセックスワーカーの人々が大量逮捕とかされてるし。

まあもちろんセックスワークに限ったことではなく、(どんな方法であれ)自分でお金を稼ぐ女性をちゃんとリスペクトしろ、って歌ね。

だいたいこの曲は、ミリタリーとトライバルをあわせた暴力的なビートの上でCm、というかCmのキーの上でフリジアンという短調系のスケールの上で動いてアジりにアジってて、ちょっとだけ出てくるコーラスや薄い和音も、マイナー系がおおいんですが、何回聞いても感動するのが、4:20のところでいきなりAb – Cという堂々としたドミソが響くところね。これは音楽理論的にどうなってるのか詳しくは知らないけど、それまでの、打楽器中心の戦闘的で暴力的な展開からするとものすごく意外で快感がある 1)このAb-Cっていう3度飛ぶやつはモーダルインターチェンジとかって技で、ジミヘンやドアーズあたりのロックではけっこう多用されてるんですが、こんなに効果的なのは聞いたことがない。 。ベートーベン並の完全な勝利の響きで、そこでガールズたちが飛び跳ねてるのもすばらしい。歌詞の内容に対する賛同の有無はともかく、ものすごく力がある。

ちなみに最後は男子への敬礼でキメてるんだけど、これは「あんたらが我々をちゃんと扱うなら、我々もあんたらをまともに扱うよ」ってな感じっすかね。この敬礼がないとたしかになんか締まらなくて、ライブでも必ずやってますね。まあ時代的にPVに描かれている警察・機動隊だけじゃなく、中東の軍隊や暴力の話も裏にはありますよね。

まあ実は個人的にはこれに感心する下地があって、今年一番影響を受け目からウロコが落ちる思いをしたのは、キャサリン・ハキム先生という社会学者の、『エロティック・キャピタル』という本なんですわ。「すべてが手に入る自分磨き」ってなんじゃないなってんで誰も手に取らないかもしれないけど、実はちゃんとした社会学の本。

エロティック・キャピタル すべてが手に入る自分磨き
キャサリン・ハキム
共同通信社
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これは、社会ではエロティックな魅力っていうのはものすごく重要だって主張している。容姿、化粧やファッションセンス、動作その他のセックスアピール、社交スキル、明るさ・快活さ、セックスのうまさといった資源(資産)をもっているひとは社会的にものすごく成功する。そして当然のことながら、そうしたエロティックな魅力っていうのは、男に比べて女の方がはるかに多く持っている。

男は女のエロティックな魅力や能力に圧倒されていて、歴史的にはそれを社会的に抑えつけるような制度を作ってきた。典型的にはセックスワーカーにたいする差別・侮蔑というのはそういうところから来ている。まあそうやって搾取もしている。女がエロティックな魅力を自由に使えたら、男とかひとたまりもないもんね。言うなり。

個々の女性を見ても、自分のエロティックな魅力を磨き活用している人々(典型的にはセックスワーカーや接客業)は、そうでない人々より自己評価が高いし、男女平等を信じ、また奥せずいろんなタイプの人間と堂々と交渉することができるようになるそうな。

ハキム先生は、従来のフェミニストは、男性の女性嫌悪というかエロティックキャピタルに対する抑圧をそのまんま内面化しているから有害なところがあった、そうしたセックス嫌悪・エロティック嫌悪みたいなのは捨ててしまえ、みたいな議論をするわけです。まあいろいろと面白い本なので、フェミニズムやセックスや社会に関心ある人はぜひ読んでほしいですね。

まあそういうんで、そういうの考えながら聞いたこの曲ってのはまさにエロティックキャピタル満開ですごいな、それの歌なのだな、とか。ハキム先生の本は2010年なので、ビヨンセ先生読んでるかもしれないし、まあ読んでないとして、そうした女性のエロ能力を解放して自立して世界を支配しようっていうのはまあすごい。ビヨンセ先生がフェミニストかどうかというのはかなり重要な話題のようですが、私はやっぱり21世紀のフェミニストなんじゃないかと思う。エロティックキャピタルとかセックスワークとかについては、国内でももうちょっと議論が必要だな、みたいな。

ハキム先生の本についてはこれからいろいろ言及することが増えると思います。日本でももっと読まれるべき本だと思う。もちろん批判もしたらいい。

ライブもプロジェクション使っててかっこいいよ。

References[ + ]

1. このAb-Cっていう3度飛ぶやつはモーダルインターチェンジとかって技で、ジミヘンやドアーズあたりのロックではけっこう多用されてるんですが、こんなに効果的なのは聞いたことがない。

川谷絵音先生はおそらく鬼畜です

川谷絵音先生っていうのは去年の紅白のゲス乙女のパフォーマンスではじめて聞いて、すごい強い印象を受けてCD借りて聞きましたが、ものすごい天才っすね。もう夢のようにすばらしい曲を書くし歌はうまいし。

最近女子大生の人と話す機会があり、おすすめの音楽を教えてもらったらindigo la endとかってことで、「ゲスの曲は暗かったりするけどインディゴは爽やかな感じ」とかいってて驚きました。爽やかっていうのとはちょっと違うんじゃないかと思う。代表曲を使って歌詞読解してみたい。

一度だけあなたに恋をした
たったそれだけの話です

その人は女子大生なのでわかりにくかったかもしれませんが、歌で時々でてくる「一度恋をする」っていうのは単に「いいなあと思った」って意味ではないですわね。こういう1回2回って数えられる恋っていうのはもっと肉体的なもの、むしろ1回だけmake loveした、とかそういう意味っすわ。いわゆるワンチャン、ワンナイト。

僕は星の数ほどの記憶を
忘れそうになっては思い出す

1回だけなのでこの「記憶」はその相手に関する記憶ではない。「僕は星の数ほどの人とエッチな記憶があって、あんまり数が多くてすぐに忘れちゃうんですが時々思いだします」の意味です。

バイトのユニフォームの
ポケットから出てきた
何てことない手紙であなたを好きになったんだ

この「バイトのユニフォーム」がちょっと微妙なんですが、ポケットからなんからの紙が出てきて、たいしたこと書いてないらしい。それは本当に手紙だろうか。

解釈(1) 女子はなんか電車とかでバッグに電話番号書いたメモ投げ入れられることがあるっての聞いたことがあります。居酒屋とかのモテモテバイトのエプロンのポケットに、「つきあってください」とかって手紙がはいっていた。これ女子だったらありそうだけど、男子はありそうにないっすね。まあそれに「なんてことない手紙」ではないだろうし。

解釈(2) その手紙の内容は「今日は楽しかったです。また来てください」みたいな名刺みたいなやつである。私あんまりもらったことないですが、ガールズバーとかキャバクラとかそういう場所ではそういうの帰り際に渡すらしいじゃないですか。

甘い夕景が包む空気で
だんだんと忘れていた言葉思い出したよ

夕方その手紙を見て、昔1回そういう関係になった女子のことをおもいだしつつあるんですね。

潤った愛す声で/夢から覚めたら恋をして
夜明けの街であなたにサヨナラを/歌った
潤った愛す声で/夢を潜って溺れた
夜明けの街はいつだって/あなたを隠してる

「潤った愛す声」っいうのはものすごくエッチですね。まあその女子とのエッチな行為を歌っている。「夜明けの街でサヨナラ」なので、おつきあいは夜っていうか深夜っていうか。「夢を潜って溺れる」とかってのもなんか水っぽいというか汁っぽいというかいいねえ。夜明けの街はあなたを隠している。この女子はいつも夜明けの時間帯にどっかで行動しているわけです。あるいは待ってるのか。

涙落ちる音がレコードを擦り切れさせたって
冗談を言いながらハンモックに揺られる老後でも
あなたを思い出し
また会おうと考えて
くだらない理由をつけてこのまま眠りにつくのかな

「涙」もも水っぽいですね。
「あなたを思いだしまた会おうと考えて」、つまりその夜に活動している女性にもう一回会いに行こうかと思ったけど、「くだらない理由」、たとえば「今日はお金がないなあ」とか「眠いからいいや」とかそういう理由で寝ることにしたわけです。

甘い夕景が包む空気で
だんだんと忘れていた言葉思い出したよ

……

甘酸っぱい世界で僕はあなたに恋をした
傾く夜を尻目に今日も会いに行く

この相手と会ったのは甘酸っぱい世界
甘い夕暮れから夜が傾くときに会え、夜明けの街でサヨナラするのです。

潤った愛す声で
夢から覚めたら恋をして
夜明けの街であなたにサヨナラを
歌った
潤った愛す声で
夢を潜って溺れた
夜明けの街はいつだって
あなたを隠してる

まあそういうわけで、ぜんぜん爽やかではなく、星の数ほど遊んでる人が、ナイトワークの人と、一回恋をした、という曲ですね。それにしても名曲。

でもまあこういう解釈すると、好きな人の一部は怒るかもしれません。怒らないでー。もっと別の解釈もあるかもしれんし。そっち正しいですよ。

歌詞のダブルミーニング、そしてトリプル:「雨あがりの夜空に」の場合

まあ、昨日「君の名は希望」について書いてみたように、私趣味で若い人々に歌詞の解釈を示して鑑賞のしかたを教えてるふりしつついろいろ押しつけてみたりするのが好きなんですが、歌詞が幾通りかの解釈ができるようにする、ダブルミーニングって技法はまあ作詞の基本ではあるわけです。これあんまり意識してない人は多いようですね。

私が若い人にそういうの教えるときに一番わかりやすい例として使うのは、RCサクセションの名曲「雨あがりの夜空に」ですね。ものすごい古い曲だけど。

(雨上がりの夜空に動画)

歌詞は http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=36578 あたり。表面的には、ポンコツの愛車が動かなくなってしまって困った、また愛車に乗ってぶっとばしないなあ、ですわね。

私この曲ラジオもついてる大型バイクの曲だと思ってましたが、いちおうキヨシローの当時の愛車の日産サニーであるということらしい。実は私の最初の車も東北電力でこきつかわれてからいったん廃車された日産サニーでした。友達に貸したら事故られてぽしゃって阿弥陀様のところにいってしまった(友達は運よくほぼ無事)。お浄土で楽しくやってるかい俺のサニー。

でもこの曲には当然すぐにわかる裏の意味があって、彼女とのうまくいかない関係を歌っている。知恵袋でこんな質問がありました。「 「雨あがりの夜空に」とかいう曲、女性をなんだと思ってるのですか」

まあこの曲は、女性に乗りたい曲なわけでもあるわけです。俺のバッテリーはビンビンだからいつものようにキメてぶっとばそう。そりゃ時々ひどい乗り方したけどおまえはそれも楽しんでたじゃないか。こんな自堕落な生活は続かないとかっていってお前は去って行こうとするけど、まだまだ楽しめるじゃないか。おまえについているラジオのつまみ(2個?)をまわすと感度ビンビンでどこまでもいい音させるぜ。あー、今日は発車したいぜ。

これではまあいまどきの時代状況においては、女性怒るかもしれませんね。まあ時代も時代だし、こういう男っぽい、男性中心な勝手でだめな愛と性欲のを歌うっていうのは、黒人音楽の由緒正しい伝統である。男くささ、ブルースとソウル音楽へのリスペクトをこめて、あえてこうつくる。

でもね、この曲はそれだけじゃないんよ。RCサクセションの歴史を見るとわかると思うけど、このバンドはキヨシローが中心とはいえ、貧乏なときからがんばってきて、もう解散しよかってときに井上陽水の「氷の世界」に「帰れない二人」を提供してなんとかそれで食いつないで、売れるためにフォークグループからエレキバンドになったりして、ものすごい苦労しているわけですわ。

その途中で数人のメンバー、特に1977年に破廉ケンチを脱退で失なっている。そのあとだんだん売れ出すのね。雨あがりの夜空には1980年に発売だけど、そのころの別れのことを歌ってるんだって私自身は思ってる。

若いからライブや打ち上げ飲み会でひどいノリかたしたりでどろどろ。貧乏ななかでバンドやってても、「こんなこといつまでも長くは続かない、いい加減明日のこと考えたほうがいい」ってどうしても考えちゃう人はいるわね。明日の見通しもなくて生きられる人は少ない。でもキヨシローは「おまえまでそんなこと言うのか、おれらロックするんじゃないのかソウルはどこいったんだ」ってやったんだろうねえ。バンドなんとか続けようじゃないか、もうい一回ライブしようじゃないか、おまえがいなくなったあとにおれたち少しは売れてきてるぜ、おまえといっしょにやれなくて本当に残念だ、なんでいっしょに続けてくれなかったんだ、そういう歌だと理解してます。でもエロもいい。やっぱり女にも乗りたい。

歌詞っていうのはそういうふうにできている。

そういや、みうらじゅん先生の『アイデン&ティティ』は、そういう感じのだめなバンドマンを描いたロック漫画の最高峰だから必ず読むように。

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乃木坂の「君の名は希望」は悲しい名曲(あるいは最高のキモ曲)

戸谷洋志先生という若手の哲学の先生が『Jポップで考える哲学』っていう本を出版されたので、ポップ音楽大好き哲学ちょっと好きとしてさっそく読んでみました。歌詞の分析ものは好きなんよね。流行音楽の歌詞使いながら、大陸系の哲学っていうか実存主義系の哲学を紹介していく、っていう趣向で、そういう哲学に興味ある人はぜひ読んでみるといいと思います。選曲がなるほどって感じで(私の好みとは違うけど)おもしろかったです。

こういうのは実際にその音楽聞いてみないとなんないのでそれぞれ聞いてみているのですが、乃木坂の「君の名は希望」っていうのは驚くほど名曲でしたね。アイドル関係ぜんぜん知らなくて今回はじめて聞いたんですが、とても強い印象を受けました。ツイッタでつぶやいたら、数人「それ評判の名曲っす」みたいな反応してくれて、なるほど。

非常に感心したので、私なりになにを聞いたか、っていうのを書いてみたい。

歌詞はここ。 http://j-lyric.net/artist/a0560d3/l02c306.html

僕が君を初めて意識したのは
去年の6月 夏の服に着替えた頃
転がって来たボールを無視していたら
僕が拾うまで
こっちを見て待っていた

これが中学なのか高校なのか、っていうのがまず興味深いところですね。どっちがいいんですかね。私は最初中学生2年か3年かって思いました。

制服が夏服になったってことなんでしょうけど、これ男子的にぐっと来るところがあると思うんですわ。女子高生の制服好きでしょうがない、とかって先生がネットで話題になってましたが、まあそういうの抜きにしても、夏服になると女子の体の線とかが下着とかがわかりやすくなってあれだ、っていう人はいるでしょうな。中学1、2年生男子ってそういう感じ。女子から見るとここらすでにキモいかもしれないっすな。

ボールがなんのボールかってのもよくわからないけど、すぐあとにグラウンドの話が出てくるから、ソフトボールぐらいっすかね。その場合は女子は制服じゃなくてユニフォームなる気がする。あるいは外や屋上でバレーボールとかしてたのかなあ。いやまあソフトボールぐらいで。テニスだと「コート」になるわね。

この「拾うまでこっちを見て待ってた」っていうのをどう解釈するかが最大のキーですわね。「すみませーん、お願いしまーす」、顔見知りだったら「ごめーん」ぐらいがふつうだと思うんだけど、そういう声がかからない。「こっちを見て待ってた」って本人は理解しているけど、キモくて近づけないのかもしれない。

しかし女子っていうのはもう一方のタイプがいて、男子は自分の言うことを聞くのが当然である、のような態度をとる人も少数ですがいますわね。なんでさっさと拾わないのよ。拾うまで睨んでやる。エヴァンゲリオンのアスカみたいなタイプ。どっちなんかね。私はアスカ連想しました。

透明人間 そう呼ばれていた
僕の存在 気づいてくれたんだ

この少年は非常に気が弱いし、なにも目立つところがない。なにか特別なところがあればとりあえず透明ではなくなるからね。口数少ないし、なにより友達も少ない。っていうか友達いないんちゃうか。なぜ友達いないのにグラウンド(あるいは屋上か)に一人でいるのか。

暑い雲のすき間に光が射して
グラウンドの上
僕にちゃんと影ができた

これすばらしいですね。秋元先生は天才的だと思う。私雪国で育ってて、雪国では冬の間は影がなくなっちゃうのね。曇りが多いし、雪の上では影はっきりしない。雪の乱反射が、太陽の光より強いからか、影できてもくっきりしないんよ。中学生のときにはじめて2月末ぐらいに東京に行ったら、雪がなくて影があってものすごい新鮮でしたね。「おう、久しぶり」みたいな。

この歌詞では、上の戸谷先生が指摘しているように、ボールをはさんで女子に「そこにいるな」って思ってもらうことによって、透明人間じゃなくなってはっきりした影のある人物になったわけですわね 1)ただ、最初この歌詞聞いたときにはわからなかったけど、ここは仕掛けがあるかもしれなくて、「影」は「陰」(かげ)でもあるかもしれない。表も裏もある人間になったとか、邪悪な欲求に目覚めたとか。ははは。でも恋愛ってそういうところあるじゃないっすか。ないっすか。まあ「ちゃんと」影ができたんだからまあふつうに解釈した方がいいっすね。 。でももし女子がアスカだったら、名前もなにもおぼえてないでしょうね。ただのその他大勢の名無しの下僕の一人。

いつの日からか孤独に慣れてたけど
僕が拒否してた
この世界は美しい

ここ見るとまあ中学生じゃなくて高校生なのかな、っていう感じもします。ゲーテのファウスト先生っすね。この「世界は美しい」って感じいいですよね。あれじゃないすか。秋冬に調子悪いときは灰色に見えてるけど、初夏とかで調子あがってくると山の緑とかがぐっとものすごく鮮かに見えたりするじゃないっすか。そういう感じ。

こんなに誰かを恋しくなる
自分がいたなんて
想像もできなかったこと
未来はいつだって
新たなときめきと出会いの場

ポジティブでいいっすね。ところがこのあとの

君の名前は「希望」(きぼう)と今知った

が気になりますね。ふつうはノゾミさんだよねえ。そして「今」ってのはいつなんだろうか。これが最大の謎。

わざと遠い場所から君を眺めた
だけど時々 その姿を見失った
24時間心が空っぽで
僕は一人では
生きられなくなったんだ

まあ遠くから見る感じね。憧れの女子。でも、時々遠くから見てうれしい、って思うんじゃなくて、四六時中(っていうか「24時間」)じーっと見てて見失うわけっす。ちょっとあれですね。おそらく一言も会話したことさえないんじゃないだろうか。名前さえ知らないんだし。そうなるとこの「愛」って何なんだかどうだかよくわからんわねえ。

んでコーラスくりかえし。やはり「今知った」の今がいつなのか気になる。この歌が発売されたのは3月らしくて、実は卒業ソングらしいわけです。卒業式で「〜希望くん、おめでとう」とかやったときにやっと名前を知ったということですかね。まあ「ノゾミちゃん」だけど漢字で「希」か「望」か「望美」かわからんなあ、とか思ってたら「希望」って書くのかあ、ぐらいですか。でもそれにしても去年の6月に「素敵だな」って思って、3月までずーっと見てるのに、名前さえ知らない、っていうのはこれはかなりやばいのではないか。へたすると1年半?もっと?

孤独より居心地がいい
愛のそばでしあわせを感じた

人の群れに逃げ込み紛れても
人生の意味を誰も教えてくれないだろう
悲しみの雨 打たれて足下を見た
土のその上に
そう確かに僕はいた

ここもいいですね。この少年は、雲間から日が射してきてもすぐに地面の影を見るし、雨に打たれても雨や前方を見るんじゃなく、地面を見る。いつもうつむいている。いいねえ。

ここらへんから、この曲なにがそんなに私にうったえかけるのか、って考えたら、この曲、曲調はいちおう全体に単純なメジャーコードで埋めつくされてるけど、すごく否定形の表現が多いんですね。心理学とかでは、発言や書いた文章のなかにどれくらいポジティブな言葉やネガティブな言葉が入ってるかを数えて性格を評定する、っていう手法があります。

この歌詞見てみてみると、「拒否」「できない」「見失なう」「空っぽ」「生きられない」「逃げ込む」「紛れる」「教えてくれない」「雨」「切ない」「振り向かない」「叫び」「想像もできない」とかものすごく否定や限定が多くて、半分ぐらいの行はそうですね。これは多い。「忘れない」のようなポジティブな内容のも否定形になってる。こういうの、肯定の「おぼえてるよ」って表現する人はポジティブだと思う。

もし君が振り向かなくても
その微笑みを僕は忘れない
どんな時も君がいることを
信じて まっすぐ歩いていこう

楽曲的にはここものすごくいいですね 2)検索したら、この曲ソナタ形式だとかって書いてる人がいるけどそうではない。 。乃木坂のメンバーの最高音域つかって、声がちょうどひっくりかえってしまうところで、「もし振り向いてくれなくても」「どんなときも」って思いっきり言わせていて、テンパってる感じがいい。

んで最後のコーラスに行くんだけど、その前の「真実の叫びを聞こうさあ」んところで転調して半音高くなってますね。よくある手法ではあるんだけどすごく効果的で、私何回聞いてもここで感動しますね。作曲の先生にやられたって感じ。

友達が一人でもいれば、「あの子の名前なんての?どこのクラス?」ぐらい聞けるわけじゃないっすか。「え、なんだよ、お前A組のノゾミ興味あるの?人気あるぜ、高校生とつきあってるとかって話」「えーノゾミ知らねーの? この前オーデション受けたってよ」みたいな話ぐらいするだろうに、そういう友達もいないまま。私には、「君の名希望と今知った」っていうのはほんとうに絶望的な言葉のような気がします。明日にはもしかしたら希望があるかもしれないけど、いまここには、いまごろ名前を知った、名前さえ知ることができなかったという絶望しかない。

いちおう3回歌われるサビの部分(「こんなに誰かを〜」の部分)はメジャーコード(Eb、最後はE)に解決してるんだけど、1回目はストレートだけど2回目はメジャーのあとにFmとかGmとかにすぐマイナーにチェンジしてるし、最後もウワーってメジャーで終りそうなところをやっぱりC#mとかのマイナーコーオはさんでから「明日の空 うぉうぉうぉ」ってあんまりハッピーじゃなく終ってるっしょ。これはメジャーな印象とはうらはらに、ものすごい悲しい歌っすよ。でもそれでも我々はまっすぐ歩いていかなくちゃならんのです。

さて、まあこれ主人公が中学生ぐらいの少年ってのでやってきましたが、それを示唆する情報はぜんぜんないのね。気の弱い少年が街の人込みに紛れ込むなんてことがあるのかどうかもよくわからない。そういう子は、学校終ったらすぐ家に帰るんじゃないだろうか。いやな感じになってきましたね。

たとえば主人公がいろんなことに絶望している50才独身男性、ってことだってあるわけです。なんで学校のグランドの片隅にいたのかはわからないけど。それだったら名前知らなくてもしょうがないですよね。そんで24時間監視してたのか。やばい。そうなると「今知った」の「今」っていつやねんという話になり、実は私これくりかえし聞いて3回目ぐらいに、ホラー映画のクライマックスで流れてたら最高だな、みたいなの考えてた。こわいよ。

まあこういう含みがあるのでこの曲はファンの間ではキモ曲ということになってるらしいですなあ。

まあアイドルとアイドルオタの関係についての歌でもあるんでしょうね。素敵な向こうの少女が自分に注目してくれることなんかありえないし、客席にいる自分の方を振り向いてさえくれないかもしれないけど、アイドルが歌って踊って笑顔でいてくれさえいれば、僕たちは生きていけるよ、っていう歌でもあるわけだ。

パリピとかは「きみどっから来たん?名前なんなん?」ぐらい3分で入手してしまうわけですが、まあ内向的で消極的な人間というのは「自分はだめだ」「きっと振り向いてくれない」「自分には彼女と話をする価値さえない」「遠くから見てるだけで十分」みたいになってしまって、これはモテないだけでなくキモい。でもそうしか生きられなくて、その道をまっすぐ歩いていく、っていうのはそれはそれでありだ。足跡は残るよ。みんながんばりましょう。

でもそれをアイドルに歌わせるんだから、これってすごい皮肉というか屈折した曲よねえ。「キモいと思われてるだろう」って思ってるキモい男の歌を実際にキモいなあと思ってる女子に歌わせる。なんかもうサドマゾの世界に近い。おどろきました。

フルレングスのないかな。

References[ + ]

1. ただ、最初この歌詞聞いたときにはわからなかったけど、ここは仕掛けがあるかもしれなくて、「影」は「陰」(かげ)でもあるかもしれない。表も裏もある人間になったとか、邪悪な欲求に目覚めたとか。ははは。でも恋愛ってそういうところあるじゃないっすか。ないっすか。まあ「ちゃんと」影ができたんだからまあふつうに解釈した方がいいっすね。
2. 検索したら、この曲ソナタ形式だとかって書いてる人がいるけどそうではない。

映画『セッション』はこんなプロットだったらよかったのに

話題のようなので『セッション』って映画見たんですが、ぜんぜん音楽映画じゃないし音楽もよくないしひどいものでした。すみからすみまでひどくて、なにも褒めるところがない(せいぜいガールフレンドぐらい)。あれほど見て後悔した映画ってあんまりないわ。その後どういう筋だったらよかったのか、って厨二的に妄想してみた。


有名音楽単科大学で、特にそこのビッグバンド卒業メンバーには将来が約束される、っていう世界観。最終学年でやっと準レギュラーになってバンマスの指導が受けられる、とか。最終コンサートには各地有力バンドのバンマスや、学校関係者とか音楽関係者がたくさんくるのでそれを目指す、みたいな。ちょっとありそうにないけど地方(州レベル)の話ってことにすればありか。もっと現実的な話にするのは難しいかも 1)現実的にすれば田舎の州のやっぱり単科大学の強制部活動で、学校対抗のコンクールがあり、また卒業単位になってる、とか。私昔1ヶ月ぐらい滞在した大学とかそんな感じの部活があった。

  • 親が好きだったバディリッチのファンの主人公ドラマー。毎日リッチ先生のソロの部分ばっかりビデオで見てる。他は興味がない。ていうか他の音楽は実はさほど好きじゃなかったり。
  • バンマスに見込まれるけどしごかれる。
  • バンド全体もひどくしごかれる。
  • 単なる練習のためにメンバー一部で適当にコンボ組んで演奏したりもする。
  • でも主人公はアンサンブルがよくわかってなくて勝手な演奏する。延々ドラムソロとか。客みんな帰る。
  • トロンボーン(男)、アルトサックス(女)とかと仲良くなる。切磋琢磨。はげましたり勉強したり。少しだけわかってくる。
  • バンマスは厳しいなりに有効な指導もするし、バンドの音楽はよくなって観客は感心する。「音楽は純粋な数学的構築物であり、音楽における自由ってのは実は制約と規律のことだ」みたいな、わかるようなわからないような説教をする。
  • バンマスは練習のたびに歴史的有名バンマスの邪悪なアネクドートを各種紹介して、観客もなるほど、バンマスは邪悪じゃないとだめなのだな、とか納得する。
  • 有名演奏みたいなのも実は綿密に練られていて、その場での自由な要素はほとんどないとか説教したり。ラフに聞こえるサウンドが実はものすごく細かく譜面になってるの見せたりして主人公も観客も驚いたり(ギルエヴァンスのがいいな)。
  • このあたりで主人公はバンマスに反発しながら尊敬する。
  • トロンボーンとアルトがつきあいはじめる。主人公うらやましいけどモテない。
  • ビッグバンドの夏の演奏とかでゲストで街一番の女ボーカル(年上卒業生、ニコルキッドマン)が来る。なんかバンマスと緊張感がある。
  • ボーカルも主人公のドラムはぜんぜんだめだ、みたいなことを言う。「あんたはバンマスそっくりね」みたいなことも言う。
  • 気になる主人公はボーカルのライブに行く。実はエリアーヌ先生みたいなピアノボーカルですごい腕で驚く。
  • 主人公は飛び入りさせてもらって得意のドラムソロを披露するがやっぱりぜんぜんだめだって1曲で追い出される。「なんでだめなの」とか聞くと「あんたは音楽なにもわかってない」とか言われる。
  • 女ボーカルの音楽をきっかけに、彼女がやってるタイプのいろんな音楽聞いてみるとなんかわかってくる。スティックだけじゃなくバラードやブラシの練習とかまじめにやる。
  • ボーカル女となんかをきっかけに仲良くなって、そういう関係になる。いろいろ教えてもらう。実はバンマスの昔の女だけど今は嫌ってるとか。エッチなことと音楽をいっしょに教えてもらってどっちもすごく上達する。自由ってことについて難しい話をしたりする。
  • でもいろいろあって(女がメジャーデビュー準備か)別れたりする。
  • トロンボーンはバンマスにいじめられて自信喪失して自暴自棄。女アルトともうまくいかなくなる。
  • バンマスがアルト女にレギュラーになりたいなら家に来いとか。アルトはトロンボーンとうまくいってなくて不安定になってて、キャリアのためにその話を飲んで覚悟してバンマス宅に行くと、薬はやってるわ、へんな道具はあるわ、昔のメンバーの女のエロビデオ見せられるわ(さっきのボーカル女のがいいね)でたいへんな変態さんでやばいことに気づいて逃げだそうとして一悶着。
  • 呼ばれたトロンボーンがかけつけてきて、事情を知り怒って殺そうとする(実はその前から殺そうと思ってた)けど、逆に格闘技も得意なバンマスに返り討ちにされて大ケガしたあげく警察に捕まって豚箱行き。
  • もうバンド解散してボイコットしようって話になるけど、みんなで話しあって、やっぱり他のメンバーの将来のためにも本番はやっぱりやることにする(なんか他メンバーの複雑な事情もほしい)。
  • バディリッチバンドっぽい「キャラバン」を完璧に演奏して、バンマスは満足。邪悪な客も「さすがバンマスさんのバンドは規律がちがう、今年もメンバーをうちのバンドに」「うちの教師に」とかやる。でも一般客はつまらなそう。
  • それ見て、最後のドラムソロの途中でスティック投げだしてやめて、近づいてきたバンマスを殴って、勝手にカウントはじめてギルエヴァンスっぽいストーンフリーとか、あるいはスメルズライクティーンスピリットとかそういうのやる。ギターはアンプフルテンにしてチョーキングする。
  • 抜けてたトロンボーンもアルトも途中から入ってきてソロをとる。ボーカルも入って歌う。ドラムソロはもうやらず、ソリストや他のリズムセクションとアイコンタクトして煽りまくる。お客喜んで踊る。
  • 殴った件で学校退学になるけど、ちょうとツアーで街に来ていたジェームズブラウンがバンドメンバーに逃げられたところで、演奏よかったからプロになりたいならリハに来いとかで、次の話(ジェームズブラウンとそのまわりの人々に馬鹿にされいびられる話)のはじまり。

ぜんぜん違う話になっちゃいましたね。ははは。しかしふつうこうでしょ。ていうかこういう話だと思って見てみたんだけどねえ。


References[ + ]

1. 現実的にすれば田舎の州のやっぱり単科大学の強制部活動で、学校対抗のコンクールがあり、また卒業単位になってる、とか。私昔1ヶ月ぐらい滞在した大学とかそんな感じの部活があった。