カテゴリー別アーカイブ: セックスの哲学

『不安の概念』(5) 禁止されるとやりたくなりますか

私が一番好きなイエスさんのお説教は、もちろん、これ。

「姦淫してはならない」と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。(マタイ5:27あたり)

大事なことだから先生もう一度繰り返します。誰でも情欲をいだいて女を見るひとはすでに心の中で姦淫を犯したのです。もう一回くりかえしますよ、エッチな目で女を見るものは罪人なのです。それじゃ、みんな目をつぶってください。先生怒りませんから、罪人のひとは手をあげてくださーい。あ、目をくりぬいてください、地獄におちるよりその方がましです。

われわれはパンツを見ても見られても平気だったのに、いつから罪人になってしまったのでしょうか。つまり、われわれはいつ無垢を失ったのでしょうか。

キェルケゴールは、これを「心理学的に」探求しようとするわけです。ここでいう「心理学」っていうのは、もちろんブント以降の実験心理学じゃないし、ミル先生あたりの連合心理学とかともちがう。まあ心(プシケー)についての内観によって心の動きを観察する方法なんだと思います。ここらへん当時のデンマークでの用法があって面倒で、私は解説できない 1)キェルケゴールでの「心理学」ってのが何かって論文は日本語でもいくつかあるんですが、納得してないので今は触れません。 。まあでも、心の動きを観察して記述するんね。

キェルケゴールはアダムにおいても、現代のわれわれと同じような心理的な過程があるはずだ、なぜならわれわれはアダムと同じなのだから、っていう想定をおいてます。そうじゃないとアダムは人類じゃないってことになっちゃうからね。キェルケゴールは「人間の本性」みたいなのは想定してかまわんという立場なのでそれでOK。

キェルケゴールはレオンハルト・ウステリ先生っていうドイツの神学者の説を紹介します。キェルケゴールは一応神学修士(マギステル)なので、いちおう神学の基本的学説ぐらいは知ってる。それによると、「知恵の木の実を食ってはいけないという禁止そのものがアダムのうちに罪を生んだ」ってことになってるらしい。

これは通俗的ですが面白いですよね。禁止されるとやりたくなってしまう。ジャンプはエッチだから読んじゃいけません、って言われたらこれは読みたい。それまでジャンプ興味なくても読みたい。それまでただ「裸ばっかりだなあ」て思ってた『ハレンチ学園』も『マジンガーZ』も『けっこう仮面』も、エッチだからだめだといわれれば、読みたい。読みたい読みたい。読みましょう。読んだひとは手をあげて目をくり抜いてください。地獄に落ちるよりその方がましだってイエスさんがいってまーす。

 

 

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1. キェルケゴールでの「心理学」ってのが何かって論文は日本語でもいくつかあるんですが、納得してないので今は触れません。

『不安の概念』(4) 無垢はエロについて無知っす

んで、『不安の概念』の第1章第1節〜第2節では、アダムの最初の罪はよくわからんね、って話をぐだぐだやるわけです。まあここらへんでキリスト教の問題わからん人は読み進められなくなるですね。私も別にキリスト教にそれほど興味あるわけじゃないから読めない。キェルケゴールもよくわからずぐだぐだやってるんだと思う。まあここらへんいろいろ、とりあえず堕罪、原罪の話は大事だよ、ぐらいに読んどいていいんじゃないか。

「堕罪以前のアダムの状態については、古来いろいろ空想的なことが語られてますよね」みたいな話をしている。そう、そういうのはアウグスティヌス先生とかもしてるよ。

問題は第3節「無垢の概念」だ。ここからはそれなりに(それほどじゃないえど)おもしろくなる(いきなりヘーゲル先生登場してうざいんですが)。

無垢 innocence っていうのはまあまだなんの罪もおかしてないし、罪への欲求や傾向ももってない状態、ぐらいに読んでいいんだと思う。まあ罪っていうと(キリスト教に興味ない人間には)抽象的になっちゃうけど、これをエロと読むとどうだ!

子供は無垢です。エロのことは(すくなくとも)あんまり考えてない、てことになってる。まあ実際には、小学校低学年ぐらいからエッチな興味はあるんだろうけど、その前、3歳児とか少なくともエロをエロだとはおもってないんじゃないか。これです。これが無垢な状態ね。スカートめくりたい、パンツ見たいと思わない。そもそもパンツ毎日見てるし。逆にパンツ見せても平気、すっぽんぽん、それが無垢な状態。まだセックスがなんであるかとか、性欲がなんであるのかがわからない状態、そもそも知らない、それが無垢。

んで3節のキェルケゴールの結論はこういう感じ。

創世記の物語は無垢についてもまた正しい説明を与えてくれる。無垢は無知である。

アダムとイブは、セックスについて知らないという意味で無垢だったのでーす。


『不安の概念』(3) キェルケゴールの問いは

んでまあ、もどって、『不安の概念』の最初の2章で扱っているのは、キリスト教では人間はみんな罪人です、ってことになってますが、人間はどうやって罪人になるのですか、という問いだと思うんですわ。これ、つまり原罪の話ね。

人間にはアダム以来の原罪があるから罪を犯します。われわれはアダムとイブから原罪を遺伝されちゃってます。でもんじゃ、アダムはなぜ最初の罪を犯したのですか。これがキェルケゴールの問いね。

まあキェルケゴールのパパもけっこう悪い人で、奥さん死ぬ前に女中さんに手を付けていて、奥さん死んでから女中さんを奥さんにすげたみたい。それがキェルケゴールのママね。まあ最初の奥さんを殺したとかってことはないと思うけど、なんかやばい。キェルケゴールはそういうパパの血を継いでいるのです。そういう彼の個人史的な事情があるってことはいろいろ指摘されているところ。キェルケゴールのなかでは罪とセックスはわれわれにはわかりにくい形で結びついているのはわかる。

もう一回繰り返すと、キェルケゴールが考えるところでは、人間はアダム以来の原罪をおっちゃてますから罪を犯して罪人になるのです、っていう説明を一応みとめるにしても、んじゃアダム自身はなぜ罪を犯したのですか、ってことになる。最初の罪を犯した結果エデンの園を追放されたのはしょうがないとして、なぜそれまで無垢で原罪なんか負ってなかったアダムが、神の命令に反するという罪を犯したのだろう。

これ、私はもちろんよく知らないのですが、キリスト教では大問題なわけですよね。キェルケゴールはキリスト教の大問題と言われるものを著作で扱っているわけです。『恐れとおののき』ではアブラハムが神様から命令されて息子イサクを殺そうとした話(いわゆる「アケダー」)、『反復』ではなにもわるいことをしてないヨブがひどい目に合う話、そして『不安の概念』では原罪の教義。キェルケゴール前期の3つはキェルケゴールのキリスト教に対する懐疑の表明だと見ることができる、っていうか私はそう読んでるわけです。キリスト教は理解できない。

実際、原罪の教義ってのは、キリスト教では理性によっては理解できないものである、みたいにされてるんですね。ルターのシュマルカルデン条項の「原罪はいかなる人間理性によってもそれを知るよしなく、ただ聖書の啓示によって認められ、信じられるところの深く、いとわしい本性の堕落である」みたいなのが『不安の概念』でも引用されてるです。それは理性ではわからん。


『不安の概念』(2) セックスセックスぅ

『不安の概念』は人間の「自由」とそれを前にした不安の話だ、っていうのがまあサルトルとかの読みなんだと思うんですが、本当にそうかな、っていう疑問がある。そうじゃないかもしれない。

『不安の概念』はわれわれの性欲とそれにまつわるキリスト教の「罪」の概念、われわれの罪悪感の話なんじゃないか。まあこういうこと書くと、「江口はすぐにセックスセックス言ってる、セックスと言ってみたいだけではないのか」みたいに言われちゃうわけですが、まあそういうのもあるんですがそれだけでもない。

たとえばこういう印象的な一節がある。

……だから罪性は感性ではない。そんなことはありえない。しかし罪なくしては性もなく、性なくしては歴史もない。完全な精神には性もなければ歴史もない。だからこそ復活において性的区別も’なくなり(マルコ12:25 )、そしこのゆえに天使もまた歴史もまた歴史をもたないのである 1)第1章第6節、翻訳は中公世界の名著の田淵義三郎先生のを使う予定。

英語だと、

So sinfulness is by no means sensuousness, but without sin there is no sexuality, and without sexuality, no history. A perfect spirit has neither the one nor the other, and therefore the sexual difference is canceled in the resurrection, and therefore and angel has no history.

デンマーク語で読む気はないけどこんな感じ。

Syndigheden er da ikke Sandseligheden, ingenlunde, men uden Synden ingen Sexualitet og uden Sexualitet ingen Historie. En fuldkommen Aand har hverken det Ene eller det | Andet, hvorfor jo ogsaa den sexuelle Differents er hævet i Opstandelsen, og hvorfor heller ingen Engel har Historie.

「性」って訳されてるのはSexualitet。性欲や性的活動一般を指すと思う。まあこういうことが言われる理由はこれからおいおい第1章〜2章読みながら解釈していくけど、アダムとイブがいわゆる「堕罪」、神の命令に背いてアップル食べちゃって、その結果自分たちが裸であることに気づき、(性的な)恥の感覚や性欲をもつようになり、セックスうするようになり、子供を生むようになり、死ぬようになった。これによって歴史がはじまったわけです。それまでは歴史なんてものはなかったけど、歴史は罪の自覚と生殖とともに始まるのだ、みたいな感じね。これがセックスの哲学でなくてなんであろうか。

(ノンストップライティング、ここで15分ちょっと)

 

ちなみに田淵先生がつけてる「マルコによる福音書」12:25は「彼らが死人の中からよみがえるときには、めとったり、とついだりすることはない。彼らは天にいる御使のようなものである。」ってことらしい。おもしろいね。まあわれわれがアフターライフで復活したときに、性欲とかセックスとかあると、この世と同じようにいろいろ面倒なことしなきゃならんですからね。性欲なくなるのはいいですなあ。

(ここでプリンス様のLet’s Go Crazy聞いてください。)

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1. 第1章第6節、翻訳は中公世界の名著の田淵義三郎先生のを使う予定。

『不安の概念』(1) 『不安の概念』はセックス哲学の本、性欲の本かもしれない

この前、年に1回のキェルケゴール研究者の会合に出て、いつものようにみんながなにを話しているのかほとんどわからなくて、絶望しています。まあそもそも私キェルケゴールあたりから勉強をはじめたのに、30年たってもそういう状態で、いろいろ思うところがあるわけです。「キェルケゴールと私」シリーズにも書いたんですけどね。

http://yonosuke.net/eguchi/archives/1104
http://yonosuke.net/eguchi/archives/1103
http://yonosuke.net/eguchi/archives/1102
http://yonosuke.net/eguchi/archives/1101

まあキェルケゴールは本当に難しい思想家で、どう解釈していいのかわからない。30年以上(ずっとではないけど)時々読み続けて、結局ほんとうにわからんですね。キェルケゴール本人もわからんけど、それを解釈している学者さんたちが言ってることがわからない。なぜそう読むのかとか、そんな難しくて自分自身でわかってるのかとか、いろいろ文句つけたくなってしまって精神衛生に悪いです。

このシリーズで説明していきいますが、私はキェルケゴールは実はセックスの哲学者としても重要だと思っているわけです。ていうかむしろ、セックスの哲学はキェルケゴールを読んだからこそ興味がある。彼がセックスの話を扱っているのはけっこう多いのですが、『あれか/これか』『不安の概念』『人生行路の諸段階』の3冊が基本ですかね。実は私はこのどれも扱ってないので、勉強人生終わるに当たってなんかしておかねばならないとは思っているわけです。

まあ『不安の概念』あたりから行きますかね。「不安とは自由のめまいである」っていうものすごく有名なフレーズがあって、いろんな人が引用するんですが、これわけわかりませんよね。私はわからない。

この本はものすごく有名ですが、世界的に、あんまり理解されてない本と思う。キェルケゴールの作品の中でも読むのが一番難しいやつの一つだと思いますね。ハイデガー先生が『存在と時間』でこれの「不安」の話を使っていろいろやってるので有名だってのではものすごく有名なのですが、キェルケゴールのを読んでもそもそもなんの話をしているかわからないってのが普通だと思います。学会や研究会で読んでる人の話を聞いてもなにがなんやらわかりませんね。この前も一つ二つそういうのを聞きました。というわけで、ちょっと時間をかけてやってみたい。

————————–

『不安の概念』を読む上での問題は、まずこれいったい何についての本なのか、ってことですわね。「そら不安でしょ」っていうのはそのとおりだけど、われわれの感じる不安一般についての本なのかどうか。私はそうじゃないと思う。実は副題は、「原罪(遺伝する罪)の教義の問題について、単純に心理学的な方向にそった考察」みたいなやつなんですわ。キリスト教的にはわれわれはみんな罪人であり、それはアダムからずっと遺伝する「原罪」なるものがあるがゆえにキリスト教的には罪をおかさざるをえないってな感じになってるんだけど、それって個々人の心理のなかではどうなってるか考えてみましょう、ぐらい。

もうちょっとばらしてしまうと、キリスト教的、っていうかキェルケゴール的には、われわれはみんな神の命令に背く罪への傾向みたいなのもってるわけだけど、それってどうしてそうなってるんですか、みたいな問いね。アダムとイブが禁断の木の実を食べる罪を犯して、その「原罪」がわれわれまで遺伝してきていて、われわれがもともと罪を犯す傾向をもってしまっているのなら、われわれには罪を犯すことの責任はないっしょ、そういうふうに作った神様がおかしいんではないか、みたいな疑問というのはある。

まあここらまではキェルケゴール読んだことある人ならだいたいわかる。ていうかまあ一番最初に書いて有ることだから、ここだけは読む。問題は、このわれわれの個々の罪、そして「原罪」の問題を、どの程度実感に即してよむことができるのか、ですわ。

解説者や研究者がおうおうにしてちゃんと触れないのは、ここでキェルケゴールの頭に思い浮かんでいる「罪」ってのがセックスに関係したものだ、ってことなんだろうと私は思っているわけです。実は不安の概念はセックス哲学の本なんですわ。これが私がこれから書いていこうとおもっていることです。

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売買春の実態調査は難しい (6) 補遺

各国の売買春事情についてのProConはちょっと信頼できないなあ、みたいなことを書いたんですが、その後、ProConが根拠にしている The Continuum Complete International Encyclopedia of Sexuality: Updated, With More Countries (2003)ってのをちょっとめくってみました。

この本は分厚いというか凶器になるでかい本で、各国のセックス事情が各種の統計データを参照してまとめられてる、みたいな本です。たとえば日本Japanの項は百科事典サイズで44ページもある。おそらく有用。ただし、最初は日本人が書いたものに、Updateのために編集者の人とかが新しい項目立てたり、情報を追加したりしているんですね。

Prostitutionの項は、もともとの日本人著者の版では存在してなくて、1997年に編集者のFrancoeur先生が Barnoff 1991ってのを典拠に書き加えてますわ。最初のは統計資料使ってちゃんとしているのに、ここであんまり信頼ならんものが入っちゃってる。

ストリップ劇場とかは警察とずるずるなので、いつ手入れがあるかわかってますよ、みたいな、90年代でもそうかなあ、みたいな話が紹介されたりしている。もう一つはソープランドの話で、Barnoff先生がソープランド体験した話をそのまま引用している。あと内閣府の古い調査とかをBarnoff先生が参照しているのを孫引きしたり。あんまり質のよいものではないですね。

しょうがないので、そのBarnoff 1991、つまりThe Pink Samurai: The Pursuit and Politics of Sex in Japanも入手してみましたが、すごいページ数で読めない。まあ「日本に滞在してエッチな見聞してきたよ」ぐらいの本です。アカデミック味はぜんぜんない、ジャーナリスティックというか、まあそういう感じの。変な国をおもしろおかしく、みたいな。あんまり読む気になれない。

ってんで、まあむかし毎日新聞WaiWaiとかが飛ばし記事みたいなのばんばん書いて世界に発信していた、みたいなのを連想しましたね。あんまりコメントに値するものではないです。

まあどうでもいいような本 → ちゃんとした専門事典 → ネットの大手サイト → Wikipedia (en)ってな感じで情報がおかしくなってるような気がします。ソースロンダリングってんですかね。

 


売買春の実態調査は難しい (5) ハキム先生の指摘

売買春の実態調査は難しい (4) の続き)

 

んで最後に、なぜ売買春の実態調査が難しいのかを推測。まあ当たり前ですが、非合法な国では低めに出るでしょうね。非合法だから抑制されているってのもあるかもしれん。アメリカでストリップクラブだのトップレスバーとかが主流の風俗になっているのは、売買春は基本的に非合法だからだろう、イギリスが低いのも(女性などがストリートで個人でお客をとるのは合法だけど)管理売春は非合法だからだろう、みたいな。まあ日本でも売買春は非合法なので低めに出そうなものですが、いわゆる「風俗」みたいなグレーゾーンがあって、あれは非合法ではないっぽいし。性器セックス以外のを売買春に入れるか入れないかとか、そういうのが国際比較とかしようとすると難しくなるかもしれないですわね。

もう一つ、売買春にはスティグマがついてるから、恥ずかしいこと、恥ずべきことがらだと理解されているっていうのもあるかもしれないですな。よく売春する側、主に女性の側に「売春婦」というスティグマがつけられていて、男性の側はそうではない、っていうようなことが言われたりするように思いますが、これももうちょっと考える必要があるかもしれない。

やっぱりあいかわらずキャサリン・ハキム先生をもってきてしまいますが、彼女はつぎのようなことを言っている。

客にとって買春がスティグマになったのは、恐らく1960年代の性革命以降だろう。性革命以後、男性たちは建前では、スウェーデンでいうところの「普通のセックス市場」で、いわゆる素人の女性と好きなだけ婚外セックスを楽しめるようになったはずだった。だが実際には、一部の男性にとっては、気軽にセックスできる相手を見つける場が限られてしまっているため、性風俗産業が唯一の選択肢となってしまった。身体に障害のある人や、肉体的に魅力に欠ける男性などがそのグループに含まれる。」p.203 (訳を一部変更している)

いわゆる日本でも一時流行した「性的弱者」論ですか。大昔に比べると、「素人」の女性もわりと簡単にセックスさせてくれるようになったといわれていますが、好きなようにセックスできる男子はごく一部でしかない。このシリーズの最初に出したNHKの調査その他でも、たくさんセックスできる男子はいるもののそれは一部で、その他大勢の男子は相手がいないのでセックスしないままでいる、ポルノを見る、あるいはセックス産業を利用するって言う形ですわね。そしてそれには「みっともない」「かっこ悪い」「モテない」「不潔である」「金払わないとセックスできない」「コミュ力がない」その他の強力なスティグマが付いている 1)そういう「カッコ悪さ」はけっこう強力そうで、アンケートの回答者が認知的不協和を起こす、みたいなのもありえるかなと思います。

……風俗業ではたらく女性たちに関する調査に比べ、顧客側に関する調査は非常に少ない。富と社会的地位を持つ客が多いため、女性よりも自分たちのプライバシーと匿名性を守ることを気にしているのだ。いつもながら、調査結果には、肝心の客についての分析とほぼ同じ分量で、調査者の偏見と固定観念が散りばめられている。買春を違法とする国(米国など)や半合法としている国(英国など)での調査、また買春を法律で取り締まるべきだとして運動を続けている人々による調査(…)は特に、公平で客観的な分析が成されず、自分の論理を擁護するような結果になりがちだ。性的サービスを買う男性は変人ではなく、どこにでもいる普通の人なのである。」pp.206-207

ここも重要で、実は国内でもセックスワーカーの調査は(アカデミック・セミアカデミックに)それなりの蓄積があるのに、利用者側のはあんまりない、と。新書や文庫みても、売春する女性についてはたくさんあるのに、男性側のはめったに見かけないですよね。坂爪先生とかの活動はそういうのでいろいろ価値があるわけです。

ただし、このパラグラフの最後の一文は大事で、坂爪先生は「マイノリティだ」っていうので(正確に何を言おうとしているのかは検討が必要だけど)、セックス産業を利用するのは一部の人間だって主張しようとしているらしいけど、ハキム先生はそうは見ない。「どこにでもいる普通の人だよ」って言うわけです。実際にどういうサービスを利用するかっていうのはその人の好みによって様々だろうけど、オンラインで好みのエッチなビデオみたりするのはまあごくごく普通の人だろうなと私も思いますね。

まあ「普通」であるからといって道徳的に正しいことにはならない。でも、ポルノだのセックス産業だのお色気産業だのを利用する人々がごく一部の異常な人々だと見なす理由はあんまりないし、そういう考え方をするといろいろ間違ってしまうのではないかと思う。(坂爪先生がそういう意味で「マイノリティ」を使おうとしているとは私は思ってないにしても)

というわけで、最初にもどれば、北原先生が坂爪先生をゲス呼ばわりしているのはあんまり筋がよいとは思われないし、また日本が特に「買春天国」だと主張する根拠はあんまりないように思える。一方で、坂爪先生が売買春を利用する人はごく一部、「マイノリティ」だと主張しようとしているのは、坂爪先生の意図はともかくとして、誤解を招きやすいものだったかもしれないと思うです。

なんにせよ、こういうのちゃんとした調査やデータがないままにいろんなことを主張しやすい分野なので、これから調査が進むといいですね。応援したいです。がんばれー。

(とりあえずおしまい)

 

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1. そういう「カッコ悪さ」はけっこう強力そうで、アンケートの回答者が認知的不協和を起こす、みたいなのもありえるかなと思います。

売買春の実態調査は難しい (4) ワイツァー先生たち

売買春の実態調査は難しい (3) の続き)
んで、他の国はどうなってますか、ってわけで、これはネットみてもノイズが多くてしょうがないので、まともな情報を探して本を見るのがいいですね。Ronald Weitzer (ed.) (2000) Sex for Sale、ってのをぱらぱらめくってみると。

Waltzer先生自身の”Why we need more research on sex work”って論文では、

  • 1991年、アメリカ男性の11%がストリップクラブを訪問、0.5%がテレフォンセックス業者に電話。ギャラップ調査。
  • Time誌の1986年の調査では31%がトップレスナイトクラブ経験あり、11%が過去1年間に訪問。
  • 1994,18%が生涯においてセックスにお金を払ったことがある。Davis and Smith, General Social Survey
  • 16%が生涯においてセックスにお金を払ったという調査もあり。Laumann et al., The Social Organization of Sexuality.
  • 1998、英国、ITV poll、19-59才の1/10の男性が売春婦にサービスを受けた。
  • 1994、カナダでは7%が同様。(ギャラップ)

次はMartin A. Monto先生の “Why Men Seek Out Prostitutes”って論文。これはMichealらのSex in Americaに大きく依存してる。(これは翻訳がある。)

  • 1948年のキンゼイの調査では、アメリカ白人の69%の男性が生涯に一度は買春の経験あり。ただしサンプルに問題あり。
  • 1964、Harold Benjaminらは80%と推定。調査の質には問題があるが、売買春反対派・許容派の両方に使われる。
  • 1992 National Health and Social Life Survey (NHSLS)、16%の男性が買春経験あり、0.6%が毎年。初体験を売春婦とすませる男性が1950年代の7%から1990年代の1.5%に減少。

とか「古いなー」って思いながら見てたら、実はこの本、2009年に新板が出てました。ぎゃー。そもそも古いのも翻訳あるんだった

んでそれのWeitzer先生の”Sex WorK; Paradigms and Policies”っていうイントロダクション相当のところを見ると、

  • 2000年代後半、アメリカには3500軒ぐらいのストリップクラブがあります。
  • 1991年-2006年の8回のGeneral Social Surveyによれば、15−18%のアメリカ男性が売春婦にお金を払ってセックスしてます。
  • オーストラリア16%、ヨーロッパ15%、イギリス11%と、だいたい似たような数字が並びます。もちろん売買春にはスティグマついてるので、実際の数はもっと多いかもしれません。
  • スペインは39%、タイでは独身の43%、既婚男性の50%が生涯1回はお金はらってます、
  • 「十分なお金もらえたらセックスしますか」という質問をイギリス人にすると、18%の女性と36%の男性がイエスと答えます。

みたいなのが増えてる。なんか、We need more researchって言っててた割にはそんなに精度が上がってるようにも思えない。セックス調査はむずかしいんですね。
まあワイツァー先生が指摘している、「似たような数字」っていうが私が考えてることで、坂爪先生が挙げていた1割強の男性、っていう数は、だいたい先進国なら似たようなもんちゃうかなって感じはする。いや、15%と39%じゃずいぶんちがうか。でもまあとにかく、日本がぶっちぎりで買春天国ってのはあまり信じられないです。


売買春の実態調査は難しい (3) ProConは信頼できない

売買春の実態調査は難しい (2) から続き)
んで、問題の国際比較なんですが、これほんとに難しくて、ほとんど無理っぽいですわね。北原先生は「米1992年0.2% 英1990年0.6% 仏1992年1.1%に比べ、ニッポンぶっちぎりの買春大国であることが、指摘されてます」って言うわけだけど、このもとの2000年の厚生省の調査がどういう典拠にもとづいて米0.2%とか英0.6%とかって数字出してるのかよくわからん。これから調査します。
これもちょっとgoogle様にお伺いをたてると、すぐにひっかかるのが、ProConというサイトのこれです。これは生涯で一度でもセックスにお金を払ったことのある男性の割合。

http://prostitution.procon.org/view.resource.php?resourceID=004119

パット見、日本はたしかに買春大国っすか。ちょっと最初の文章を要約すると、これは1994から2000年のあいだの21の調査をまとめたもので、15カ国しかないのは、「最近1年間で」じゃなくて「生涯での経験」をあげてるのがそれしかないから。最近1年のは排除している。高めの推定から低めの推定があるので、それを示している、とか。まあとにかくデータがなくてしょうがないっすね。

んで、このサイトでは、日本はかなり高いんで、日本はカンボジア、タイ、イタリア、スペインに次ぐ買春大国だ、って言えるかってことなんですが、ちょっと微妙。下の方の説明文を見ると、「日本では、夫が同僚や友人とソープランドに行くことがあるというのはおおっぴらではないにしても受け入れられ理解されている」とか、「昔ながらのゲイシャとの本番セックスは最近衰退して、オーラルセックスとか覗き見とかの安い形態のものが普及している」とかってなはなしになっていて、おやおやっていう感じですね。ちょっと情報がおかしいのではないかという疑惑がある。出典は Robert T. Francoeur, PhD, Editor’s Comment in Yoshiro Hatano, PhD, and Tsuguo Shimazaki, “Japan,” Continuum Complete International Encyclopedia of Sexuality, Eds. Robert T. Francoeur, PhD, and Raymond J. Noonan, PhD, Kinsey Institute, 2004 ていうやつらしいけど、あとで見てみます。

このサイトは全体におかしくて、あちこちのネット上の有象無象のニュース記事を見てそれをまとめてるだけっぽいんよね。ここの内容をまとめたものがKindleになってるので入手してみましたが、「日本では買春は2.3兆円産業」で、ギンザシティのホステスはひとり月200万稼ぐ、みたいな話が出て来る。ギンザシティのホステスさんのどれくらいが売春しているのかどうかしりませんが、大半はそういうことはしてないんじゃないですかね。どうなんすか。っていうかそういうレベルの不正確な情報やトバシ(?)みたいなのが含まれているデータはとても信頼できないっすね。他の国のデータもそのレベルだと判断せざるをえないんじゃないでしょうか。こまったことにwikipedia (en)のProstitutionの項目もこのサイトを出典にしていて、信頼性に問題がありそう。