牟田先生たちの科研費報告書を読もう(3)

牟田先生のセックス平等の話をするまえに、もうすこしだけ他の論文に簡単なコメント。

元橋利恵先生の「新自由主義セクシュアリティと若手フェミニストたちの抵抗」は、二つの話題があって、「女性は自分の性器の呼び名がない」みたいな話と、「最近は女性が競争(新自由主義)のために男向けにいろいろ努力してる」みたいな話をくっつけようとしてるみたい。

まあ性器の呼び名みたいなのは古い話で、ろくでなし子先生みたいな方もいらっしゃるのだから好きにすりゃいいのにと思いますが、まあいいです。そもそも英語圏女性も自分のそれを「ヴァギナ」とは思ってないと思うし、そもそもその部分をヴァギナとか穴とかと見てるのかどうか、はたしてそれが女性の実感なのかどうか私はちょっとわからないところですが、まあいいです。あんまりやるとバレ噺になっちゃうし。

本論の新自由主義的セクシュアリティなるものはけっこうおもしろくて、わたしが今注目しているキャサリン・ハキム先生のエロチックキャピタルをネガティブに見た話ですわね。紹介しているウェンディ・ブラウン先生ってのはずいぶんと左翼ですが、別の見方もありそうなのでがんばってほしいです。

荒木菜穂先生の「日本の草の根フェミニズムにおける「平場の組織論」と女性間の差異の調整」も勉強になりました。まあ組織ってどこでもむずかしくて、とくに女性だけのグループっていろいろ難しいってのは、荒木先生も文献にあげてる西村光子先生の『女たちの共同体』他でいろいろやられているので、ここらへんも研究すすむといいっすなあ。まあ男子としては、「きみら女性はそんな組織化得意じゃないっしょ」みたいなの言いたくなるけど、私も組織とかグループとか苦手だから。ははは。

伊田久美子先生の「イタリアにおけるフェミニズム運動の新たな動向」はすみませんがまだ読んでません。

北村文先生の「国籍/エスニシティ/階層を超える・つなぐフェミニズム」はかなりおもしろくて、個人的にはこの論文集で一番勉強になりました。まあ女っていったっていろいろ対立があるってのを、アジアで女中さんをやとってるマダムvsメイドって形で見てる。でもマダムが一方的な支配者ってことはないよね、みたいな話。男女関係だって男性が一方的に支配者とかってのはなさそうなので、ここらへんの研究もすすんでほしいです。

熱田敬子先生の「日本軍戦時性暴力/性奴隷制問題との出会い方」もまだ読んでないです。

岡野八代先生の「道徳的責任はなにか」はやはり倫理学にかかわりをもつ人間として読まざるをえなくて読んだのですが、従来の「男性的」な倫理学がよくない、っていうのを言うのにウォーカー先生は〜と言ってる、ぐらいしか根拠がなくて、私は不当ないいがかりではないかと思います。ケア倫理と従来の倫理学の関係については、むかし品川哲彦先生の『正義と境を接するもの』の書評もどきをやったときに考えました(ブログも残ってるはず)。まだ岡野先生みたいなやりかたをする人がいるなら、もっとちゃんとした文章書いておかないとならないなと思いました。

まあでも(まだ読んでないのを含めて)どれもまじめで、科研費研究報告としては十分というか立派ですよね。えらいと思います。

「性的モノ化再訪」レジュメ

そういや、この前研究会で発表したレジュメおいときます。まあこんなこと考えてる。いつものようにあわてて書いたからあちこちよれていて、余計なこと書いてたり、わかりにくかったりしてだめなんですが、今年中にまともな論文にできるようにしたいとは思ってます。すみません。

牟田先生たちの科研費報告書を読もう(2)

牟田先生の論文のセックスの平等まわりの議論はいろいろおもしろくて、学問として議論したいところがあるのですが、その前にもうひとつどうしても問題を指摘しておきたい論文があります。

古久保さくら先生の「運動と研究の架橋:世代の架橋としての教育の可能性」です。

この論文は大学でジェンダー平等教育をやってらっしゃる古久保先生が、どういう授業実践をしているのかっていうのことと、セックスにおける「自己決定」をどう考えるか、というのの二つがテーマで、これは問題として重要で論文の価値があります。くりかえしますが、私はこの科研費研究の報告書を公開していることはとても高く評価していて、現在の日本のフェミニズムのよいところと悪いところの両方がよくわかると思っています。

性教育はとても重要です。小中高での教育がいろいろ言われるけど、私は大学でも性教育もとても重要だと思ってます。生命倫理学や倫理学・応用倫理学の授業とかでも、いきがかり上、生殖や性暴力についていろいろ説明して理解してもらわなければならないことも多い。でもどういうふうに授業すればいいんだろう?

古久保先生はとにかく女性は犠牲者だっていうのを強調するタイプの授業をしているみたいですね。仁藤夢乃先生の「買われた展」 1)これ京都でもやったんですが、事前に住所指名を明記した予約とかしなきゃならなくて入れませんでした。 とか紹介するみたい。仁藤先生は私ちょっとどうかと思ってるんですが、まあそれはいいです。

次はyoutubeのオランダの飾り窓のダンス。これはいかん!私腰ぬかしましたよ。動画は前から知ってましたが、これをそのまんま授業教材やなにかの論拠に使うとは。

これ、詳しい情報が英語ではあんまり出てこないのでよくわからないのですが、犯罪的トラフィッキングの犠牲者が、「このアムステルダムの飾り窓の中にいる!」とか、本当ですか? ただのパフォーマンスじゃないんですか? オランダって本当にそんな野蛮な国なんですか? パフォーマンスと事実の区別がつかなくなってませんか?

んでそういうふうに「売春している(若い)女性は犠牲者だ」って教えこんで、学生様にディスカッションさせるらしい。するとだいたい「許せませーん」とか言ってくれるんだけど、少数の学生様は「それ自分で決めてやってるんだったらええんちゃうか」って言うこともあるみたいですね。これは自然な発想だと思う。強制はいかんが、ちゃんとした年齢でちゃんと考えて自分からやってるなら、セックスワークはかまわんのではないか、という人々はたくさんいますよ。友人にセックスワーカーがいる学生様などは「いやいやではないって言ってました」とか指摘する。

ところが、古久保先生はそれでも売買春は悪いことだ、性差別だ、それを望んでする人はいないって思いこんでるみたいなんですよね。いちばん気になったのは、「性サービス産業に従事する友人をもつ学生も何人もいる」「性サービス産業に従事している若年女性は受講学生の近くにもいるのであるが、本人たちの姿を「納得している」「楽しそう」な姿として理解する」とか書いちゃってるんだけど、先生、先生のクラスには「友人」じゃなくて本人たちもいるでしょう。先生が「売春は被害です、セックスワーカーは犠牲者なのです」みたいな話ばっかりしているから「私もやってますけど」って言えないだけじゃないですか?

応用倫理学とかやってると、中絶とかセクマイとか性暴力とかセクハラとか、性教育まわりはいろんなこと話しなきゃならんわけですが、100人200人の講義してたら(大講義じゃなくても)そういうのをすでに経験しているひとびとが一定数いることは当然のことですよ。なにが「友人」ですか。長年そういう授業していったい何をいってるのですか。私はそういうのは許せませんね。そしてそういうのがフェミニズム教育だかジェンダー教育なのだとしたら、そういうのいらんのではないでしょうか。

まあその後ろの方の紆余曲折した議論はあんまり文句ありません。我々は自己決定が大事です。性産業はかなり難しいサービス業で、みんなが簡単にできるようなものではありません。特に若い人々ができるようなものではないし、いろいろ危険なのでせめて18歳ぐらいで規制しておきましょう。ちゃんとした自己決定ができるようになるために、家庭や教育は大事だし、ちょっとずつ自己決定したり拒否したりする訓練をしていかねばなりません。こんなの、誰だって言ってることじゃないですか。いったいなにをしてるんですか。

最初から性産業は特別な仕事だ、よくない仕事だって思いこんでるから自己決定だけじゃだめだって言いたくなるんではないですか? 危険な仕事はほかにもたくさんあります。そして、多くの場合、人々はいろんな選択を繰り返しながら自己決定を学んでいき、一部の人は危険な仕事をみずから選択する。強制される場合は社会がそれを保護しなければならないし、強制する奴等は罰しなければならない。まあそういうのは私も同意します。

でも古久保先生は、けっきょく、

自らのセクシュアリティを「自然」と位置づけ、性暴力被害の結果すら「自己責任」とみなそうとする学生の意識は、15回の講義を終了してすら変わっていないことがある。まじめに授業と対峙しなかったからなのか、対峙できなかったからなのか、彼らが何に怯え、何に傷ついているから「抵抗」をしているのか、授業の感想からでは理解しきれない部分は大きい。「抵抗」を理解するところから、社会的公正教育の実効性は高まる(……)とされるが、80-100人程度のクラスでそれはなかなかに困難なことではある。

ってな感じで学生様に対する違和感や(自分自身の)抵抗感を表明しておられますが、それって学生の方ではなく先生の問題なんじゃないでしょうか。あまりに自分の価値観を学生様に押しつけようとしてないですか? 「まじめに授業と対峙しなかった」だの「対峙できなかった」だの、学生の反論を「抵抗」呼ばわりして大丈夫なのですか? それに、飾り窓の件のように、おそらく事実じゃないことを事実だと思いこんでませんか? もうすこし学生様たちの言い分を聞いてみてはどうでしょうか。私は本当にがっかりします。

References[ + ]

1. これ京都でもやったんですが、事前に住所指名を明記した予約とかしなきゃならなくて入れませんでした。

牟田先生たちの科研費報告書を読もう(1)

フェミニストの牟田和恵先生たちの科研費研究の使途がおかしいのではないか、みたいな難癖みないなのが話題になって、それに反応してか先生たちのグループが成果の電子書籍を公開してくれたので、ちょっと読んでみました。公開えらい。

私の印象では、ちゃんとしたグループ研究だと思いますね。立派だ。えらい。一部には「ジェンダー平等のための〜」っていうタイトルなのに、いわゆる慰安婦問題を中心にした研究にしぼられているのはどうなのかという声もあるようなのですが、まあジェンダー平等とかって目標の一部に慰安婦問題の考察が必要不可欠なのだ、みたいな立場だったら許されるのではないか。研究計画とか読んでないからわからんですが、まあそういうのはあんまり関心がない。

んで内容としてもろにセックスの話をあつかってるとわかる章だけ読んでみたんですが、研究として立派だとは思うものの、いろいろ言いたいことは出てきますね。

最初に言いわけしておくと、この論文集はいわゆる朝鮮半島での従軍慰安婦問題ってやつが中心になってて、そっちの方は私詳しくないのでそんなコメントできません。半島で軍が直接女性を狩り出したとかってことはあんまりなさそうだけど、でもいろんな業者に騙されたり売られたりして、とにかく本人の意に反していわゆる「慰安婦」になって/させられていたたひとはかなりいたろう、日本軍が間接的に関与してたことはもちろんあったろう、そして労働環境が劣悪な場合もかなりあったろう、ぐらいの認識です。日本軍は他の地域ではもっと直接的に邪悪なことをしていたとも思ってます。


んでまあ読んでみると、かなりいやな気分になるところがありました。いくつか指摘してみたいと思います。

牟田和恵「なぜ「慰安婦」はこれほどバッシングされるのか:性暴力をめぐる新たな認識をめざして」

牟田先生たちは台北の公娼館跡地を訪問して、昔そこで公娼をしていた白蘭さんという人に話を聞いたようなのですが、彼女はその公娼館にいたころが一番よかった、って言ってるらしいわけです。

幼いころから極貧で親に売られ苦労してきた白蘭さんにとってここで働いていた時代が、することを自分で決めることができ、一日3人も客を取れば十分生活できた、一番いい時期だったからと、公娼館の閉鎖後、食い詰め体を壊した彼女はここで死にたいと瀕死の状態で戻ってきていたのだった。

ということらしい。ところが牟田先生はその部屋を眺めて、

右奥の部屋は、かつて女性たちが客を取っていたままのかたちで保存されているのだが、そこは、セミダブルの寝台が部屋のほとんどを占め、化粧台等が端に置かれている。廊下や隣の部屋との境は薄いベニヤ板のような間仕切りで、しかも天井まで仕切られているわけではなく、上が10センチくらい空いている。ここで一回15分で客たちは「女を買って」いた。

この薄暗い部屋にたたずみながら私は、そこで行われていたのはいったい何だろうかと疑問を抱いていた。それは果たして「セックス」なのか?話し声は筒抜けでプライバシーの無いここでは、娼妓と客のコミュニケーションなど、身振りでのやり取り以外にはほとんどなかったであろう。男がズボンと下着を下ろし、女の上にのしかかり、ペニスを突き刺して擦り、射精するだけで終わるような15分だったであろう。それはどのような15分だったであろう。それはどのような意味でセックスなのだろうか?

といろいろ想像をめぐらせている。まあこれはよくわかります。15分じゃたしかに短かそうですねえ。でもほんとに15分なんだろうか。牟田先生は、上の白蘭さんが、15分で1日3人お客さんとって、計45分で3回セックスすると(楽に)生活できた、と想像しているのだろうか。そんなものなのかな。そこらへん、白蘭さんに聞くことはできなかったのかな。むずかしいですか。むずかしいでしょうな。聞きにくいわね。

でも、私はそういう場所に行ったことがないのでよくわかりませんが、同じような仕組みでやっていたはずの大阪飛田のは、井上理津子先生という方が『さいごの色街 飛田』というルポで描いてるんですね。かなり取材していて、良質なルポだと思います。そこだと、20分か30分が選べて、20分だと1万5千円(当時)とかで、けっこういろいろ話をしたりさまざまな交渉したりするらしいです。もうちょっとリアルな描写もあります。どうも「組み敷く」みたいな形ではない。当時の台湾や朝鮮半島でどうだったかはもちろん知らんけど、それほどちがってたろうか。まあ飛田に限らず、昭和初期からしばらくの遊廓やちょんの間や私娼窟みたいなのがどういうものだったかというのはいろいろ文学作品が残っていて、わりと正確に様子がわかるはずですね。そのころの朝鮮も外国というよりは日本帝国の一部だったわけだからそんな大きくちがってたわけでもないんちゃうかという気もします。なかにはおそらくやっぱり悲惨なやつもあれば、そうでもないのもあるだろうと思う。おもしろいかどうかわからないし、あんまり上品なものでもないし、つらいと思えなくもないけど、*牟田先生が思ってるほどは*悲惨ではないかもしれない。

でもこれは私が気になる問題ではないのです。私が問題にしたいのは、牟田先生がわざわざ現地調査に行って、「ここにいたときがいちばんよかった」とまで言うお姉さんの話を聞いていながら、たんに「それはどのような意味でセックスなのだろうか?」と想像するにとどまっていることですね。

牟田先生は(おそらく)性風俗一般について、「カネを払って「同意」を買っているとはいえ、それはレイプとどう違うのだろうか。」、買春は「幾ばくかの金銭によって同意を擬制しただけのレイプではないのか?」という疑問を持ち、「私たちはそれを長らく、合法・非合法を問わず、「セックスをカネで買う」商行為とみなしてきたが、実はそれは、経済的社会的力関係の下でなければ生じえない性交の強制、すなわちレイプに他ならないのではないか」とおっしゃる。

んじゃ上の白蘭さんはレイプされいた時代が生涯で一番よい時代だったということになる。それでいいのだろうか。さらに気になるのは、その文章につけられた注ですわ。

ここでの記述は、現実のセックスワーカーの方々とその現場について述べているのではなく(実際、上述の通り白蘭さんが、文萌楼で公娼として働いていた時期が自分の人生で最良だったと語っていた事実は重い)、性行為の「同意」についてラディカルに考えるならばこうした見方ができうるのではないかという理論的な問題提起であることを断っておく。

これを見たとき、私ほんとにいらいらして禁煙していたタバコ吸ってしまました 1)あえて書いておけば、もちろん牟田先生が言いたいのは、公娼として働いているときがベストだったと言わねばならなおいほどつらい人生を送らねばならない人生とはどのようなか、という共感なのはわかっているつもりです。。実際に人々がおこなっているセックスはどのようなものかと調査したり考えたりするよりも、まず「ラディカルに考えるならばこうした見方ができうるのではないか」ってのを優先するというのは、いったいどういうことなのかわたしにはわからないです。なぜ牟田先生はわざわざ取材・調査に応じてくれた白蘭さんの言葉や思いをもっと紹介してくれないのだろう。なぜ白蘭さんという生身の人の生身の経験を踏み台にして、いきなりアメリカの白人インテリのラジカルフェミニストの理論から見た売買春の話にジャンプしてしまうのだろう。

「慰安婦」とか債務奴隷の状態にされた人々のなかにものすごく悲惨な経験をした人々が、かなり多数いるのはまちがいないところだと思うわけですが、だからといって「ラディカルに考える」ために、人々の姿を勝手に想像し押しつけるのははまちがっていると思う。それがフェミニズムとか哲学とか社会学とかだったら、そういう学問はなくてもよいのではないかとさえ思ってしまいました。(続きます)

References[ + ]

1. あえて書いておけば、もちろん牟田先生が言いたいのは、公娼として働いているときがベストだったと言わねばならなおいほどつらい人生を送らねばならない人生とはどのようなか、という共感なのはわかっているつもりです。

「飲み物を飲んだら急に眠くなって、気が付いたらセックスの最中だった!」はおかしいか

なんか、内閣府男女共同参画局関係の広報が炎上していたようです。

「飲み物を飲んだら急に眠くなって、気が付いたらセックスの最中だった!」というツイートが話題になっていて、これは「セックス」ではなく「レイプ」と書くべきだろう、のようなコメントがついているようです。どうでしょうか。

「セックスの最中」っていうワーディングはなんかへんな感じがするので、「飲み物を飲んだら急に眠くなって、気が付いたらセックスされていたようだ」ぐらいだと問題なかったかもしれませんね。なんだか「最中」がへん。

ただ、これセックスをレイプにおきかえて、「気が付いたらレイプの最中だった」にするのはあんまりよくないと思います。

ここで注意しておきたいのが、やはり言葉の定義の問題、そして記述的意味と評価的(規範的)意味と呼ばれるものの区別です。

倫理学のふつうの理解では、評価的・規範的な言説、つまり「〜はよい」とか「〜するのは悪だ」といった会話などをするとき使われる語については、それが記述的な意味しかもってないのか、それとも評価的な意味も含んでいるのかを注意するべきです。

定義はそれを自覚していればどうやってもいいようなものですが、まあ「セックス」の意味は、ふつうはなにか二人以上で体を使ってエッチなことをすることで、まあ性器挿入とかそういうのがないとセックスと言わないって人もいるかもしれませんが、ここではもっと広くとりましょう。素敵じゃないセックスはセックスじゃない、っていう人はあんまり多くないでしょうね。よいセックスもあれば悪いセックスもある。こういう言葉は記述的意味、つまりその2人なり3人なりがやっているのが体を使ったエッチなことである、ぐらいのことを意味しています。

一方レイプは、ふつうの理解では「強制的に、あるいは相手が抵抗できない状態でセックスすること」ぐらいでしょうか。これも性器挿入がないとレイプじゃないっていうひともいれば、もっと広い範囲をレイプと呼ぶ人もいるでしょう。これは「レイプ」と呼ばれる行為の「記述的な」範囲が人によって異なっている、ということです。どっからがレイプになるかは、もし必要があれば定義しなければならない。とりあえず、いろいろあるセックスのなかで、レイプは強制的なものセックスである、ということになります。レイプよりセックスの方が指し示す範囲が広い。

注意すべきなのは、「レイプ」は、ふつうは、ひどく悪く、不正なことであり、非難され罰されるべき行為である、と理解されていて、「それは悪い」という評価的・規範的な意味ももってることです。ことです。「よいレイプ」というのはふつうはないと考えられているので、「彼は悪いレイプをした」のような表現も冗長であると考えられます。レイプは悪いセックス、不正なセックスの代表であるわけです。

この男女共同参画局の広報では、アルコールなどで意識がないときにセックスされたり、触られたり、動画をとられたりするのが性的な被害でありそれをした人々は非難され罰されるべきだ、被害を受けた人は被害を受けたと考えて当然だし、できればそれを訴えてください、という広報なわけです。あなたがされているセックスは悪いものであり、レイプだ、って言いたいわけなので、まあ広報ではああいう形になるのがただしいと思いますね。とりあえず、意識がないのにセックスしていた、ということはわかるって人々に、それは被害を受けてるんですよ、って言いたいわけだろうし。それが狭い意味の「レイプ」かどうかとか、強制性交罪とか強制挿入だかなんだかそういうのに当てはまるのかどうか、とかそういうのはあとでいい話。

レイプが非常に悪いことであると正しく理解している人々は、広報の「セックスの最中」というのはやはりそれが悪いことであることを示すために、評価的・規範的意味を含んだ「レイプの最中」におきかえて、それがとてつもなく悪いことであることを強調しようとしたいと思うのかもしれませんが、それはあまり効果的ではないかもしれない。

最初から「薬を盛られてレイプされている最中だった」と考えることができる人であれば、それはレイプだというのは当然わかっているわけで、この広告が対象としている人々ではない。

もちろんもっと別のうまい書き方はできるのですが、そんなに気になるほど悪い書き方でもないと思います。


んで、「レイプはセックスではない」って言いたいひとは、「セックス」をもっと狭い意味でとらえているのですね。「2人以上が同意の上で、体を使ったエッチなことをするのがセックスだ」ぐらいの定義かもしれません。これだとレイプは同意がないのだからセックスではない。そういう意味で使うひとはそれでもいいです。でも今度は、「同意のあるセックス」とか「同意のないセックス」とかっていう表現が、矛盾したり冗長だったりすることになります。

どういうふうに言葉を定義するのがうまいかかっていうことは主張しようとしている内容や場面によって変わってくるので一概には言えませんが、私の好みは、語はなるべく記述的に、そして広く定義して、必要なときはいちいち形容語をつける、ぐらいの方針です。

セックスは「2人以上でするエッチなこと」ぐらいにしておけば、「オーラルセックス」は片方が口でするエッチなこと、「性器セックス」は2人が性器をつかってするエッチなことぐらいであることが明示できる。最初からせまく「男性と女性がそれぞれ性器つかって、男性が女性に性器を挿入すること」とか定義しちゃうと、それ以外の形のはセックスじゃないことになっちゃいますからね。同意のあるセックス、ないセックス、とかも言えるし。

実はこれ、どういうふうに定義しても、つまり、語を広く定義しても狭く定義しても、そして記述的に定義しても評価的意味も含むように定義しても、ちゃんと議論をすれば同じような前提から同じような結論が出ます。レイプ(=強制的なセックス)がわるいことであるのは、「レイプ」が悪いことであるという定義によるのではなく、強制的なセックスが悪いことだからであって、それが悪いことであるのは、ひどく人を傷つけ、自律を損ない、身体的に痛めつけ、などなど、人に被害をもたらしたり、尊厳を傷つけたり、法律に反したりするからです。

相手がなにを言おうとしているのかをちゃんと読み聞きしようとせずに、自分自身の定義(たとえば「セックスは同意のあるものだけ」)を押しつけたり、相手の言葉だけをとらえて、その定義をたしかめずに非難するというのはとてもよくないことなので、いちおう定義たしかめたり発言の真意を探ったりしてみてほしいですね。

あととりあえず酒の飲み過ぎには注意してください。性的被害だけじゃなくて死んだりするし、お店のトイレとか汚れるのも迷惑です。死ぬかレイプされるおそれは非常に大きなものです。一気呑みとかするサークルは即やめましょう

また、お店の人も儲けのためといって黙認しないで、ちゃんと止めてください。私はそういうの放っておくのはお店の人たちも同罪だと思います。

おじさんおばさんは、一気呑みしているグループがあったら勇気を出して止めましょう。リーダー格のにトイレで「ほどほどにね」ちょっと一言言う、ぐらいでも効果あるかもしれません。

まあとにかくお酒には注意しましょう。

あと酒飲みセックス、酔っ払いセックスはいろいろ考察に値するおもしろいネタがあるんですが、それはここらで。

(あれ、なんで(2)がないんだろう?)


尊敬する先生がもっとわかりやすく正確な記事を書いてるのでそちらをどうぞ。 https://flipoutcircuits.blogspot.jp/2018/03/blog-post_29.html

最近活躍している谷田川知恵先生の強姦被害者16万という数字は雑すぎる

下のを書いたあとに、問題はもっと複雑だし、たしかに性暴力被害の問題は深刻だよなと思って消してたんですが、まあ一回公開したものだし置いときます。また考えなおします。


谷田川知恵先生という方は実は前から注目していて、どういうかたかわからないのですが、いろいろ雑な印象があります。ジェンダー法学会が出してる「講座 ジェンダーと法」シリーズの『暴力からの解放』(2012)での谷田川先生の「性暴力と刑法」から。

年間16万人の女性が強姦されているが、警察に届けられるのは数%にすぎず、検挙、起訴されて有罪が言い渡される加害者は500人にすぎない—-暗数が有罪人員の300倍にもなるのは女性差別の強い異国の話ではない。日本である。

16万人というのはすごい数で、これはほんとうに早急に対策打たないとならないと思います。私はとりあえずセックス禁止、セックス免許制がいいと思いますね。レイプしない講習を受けて、ペーパーテストと実技験受けて、合格者だけがセックス可能にして、違反があったらすぐに免許取り上げ。

しかし谷田川先生はどっからこの数字をもってきたのでしょうか。暗数が300倍というのは異常すぎます。
性犯罪の暗数はみんな興味があるのでいろんな数字が出されていますが、300倍というのはさすがに見たことがない。

谷田川先生のこの解釈はずいぶんオリジナルなもので、例の内閣府の調査から自分で解釈しています。

内閣府男女共同三角局「男女間における暴力における調査報告書」(2012)では、全国20歳異常から無作為抽出された女性の1.25%が過去5年かんに「異性から無理やりに性交された」と回答しており、5年以上前であった者を含めて3.7%しか警察に連絡・相談していない。日本人女性人口が6,500万人として年間0.25%の16万人が「無理矢理に性交」され、警察へは6000人ほどしか連絡・相談していないと推計できる。この調査は2005年から3年ごとに行なわれているが、この傾向に大きな変化はない。警察では相談のみで告訴のない強姦事件の立件は稀であるから、2010年犯罪統計における強姦認知件数が1,289件、検挙件数が995件であることは推計と矛盾しない。同年検察統計における強姦起訴率は45.2%、検挙件数は568件。同年司法統計では、強姦単独の統計はなく、「わいせつ、姦淫、重根の罪」の総計で地裁における通常第1審の無罪判決は5件。(p.197)

ということです。あれ、なんかへんだな思って平成23年の調査みたのですが、これですよね。
http://www.gender.go.jp/policy/no_violence/e-vaw/chousa/pdf/h23danjokan-8.pdf

これは「異性から無理矢理に性交された経験の有無」を聞いて(7.6%)、さらに「あり」の人のなかから5年以内に被害を受けた人を特定している(16.4%)。0.076 * 0.164%ってんで0.0125ぐらい、ってんで女性の1.2%が5年以内に被害を受けてます。たしかにこれは少ないように見えてたいへんですよね。でこれを5年間でわって1年あたり0.24、まるめて0.25%ですか。ここまでは(こういう紹介の仕方がフェアなのかどうかはわからないけど)よい。

でも、これって、被害をうける女性の年齢を考えてないっしょ。
http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/62/nfm/n62_2_6_2_1_6.htmlにあるとおり、20代と30代がほとんどなんよね。だから女性全体の6500万人に(簡単に)拡大してはいけない。まあ「あらゆる年代・特徴の女性が強姦の被害者になる」っていう例の反レイプ神話的フェミニスト立場の反映でしょうが、なんの根拠もなくそういうことしていいんですか。

年間500件の強姦有罪件数を16万件に引き上げることを目指すなら、男性による女性の同意の主張をいっさい認めないことが有用であろう。……要するに、男性が女性の同意を主張するには客観的証拠を必要とするのである。 (p.193)

なんですかこれは。

フェミニストとか性暴力とか、本気でこの問題考えたいひとはちゃんとやってくださいよ。谷田川先生は最近話題になったニューヨークタイムズの記事のインフォマントみたいだし、立憲民主党だかの政策にもかかあわりつつあるみたいだし、ちょっと心配しています。

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福岡で浮気・不倫(の哲学)してきました

と、そういやおかげさまで修羅の国福岡から帰ってきております。

例の「不倫を哲学する」の某大学合同ゼミ、勝手なことをしゃべらせてもらってたいへん感謝感謝。まあ聴衆からすると不倫ってよりは浮気だろう、クリスマスだし、ってんで「不倫を哲学するまえにまずデータ見た方がいいっしょ」ってな感じでなんかフィッシャー先生その他の実証データ出しておわり、みたいな感じになってしまいました。もうしわけない。

私の考えでは、そのデータを見て満足いかなかったときに心理学や社会学が必要になり、そんでも満足できない場合は哲学する、みたいな感じかなあ。私の考えでは、なんか哲学って「考えることを考える」ってことで、それはもとになるなんらかのデータなり文献なりが必要なんすよね。なにもないところからは考えられないし、データみないと自分が見たもの経験したものだけで勝手なことを考えてしまってよくないと思う。我々の多く(6〜7割?)は不倫も浮気も実際にはしないので、勝手に考えてはいかん、みたいな。

まあちょっとだけ哲学者の見解を紹介しましたが、学生様たちはあんまり納得いかなかったかもしれないです。それでも学生様たちはものすごく元気で、あれは学生様たちも偉いし指導している先生たちの力量もすばらしいですね。私そういうのまだまだよねえ、などと考えておりました。ツイッタでおなじみの人々数人とも会えてとてもよかった。感謝感謝。

そのあと4日間、某「空にボーイングが飛び近所にバイパスがある大学」で集中講義。これもセックスセックス。前日のあれがあったので、恋愛やら不倫やらで2日使ってしまって予定がくるってしまったんですが、残りは性暴力、ポルノ、売買春ってあたりを学生様たちとたっぷり時間とって議論できてこれもたいへん勉強になりました。感謝感謝。先生たちも聴講してくれて、特にずっと聴講してコメントしてくれた某先生にはものすごく感謝しています。

時間けっこうあるので音楽とか聞きながら色々やれて楽しかった。最終日には学生様たちの飲み会に誘ってもらったのですが、これもみんな元気で仲が良くて、国立大学の小講座制ってこういうよさがあるよな、みたいなの確認しますた。

まあ喋らせてもらった成果はぼちぼち紹介したいと思います。まあたびに出るのも大事ねえ、みたいな年末でした。

12月22日に不倫(を哲学)しに福岡に行きます

12月22日に修羅の国福岡の福岡大学の宮野先生と九州産業大の藤田先生の合同ゼミに呼んでもらってますので、江口が袋叩きにあうのを見たい方はどうぞ。22日18時から、福岡大学A棟A803だそうです。なんか適当に話をしてということだと理解したので、時節柄「不倫を哲学する」にしてみました。時期的・客層的には「浮気の哲学」にするべきでしたね。ははは。よかったらどうぞ。自分のところの授業でいつもしゃべっているようなことをしゃべるつもりです。資料とかつくる暇があるかどうか。

んでそのあと某大学で集中講義やらせてもらうんですよね。生きて帰ってこれるかどうかもわかりません。しゅらしゅら。

Careless Whisperでも貼っときますか。

モテる男とモテない男の違いをオフコースとジンバルドー先生から学ぼう

「Yes-No」「いくつもの星の下で」の比較なんですが、まあYes-Noの圧勝ですよね。「星の」の主人公に性的な魅力を感じる女子はそんないないと思う。実は学生様に2曲聞いてもらったんですが、

「最後の2曲の比較について、断然、いっしょにいて楽しそうなのは Yes-Noのほうだと思いました。鈴木さんの歌詞はなんか女々しくてドキドキしません。メロディーラインも、小田さんの方が引かれるものがありますね。年下の超イケメン君が鈴木さんの方だったらまもってあげたくもなりますが……」

みたいなことをコメント書いてくれた学生様がいました。まあ二十代前半だとそういう感じちゃいますかね。真面目なひとはモテないです。これがまさに、現代の男子の問題なんですよね。

真面目で良い人(Good Guy)はもてない、むしろ、ろくでなし(ジャーク)だけどなんか取り柄のあるように見えるやつがモテし、セックスできる。この問題は前にも何回か紹介しました。

最近読んだ、ジンバルドー先生(心理学の世界ではものすごく有名)の『男子劣化社会』でもそういう問題を扱ってます。

男子劣化社会

男子劣化社会

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ジンバルドー先生は基本的にリベラルで、女性の権利とかに非常に肯定的なんだけど、一方で男子の方がケアされず教育されないままにネットに翻弄されていることを嘆いている。

いまでは女性が「ノー」と言うと男性は真に受け、その先のアプローチをどうしたらいいかわからず、撤退する。結果、男女どちらにとってもデートのチャンスは減る。または、男性は説明もなしに拒絶されたので相手女性に感じの悪い態度を取るか、ナンパの達人からテクニックを学ぼうとする。とりわけ男性の頭が混乱するのは、女性たちが大事にしてくれるやさしい男性といっしょになりたいと言いながらも、実際には押しの強い、女性の気持ちなど無視する男性により惹かれているのを目撃したときだ。 (p.213)

実際、女性の大半が恋愛の対象となる人からは、冷静に考えた末ではなく、ただ激しく欲情されていると感じたがっているが、これが次の手を打つ男性には判断にこまる局面を作り出す。 (p. 213)

これはまさに、鈴木先生はもてずに小田先生やドン・ジョヴァンニがモテる理由なのです。

ジンバルドー先生は、マークホワイト先生っていう方のブログ記事も紹介している。(こういうのはモテない系哲学者の独擅場よね。どうですか、このブログ記事の写真のよい人ぐあいは!)

もしわたしがデート中におもいやりある心遣いと自然発生的な欲情のちょうどいいバランスを取ろうとすれば、相手女性に十分な尊敬の気持ちを見せないことで起きる損失—具体的には、女性の心を傷つけたり怒らせたりするリスク—は、情熱や欲情ぶりを十分に見せないことで生じる損失—女性をがっかりさせ、恋愛関係の成立を危うくするリスク—よりはるかに大きいと考えます。私の性格からすれば、前者のリスクは後者のそれより問題にならないほど深刻なので、私の態度はつい尊敬と心遣いの方に傾きます。……彼らは「これをしても大丈夫?」「あれをしても大丈夫?」と訪ねた結果、あなたを性的昏睡状態に陥らせる可能性があります (p. 214)

「性的昏睡状態」ってのは、まあ興奮してない状態、性的にまったく興味のない状態ね。まあこの先生は意識明晰でも性的昏睡状態の人をかなり作り出したんですかね。つらい。多くのナンパの達人みたいなひとは意識を低下させろって言ってますからねえ。宮台先生とか。

まあそういうのってなかなか難しいところですなあ。

この問題に興味あるひとは、下読むといいです。

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ファレル先生はメンズリブ運動の旗手で、チアリーダーみたいな女子に相当あれされたみたいです。

サルトル先生は気づかないふりをする系女子を自己欺瞞っていって非難してます

あんまり自己欺瞞しない目覚めた女性ボーヴォワール先生と。もう手を握ったりする関係ではなかたったのかどうか。

サルトル先生はしばらく名前あんまり聞かなくなって、ちょっと前に復活の兆しがあり、でもやっぱりポシャっちゃった感じがあってなんか微妙なんですが、SMセックス哲学や「自己欺瞞」の議論はとてもおもしろいので、研究者の先生たちにはがんばってほしいところです。応援してます。がんばれー。

んで前のエントリーのオフコースの「Yes-No」の「好きな人はいるの?答えたくないなら聞こえないふりをすればいい」なんですが、これおそらく元ネタはサルトル先生なんですわ。『存在と無』から引用。ページとかはあとでつけますね。

たとえば、ここにはじめてのデートにやってきた女がいるとしよう。彼女は、自分に話しかけているこの男が自分に関してどんな意図をいだいているかを十分に知っている。彼女はまた、早晩、決断しなければならないときが来ることも知っている。けれども彼女は、それをさし迫ったことだとは感じたくない。彼女はただ相手の態度が示す丁寧で慎しみぶかい点だけに執着する。

デートするときってのは、女子は男子の下心っていうか性欲、セックスしたい欲はもちろんわかってるし、そのうち迫られちゃうのもわかってるけど、もう少し先延ばしして色目つかったり口説かれたりイチャイチャしたりそういうのを楽しみたい、というわけです。そこで「まあこのひとはジェントルマンだから、っていうかこのひとこそオネットム」ってやるわけね。

……彼女は、彼が話しかけることばのなかに、その表面的な意味以上のものを読みとろうとしない。「僕はあなたをこんなにも賛美しています」と言われた場合、彼女はこのことばからその性的な下心を取り去る。。・・・彼女は自分が相手に催させる欲情に対してきわめて敏感である。しかし露骨で赤裸々な欲情は、彼女を辱め、彼女に嫌悪をいだかせるであろう。

たとえばカズマサ・オダ(仮名)っていう日系フランス人が、「おう、あなたはすてきでーす、でもオカのコトカンガエえてましたー、シルブプレ?」とかやっても、「このカズマサオダは私の話を聞かずにおっぱいのことを考えてたのだな」とは思わないわけです。そういうこと考えると折角のキブンがわるくなるから。

……いまここで、相手の男が彼女の手を握ったとしよう。相手のこの行為は、即座の決断をうながすことによって、状況を一変させるかもしれない。この手を握られたままにしておくと、自分から浮気に同意することになるし、抜きさしならぬはめになる。さりとて、手を引っこめることは、このひとときの魅惑をなしているこのおぼろげで不安定な調和を破ることである。娘は手をそのままにしておく。けれども、彼女は自分が手をそのままにしていることには気づかない。

カズマサオダから、手を握られて「おう、マドモアゼール、あたなカレシいるのですかーシルブプレ」って聞かれても、答えるとどっちにしても面倒なので、気づかないふりをするわけです。肩をだかれても気づかないし、なんかとにかくなにされても気づかないわけですね。「キミをダいていいですかシルブプレ」とか言われてもなにも聞かないしなにも見ないし、面倒だから心がどこにあるのかも考えないようにする。「ココロドコニアリマスカー」これがサルトルの自己欺瞞すわ。

オフコースの先生たちが大学生活を送っていた70年から数年ってのはサルトル流行ってたので、まあ誰でもこういう議論はしっていたわけです。それがあれに反映されてたんちゃうかと思います。

サルトルの議論がミソジニーっぽいとかってのはそうだろうし、そもそもそれってどうなのってのはあると思いますね。でもまあ今回はその議論はパス。