「飲み物を飲んだら急に眠くなって、気が付いたらセックスの最中だった!」はおかしいか

なんか、内閣府男女共同参画局関係の広報が炎上していたようです。

「飲み物を飲んだら急に眠くなって、気が付いたらセックスの最中だった!」というツイートが話題になっていて、これは「セックス」ではなく「レイプ」と書くべきだろう、のようなコメントがついているようです。どうでしょうか。

「セックスの最中」っていうワーディングはなんかへんな感じがするので、「飲み物を飲んだら急に眠くなって、気が付いたらセックスされていたようだ」ぐらいだと問題なかったかもしれませんね。なんだか「最中」がへん。

ただ、これセックスをレイプにおきかえて、「気が付いたらレイプの最中だった」にするのはあんまりよくないと思います。

ここで注意しておきたいのが、やはり言葉の定義の問題、そして記述的意味と評価的(規範的)意味と呼ばれるものの区別です。

倫理学のふつうの理解では、評価的・規範的な言説、つまり「〜はよい」とか「〜するのは悪だ」といった会話などをするとき使われる語については、それが記述的な意味しかもってないのか、それとも評価的な意味も含んでいるのかを注意するべきです。

定義はそれを自覚していればどうやってもいいようなものですが、まあ「セックス」の意味は、ふつうはなにか二人以上で体を使ってエッチなことをすることで、まあ性器挿入とかそういうのがないとセックスと言わないって人もいるかもしれませんが、ここではもっと広くとりましょう。素敵じゃないセックスはセックスじゃない、っていう人はあんまり多くないでしょうね。よいセックスもあれば悪いセックスもある。こういう言葉は記述的意味、つまりその2人なり3人なりがやっているのが体を使ったエッチなことである、ぐらいのことを意味しています。

一方レイプは、ふつうの理解では「強制的に、あるいは相手が抵抗できない状態でセックスすること」ぐらいでしょうか。これも性器挿入がないとレイプじゃないっていうひともいれば、もっと広い範囲をレイプと呼ぶ人もいるでしょう。これは「レイプ」と呼ばれる行為の「記述的な」範囲が人によって異なっている、ということです。どっからがレイプになるかは、もし必要があれば定義しなければならない。とりあえず、いろいろあるセックスのなかで、レイプは強制的なものセックスである、ということになります。レイプよりセックスの方が指し示す範囲が広い。

注意すべきなのは、「レイプ」は、ふつうは、ひどく悪く、不正なことであり、非難され罰されるべき行為である、と理解されていて、「それは悪い」という評価的・規範的な意味ももってることです。ことです。「よいレイプ」というのはふつうはないと考えられているので、「彼は悪いレイプをした」のような表現も冗長であると考えられます。レイプは悪いセックス、不正なセックスの代表であるわけです。

この男女共同参画局の広報では、アルコールなどで意識がないときにセックスされたり、触られたり、動画をとられたりするのが性的な被害でありそれをした人々は非難され罰されるべきだ、被害を受けた人は被害を受けたと考えて当然だし、できればそれを訴えてください、という広報なわけです。あなたがされているセックスは悪いものであり、レイプだ、って言いたいわけなので、まあ広報ではああいう形になるのがただしいと思いますね。とりあえず、意識がないのにセックスしていた、ということはわかるって人々に、それは被害を受けてるんですよ、って言いたいわけだろうし。それが狭い意味の「レイプ」かどうかとか、強制性交罪とか強制挿入だかなんだかそういうのに当てはまるのかどうか、とかそういうのはあとでいい話。

レイプが非常に悪いことであると正しく理解している人々は、広報の「セックスの最中」というのはやはりそれが悪いことであることを示すために、評価的・規範的意味を含んだ「レイプの最中」におきかえて、それがとてつもなく悪いことであることを強調しようとしたいと思うのかもしれませんが、それはあまり効果的ではないかもしれない。

最初から「薬を盛られてレイプされている最中だった」と考えることができる人であれば、それはレイプだというのは当然わかっているわけで、この広告が対象としている人々ではない。

もちろんもっと別のうまい書き方はできるのですが、そんなに気になるほど悪い書き方でもないと思います。


んで、「レイプはセックスではない」って言いたいひとは、「セックス」をもっと狭い意味でとらえているのですね。「2人以上が同意の上で、体を使ったエッチなことをするのがセックスだ」ぐらいの定義かもしれません。これだとレイプは同意がないのだからセックスではない。そういう意味で使うひとはそれでもいいです。でも今度は、「同意のあるセックス」とか「同意のないセックス」とかっていう表現が、矛盾したり冗長だったりすることになります。

どういうふうに言葉を定義するのがうまいかかっていうことは主張しようとしている内容や場面によって変わってくるので一概には言えませんが、私の好みは、語はなるべく記述的に、そして広く定義して、必要なときはいちいち形容語をつける、ぐらいの方針です。

セックスは「2人以上でするエッチなこと」ぐらいにしておけば、「オーラルセックス」は片方が口でするエッチなこと、「性器セックス」は2人が性器をつかってするエッチなことぐらいであることが明示できる。最初からせまく「男性と女性がそれぞれ性器つかって、男性が女性に性器を挿入すること」とか定義しちゃうと、それ以外の形のはセックスじゃないことになっちゃいますからね。同意のあるセックス、ないセックス、とかも言えるし。

実はこれ、どういうふうに定義しても、つまり、語を広く定義しても狭く定義しても、そして記述的に定義しても評価的意味も含むように定義しても、ちゃんと議論をすれば同じような前提から同じような結論が出ます。レイプ(=強制的なセックス)がわるいことであるのは、「レイプ」が悪いことであるという定義によるのではなく、強制的なセックスが悪いことだからであって、それが悪いことであるのは、ひどく人を傷つけ、自律を損ない、身体的に痛めつけ、などなど、人に被害をもたらしたり、尊厳を傷つけたり、法律に反したりするからです。

相手がなにを言おうとしているのかをちゃんと読み聞きしようとせずに、自分自身の定義(たとえば「セックスは同意のあるものだけ」)を押しつけたり、相手の言葉だけをとらえて、その定義をたしかめずに非難するというのはとてもよくないことなので、いちおう定義たしかめたり発言の真意を探ったりしてみてほしいですね。

あととりあえず酒の飲み過ぎには注意してください。性的被害だけじゃなくて死んだりするし、お店のトイレとか汚れるのも迷惑です。死ぬかレイプされるおそれは非常に大きなものです。一気呑みとかするサークルは即やめましょう

また、お店の人も儲けのためといって黙認しないで、ちゃんと止めてください。私はそういうの放っておくのはお店の人たちも同罪だと思います。

おじさんおばさんは、一気呑みしているグループがあったら勇気を出して止めましょう。リーダー格のにトイレで「ほどほどにね」ちょっと一言言う、ぐらいでも効果あるかもしれません。

まあとにかくお酒には注意しましょう。

あと酒飲みセックス、酔っ払いセックスはいろいろ考察に値するおもしろいネタがあるんですが、それはここらで。

(あれ、なんで(2)がないんだろう?)


尊敬する先生がもっとわかりやすく正確な記事を書いてるのでそちらをどうぞ。 https://flipoutcircuits.blogspot.jp/2018/03/blog-post_29.html

最近活躍している谷田川知恵先生の強姦被害者16万という数字は雑すぎる

下のを書いたあとに、問題はもっと複雑だし、たしかに性暴力被害の問題は深刻だよなと思って消してたんですが、まあ一回公開したものだし置いときます。また考えなおします。


谷田川知恵先生という方は実は前から注目していて、どういうかたかわからないのですが、いろいろ雑な印象があります。ジェンダー法学会が出してる「講座 ジェンダーと法」シリーズの『暴力からの解放』(2012)での谷田川先生の「性暴力と刑法」から。

年間16万人の女性が強姦されているが、警察に届けられるのは数%にすぎず、検挙、起訴されて有罪が言い渡される加害者は500人にすぎない—-暗数が有罪人員の300倍にもなるのは女性差別の強い異国の話ではない。日本である。

16万人というのはすごい数で、これはほんとうに早急に対策打たないとならないと思います。私はとりあえずセックス禁止、セックス免許制がいいと思いますね。レイプしない講習を受けて、ペーパーテストと実技験受けて、合格者だけがセックス可能にして、違反があったらすぐに免許取り上げ。

しかし谷田川先生はどっからこの数字をもってきたのでしょうか。暗数が300倍というのは異常すぎます。
性犯罪の暗数はみんな興味があるのでいろんな数字が出されていますが、300倍というのはさすがに見たことがない。

谷田川先生のこの解釈はずいぶんオリジナルなもので、例の内閣府の調査から自分で解釈しています。

内閣府男女共同三角局「男女間における暴力における調査報告書」(2012)では、全国20歳異常から無作為抽出された女性の1.25%が過去5年かんに「異性から無理やりに性交された」と回答しており、5年以上前であった者を含めて3.7%しか警察に連絡・相談していない。日本人女性人口が6,500万人として年間0.25%の16万人が「無理矢理に性交」され、警察へは6000人ほどしか連絡・相談していないと推計できる。この調査は2005年から3年ごとに行なわれているが、この傾向に大きな変化はない。警察では相談のみで告訴のない強姦事件の立件は稀であるから、2010年犯罪統計における強姦認知件数が1,289件、検挙件数が995件であることは推計と矛盾しない。同年検察統計における強姦起訴率は45.2%、検挙件数は568件。同年司法統計では、強姦単独の統計はなく、「わいせつ、姦淫、重根の罪」の総計で地裁における通常第1審の無罪判決は5件。(p.197)

ということです。あれ、なんかへんだな思って平成23年の調査みたのですが、これですよね。
http://www.gender.go.jp/policy/no_violence/e-vaw/chousa/pdf/h23danjokan-8.pdf

これは「異性から無理矢理に性交された経験の有無」を聞いて(7.6%)、さらに「あり」の人のなかから5年以内に被害を受けた人を特定している(16.4%)。0.076 * 0.164%ってんで0.0125ぐらい、ってんで女性の1.2%が5年以内に被害を受けてます。たしかにこれは少ないように見えてたいへんですよね。でこれを5年間でわって1年あたり0.24、まるめて0.25%ですか。ここまでは(こういう紹介の仕方がフェアなのかどうかはわからないけど)よい。

でも、これって、被害をうける女性の年齢を考えてないっしょ。
http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/62/nfm/n62_2_6_2_1_6.htmlにあるとおり、20代と30代がほとんどなんよね。だから女性全体の6500万人に(簡単に)拡大してはいけない。まあ「あらゆる年代・特徴の女性が強姦の被害者になる」っていう例の反レイプ神話的フェミニスト立場の反映でしょうが、なんの根拠もなくそういうことしていいんですか。

年間500件の強姦有罪件数を16万件に引き上げることを目指すなら、男性による女性の同意の主張をいっさい認めないことが有用であろう。……要するに、男性が女性の同意を主張するには客観的証拠を必要とするのである。 (p.193)

なんですかこれは。

フェミニストとか性暴力とか、本気でこの問題考えたいひとはちゃんとやってくださいよ。谷田川先生は最近話題になったニューヨークタイムズの記事のインフォマントみたいだし、立憲民主党だかの政策にもかかあわりつつあるみたいだし、ちょっと心配しています。

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福岡で浮気・不倫(の哲学)してきました

と、そういやおかげさまで修羅の国福岡から帰ってきております。

例の「不倫を哲学する」の某大学合同ゼミ、勝手なことをしゃべらせてもらってたいへん感謝感謝。まあ聴衆からすると不倫ってよりは浮気だろう、クリスマスだし、ってんで「不倫を哲学するまえにまずデータ見た方がいいっしょ」ってな感じでなんかフィッシャー先生その他の実証データ出しておわり、みたいな感じになってしまいました。もうしわけない。

私の考えでは、そのデータを見て満足いかなかったときに心理学や社会学が必要になり、そんでも満足できない場合は哲学する、みたいな感じかなあ。私の考えでは、なんか哲学って「考えることを考える」ってことで、それはもとになるなんらかのデータなり文献なりが必要なんすよね。なにもないところからは考えられないし、データみないと自分が見たもの経験したものだけで勝手なことを考えてしまってよくないと思う。我々の多く(6〜7割?)は不倫も浮気も実際にはしないので、勝手に考えてはいかん、みたいな。

まあちょっとだけ哲学者の見解を紹介しましたが、学生様たちはあんまり納得いかなかったかもしれないです。それでも学生様たちはものすごく元気で、あれは学生様たちも偉いし指導している先生たちの力量もすばらしいですね。私そういうのまだまだよねえ、などと考えておりました。ツイッタでおなじみの人々数人とも会えてとてもよかった。感謝感謝。

そのあと4日間、某「空にボーイングが飛び近所にバイパスがある大学」で集中講義。これもセックスセックス。前日のあれがあったので、恋愛やら不倫やらで2日使ってしまって予定がくるってしまったんですが、残りは性暴力、ポルノ、売買春ってあたりを学生様たちとたっぷり時間とって議論できてこれもたいへん勉強になりました。感謝感謝。先生たちも聴講してくれて、特にずっと聴講してコメントしてくれた某先生にはものすごく感謝しています。

時間けっこうあるので音楽とか聞きながら色々やれて楽しかった。最終日には学生様たちの飲み会に誘ってもらったのですが、これもみんな元気で仲が良くて、国立大学の小講座制ってこういうよさがあるよな、みたいなの確認しますた。

まあ喋らせてもらった成果はぼちぼち紹介したいと思います。まあたびに出るのも大事ねえ、みたいな年末でした。

12月22日に不倫(を哲学)しに福岡に行きます

12月22日に修羅の国福岡の福岡大学の宮野先生と九州産業大の藤田先生の合同ゼミに呼んでもらってますので、江口が袋叩きにあうのを見たい方はどうぞ。22日18時から、福岡大学A棟A803だそうです。なんか適当に話をしてということだと理解したので、時節柄「不倫を哲学する」にしてみました。時期的・客層的には「浮気の哲学」にするべきでしたね。ははは。よかったらどうぞ。自分のところの授業でいつもしゃべっているようなことをしゃべるつもりです。資料とかつくる暇があるかどうか。

んでそのあと某大学で集中講義やらせてもらうんですよね。生きて帰ってこれるかどうかもわかりません。しゅらしゅら。

Careless Whisperでも貼っときますか。

モテる男とモテない男の違いをオフコースとジンバルドー先生から学ぼう

「Yes-No」「いくつもの星の下で」の比較なんですが、まあYes-Noの圧勝ですよね。「星の」の主人公に性的な魅力を感じる女子はそんないないと思う。実は学生様に2曲聞いてもらったんですが、

「最後の2曲の比較について、断然、いっしょにいて楽しそうなのは Yes-Noのほうだと思いました。鈴木さんの歌詞はなんか女々しくてドキドキしません。メロディーラインも、小田さんの方が引かれるものがありますね。年下の超イケメン君が鈴木さんの方だったらまもってあげたくもなりますが……」

みたいなことをコメント書いてくれた学生様がいました。まあ二十代前半だとそういう感じちゃいますかね。真面目なひとはモテないです。これがまさに、現代の男子の問題なんですよね。

真面目で良い人(Good Guy)はもてない、むしろ、ろくでなし(ジャーク)だけどなんか取り柄のあるように見えるやつがモテし、セックスできる。この問題は前にも何回か紹介しました。

最近読んだ、ジンバルドー先生(心理学の世界ではものすごく有名)の『男子劣化社会』でもそういう問題を扱ってます。

男子劣化社会

男子劣化社会

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ジンバルドー先生は基本的にリベラルで、女性の権利とかに非常に肯定的なんだけど、一方で男子の方がケアされず教育されないままにネットに翻弄されていることを嘆いている。

いまでは女性が「ノー」と言うと男性は真に受け、その先のアプローチをどうしたらいいかわからず、撤退する。結果、男女どちらにとってもデートのチャンスは減る。または、男性は説明もなしに拒絶されたので相手女性に感じの悪い態度を取るか、ナンパの達人からテクニックを学ぼうとする。とりわけ男性の頭が混乱するのは、女性たちが大事にしてくれるやさしい男性といっしょになりたいと言いながらも、実際には押しの強い、女性の気持ちなど無視する男性により惹かれているのを目撃したときだ。 (p.213)

実際、女性の大半が恋愛の対象となる人からは、冷静に考えた末ではなく、ただ激しく欲情されていると感じたがっているが、これが次の手を打つ男性には判断にこまる局面を作り出す。 (p. 213)

これはまさに、鈴木先生はもてずに小田先生やドン・ジョヴァンニがモテる理由なのです。

ジンバルドー先生は、マークホワイト先生っていう方のブログ記事も紹介している。(こういうのはモテない系哲学者の独擅場よね。どうですか、このブログ記事の写真のよい人ぐあいは!)

もしわたしがデート中におもいやりある心遣いと自然発生的な欲情のちょうどいいバランスを取ろうとすれば、相手女性に十分な尊敬の気持ちを見せないことで起きる損失—具体的には、女性の心を傷つけたり怒らせたりするリスク—は、情熱や欲情ぶりを十分に見せないことで生じる損失—女性をがっかりさせ、恋愛関係の成立を危うくするリスク—よりはるかに大きいと考えます。私の性格からすれば、前者のリスクは後者のそれより問題にならないほど深刻なので、私の態度はつい尊敬と心遣いの方に傾きます。……彼らは「これをしても大丈夫?」「あれをしても大丈夫?」と訪ねた結果、あなたを性的昏睡状態に陥らせる可能性があります (p. 214)

「性的昏睡状態」ってのは、まあ興奮してない状態、性的にまったく興味のない状態ね。まあこの先生は意識明晰でも性的昏睡状態の人をかなり作り出したんですかね。つらい。多くのナンパの達人みたいなひとは意識を低下させろって言ってますからねえ。宮台先生とか。

まあそういうのってなかなか難しいところですなあ。

この問題に興味あるひとは、下読むといいです。

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ファレル先生はメンズリブ運動の旗手で、チアリーダーみたいな女子に相当あれされたみたいです。

サルトル先生は気づかないふりをする系女子を自己欺瞞っていって非難してます

あんまり自己欺瞞しない目覚めた女性ボーヴォワール先生と。もう手を握ったりする関係ではなかたったのかどうか。

サルトル先生はしばらく名前あんまり聞かなくなって、ちょっと前に復活の兆しがあり、でもやっぱりポシャっちゃった感じがあってなんか微妙なんですが、SMセックス哲学や「自己欺瞞」の議論はとてもおもしろいので、研究者の先生たちにはがんばってほしいところです。応援してます。がんばれー。

んで前のエントリーのオフコースの「Yes-No」の「好きな人はいるの?答えたくないなら聞こえないふりをすればいい」なんですが、これおそらく元ネタはサルトル先生なんですわ。『存在と無』から引用。ページとかはあとでつけますね。

たとえば、ここにはじめてのデートにやってきた女がいるとしよう。彼女は、自分に話しかけているこの男が自分に関してどんな意図をいだいているかを十分に知っている。彼女はまた、早晩、決断しなければならないときが来ることも知っている。けれども彼女は、それをさし迫ったことだとは感じたくない。彼女はただ相手の態度が示す丁寧で慎しみぶかい点だけに執着する。

デートするときってのは、女子は男子の下心っていうか性欲、セックスしたい欲はもちろんわかってるし、そのうち迫られちゃうのもわかってるけど、もう少し先延ばしして色目つかったり口説かれたりイチャイチャしたりそういうのを楽しみたい、というわけです。そこで「まあこのひとはジェントルマンだから、っていうかこのひとこそオネットム」ってやるわけね。

……彼女は、彼が話しかけることばのなかに、その表面的な意味以上のものを読みとろうとしない。「僕はあなたをこんなにも賛美しています」と言われた場合、彼女はこのことばからその性的な下心を取り去る。。・・・彼女は自分が相手に催させる欲情に対してきわめて敏感である。しかし露骨で赤裸々な欲情は、彼女を辱め、彼女に嫌悪をいだかせるであろう。

たとえばカズマサ・オダ(仮名)っていう日系フランス人が、「おう、あなたはすてきでーす、でもオカのコトカンガエえてましたー、シルブプレ?」とかやっても、「このカズマサオダは私の話を聞かずにおっぱいのことを考えてたのだな」とは思わないわけです。そういうこと考えると折角のキブンがわるくなるから。

……いまここで、相手の男が彼女の手を握ったとしよう。相手のこの行為は、即座の決断をうながすことによって、状況を一変させるかもしれない。この手を握られたままにしておくと、自分から浮気に同意することになるし、抜きさしならぬはめになる。さりとて、手を引っこめることは、このひとときの魅惑をなしているこのおぼろげで不安定な調和を破ることである。娘は手をそのままにしておく。けれども、彼女は自分が手をそのままにしていることには気づかない。

カズマサオダから、手を握られて「おう、マドモアゼール、あたなカレシいるのですかーシルブプレ」って聞かれても、答えるとどっちにしても面倒なので、気づかないふりをするわけです。肩をだかれても気づかないし、なんかとにかくなにされても気づかないわけですね。「キミをダいていいですかシルブプレ」とか言われてもなにも聞かないしなにも見ないし、面倒だから心がどこにあるのかも考えないようにする。「ココロドコニアリマスカー」これがサルトルの自己欺瞞すわ。

オフコースの先生たちが大学生活を送っていた70年から数年ってのはサルトル流行ってたので、まあ誰でもこういう議論はしっていたわけです。それがあれに反映されてたんちゃうかと思います。

サルトルの議論がミソジニーっぽいとかってのはそうだろうし、そもそもそれってどうなのってのはあると思いますね。でもまあ今回はその議論はパス。

牟田和恵先生のフェミニスト的恋愛/結婚論には問題があると思う

伊藤公雄先生と牟田和恵先生の編集の『ジェンダーで学ぶ社会学』が2015年に改定新板になってたのきづかなかったので読んでみました。この本の初版は1998年で、ジェンダー社会学とかの超基本書、ロングセラー、ジェンダー論ベストセラーですわね。

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実はずっとフェミニストやジェンダー論論者によるアカデミックな恋愛論みたいなの探していたので 1)どういうわけかフェミニスト/ジェンダー論者は恋愛を語らない傾向があると思う。、牟田和恵先生の「愛する」は非常に貴重だと思います。えらい。それにしてもこれはものすごく問題が多い。

第1節の見出しは「リスク化する恋愛」で、ストーカーやらリベンジポルノやら、「非モテ」を苦にして(?)の大量無差別殺人事件とかあげて、恋愛はリスク化しているっていうわけです。

恋愛は人にとって、とくに若者にとっては、幸福感を与えてくれるもの、刺激的で楽しいものであるはずなのに、命の危険さえともなうもの、深刻な悩みと葛藤の因になってしまうようなリスクのあるものになってしまったのだろうか。(p.67)

私おどろきました。そら最近ストーカーやらなんやらそういうの問題になってるのはわかるけど、それって最近の現象なんですか。最近警察が対応するようになってきたから数が増えてるように見えるだけなんちゃうんですか。「リスクのあるものになった」って、むかしからそうじゃないんですか。いつリスクがなかったんですか。データで示せますか?

そういや、牟田先生とは違う先生だけど、10年ぐらい前に、「児童虐待が急増している」とかって主張しているこれまた家族社会学の先生がいて、その根拠が警察かどっかの統計だったんですが、それって認知件数とかっしょって腰をぬかしたことがありました 2)http://amzn.to/2zPGKA3 。当局が把握する数がふえているんであって、1年や2年で犯罪や暴力の数が増えたら、実際の件数が増えたんじゃなくて認知の数が増えただけだろうって考えるのがふつうなんじゃないですか。社会学者いったいなにしているんですか。

それに「恋愛は人にとって、とくに若者にとっては、幸福感を与えてくれるもの、刺激的で楽しいものであるはず」ってのはなんですか。いつからそんなことになってるんですか。そりゃうまくいけば幸福感を与えてくれる楽しいものかもしれないけど、うまくいかなきゃいろいろたいへんで、時に暴力ざたになるってのはもうホメロスの大昔からそうじゃないっすか。恋愛が「刺激的」なのも、なかなかかうまくいかないし、時に危険だからでしょ。いったい社会学者はいったいなにをかんがえてるんですか。この「恋愛は〜はずだ」っていうのは「そうだといいなあ」っていう牟田先生の願望をあらわしているにすぎないと思いますね。

第2節は「恋愛離れ」。これはまあ最近よく指摘されることですね。でもこれもそんな意外なことだろうか。小谷野敦先生が『モテない男』で鋭く指摘してているように、モテない男女は少なくないし、なんか恋愛とか興味ない男女、興味はあるけど結局恋愛ってどういうふうにするのかわからない男女も少なくないものだと思います。

第3節は「恋愛の歴史」。ネタ本はギデンス先生の『親密性の変容』。原書の出版は1992年なので25年も前の本で、ちょっと古いんじゃないですかね。でもまあいいです。

恋愛の起源は、ヨーロッパ中世の騎士の既婚の貴婦人にたいする、崇拝的な騎士道的愛に発するといわれるが、その画期的意味のひとつは、ロマンティックな情熱が、それまでの魂の病気、一種の発狂であるとみなされていたことから一転して、美しい生活にいたるものとしてポジティブな価値を獲得したことにある。(p.69)

まあいいんですが3)ほんとはよくないけど、まあこう解釈するのが通説。、これ、恋愛の起源じゃなくて、「ロマンティックな」恋愛をよしとする恋愛「観」の起源ですね4)そしてこの通説もあんまりよくないけど、今回はOK。。人間どうしの間で排他的で情熱的で性的な関係を結ぶってのはみんながみんなそういうことをするわけではないけど、通文化的・普遍的現象のはずです。

ヨーロッパ中世まで恋愛は存在しなかった、みたいに考えるのは、近代までネクタイも背広もなかったから、服を着たいっていう欲求や身を飾るをいう営みもなかった、みたいに考えるのとあんまり変わらない。社会学者なにしてるんですか。

第4節は「純粋な関係性」。ギデンス先生のキーワードですね。近代から現代社会にかけて、パートナー関係や結婚についての考え方が変わってきて、生殖や経済的な便宜のための結びつきってのから、そういうのとっぱらった、恋愛のための恋愛、みたいな「純粋な関係」がもとめられるようになりました、ってお話。それ自体はそれでいいんですが、そのあとのいろんなポピュラー文化を見たら、それだけじゃないってのも明らかだと思いますね。そら頭がお花畑な時期には純粋な恋愛のための恋愛、みたいなの素敵に思えるわけですが、実際には生活とかなんやらあるじゃないですか。「恋愛と結婚は別」みたいなのはわれわれが若い時代もよく聞いたし、いまの学生様だってそういいますわよね。ギデンス先生は1970年代のセックス革命みたいなのから1990年ぐらいまでを見てまあいろいろ好きなことを言ってるわけだけど、それってあなたたちの生活と照らし合わせたときにどうなのですか。

あと「関係性」はrelationshipの訳語なんだけど、訳語としては「人間関係/恋愛関係」の方がよいと思う。「関係性」じゃなくて「親密な関係」ね。relationshipsと可算名詞として使われる場合は、「関係性」という訳語から感じられる「「性」質」というよりは、The relationship between two people or groups is the way in which they feel and behave towards each other. とかA relationship is a close friendship between two people, especially one involving romantic or sexual feelings. とか、「人間の関係」そのものを指す。

第5節は「ロマンティックラブとジェンダー・アンバランス」。ロマンティックラブってのがジェンダーのバランスを欠いたものだっていうギデンス先生の洞察は正しいと思います。ただし、牟田先生の説明ではロマンティック・ラブがどういうものか、どういう点でジェンダー平等じゃないかっていう説明がされてないから読者にはわからんと思う。これは驚きました。もちろん、われわれ人文学系大学教員にはロマンチックラブっていうのはあるイメージがあるのでさらっと読んじゃうけど、学生様とかは読めないはず。ていうか、人文学系大学教員の間でも、ロマンティックラブってのでどういうのを想定するかはさまざまだから、牟田先生はそれを明示しないとならんと思う。どうジェンダーアンバランスなんすか。

騎士道的恋愛に見られるアンバランスははっきりしている。男性は騎士で地位が高そうだけど、女性は女主人であって、実は女性の方が地位が高い。一対一の情熱的恋愛。女性は高貴であり、粗野な男性騎士を精神的に導き高めることが期待される。一応直接に性的な関係はもたず、精神的な繋がりを重視する。男性は女性に命をかけて尽くす。そういうやつ。

ロマンティックラブってのはそっから派生してきているやつで、一対一(あなただけです!そして私だけを見てください!)、情熱的(あなたを思うと夜も寝られない!)、美(あなたは美しい!)と精神性(しかしあなたは外面より内面の方がさらに美しい!尊敬してるぅ!)の両方を含み、さらに生涯にわたるコミットメント(生涯あなた一人を愛し続けると誓います!愛し続けるというのは物理的に防衛したり経済的に保護するということを含みます!)とお互いの人格の理解という親密さ(あなたのことをもっと知りたい、語り合いたい!)も含む、そしてなんか障害(既婚者だとか事件や革命が起こるとか)があった方が燃える、っていう最高級の恋愛形式で、まあ私が思うには、まさに女性を喜ばすためのお話ね。そういうの考えただけで鼻血出そうな女子もいると思う。映画「タイタニック」では主人公男、海につかって死んじゃいますからね。

これはたしかにジェンダーアンバランスなんだけど、女性の方が上で、プロポーズとかも必ず男の方からひざまづいてやるわけよね。それはっきり言わないでどこがジェンダー論なんすか。社会学者なにしてるんですか。

牟田先生とギデンス先生は、女性がこうしたロマンティックラブが好きなのは、女性が男性によっかかって自立や自己実現を達成しようとしなければならないからだ、みたいに考えます。これはまあいいと思う。ただ、私は女性も自立した方がいいと思うけど、自分でがんばるより伸びそうなやつとコンビ組んで分業して戦うっていうのが有利になることも多いだろうから女性の選択肢の一つとしてありだろう。そうしたくてそうできるひとはそうしたらいい。選択肢は多い方が有利ではないのだろうか。牟田先生も恋愛と結婚は、女性にとって「理にかなった投資」だってことを認めてますね。

第6節は「男性にとっての恋愛の理不尽」。でもそんなよっかかられるは男にとってはたいへんで理不尽です、って話。これは正しいと思う。

恋愛の中核であるロマンティックラブが、ジェンダーのアンバランスの上で、男性は女性より社会的経済的に優位に立たなければならないという「常識」や、男性が女性を養うのがあたりまえであるかのような意識をともなっていることそのものが問題なのである。(p.75)

これもフェミニズム/ジェンダー論標準なのでさらっと読んじゃうんだけど、これって結局、女性が金や地位持ってないとくっついてこない、ってことを指しているわけですよね。繰り返すけど言うけどロマンチックラブというのは男が女に奉仕する(と一応約束する)恋愛だ。金や地位もってないのは相手にならん。おそらく男性の方は尽くしたくなんかないわけだからこんな「常識」なんかどうでもいいわけだけど、セックスしたりケアしてもらったりはしたいだろうからどうしたって金や地位をゲットしにいかないわけにはいかんでしょうな。これって反フェミツイッタラーが言ってることそのまんまですけど、牟田先生の言うことにも一理あるのと同じくらいツイッタラーがいうことにも一理あるかもしれない。

第7節は「女性の地位の変化と男性の暴力」。女が恋愛上だったり、男が経済的に上だったりするロマンティックラブに比較して、ギデンス先生の「純粋な関係」はあくまで対等で、恋愛感情以外のヒモがついてない関係をめざす恋愛。

純粋な関係性の重要な特徴は、……ロマンティックラブが結婚や家庭を媒介としての女性の男性への従属や同一化を前提としていたのとは大きく異なって、女性側からの男性との対等な関係の要求をもとなっていることだ。純粋な関係性は性的にも感情的にも対等な関係が実現できてはじめて実現される。(p.75)

ここの問題は、ロマンティックラブ理想をもとにした男女関係が、「女性の男性への従属」と見ることができるかどうかね。「男性の女性への奉仕(の約束)」を基本だと見るなら、家庭内で分業して男性が死にそうになりながらお金稼いで帰ってくる、ってのは女性が男性を家畜のように使役し搾取しているようにも見える。たとえばロマンチックラブで結びつているカップルや家庭内での発言力がどうなっているのかとか見たら、「女性の男性への従属」とかそういうふうにはなってないんじゃないかと思いますが、どうっすか。まあ私自身は、実際にはカップル内・家庭内ではけっこうバランスが取れていて、利得のバランスが崩れたら関係はこわれてしまうんじゃないかと思ってますけど、これはまさに家族社会学とかの調査課題であって、所与の前提ではない。もっと現実をみてみましょう。

しかし、女性との対等な関係性を心から欲しているような男性はさほど多くはない。「妻には働いてほしい」と経済的貢献を求める男性も、「家事や育児はしっかりやって」と注文をつけ、女性が男性のケアをし、情緒的な支えになることを相変わらず期待する。そこに、男女間の葛藤がまた生じる。(p. 76)

ここで対等っていうときに、いろんな魅力や貢献をぜんぶ合算しての対等(グローバル対等)なのか、個々の領域(ドメイン)に分けての対等(ドメイン対等)なのか。ドメインを指しているんだったら、同様に、男性との対等な関係を心から欲しているような女性もどれくらいいるんかな、って思いますね。そしてそんなものにどれくらい価値があるのか。牟田先生が考えている対等ってのはどっちですかね。

私の理解では、ギデンス先生が「対等」な純粋な関係ってので考えてるときは、経済・家事・生殖・育児とかぜんぶとっぱらった恋愛とセックスと親密さだけの「対等」なんすわ。この意味では、別々に暮らして、ときどき合って割り勘で飯食ってラブホに行って愚痴を言い合うセフレとか不倫関係とかまさに対等で、これが90年代ぐらいにもとめられた関係だったってわけです。それが純粋な関係ね。それわかってますか?そして、そうした恋愛と性欲以外にヒモ付きでない関係っていうのは、多くの女性が求めたいものでもないと思う。

んでさらに悪い事に、こっから牟田先生は非常にあぶない方向に行く。

ここに、ジェンダー平等が進展するほど、男性による権力や支配が起こりやすくなるという、大いなるアイロニーがみられる。つまり、女性の権利や意識の向上によって、男性が女性を制度的に支配することができなくなり、女性に対する優位性に揺らぎが生じているがために、男性は私的な関係のなかで一対一の暴力によって女性を支配しようとするのだ。(p.76)

なにを言ってるんですか。なぜいきなり暴力が出てくるんですか。なにか論拠があるんですか?ギデンス先生がそう言ってるから?でもギデンス先生が言ってるのは、「今日、男性の性暴力の多くは、家父長制支配構造の連綿とした存続よりも、むしろ男性の抱く不安や無力感に起因している」だけっすよ。これは、ギデンス先生が「性暴力は家父長制が原因、とかっていうのはうたがわしい、むしろ性暴力振るう人々はそういうのと関係なくやってるんちゃうか」ぐらいのところっしょ。そして、そういう性暴力が増えてるとかそういうのも言ってない(と思う)。まあこのギデンス先生の「不安や無力感」が原因だっていう推測自体もフェミニスト風味のあれからの憶測よね。

もちろん、実際に性暴力が増えてるとかそういうのを示してもらえれば、牟田先生のような推測も一つの仮説としてありえるだろうと思う。でもそれはまずそうしたデータしめしてもらってからね。さらに、百歩ゆずって、性暴力が実際に増えているとしても、もっといろんな仮説を立てることが可能なはずで、そうした他の仮説を検討して自説の有利さを論じる必要があると思う。そういうのがない社会学とかいったいなんなのですか。これで「ジェンダーで学ぶ社会学」になるのですか。社会学ではないのではないか。

最後の節は「恋愛を〈救う〉には」。「恋愛が危ういものになってしまったのは、近代以降の社会が恋愛に価値をおきすぎたからではないか」(p. 77)がまた出てくる。これ本気でそう思ってるんですね。危うくなかった時代があるのかなあ。そもそもいつと比べてるのだろうか。戦国時代とくらべて危うくなってるのだろうか。江戸時代ぐらい?

私たちは今も、性的絆を含む一対一の男女の関係や、そこから生まれる親子の関係こそがもっとも深い人間と人間の関係であるとみなしがちだが、しかしそれは、*ヘテロセクシズム*が生み出した思い込みである。(p.78)

この一文、まあOKなんですが、ちょっとあれで、分解すると、

(1) 恋愛関係や親子関係がもっとも深い人間関係だと思いこんでいる。
(2) 性的絆を含む「男女」関係がもっとも深い人間関係だと思いこんでる。

の二つに分けられると思う。(2)はたしかに「ヘテロ」「セクシズム」と呼んでよい。でも(1)はどうかな。

人と人との親密でかけがえのない結びつきは、多様にありうる。友情の絆、血縁にかかわらない親子や家族・親族のつながり、生業や活動をともにする仲間たちとの共有の感情。……恋愛がそうした多様な人と人のつながりのひとつのかたちにすぎなくなれば、さらには若い時代に限られたものでもなくセックスを必ずともなうものでもなく一対一の排他的なものに限るのでもないというように、恋愛自体がもっと多様になれば{\――}逆説的だが、恋愛がそれほど大したものでなくなれば{\――}私たちは恋愛の成就や破綻にさほどエネルギーを使ったり葛藤を抱えることもなくなるだろう。

まあこれは共感しますね。よい。でも、恋愛というのはすでにいまでもある種の人々にはたいしたものではないし、いろんな形があるだろうと思うし、そして、それにもかかわらず、ある種の(ふつうの能力のふつうの生活をする)人々にとっては、恋愛や生殖、子育てなどは、やっぱり親密な関係の最大のものでありつづけるだろうって思います5)あと、恋愛と若者や「若い時代」をむすびつけて考えるってのはなぜなんだ。ははは。

全体に「性暴力や支配が*増えてる*」っていう根拠のない思い込みが支配していて(増えてるとしてもいつから増えてるの?)、社会学としてはとてもよくないと思います。ロマンチックな恋愛っていうのがどんなものかとか、そういうのについてももうちょっと検討してほしい。結婚と恋愛については、なんでも適当なことを言う古いギデンス先生とかよりもっといいタネ本はたくさんあると思う。ヘレン・フィッシャー先生あたりでもいいし、家族社会学プロパーならStephanie Coontz先生のMarriage, a History: How Love Conquered Marriageあたりを参照にしてほしいです6)あと「ロマンチック」恋愛だけがれないじゃないので、ストルゲとか友愛とか友情結婚とか言われてる恋愛パターンがあるってこととか、もっといろいろ語って欲しいことはある。

この概説というか論文は、結局のところ、「最近は私的な性暴力が増えている」というスパンも根拠もあやしい話を、他にもよいテキストがあるにもかかわらず25年前の社会学の偉い先生のお話の怪しい読解をもとに解釈している、というよくない形になっていると判断します。私は、ジェンダー論となるとこういうレベルのでOKにしているジェンダー社会学界隈を疑っています。

伊藤公雄先生については昔にも書いてます。ここらへん。

http://yonosuke.net/eguchi/archives/832

http://yonosuke.net/eguchi/archives/837

当時は自信なかったからひかえめだけど、アカデミックな作法の話ね。

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References[ + ]

1. どういうわけかフェミニスト/ジェンダー論者は恋愛を語らない傾向があると思う。
2. http://amzn.to/2zPGKA3
3. ほんとはよくないけど、まあこう解釈するのが通説。
4. そしてこの通説もあんまりよくないけど、今回はOK。
5. あと、恋愛と若者や「若い時代」をむすびつけて考えるってのはなぜなんだ。ははは。
6. あと「ロマンチック」恋愛だけがれないじゃないので、ストルゲとか友愛とか友情結婚とか言われてる恋愛パターンがあるってこととか、もっといろいろ語って欲しいことはある。

女性の性欲の強さについてモンテーニュ先生語る

皇后メッサリナさんはエッチなことがしたくて夜に道にエッチな格好で立ったりしてやばかった

性欲の男女差で思い出したんですが、私、前にも書いたように、モンテーニュ先生ものすごく好きなんですよ。先生はモテてモテてしょうがなかったようで、まあモテなくても殿様だからエッチなことしまくりですよね。きと。んで、先生は女性の方がエッチが好きだし得意だって言ってる。まあ前のエントリでの性的キャパシティも性的エンジョイメントも男より上。

女性は世間に認められている生活の掟をこばんだとしても、少しも悪いことはない。これは男性が女性の同意なしにきめたものだからである。女性とわれわれとの間に策謀や闘争があるのは自然である。両者のもっとも親密な和合ですら混乱と風雲をはらんでいる。われわれは次のように、女性の扱い方に分別を欠いている。すなわち、われわれは、彼女らがわれわれと比較にならないほど、愛の営みに有能で熱烈であることを知っている。このことは……かつて別々の時代に、この道の達人として有名なローマのある皇帝〔ティトゥス・イリウス・プロクルス〕とある皇后〔クラディウス帝の妃メッサリナ〕自身の口からも語られている。この皇帝は一晩に、捕虜にしたサルマティアの十人の処女の花を散らした。だが皇后の方は、欲望と嗜好のおもむくままに、相手を変えながら、実に一晩に二十五回の攻撃に堪えた。……以上ことを信じ、かつ、説きながらも、われわれ男性は、純潔を女性にだけ特有な本分として課し、これを犯せば極刑に処すると言うのである。

モンテーニュ先生は、女性だって性欲があるんだから好きにセックスしてかまいません、って言ってるわけです。自分の奥様や愛人にもそう言ったかどうかは不明。

この性欲ほど激しい欲望はないのに、われわれは女性だけをこれに抵抗させようとする。普通の悪徳としてではなく、忌むべきもの呪うべきものとして、無信仰や親殺し以上のものとして抵抗させようとする。しかも、われわれ男性はこれにふけっても批判も叱責もされないのである。われわれのなかでこれを征服しようと試みた人たちでさえ、いろいろな物質的な手段を用いて、肉体をいためつけ、弱らせ、冷ますことがどんなに困難であるか、いやむしろ不可能であるかを十分に認めている。ところがわれわれは、女性が健康で、逞しく、ぴちぴちして、栄養がよく、同時に節欲的であることを、つまり、同時に熱くて冷たいことを欲する。実際、われわれは、結婚のつとめは女性が燃えるのを抑えることにあると言っているが、そういう考え方では女性をあまり爽快にすることはできない。

この最後のところがいいですね。小中高と体育とかして男子も女子も健康で元気になってほしいって思ってるのに、どういうわけかセックスはしちゃいけません、みたいになってるような気がする。まあ今はそうはなってませんか。

成熟した処女はイオニアの踊りを習うことを喜んで、四肢を疲れさせ、子供のうちからみだらな愛を夢みる

これ、(おそらく)ラテン語の詩の一部を先生が引用してるんですが、まあダンスとか習っちゃうとそういうこと考えちゃって危険です、みたいな。はははは。

この、モンテーニュ先生の『エセー』の「ウェルギリウスの詩句について」は猛烈におもしろいのでみんな必ず読みましょう。

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「性欲が強い」ってどういうことだろう?

ポルノとか痴漢とか常にSNSで話題になっているわけですが、ときどき「男の性欲はそんなに強いのか、それはどういうものか」「女も男と同じくらい性欲を感じている」「だから性犯罪するのは性欲ではなく支配欲なのだ」とかいろんなことがいわれたりします。

たしかに「性欲が強い」とかっていうのは、いったい何を言ってるんですかね。ふつうに考えて、性欲とかってのは内的に感じるものだろうから、他人がどれくらい強い性欲を感じているかっていうのはよくわからない。いま道歩いている中学生とか老人とかがものすごく強い性欲を抱えて悩んでいる、とか考えるとなんかおかしいですね。

ちょっと探してみると、Baumeister, Catanese and Vohs (2001) “Is There a Gender Difference in Strength of Sex Drive?”って論文がけっこう有名らしい。

これ、”Sex Drive”、「性衝動」に男女差があるかってわけで、上のようにわれわれが「性欲が強い」って言ってるときの性欲と完全に一致するかどうかはよくわからんけど、まあこまけーことはいいんだよ。

バウマイスター先生たちによれば、われわれが「性衝動」(あるいは「性欲が強い」っていうとき)について語るときは、最低三つぐらいの意味がある。まず、(1) 性的動機ね。セックスするとへの動機を頻繁に強く持つひとは性衝動が強いと言える。まあこれふつうの意味ですね。

ただ他に、(2) 性的キャパシティ sexual capacity、どれくらいセックスできるか、どれくらいで飽きたり疲れたりしてできなくなる、っていうのもあるぞ、と。おもしろいですね。飽くことなき性欲、1日に5回も10回もなんかするようなひとも性欲強いって言われそう。いわゆる性豪。絶倫。

さらに、(3) 性的享楽 sexual enjoyment、つまり、どれくらいセックスを楽しいと思うか。特に他の活動とくらべてセックスからどれくらい楽しみを得るか。性欲が強い、セックスが好きで好きで、とかってときに、1ヶ月に1回でいいけどそのときはものすごく楽しめる、みたいなひともいて、こういうひとも「自分は性欲が強いなあ」っておもうかもしれませんね。

バウマイスター先生挙げてるのはこの三つだけど、んじゃ「性的刺激に敏感である、反応しやすい」とかってもあるかもしれんな、とか思いますが、まあバウマイスター先生たちがやりたいのは、とりあえず上の(1)の性的動因・動機としての性的衝動、その人の行動につながる動機の男女差についての研究を見てみましょう、ってことです。

まあこういうのは自己評価で「あなたはどれくらい性欲が強いですか、1〜7で答えてください」ってのであんまり信頼できないことになりそうなので、いろんな尺度で検討してみないとならん。

先生たちが見た研究だと

  • 性的なことをどれくらいの頻度で考えるか、性的な空想どれくらいするか、それに自発的に性的に興奮することがどれくらいあるか
  • 自分の生活でどれくらいの頻度でセックスしたいと思うか。
  • セックスパートナーを(同時に、あるいは一定期間で、あるいは生涯で)何人ほしいか、つまり何人とセックスしたいか。
  • どれくらい頻繁にマスターベーションするか。
  • セックスしない生活をどれくらいいやがるか。たとえばある種の宗教者とかセックスしちゃだめだったりできなかったりしますわね。結婚してないとかパートナーがいないとかもセックスできないことが多い。そういう生活をどれだけ避けようとしますか。
  • 生涯のいつ頃から性欲を意識したりマスターベーションやセックスを始めるか。
  • セックスの機会を求めるか回避するか、誘いかけるか断るか。
  • 各種のセックスのバラエティをどれくらい好むか。性欲が強い人はいろんなパターンを試してみるかもしれない。パートナーが脱衣するのを見る、オーラルセックスをする/受ける、アナル刺激、道具を使う、その他まあいろいろあります。
  • セックスするためにどれだけのリソースを費やすか。デート相手におごったり、エロ本を買ったりいくら使いますか、ってことね。もちろん時間や体力その他のリソースも使う。
  • セックスやその表現に対して好意的ですか否定的ですか。性欲強い人は猥談とかエロ本とかカジュアルセックスとか不倫とかそういうのに対して好意的なんじゃないか。
  • 性欲が低い状態あるいはセックスできない状態がどれくらいあるか。性機能障害とか問題なわけですが、そういう状態になりやすいひとは性欲それほど強くないかもしれない。
  • 他にも自己評価とか。

まあいろんな尺度で男女を比較してみて、こりゃあきらかに男性の方がセックスまわりのことを考える回数も時間も長いし、たくさんセックスしたいし、セックスパートナーもいっぱいもちたいし、いっぱいマスターベーションするし、セックスできない生活を避けようとするし、色気づくのも早いし、セックスをもとめて誘いかけるし、いろんなバラエティをためそうとするし、各種リソースを浪費するし、セックスやそのまわりの表現や各種慣行に好意的だし、性的に不活発な期間が短いし、自己評価でもやっぱり性欲強いって答えます、ということです。男ってフケツ!

ちなみに、私のお気に入りのキャサリン・ハキム先生も男性の性行動を社会学的データから研究して、男の方が性欲たくさんもっててセックス不足に悩んでる、って結論してます。2011年なのでバウマイスター先生たちより10年あと。
http://www.catherinehakim.org/wp-content/uploads/2011/06/2015-IntSoc-MaleSexualDeficit.pdf

キャリン・スタンバーグ先生の心理学的恋愛相談

Karin Sternberg先生のPsychology of Love 101ってのをざっと見てたんですが、最後の恋愛相談室みたいなのが面白かったのでメモ。翻訳ではなく要約というか、まあ勝手なアレ。質問も答もそれぞれよくある話だけど、それぞれ恋愛心理学の有名論文が参照されるのがよい。キャリン先生は、認知心理学と恋愛心理学で有名なロバート・スタンバーグ先生の奥様らしい。ロバート先生の物語理論にけっこう言及しているのが目につきました。このPsych 101シリーズってのよさそうですね。

Q1. ボーイフレンドが2回も浮気しました。彼は結婚したら浮気はやめる、その前に遊んどく必要があるのだと言うのですが、信頼できるでしょうか。

A1: 心理学の原則として、ある人物の未来の行動を予測する一番の目印は、過去の同種の行動です。彼が今浮気するのをやめられないなら将来もやめられないでしょう。

Q2: 僕と彼女はずいぶん情熱的な関係だったけど最近冷めてきたような気がします。

A2: スタンバーグのトライアングル理論によれば、恋愛の三つのなかで情熱は一番熱しやすく冷めやすいものです。

Q3: 彼と4年つきあっています。よい関係なのですが、結婚の話になると彼はだまってしまいます。

A3: 第一に、将来をコミットするのを嫌う人びとがいるので、期限を切ってコミットするのかどうかたずねて、ダメなら別のを探しましょう。第二に、スタンバーグの物語理論によれば相性の悪いストーリーをもってる人びとはうまくいかない傾向があります。自分と相手のストーリーがマッチするものなのかどうか、自問してみましょう。

Q4: あたらしくできた彼氏が、昔の彼女とうまくいかなくなった話ばかりしてやめません。大丈夫でしょうか?

A4: なにかに依存してた人がそれをやめると禁断症状が出るものです。他に注意すべき点として、第一に、いったん別れたカップルままたくっつくというのはよくあることです。第二に、真面目につきあってるカップルは何度か危機的な状況を迎えるものです。彼と彼女の関係もいまそうなのかもしれません。第三に、ある人が恋愛関係を終わらせようとする時に、他の相手と表面的な関係を結んだりすることもよくあることです。あなたとの関係もそうかもしれません。

Q5: 彼女がとても嫉妬深いのですが、どうすれば彼女を変えられるでしょうか。

A5: 第一に、他人を変えることはできません。マニアタイプの恋愛する女性なのでしょう。また、Shaver, Hazan & Bradshow (1998)の「アンビバレンス的愛着スタイル」をもつ人かもしれません。第二、そういうひとはコミットメントのレベルがあがるとなおさら嫉妬深くなる傾向があります。第三に、彼女のの嫉妬は彼女の問題なのでしょうか?あなたの方に問題はないですか?

Q6: 以前は私と彼氏の間でいろんな深い話をしていたのですが、最近はなにか表面的な話ばかりです。

A6: これもスタンバーグのトライアングルを使うと、親密さと関係があります。つきあいはじめはお互いのことを知りたいのでたくさんおしゃべりしますが、だいたいわかってくるとあきてきます。おもしろいのは、過去の関係の悪いことは話しやすいわけですが、現在のパートナーとのことは当人には話せないということです。また関係の最初ではそれが人生の一番重要なことですが、関係が安定してくると他のことを始めます。Vaughn (1990)が別れの分析をしていて、それはだいたい秘密をもつことからはじまるようです。

Q7. ガールフレンドが、僕自身を好きなのか、僕のイメージを好きなのかわかりません。

A7. スタンバーグの物語理論によれば、われわれは恋愛相手をフィルターを通してみてます。ゴフマンの『日常生活における自己提示』1956によれば、「本当の自己」なんてものはは存在しません。。Sternberg & Barnes 1985では、パートナーが感じているだろうとわれわれが思っていることと、パートナーが実際に感じていることの間には弱い関連しかないことが指摘されてます。