セックス哲学アンソロジー The Philosophy of Sexの第6版が出たよ

Alan Sobleが編集していたアンソロジー The Philosophy of Sexの第6版が出てました。

中身がずいぶん変わって、1.(セックス概念の)分析と倒錯、2.クィア問題、3.(性的)モノ化と同意の理論的問題、4.モノ化と同意の具体的問題、という構成になってます。ずいぶん大きな変更です。

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ソーブル先生はあんまりLGBTとか詳しくなくて第5版までの扱いは小さかったのですが、今度のは大々的。Raja Halwani先生がトップ編集者になってます。「今回は、比較的安全なセックスそのものの領域を離れて、ジェンダーの問題につっこんでみた。実は5年前(第5版で)はそうする気にはなれなかったのだが、それは編者のニコラス・パワーとアラン・ソーブルがあんまりクィアの問題扱う気になれなかったからだ。というのも、あんまりアカデミック哲学的にたいしたことないように思えたからだ。でもそれから学界も発展してより論文も出たから、今回はハルワニも加えて充実したよ」みたいなことを序文に書いてます。みんな買って読みましょう。

実はアンソロジーにどういう論文が収録されているかリスト作ろうとしたんだけど挫折。もうばらばらで「これは絶対」みたいなのはまだ存在してない感じ。

https://docs.google.com/spreadsheet/ccc?key=0Al25GTQ1cYTtdFlHNWRtTklaaDFYX3lINmJadm5BYWc

こうして見ると論文の栄枯盛衰みたいなんも感じる。ネーゲル先生強い。

生命倫理のアンソロジーなんかだともっとはっきり「これが大事」みたいなんが決まってる気がするけど、セックス哲学ではそういうのはまだまだ。それに生命倫理なんかだとハンドブックみたいな形でとりあえず定説と基本的批判みたいなんを提示することができるけど、セックス哲学はそういうのもあんまりない。どういう問題を中心的だとみなすか、どう編集するかってのも試行錯誤中。まだ未開拓の領域ですわね。

恋愛の類型学 (2) スタンバーグの三角形理論

スタンバーグ先生は恋愛心理学の一発屋ではなく、認知心理学とかのほうでけっこう大事な仕事した人なんじゃないですかね。

リー先生の恋愛の色彩理論は、恋愛を六つなり八つなりのタイプに分けるって考え方(類型論)なわけですが、まあそんなすっきりタイプに分かれるもんでもないだろう、みたいに思った人も多いと思います。スタンバーグ先生の理論は、恋愛ってのには三つの要素があって、それの強弱でいろんなタイプの恋愛があると考えます(特性論)。

これはパーソナリティー心理学なんかが20世紀前半の類型論から20世紀後半の特性論にシフトしていったのと平行関係にあるんでしょうね。この分野では昔(クレッチマーなんか)は几帳面な「がっちり型」、社交的な「肥満型」、非社交的な「細長型」みたいな三つのタイプがある、とかって言ってたわけですが人間そんなタイプにすっぽりおさまるもんじゃない。アイゼンクって偉い先生が「性格には大きく二つの要素があるのじゃ、外向的か内向的か、神経症傾向が高いか低いかの二つじゃ」とか言いはじめた。これだとそれだけで2×2で4種類いるわけだし、外向/内向も程度を考えることができるから無数のタイプが存在しうる。今主流になってるビッグ5パーソナリティー特性とかだと外向性、神経症傾向、調和性、良心性、経験への開放性の五つぐらいの独立の要素があってこれの強弱の組み合せでいろんなパーソナリティーがある、みたいになってるんだと思うです。知らんけど。

スタンバーグがやったこともこのラインなんだと思う。知らんけど。恋愛には、

  • 情熱
  • 親密さ
  • コミットメント

の三つの要素がある、と。情熱はまあわかるあのカッとなる感じ。親密さはおたがいをよく知りあったり共感したり。コミットメントは訳せないんだけど、約束したりずっといっしょにいるとかそういう決意とか意志とか。感情的に要因(情熱)、認知的要因(親密さ)、意志的要因(コミットメント)という説明も見たことあるような気がする。

親密単なる「好き」。いいひとなんだけど、ドキドキしないのよね。
情熱のぼせ。もう好きで好きで。どういうひとだか知らないけど。
コミットメント空虚な愛。もう完全に冷めてますけど別れません。
情熱親密ロマンチック。この一時を二人だけでいっしょに過ごせればいいの。でも将来のこととか考えらんない。卒業したら遠距離だし。
親密コミットメント共感的愛。ドキドキしないけど、二人でいるとポカポカするからずっとポカポカしていくわ。
情熱コミットメント愚かな愛。あの人どういう人かわかんないけど、結婚するわ!もう決めたの。
情熱親密コミットメント至上の愛。

ちょっと表がうまく作れないけどこんな感じか。

まあ情熱と親密さとコミットメントの三つがそろった「至上の愛」みたいなんの典型はベルサイユのばらのラストの方だわねえ。革命期に情熱はもえあがり、将校と従僕という長い関係のなかでおたがいを深く知りあい、そして「わたしだけを愛すると誓うかーっ」ってんでコミットメントもそろって鼻血が出そうです。

論文は R. J. Sternberg, “A Triangle Theory of Love”, Psychological Review, 1986 ってやつ。ネットにPDFが転がってるかもしれません。

恋愛の類型学(1) リーの色彩理論

セックスの哲学史とかいって哲学史におけるセックスの問題を扱おうとすると、どうしたって「セックス」というよりは「愛」とか「エロース」とかそういう問題としてとりあつかことになります。まあ私はそもそも西洋人は性欲と愛との区別あんまりついてないんじゃないかと疑ってるんですが。

とりあえず哲学史として見てみると、愛っていってもloveとかamourとかerosとかいろいろ出てきて混乱しちゃいます。

こういうのどう扱ったものなのかいろいろ考えていたんですが、哲学史を見る前にあらかじめ20世紀の心理学における性愛の類型とか使って整理しとくのがいいんじゃないと思い至りました。

社会心理学と呼ばれる心理学の分野では対人関係なんかを研究していて、恋愛とかの親密な関係はもちろん主要ターゲットの一つです。でも以外に「恋愛」がすっきり整理されたのは最近なんですよね。そしてここ最近でえらく進歩している。

恋愛心理学とか一般向けのゴミみたいなのは山ほどありますが、ちゃんとアカデミックな裏付けがあってまともに読めるものは少ない。入門は金政先生たちの『史上最強図解 よくわかる恋愛心理学』ですね。とりあえずこれ読んどけばだいたいOK。この本が出る前は松井豊先生の『恋ごころの科学』が国内最強だったんじゃないかな。いまだによい本なはずです。読みましょう。中級はスタンバーグ先生が編集した『愛の心理学』ですか。でもこっちはふつうの人が読んでもなにやってるかわからないと思いますね。あとハットフィールド先生たちやヘンドリック夫妻のものなんかが有名です。

恋愛の色彩理論

愛のタイプみたいなのについては、リー先生(Alan Lee)って人が、1970年ごろに提唱した「恋愛の色彩理論」The Colors of Loveってのが有名ですね(1973年に出した本は入手困難なので、私にメールしてくれたらアレします)。恋愛にはいろんなタイプがあって、人によってずいぶん違う。古来からの文学作品とか哲学とか調べてみて、どういうのが「愛 love」と呼ばれているかを集めてみる、って研究してみたんですね。その研究の結果、リー先生は恋愛にはだいたい六つぐらいのタイプがあって、それらが興味深い形で関係してるんじゃないか、みたいな仮説を立てたわけです。まあ人々を観察していると、それぞれ同じような恋愛をくりかえしている気がしますね。それぞれの人にはそういう「恋愛のスタイル love style」がある、と。

先生はまず、色と同じように恋愛には三つの基本的なタイプ、原色があるんじゃないかと考えた。それは

  • エロス:情熱的な恋愛、身体的な美や興奮を重視する。ビジン、イケメン、ナイスバディ。とりあえずその時は一人を強く求めて、一生この人とか思いつめちゃう。
  • ルダス:遊びの恋愛。恋の駆け引きを楽しむ。わくわくするのが大好き、みたいな。享楽、多様性、変化を求める。
  • ストルゲ:友情のような恋愛、長続きする親密さを重視する。ほんかわ。碇君といるとぽかぽかするから、碇君にもぽかぽかしてほしい。

の三つ。

さらに、これらの原色の混合としていくつかのタイプがある、と。

  • マニア:強迫的な恋愛。相手に執着し、モメる。粘着。強い束縛。目が逆三角形になってます。
  • プラグマ:実用的な恋愛。計算づく。頭のなかにあらかじめ「チェックリスト」みたいなの用意しておいて、基準をクリアしていたらおつきあいする、みたいなの。お金もちだから好き、とか。親医者でお金あるし、背が高いから並んで歩いても大丈夫だし、京大生だから一流企業入れそうだし、レポートも書いてもらえるしー、とか。
  • アガペー:無償の愛。相手のために尽して尽して見返りを求めません、みたいな。あの人のために私は身を引きます、とか。フィクションには登場するけど現実には見つけられない。

この六つを並べると、あたかもゲーテの色彩環(文学者のゲーテ先生は色彩の研究でも有名でした)みたいになる、と。エロスとアガペー、ルダスとプラグマ、ストルゲとマニアがそれぞれ補色のように対照的に並ぶよ、というわけです。

その後リー先生は理論を発展させて、あと二つのタイプを加えました。

  • ルダス的エロス:とりあえず美人・イケメンなら誰でもいいから行くってやつですね。ちゃんとしたエロスに比べると真剣さが足らん!
  • ストルゲ的ルダス:友達みたいな感じでいろいろ楽しくデートしたりする感じですね。別に美人イケメンじゃなくても楽しくいられればいいです。

ふむ。こうなると、自分がどのタイプの恋愛するのかっての気になりますよね。http://gallebasra.sakura.ne.jp/lets2.php でテストできます。どういう人が作ってるか知りませんが、他のページもしっかりしているので大丈夫でしょう。やってみましょう。

あとスタンバーグ先生の「恋愛の三角形理論」ってのが有名なんですが、これは別エントリで。

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セックス哲学史:サッポー先生に恋を学ぼう

古代ギリシアの恋愛詩というと女流詩人のサッポー先生が有名です。レスボス島に住んでて女性どうしてあれしていたのでレズビアンの言葉のもとになったとか。名前は聞くわりには作品を読むことめったにないですよね。断片しか残ってないからのようです。

下のは一番有名な断片31と呼ばれているやつ。呉先生が典雅に訳しちゃっててふつうの人は読めないので、もっと簡単な訳の方とそのうち入れかえます。

この詩がなんで有名なのか、ってのはセックス哲学史的にけっこうおもしろい課題です。まあギリシア語ですごく響きがよいんでしょうが、それはギリシア語知らない私にはわかない。そもそも私文学も文学史もよく知らんからたいしたことを語れるわけでなはない。でもこの前読んでみて思ったことを少しだけメモ。

男女が語らっていて、それを遠巻きに見ている女性がいて、その女性はさわやかに笑っている女性の方に目を惹かれ、男に対して嫉妬を感じている、っていう状況なんでしょうね。どうしてもレズビアンとしての側面に目が行ってしまいますが、私が注目したいのは、身体的な感覚の描写なんですわ。この詩は「草よりも蒼ざめて」って表現で有名なんよね。他にも胸はドキドキ、体の皮膚は真っ赤、へんな汗出てるし、みたいな。私はあの人に恋をしているのだわ、今気づいたわ!なんてこと!みたいな。こういう表現が新しかったんじゃないですかね。実際、そうした生理的な反応を感じるのが一番「恋」ってのと近いんじゃないかと思ったり思わなかったり。そういうのがなんにもないのはなんか恋じゃない感じするっしょ? たんなるほんわか「この人といると楽〜、ご飯も作ってくれるし」なんてのが「恋」と呼べるものなのかどうか。やっぱり身体的になにかを感じないと恋ではないのではないか。まあ私はよく知らんですが。嫉妬という感情によって恋を自覚するでってのもおもしろいですよね。

いまじゃどんなマンガだって「ドキ!」「胸キュン!」とか表現されるわけだけど、そういうのっていうのは実はすごく子どものころは気づかない。「ドキドキした?」って聞かれてはじめて、「あ、私ドキドキしてる」とか自覚するもんでね。まあドキドキより下半身への刺激を先に感じる人もいるかもしれんですがね。『なにわ友あれ』って名作ヤンキーマンガで主人公の友人が、「XXがXXしてるのを見たら、それまでXXだったXXがXXしたんやー!」とかやってて、恋にはそういう側面がある。まあヤンキーはヤンキーなりに純情だ。

よく知らないんですが、おそらくホメロスとか読んでても、こういう表現は出てこないんですよ。アキレウスは軍神アレースのごとくうんにゃら、とか三人称の観点から外面的な行動だけが描写されるんよね。でもこの詩では、一人称の人が自分の身体内部の感覚を語っている。この時点で人類は自己意識みたいなのを手に入れたんですね。

実はこの人類はごく最近(ここ2、3000年)になって自己意識を手に入れたのだ、みたいな話はけっこうおもしろいんですよ。ジュリアン・ジェインズの『神々の沈黙』てのがトンデモも入っているけどけっこうおもしろい。

万葉集なんか見ても「君が好きさ」「いっしょに寝たい」「一人で寂しい」とか多いけど、こういうタイプのはあんまりなくて、今古〜新今古ぐらいになってでてくるんじゃないっすかね。知らんけど。

サッポー先生は伝統的にバイセクってことになってるらしく、この絵では若い歌手をうっとり見てます。盛んな人だ。もう少し詳しい解説は画像をクリック。

  その方は、神々たちにも異らぬ者とも
見える、
その男の方が、あらうことか、
あなたの正面に
座を占めて、近々と
あなたが爽かに物をいふのに
聴き入っておいでの様は、
また、あなたの惚れ惚れとする笑ひぶりにも。
それはいかさま
私へとなら 胸の内にある心臓を
宙にも飛ばしてしまはうものを。
まったくあなたを寸時(ちょっと)の間でも
見ようものなら、忽ち
声もはや 出やうもなくなり、
唖のやうに舌は萎えしびれる間もなく、
小さな
火焔(ほむら)が膚(はだえ)のうえを
ちろちろと爬(は)つていくやう、
眼はあつても 何一つ見えず、
耳はといへば
ぶんぶんと鳴りとどろき
冷たい汗が手肢(てあし)にびつしより、
全身にはまた
震へがとりつき、
草よりもなほ色蒼ざめた
様子こそ、死に果てた人と
ほとんど違はぬ
ありさまなのを。…………
(呉茂一訳『ギリシア・ローマ抒情詩選』岩波文庫)

サッポー先生の詩はこれに入ってます。

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解説はこれがものすごい名著。どうもサッポー先生は女子向け音楽学校みたいなのの先生だったのではないか、とかって話。宝塚っすね。

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セックスの哲学史: エピクロス先生に我慢を学ぼう

エピクロス先生は古代ギリシアの哲学者で、ソクラテス先生より一、二世代下ですかね。

エピクロス先生
私のヒーローの一人

いっぱんにエピクロス派っていうと「快楽主義」ってことになってて、英語でエピキュリアン(エピクロス派)って言うとおいしいもの食べたりぜいたくな風呂に入ったりそういうのを連想することになってますが、快楽の追求よりは苦痛の回避をまず考えた、ってのが正しい理解ってことになってます。快楽を追求するのは難しいけど、苦痛を避けるのはちょっと工夫するだけで簡単だよ、ってな感じですね。なんか消極的であれなんですが、私は魅力を感じてます。

先生自身は本とか書かなかったわけですが、しゃべったことと手紙の断片みたいなものが残っていて、岩波文庫にはいってますから買いましょう。

飢えないこと、渇かないこと、寒くないこと、これが肉体の要求である。これらを所有したいと望んで所有するに至れば、その人は、幸福にかけては、ゼウスとさえ競いうるであろう。

なんて言葉が残ってます。われわれの関心としては、セックスへの欲望とかってのもなかなか強烈なんだけどそれどうすんのよ、って感じですよね。

いっさいの善の始めであり根であるのは、胃袋の快である。 知的な善も趣味的な善も、これに帰せられる。

これ「胃袋」ってなってるけど、英訳とか見るとbellyだったりして、訳によっては「腹」とか「下腹部」とか訳されることもあるみたい。下腹部といえばあっちの法の快楽も気になりますわねえ。

エピキュリアン、快楽主義てことになればセックス大好きであざといこともするのかと思いきや、エピクロス先生は基本的にはあんまりセックスをおすすめしない。それはセックスそのものが悪いことだからじゃなくて、セックスするために告白したりお金つかったりいろんな面倒なことをしなきゃならないからね。

(おそらく)「セックスしたくてしょうがないんですがどうしたらいいんでしょうか先生」とかたずねられて、上野千鶴子先生は「熟女にお願いしろ」って答えたようですが、エピクロス先生はこう答えています。

肉体の衝動がますます募って性愛の交わりを求めている、と君は語る。ところで、もし君が、法律を破りもせず、良風を乱しもせず、隣人のだれかを悩ましもせず、また、君の肉体を損ねもせず、生活に必要なものを浪費しもしないのならば、欲するがままに、君自身の選択に身を委ねるがよい。だが君は、結局、これらの障害のうちすくなくともどれかひとつに行き当たらないわけにはゆかない。というのは、いまだかつて性愛が誰かの利益になったためしはないからであって、もしそれがだれかの害にならなかったならば、その人は、ただそれだけで満足しなければならない。

立派ですね。上野先生とは格が違います。まあ熟女にお願いしてとりあえずあれしてもらっても、あとでその熟女にしつこくされたり、関係者から「ゴルァ」ってされたり、友だちに笑われたりいろいろいやなことがあるでしょうからね。セックスなんかしないにこしたことはありません。でもんじゃ性欲の苦とかどうすんですかね。まあ一人であれしときゃいいんですかね。「隠れて生きよ」っても言っておられますし。セックスなんかしないでセックスについて哲学していれば穏かに苦痛なく生きることができるわけです。ははは。

犬に見守られながらはずかしいことをする準備をしているディオゲネス先生

そういやエピクロス先生たちの派閥と対立(?)してた派閥に「キュニコス派」(犬儒派)って人々がいたんですが、それの一番有名な「樽のディオゲネス」先生(樽で寝起きしてたから樽のディオゲネス。シノペのディオゲネス。犬みたいな生活したから「犬のディオゲネス」とも呼ばれる)は人前で自分のあれをあれして、「こんなふうにこすっただけでお腹がいっぱいになったらいいのになあ」って言ったとか言わなかったとか。まあこすれば幸福になるんだったらこすればいいですよね。

古代ギリシアの哲学変人たちの言行についてはディオゲネス・ラエルティオス先生の『哲学者列伝』が楽しいので必ず読みましょう。

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セックスの哲学史: 狂気としての恋・性欲(1)

西洋人はどういうわけか古代ギリシア文明を自分たちの文化の源流だと思ってるらしいです。なんかあるとソクラテスやプラトン、あるいはホメロスまでさかのぼっちゃったりして。なんかそれって日本人が孔子様や老子様たちを自分たちの先祖だって言ってるみたいでなんかあやしいんですけどね。

プラトン先生
私は苦手です。

古代ギリシア人もおそらくセックスは大好きだったし、とくに元祖哲学者みたいなプラトン先生のまわりの人々がセックス(特に少年愛、パイデラステア)が好きだったみたいでいろいろ議論がのこってます。

基本的には古代ギリシア人にとってもセックスや恋愛ってのはやっかいなものだったんじゃないですかね。世界最古の叙事詩の一つであるホメロスの『イーリアス』で歌われているトロイア戦争なんかでも、パリスというトロイの王子がヘレネーという絶世の美女を略奪か駆け落ちしてしまったのが戦争の発端だし。

セックス哲学史はまあやっぱりプラトン先生あたりからはじめないとならんわけですが、プラトン先生はセックスについて異常に多くのことを書いている(『饗宴』はぜんぶ愛欲エロースの話)なんでちょっとずついきましょう。正直私はプラトン先生はよくわからんのです。古典ギリシア語読めればよかったなあ。でも日本では古典研究さかんで優れた翻訳がたくさんあってうれしいです。

まあプラトン以前から、基本的にはセックスや性欲は荒々しい暴君で我々にとんでもないことをさせちゃったりする、って理解だったと思っていいんじゃないですかね。

「どうですか、ソポクレス」とその男は言った、「愛欲の楽しみの方は?あなたはまだ女と交わることができますか?」(年老いた)ソポクレスは答えた、「よしたまえ、君。私はそれから逃れ去ったことを、無上の歓びとしているのだ。たとえてみれば、凶暴で猛々しいひとりの暴君の手から、やっと逃れおおせたようなもの」(プラトン『国家』)

とか。ソクラテス先生もソポクレス先生に同意しているみたい。でも本気かなあ。ふつう年寄りってのはそういうことできなくなっちゃってぐじぐじ悩んでいる印象ありますよね。この引用の直前では実際そういう話になってます。

『国家』の別の文脈ではこんなこと言ってる。

〔ソクラテス〕「ところで、性愛の快楽よりも大きくてはげしい快楽を、君は何かあげることができるかね?
「できません」と彼〔グラウコン〕は言った、「またそれ以上に気違いじみた快楽もね」

とか。セックスの快楽は最強。

『パイドロス』でも恋は人を狂わすみたいなことが言われているです。

〔恋する者は〕母を忘れ、兄弟を忘れ、友を忘れ、あらゆる人を忘れる。財産をかえりみずにこれを失なっても、少しも意に介さない。それまで自分が誇りにしていた、規則にはまったことも、体裁のよいことも、すべてこれをないがしろにして、甘んじて奴隷の身となり、人が許してくれさえすればどのようなところにでも横になって、恋いこがれているその人のできるだけ近くで、夜を過そうとする。(252A)

とか。毎日新聞で学校の先生とか警察官とか公務員とか性犯罪やセクハラで捕まったりしてますよね。人殺しとかも色恋関係が多いしねえ。まあこんなふうに人を狂わせるもの、それがセックス。セックスと恋とか愛とかそういうのの関係はどうなってんだゴルァってのはぼちぼち。

プラトン先生の翻訳は岩波文庫ので安心です。国家もパイドロスも長くて読むのはしんどい。実は哲学とか専門に教えてる先生たちだってそんなまじめに最初から最後まで読んでいるわけではない(はずです、おそらく)。

プラトン読むんだったまずは『弁明/クリトン』で足ならししてから、『ゴルギアス』を読むのがよいと思います。これは猛烈におもしろいよ。私のヒーローの一人カリクレス先生が、「よく生きるというのは欲望を最大限に大きくして快楽を貪ることだ!」って宣言しててかっこいい。カリクレス先生はおそらくセックスもしまくり。

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Antioch大学の性暴力防止規程

レイプとかセクハラっていうのは「同意があったかどうか」みたいなのが面倒なので、きっちり口頭や文書で同意がないかぎり性暴力とみなそう、みたいな動きがあります。実際に学則に組み込んだ大学もある。

1990年、キャンパス内で2件のデートレイプが発生したことをきっかけに、大学でのレイプ防止のとりくみが開始され、1991年Sexual Offense Policyが制定されたようです。次第にアップデートされ、現在では2005年版が有効になっている。 これをめぐって90年代アメリカではけっこう激しいデートレイプ論争が起きました。日本ではあまり紹介されてないのでとりあえず学則だけ抄訳。

(あら、いま確認したら上のページはsuspended。 とりあえずこちら。
http://www.mit.edu/activities/safe/data/other/antioch-code)

訳や番号は正確じゃないです。そのうち正確にしたいけど、元資料がないとなあ。

「同意」のないセックスはぜんぶ学則違反とした上で、同意を次のように規定するわけです。

===================== ここから ====================

  • 同意とは、特定の性的行動に参加することを自発的に口頭によって合意することである。以下に要点をあげる。
  1. 性的活動を行なう前に、その時々常に同意が得られなければならない。
  2. 参加者はみな性的活動を明確かつ正確に理解していなければならない。
  3. 性的活動を開始しようとする者は、同意を求める責任を負う。
  4. 性的活動を要求されたものは、口頭での返答をなす責任を負う。
  5. 性的活動の新しいレベルごとに同意が必要である。
  6. ジェスチャーやセーフワードについての同意された利用は受けいれられるが、性的活動をはじめる前に参加者全員によって論議され口頭で合意されなければならない。
  7. 同意は参加者たちの人間関係や、それ以前の性的経歴、現在の活動にかかわりなく必要である。(たとえば、ダンスフロアでグラインドすることはそれ以上の性的活動に対する同意ではない)
  8. いかなる場合も、同意が撤回された場合、あるいは口頭によって合意されない場合、その性的活動はすぐさま停止されねばならない。
  9. 沈黙は同意ではない。
  10. 身体的動作やあえぎ声(moans)などの反応は同意ではない。
  11. 寝ている間は同意することができない。
  12. すべての参加者の判断力が損なわれていてはならない。(アルコール、ドラッグ、心理的健康状態、身体的健康状態などが判断力を損なう例であるが、これに限られるものではない)
  13. すべての参加者はセーファーセックスを実施しなければならない。
  14. すべての参加者は、個人敵なリスクファクターや性感染症を開示しなければならない。それぞれの個人が自分の性的健康についての意識を保つことに責任を負う。

===================== ここまで ====================
私だったら「ボーイフレンドと別れたばかりのときは同意できない」「犬が死んだときは同意できない」「クリスマスの日は同意できない」とかもっとつけたしたいですね。

こういう学則をちゃんとしておけば、まあセックスでもめることは少なくなるでしょうなあ。でも馬鹿げている、っていうひともいるわけですよね。むしろこっちが多数派。でも馬鹿げているのはなぜだろう?

杉田聡先生の考えるあるべきセックスの姿

国内で売買春やポルノグラフィを猛烈に批判している人の一人に、杉田聡先生がいます。

杉田先生によれば、本来セックスは双方が「自発的な意思」によって「自主的に興奮」し、双方が「性的快楽」を味わうことができなければならない。売買春は一方だけが性的興奮や性的快楽を得るものなので不道徳だ、それはもはやセックスではなく性暴力と等しい、と言いたいようです。セックスに金銭をはさむな、そんなのはセックスではないと。

売春は女性の望まない性行為を模し、「強制わいせつ」を模し、「強姦」を模している。要するに売春は性的侵害を模している。……売春が、抱擁・性交・射精などを含む点においてセックスを模した営みと見えたとしても、それが経済行為・サービスとして金銭を媒介に行われるとき、そこで行われる営みはすでに愛し合う者同士の、あるいは互いに性行為そのものへの自発的な意思を有する者同士のセックスでないのはもちろん、それを模してもいない。金銭を媒介にしているという事実、したがって売春者にセックスそのものへの欲求と同意がないという事実は、その性的営みそのものに投影されざるをえない。金銭的動機にもとづく性行為においては、セックスにあるべき女性の自主的な興奮も反応も、それに伴う性的な喜びも存在しないのである。(杉田聡、『男権主義的セクシュアリティ』、青木書店、1999、pp.172-174)

まあなかなか説得力がある。

しかしこれってどうなんですかね。

「自発的な意思」ってのは相手の身体、あるいは身体との接触に対する性的欲望と考えていいんでしょうか。

まず気になるのは、本当に売買春においては性的欲望や性的快楽が一方にしか存在しないのかどうか。なんか男性誌とかAVとか掲示板とか見てると、男性客ってのはいかにして女性に性的快楽を味わってもらったり性欲を喚起するかをいっしょうけんめい考えたり試したりしているように見えますね。

第二に、通常の愛ある人々の間のセックスにしても、お互いが同時に自発的に開始するものなのかどうか。ふつうの人のセックスっていうのは「見あって見あって、はっきょい、のこった」みたいに始まるものなのかどうか。それに多くの男性は女性の歓心をひくためにおもしろい話したりプレゼントしたり指名でお金つかいまくったり、もういろんなことするわけでねえ。セックス産業でもそういうのは多いんじゃないかな。

まあ性産業にしてもキャバクラにしても上から目線っていうかお客だから接客しろ、とか、「キャバ嬢は江戸時代も知らないバカ」とか言っちゃう人もいるみたいだけど、そういうひとってのはたいていモテないことに落語の世界でもなってる。お金払って、さらにもてようとするのがまあそういうのが好きな人々なんじゃないっすかね。

性的快楽もなかなかあれだ。片一方に性的快楽がないと不道徳なセックスなんて言われると、ヘタな人はセックスするのは禁止しないとねえ。まあいろいろ考えちゃいます。

女性の自主的な興奮や反応なんて言われると、「自主的」ってどういうことだろうなあ、と思いますね。どうすると女性は自主的に興奮するんだろうか。男だってどうすりゃ「自主的に」興奮するのか。自主的ってどういうことだろう。まあお金払ったら興奮する人がいるとは思えないけど、あまりにもお金使わないと興奮しない人はいるような気がする。ははは。

またたしかに愛のあるセックスの方が強い性欲をいだくことが頻繁だろうし、性的快楽も多いだろう。愛のあるセックスの方が非道徳的な意味で「よい」セックスな場合は多いかもしれません。愛のない金銭セックスがそんな不道徳かどうかはまだわからない。

それに必ずしもお金払ったりもらったりしたら快楽の点で劣るセックスになるかどうか。愛だの親密さだのを考えないセックスが快楽などの点で優れている場合ももしかしたらあるかもしれんし。

互いの快楽を追求するのがセックスの本来の/あるべき姿だ、みたいなのはそうなのかな、と思うわけですが、お金払ったセックスがそれを目的にしてないのかどうか。けっこう重なりあってる部分もあるんじゃないですかね。わからんですが。ゴルゴ13だって、よくお金払ってセックスしてるけど性の達人ってことになってますからね。ははは。「当店では嬢の自主的興奮と性的快楽を最重視いたしますので、お客様のそのようにお心得ください」みたいな店もけっこう流行るのではないか。

でもまあ杉田聡先生は独善的なところも感じないではないが、哲学者らしいキレ味の議論を提出しているので、売買春やポルノ、性暴力などを考えたい人は必ず読んでみるべきです。上野千鶴子批判とかもなかなか迫力がある。

レイプの政治学
レイプの政治学

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杉田 聡
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杉田先生はもとはドイツの哲学者カントの研究者のはず。私とってはH.J.ペイトン先生の『提言命法』(行路社)を訳してくれたひと。これは手に入りにくい名著。amazonには古本でもないね。あとポルノ批判・売買春批判の他に、自動車批判でも有名。まあ筋金入りの反資本主義左翼。けっこう説得力があるので一読してみるとよい。

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活動の「目的」とかそんなにいっしょうけんめい考える必要はないかもしれない

前のエントリで「セックスの目的」みたいな話に触れてみたけど、こういうのってなんかやっぱりあやしいところがあるわよねえ。

ちょっと前にツイッタとかで「学会の目的ってなんだろう?」みたいな書き込みを見かけた。まあ人間関係とか組織的活動とかうまくいかないと「〜はなんのためにあるんだろう?」なんてこと考えちゃいますよね。「人生ってなんだろう、なんのために生きてるんだろう?」とか。ははは。「セックスの目的」みたいなのについて考えるのもだいたいそれがうまくいってないときとかそれができないときとか、まあとにかくうまくいってないときだわよね。まあ一般に反省したり哲学したりするのはなにかがうまくいかないときだ。セックスの哲学している人々はだいたい哲学はたのしくやってるだろうけどセックスを楽しくしているかどうかはわからない、ははは。

まあとにかくたとえば「学会の目的」みたいなのを考えたときに、「学会の本来の目的は学術的な意見を交換し、もって知識の拡大を図るのだ」みたいなご立派な目的が提示されるわけですが、実際の我々の活動をみるとそれだけが目的ではない。

知識を求めてくる人もいれば、酒を飲みに来る人もいる。研究仲間や子分を探しに来る人もいれば、自分が偉いことを示したい人もいるし、嫌いな教員の弟子をいじめに来る人もいるし、まあほんとにいろいろ。っていうかなにか組織や活動が一つの「目的」のためにあるのだと考える必要はない。上のすべての目的を同時に果たしている人もいるだろう。

セックスという活動もそういうことがありえる。子どもを作りながら快楽を味わいつつお金も稼ぐセックスもあるかもしれんし。まあそんな話。

ソーブル先生なんかはセックスってのは多義的 polysemic だ、みたいな話をするのがいつもの手段。まあわれわれはいろいろしているのです。

あと書きそびれたけど、なにかを定義しようとするときに、その活動の目的——何を目指しているのか——を問うのはソクラテスやアリストテレス以来の伝統だってのも書くべきだったかもしれないけどまあいいや。

セックスの本来的(?)目的

「倒錯」っていう概念とからんでおもしろいのが、セックスには(本来的な)目的があるのかどうかとか、我々はなにを目指してセックスするのか、とかって話。「本来的な目的」みたいなのがあれば、それ以外は倒錯だとか言いやすくなるからね。

「セックスって結局なにを目指しているものなのか?」ってのに「射精」とか答える人がいるかもしれないけど、んじゃ女性はセックスできないことになっちゃうのかしら。女性の場合は「射精されること」なのだろうか。んじゃ早漏に悩んだり不満を感じたりする必要はないだろうし、なるべくさっさとすませるのがいいんじゃないかって話になってしまうかもしれん。

「生殖こそがセックスの本来の目的なのじゃ」みたいなのに魅力を感じる人は多い。このタイプの考え方をする人は生殖につながらないセックスは倒錯的だとか、神の意志に反しているとか自然に反しているとか言っちゃう。そこから生殖以外の目的によるセックスは道徳的にも不正だとか非難に値するとかって考える人もいる。まあとてつもなく多くの人が神の意志や自然に反してるんでしょうなあ。私は知らんですが。

「セックス(性的活動)ってのは性的快楽を求めるものだ」みたいなのがAlan Goldman先生が有名な論文”Plain Sex”で主張したことなんよね。で、ゴールドマン先生によると、性的快楽以外のものを求めるセックスはどっか不純なところがある。典型的には売春はお金のために自分の性的能力を売っているわけだけど、これはセックスをお金をかせぐ道具にしていてセックスがもっている価値を下げてしまっている。セックスは自分と相手の快楽を目的とするべきであり、快楽の代償は快楽じゃないとおかしい、みたいな。驚くべきことに、「愛のためのセックス」とかってのも、愛情の確認とかのためにセックスをつかっているのでセックスの価値を貶めている。あくまでセックスは性的快楽のみをめざしておこなわれるべきなんちゃうか、みたいな議論につながる。

ゴールドマン先生の議論がどの程度うまくいってるのかとか事実判断と価値判断の関係はどうなってるんだとかいろいろ問題はあるところだけど、この筋の議論はけっこうおもしろい。

他にセックスの(本来的)目的としては「親密さ」や「コミュニケーション」がある。親密さを強めるのがセックスです、お互いを深く知るのがセックスなのです、みたいなのとか、「セックスは感情を交換することなのです」みたいなの。これも人気があるわよね。有名なのはJanice Moulton先生の”Sexual Behavior”とか。このタイプの考え方をする人は、「だから売買春やカジュアルセックス(ナンパ即セックスとかワンナイトとか、まあよく知らない人とセックスする)は本当のセックスじゃないのです」みたいなことを言うかもしれない。

一番リベラルな立場(リバタリアン)は、セックスは他の人間の活動となんもかわるところがないし、特定の目的のためにしなきゃならんなんてことはない、みんな好きなようにセックスすればいい、とかって主張したりする。

まあこういう「セックスの目的」の話は、セックスが飯食ったりお茶飲んだり音楽聞いたりする(ふうつの?)活動とどう違うのか、というところにもかかわっている。セックスは人間にとって特別な活動だと思われていていろいろ保護されたり禁止されたりしているけど、本当に特別なんだろうか?特別だとすればどういうふうに特別なんだろうか?その理由をどれくらい挙げることができるだろうか?

「本当のセックスの目的」みたいなのはいろいろあやしいところがあるし、「セックスはこうあるべきだ」「こうじゃないセックスはだめなセックスだから禁止しろ」みたいなのとつながりやすい。ここらへんの議論は道徳的な価値判断とかかわってきて私にはけっこう楽しい。あとでもっと詳しくいろいろ議論してみたい。