生命倫理学とわたし

なんちゃって。「功利主義とわたし」 の兄弟編。

前史

  • 学部~Mのころはなにも考えてなかった。アルバイトだし。卒論はキェルケゴール。修論も。
  • でも小学生のころから医学とか生物とかそっち系の科学とは好きだったねえ。学研(?)の学習マンガシリーズで『人体の不思議』とか『生命の神秘』とか買ってもらってね。小学3~4年生で子どもが『生命の神秘』読んでたら親心配したろうねえ。なんか男性が水撒きホースにぎってましたよ。どういう意味かはさっぱりわかってなかった。次の瞬間には精子が「わーっ!」って泳いでいて、受精して発生がはじまっているという・・・
  • うちのあたりでは学業優秀な子どもは山大医学部に入って医者になるとかそういう感じだったので、自分もそうなるかなとか思ってたような気がする。
  • 高校生物で発生のあたり習ってたときに、「んじゃ人間ていつから人間なんだろうね」とかそういうことを考えたり。文学とかそっちはまってたこともあって、「これは科学の問題じゃないよね」みたいな。大江健三郎先生の『個人的な体験』とかも読んでますた。
  • 高2の物理があれでね。もう赤点の連続。赤点とったのなんかはじめてだったわ(いや、1年生の数Iの最初の方でもとったかな?でもそれはすぐに挽回できた)。とにかく物理は謎。反作用てなんだ!向こうから押してるのはいったい誰だ?ハンマー投げがどっちの方向に飛ぶかわからない。あれはさぼってたのも悪かったけど教師も悪かったわ。
  • まあそんなんで完全に文系になってしまう。あ、高校の思い出じゃなかった。
  • まあとにかくD1ぐらいまでは勉強ってのは誰か偉い人の思想を勉強することだった。

大学院生~OD

  • しかしなんか世間が脳死だなんだかんだって騒いでいるので、そういうことも勉強しないとね、みたいなことに。梅原猛先生とか哲学者代表だし。
  • 研究室の偉い先輩たちが加茂直樹先生を中心に研究会とかやってて、『生命倫理の現在 (SEKAISHISO SEMINAR)*1とかすでに出してた。怖くてどういう人たちか知らなかった。まだ加藤尚武先生のことはアイデンティファイしていない。
  • 加茂先生たちのグループの名誉のために書いておくと、京都で生命倫理の研究が進んだのは加藤先生がいらっしゃる前から。加茂先生のグループと飯田・加藤先生のグループは同時期にまったく独立に活動していたはず。加藤先生の京大就任にともなってそれが融合されるというかそういうグループ分けはなくなるわけだけど。とにかく飯田亘之先生と加茂直樹先生の活動の意義は軽視されすぎ。
  • あ、医学哲学・倫理学会はもっと前から活動しているはずで、そこらへんがどうなっていたのかは私はよく知りません。すみません。偉いです。あと他にもたくさん偉い先生はいらっしゃる。星野一正先生とか木村利人先生とか・・・名前はあげきれないです。
  • 日本生命倫理学会は1988年から。医学哲学・倫理学会はもっと古くて1982年からのはず。
  • 1990年の日記(1990/4/9)にこんなこと書いてるのが「生命倫理」の最初の記述みたい。

情報整理の方法を考える時期にきていると思う。フェミニズムや生命倫理を考えるなら、情報が大事だ。新聞の切り抜きなどは馬鹿らしいが、ある程度情報を集めなくてはならない。どうするか。

  • あれ、これはM2のときだね。それにしても文章が子どもっぽい。
  • 1991年1月16日にはこんな感じ。

また読書会をしようという話がある。今度は生命倫理についてだが、何をネタにしていいのか悩むところだ。

  • 1991年(D1)の年は怖い先生(2年目)が生命倫理の授業を半年やった。『バイオエシックスの基礎―欧米の「生命倫理」論』が教科書だったか。
  • あれ、けっこう記憶違いがあることに気づく。主に脳死のあたりやったんじゃなかったかなー。そのあとすぐ海外研修に行かれたんよね。半年研究室に教官がいないという状態になったような。
  • まあとにかく読書会なんかしたり。怖い先生はともかく、その前任の先生が非常に寛大な先生だったので、基本的に院生は放置されるのがデフォルトであるという意識。自分たちでいろいろ組織しないとならん。今思えば恐い先生にもっといろいろ教えていただけばよかったんだけど、そういうことをお願いしてはならんのだ、とか思いこんでた。
  • でもこれはもう読書会とはいえないようなお茶飲み会。科哲の大将から見るとこんな感じ。

動物倫理との出会いは、大学院生時代に同じ研究室の先輩や後輩数人とやっていた生命倫理学研究会にさかのぼる。これは雑談とも勉強会ともつかないスタイルでそれぞれのテーマについて話し合う、今から思うとずいぶん生ぬるい研究会だったが、そういうところで勉強したことがあとまで生きることになるのだから分からないものである。(伊勢田哲治、『動物からの倫理学入門』p. 355)

  • ほんとうに人生とは分からないものであるね。
  • でもそれまでの研究室の読書会ってのは、なんかすごい本(『イロニーの概念』とか)を少しずつ読む、ってのが基本スタイルだったみたいなんだけど、この読書会は1回で1本読む、とかそういう感じにしたんだったよな*2
  • 基本的には3~5人ぐらいでBioethicsっていう雑誌の論文を読みましょう、みたいな感じ。へえ、QALYとかってあるんですか、なんかあれだねーとか。なんかそういう感じ。牧歌的。でもそういう勉強スタイルもそれまでの研究室の雰囲気ではなかった。医者呼んできたりもしたり。細長い狭い狭い部屋で和気あいあい・・・でもなかったか。
  • 「千葉大の資料集」というのがあることを知る。ここらへんで加藤尚武先生の名前を知ったのかな。もちろん『バイオエシックスの基礎』の編者として知ってる。「千葉大の資料集」は関西にはあんまり流れてきてなかったず。
  • 1993年に、「千葉大の資料集」にシンガーの妊娠中絶/新生児の治療停止の紹介文を書け、という話が入ってくるのでシンガー読んでなんとか書く。苦労したしけっこう煩悶した。科哲の大将も同じ課題わりあてられたので、読書会でいろいろ意見交換したりしたはず。できたの開けてみると土屋貴志先生が同じのネタにしてスマートなの書いててあれだった。土屋先生もかっこよかったんよねえ。
  • 飯田亘之先生実物が京都に来られて、社交辞令として褒めてくれたり、いくつか助言いただいた記憶がある。でもあれはありがたかった。飯田亘之先生はいろいろ本当に偉いんだよな。どうしても太陽のような加藤先生の陰になって光が当たらないかもしれないけど、日本の生命倫理を研究者組織して本当に立ちあげたのは飯田先生。加藤先生はむしろ宣伝役というかなんというか。
  • 1994年にその加藤先生が教授として就任。
  • 私はこの年から晴れてOD。私は形としては加藤先生の弟子筋ではない*3。でもほんとうにいろいろお世話になりました。
  • 就任前には迎撃体制をとっておこう、ってんで対策読書会したような気がする。「おもしろいけどちょっと具合悪いところもあるね」みたいな感じ。しかし偉大なことはわかった。実際偉大。
  • 奨学金切れて塾講師暗黒時代突入。勉強する時間なんてない。あんまり思い出したくないのだが・・・
  • 1994年に研究室の紀要で生命倫理特集したんだっけか。まあ千葉大の資料集に載せてもらったのを焼き直す。
  • 1994年の12月(OD1年目)に加茂先生たちの生命倫理研究会で発表させてもらったようだ。選択的妊娠中絶の話をしようとしたけど、なにをどう議論していいのかわからなかった。この日はほんとうに最悪の思い出だなあ。朝、「今階段から落ちたら発表しなくてすむかなあ」とか本気で考えた*4。以降この研究会にいろいろ厄介になる。御指導ありがとうございます。
  • 1995年には加藤先生がヒトゲノムプロジェクトの倫理的問題みたいなのでお金をひっぱってくる。偉い。
  • でも時間がなくてちゃんと貢献できず。すみませんごめんなさい。なんか嚢胞性繊維症のスクリーニングみたいなので紹介文書かせてもらうが、勉強不足でだめすぎる。いまだに公開できない。ていうか自分のなかではなかったことになっている。
  • ジョナサン・グラバーの『未来世界の倫理―遺伝子工学とブレイン・コントロール』の翻訳にも参加させてもらう。おもしろい!これは今読んでもおもしろい。
  • まあとにかく人生最大の暗黒時代に襲われていて、生命倫理どころじゃなくなっている。もう自分が生存するだけで必死。
  • でも非常勤の授業では生命倫理とかの講義もたせてもらったりして、とりあえずちょっとずつ勉強はしてた。
  • 信州大学にいる立岩真也先生がなんかすごい文献データベースを作っていることに気づく*5
  • 読書会はけっこう続いたんだけど、科哲の大将が留学することになっていったん終了。あれ、某女史が留学するからだったかな。記憶があいまい。とにかく忙しくて勉強どころではない。
  • 読書会はいまオハイオにいる功利主義女子が主催して第2期に入る。医学部の建物そのものまで侵略してすごい。そのころには私は時々顔出させてもらう程度。「♪とにかく時間が~足りない」
  • いつのまにか、「倫理学本道と生命倫理学あたりの応用倫理学の二本建で業績つくっておかないと就職できないよ」みたいなのが通念になってる。それでいいのかってのはあれだよなあ。

RA/常勤職時代

  • 90年代後半には一気に生命倫理とかの本がたくさん出た。
  • 立岩先生の『私的所有論』読んでわけわからず、でもなんか圧倒される*6
  • 運よく給料をいただける身分にしていただく。感謝感謝。
  • でもネタが「情報倫理」とかだから生命倫理のことはあんまり考えてない。
  • 情報倫理は生命倫理ほどおもしろくないなー、みたいな。
  • いやもちろんおもしろいネタもいろいろあるし。
  • このころになってやっと、ちゃんと「イントロダクション」や「ハンドブック」や「リーダー」読んで、お金かけてそれなりに文献集めてから仕事をするのだ、ってことがわかってくる。遅すぎる。でもいまじゃ一般的なこのスタイルは、95年には一般的ではなかったんですよ。
  • まあでも生命倫理は流行でいろんな人がやってるから、情報倫理で一発当てる方があれかな、みたいな感じでさようなら生命倫理学。
  • でも気にはなっていた。
  • 運よく常勤職ゲット!っていうかもらった。
  • わーい。
  • 好きなことしたいなー。
  • やっぱり生命倫理気になるよなー。特に選択的妊娠中絶なー。
  • フェミニズムも気になるんだよなー。大学が大学なだけにフェミニズムもそれなりにまじめに勉強しないと。
  • 井上達夫・加藤秀一論争があったことはこのころに江原先生のやつで知る。まあよくわからん。そんなん大昔に議論されつくしたことじゃん、みたいな印象。
  • 胚の利用とかES細胞とかで世間がさわいでるよ。
  • なんか少し勉強するかねえ。
  • 脳死も勉強しないとね。とかいいつつ4、5年すぎる。
  • と、なんかとにかくトムソンの議論もパーソン論も紹介なんかおかしくね? っていうか森岡先生の『生命学に何ができるか―脳死・フェミニズム・優生思想』あたりからなんかいやな雰囲気だったんだけど。
  • 異議あり!生命・環境倫理学』とかひどいなあ・・・
  • なんか勉強しないで生命倫理について書いてる人が増えてね? 業界が大きくなって海外文献読まずに国内の文献だけで議論してる?
  • 山根純佳先生の『産む産まないは女の権利か―フェミニズムとリベラリズム』とかもなんかおかしくね?
  • 小松美彦先生の『脳死・臓器移植の本当の話 (PHP新書)』。こ、これは・・・
  • まあここらへん別ブログで遊んでいたときに発見したわけだけど。
  • 2006年ごろ『生命倫理学と功利主義 (叢書倫理学のフロンティア)』に遺伝子治療の件とか書かせてもらって生命倫理学に復帰する準備。
  • よく見ると、『バイオエシックスの基礎』の訳はいろいろ問題ありすぎ。もちろん黎明期にはああいう形で出すのは意味があるけど、流行りで生命倫理学やってる研究者たちがちゃんともとの論文読んでないってのはこれはもう許せん。
  • というわけで学会に殴りこみに行くかなあ、とか。2007年ごろ。まず研究会で発表してまわりの人をディスり、学会でも全員ディスる発表して、その原稿を大学の紀要に載せた。今思えば学会誌に載せりゃよかったんだけど、なんか面倒だし、なるべく早く一目に触れる情報にしたかった。
  • 学会はけっこうな人数がいたんだけど、「トゥーリーの議論についてはここにいらっしゃる方々はみな御存知だと思いますが、魔法の子猫について御存知の方はいらっしゃいますか?」って聞いたときは気分よかった。「それではトムソンの最低限良識的なサマリア人はどうですか?」ははは。あれは人生で最高に痛快な一瞬の一つだったかもしれない。
  • でもそういう全力ディスり論文を書くと、「んじゃお前がやれよ」って話になるわけで、翻訳しなおさないわけにはいかんわねえ。
  • でも日本語が不自由でね・・・・天気悪いと仕事にならんし。
  • とかで今に至る。

*1:この本、まだどこかで教科書として使われてるらしい。すごい。

*2:ここで研究室の伝統というか上下の連結がが一回切れているわけだが、それについて今考えるといろんなことがあれだ。まあ苦しかったかもしれん。

*3:そして残念ながら怖い先生の弟子筋とも言いにくい。I’m a self-made man, and am proud of it、と言うべきなのかなあ。

*4:でも逃げなかった自分を褒めてあげたい。

*5:立岩先生はインターネットの威力を一番最初に使った学者の一人だと思う。

*6:ここでなんか反応するべきだったんだよな。

ハウツー本の読み方

(2007年にも同じこと書いてます。http://d.hatena.ne.jp/eguchi_satoshi/20071213 )

学生様にはレポート書く前に「ハウツー本ぐらい読め」としつこく言ってるわけですが*1、私自身もハウツー関係はよく読みます。「大学教育の方法」とか「庭木の手入れ」とか「宅録の方法」とかそんなんとかね。この前は「ナンパの方法」みたいな本を3、4冊読みました。まあこれはナンパするためじゃなくて、そういう私のぜんぜん知らない活動がどういうふうに行なわれているか調査するためだけど。海外旅行行くときはかならずガイドブック買うでしょ?1回生にとっての大学生活や、3、4回生にとっての就活も海外旅行行くみたいなもんで、危険や落とし穴があるからそれをちゃんと知っとく。地図持たないで山行く人は死にます。

今年も3回生ゼミの学生さんに就活について(せめて心がまえだけでも)お説教する時期なので、数冊買ってみました。私自身は就活はM2のときしかしたことないので、現在どうなっているのか知らないので勉強しておく必要があります。こういうときに本が買えるかどうかが、まあ教員としての生存戦略にかかわるわけです。就活の世話して人気先生になったり、大学全体の就活指導にかかわったりする気はぜんぜんないけど、ぜんぜん知らないとピントはずれた馬鹿なこと言って学生様から軽蔑されたり、学生様の人生狂わせたりするのはあれですからね。

先週大学の書店に平積みになっている就活本を買ってみました。

人事のプロは学生のどこを見ているか (PHPビジネス新書)

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就活のしきたり (PHP新書)

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就活の勘違い 採用責任者の本音を明かす (朝日新書)

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2013年度版 面接の虎 (就職の赤本シリーズ)

2013年度版 面接の虎 (就職の赤本シリーズ)

ここらへん。もちろんさすがに自分のお金じゃなくて、教員に割り当てられている「個人研究費」で購入しました。

ところで、ハウツー本とか自己啓発本を読むときに重要なのは、「1冊を信じない」ってことですわ。こういう本ってのは、アカデミックな世界にいない人が書いていることが多くて、その人が信用できるか信用できないかわかりづらい*2。もしかしたらダメな人がなにも調査せずに適当なことを書いているかもしれなくて、へんなものを読むと、皆から馬鹿にされるへんな行動をとってしまったりする。だから必ず複数読んでみること。

まずは出版社と著者を見てみることね。朝日新書とかPHPとか、まあそこそこ名の通った新書シリーズなのでそこそこ安心。経歴はやっぱり一流企業とか一流大学とかの方が一応信用がある。「~コンサルタント」とかはたんにその人がそう名乗っている、ってだけなのであんまり信用できない。「~研究所所長」とかってのも、その「研究所」ってのがその人が勝手に作った一人だけの研究所だったりするので用心。

amazonの評価も必ず見ること。全体の評価が高くても、一つ星や二つ星がたくさんつけられてしまっている本はやばい。一方、ぜんぶ五つ星、みたいなのはサクラがつけているだけだからこれも信用できない。ある程度の数(10個以上)がつけられている本は、評価が四つ星~三つ星半ぐらいでも十分読む価値があったりする。まあでもいきなりamazonの評価を見ないで、一読してからamazon見た方が自分の印象と人々の印象の違いが知れて勉強になります。

3、4冊読んでだいたい同じことが書いてあればそれが常識。必ず従いましょう。1冊でしか主張されてないことはその著者のオリジナルな観点から書かれていて、これは自分の判断で信用するかしないか決めなきゃならない。

今回買っているのはどれもそれなりに読める。『虎』が一番初心者向けというか偏差値それほど高くない人向けの最低限かな。『しきたり』は最初の方は「ちょっとこれは」と思ってましたが、よく読むとぶちゃけていてコンパクトで悪くなかったです。この人は前に紹介した『就活のバカヤロー (光文社新書)』の著者でした。すごく優秀なライターさんですね。大学とかと直接に関係してなくても優秀な人はいます。『勘違い』と『人事のプロ』は平凡だけど標準的な学生さんが考え方を知るにはよいのではないでしょうか。『しきたり』の人は30代、『人事のプロ』の人は40代、『勘違い』の人は50代で、そこらへんの著者の世代の違いみたいなものを見るのもたのしい。

まあ正直、こういうハウツー本を2、3冊読んでおける人は、そんな失敗しないと思いますが、それだけでは成功もできないかもしれない。成功するためにはもっと勉強や訓練をしなきゃならんわけだけど、それはまあふつうのハウツー本には載ってない。まあいろいろ探してみてください。

ブログとかもいいんだけど、まあ検索したりその情報がどの程度まともかを判断したりするのに余計に手間がかかるので、とりあえず最初は本読みましょう。

とかいってもなかなか読んでくれないんよね。

*1:何回も言いますが、レポートの書き方の本を読まないでレポートを書くのは馬鹿です。

*2:まあアカデミックな世界にもインチキはたくさんいるんですけどね。http://yonosuke.net/eguchi/memo/authors.html を参照。

文章本

まあレポートとか卒論とか、文章は簡単には書けないです。私もこの歳になってもいろいろ反省したり。大学生ともなれば、はやいうちに「文章の書き方」関係のハウツーは何冊か読んでおく必要があります。

論理的に書く方法―説得力ある文章表現が身につく

論理的に書く方法―説得力ある文章表現が身につく

この本よい本だと思うので、amazonで安かったらどうでしょうか。「よい文章を書く」といよりは「よくない文章を見わける」「どこがよくないのかを具体的に指摘できるように」「よりよい文章に書き換えられるように」を目標としているのがなかなかよいです。

学生さんはお金がないのもあってこういう本にお金を使わない傾向があるみたいですが、最低限の自己投資はしなきゃならんです。買いましょう。けっきょく企業で働くとかってのも、企画書や報告書、マニュアルといった書類を作るのが主な仕事になるんでね。

文章のよしあしに敏感になると、好ましい副作用として、おかしな文章やおかしな意見やおかしな人を見わけることができるようになるかもしれません。

あれ、文庫になってるのね。

論理的に書く方法 (PHP文庫)

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論理的な作文・小論文を書く方法―ナルホドと読み手を納得させる

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もいいかも。注文してみた。

あと大学生としてはamazonやbk1といったオンライン書店のアカウントを一つもっておくべきだと思いますね。本屋で探せない本もオンラインなら買えるし早い。ただしクレジットカードの使いすぎには注意してください。

お金がないひとは図書館を有効利用すること。大学図書館には購入希望を出す。京都市立図書館はかなりの品揃えで、オンラインで一番近い図書館に配送してくれます。便利。CDも借りられるよ。

センター試験「公民・倫理」を解いてみる。

第1問「個性」

リード文。

  • 「個性という言葉の理解は、人によって様々」なのに「個性は特に他者との違いを強調するときに用いられる」と言いきっちゃって大丈夫なのかな。
  • 「個性」が「気質や性格」と同じように心理的な特徴を指すってのも大丈夫なのかな。まあふつうそう使うか。
  • 「青年期は、自我に目覚め、個性化への欲求が強まる」。「個性化」が説明なしに使われているのが不安。個性をもつようになること、かなあ。「他人と違う気質や性格をもつこと」と言いかえてしまって大丈夫なんだろうか。
  • でも「個性化」と「社会化」は心理学では対になる言葉なのかな。
  • 「仲間集団からの離脱や孤立を恐れて無理に同調行動を取るなら、個性は埋没してしまう。」ここでの個性ってのは何を指しているんだろうな。これも「気質や性格」と言いかえられるんだろうか?
  • この文章を書いた方自身は「個性」をどういうものだと考えているのかな。他人と違った(心理的な?なんらかの?)性質と見ているのか、「その人性」みたいなやつなのか。individualityなのかcharacterなのかpersonalityなのか。uniqueness? 英語だっていろいろ多義的だわね。私自身は他人との違いなんてのはどうでもよくて、むしろ自己肯定というか二階の欲求の実現というかそういうのとして考えてるような気がするような気もするけどよくわからない。独立性・自律性とかそういうとも関係あるような気がするし。そもそも「個性的な気質」ってのはよくわからんなんか矛盾した概念であるような気もする。あとでよく考えよう*1
  • まあ短い字数で言いたいことをちゃんと書くのはたいへんだな。他の問題と同じくらいの分量をとることはできないのだろうか。

問1。A~Dの説明とア~エの具体例を組合せる選択肢が、ア~エが先、A~Dが後と順番が逆になってて混乱する。会場でいきなりこの問1にぶつかったら私はパニック起こしそう。Dの選択肢を「二重接近」と「回避」だと思ってこれまた混乱した。二重の「回避-接近」なのね。むずかしかった。この二重のやつはなくてもかまわなかったのではないか。

問2。この問題はちょっとなんか奇妙な感じがする。「自己実現」「自我意識」「自己愛」「自我同一性」という *用語* と具体例の「組み合わせとして正しいもの」とはどういうことだろうか悩んだ。難問かもしれん。「~の具体例を心理学的に説明する場合に使うとすれば最も適切な用語を選べ」なのかな。問い掛け文がおかしいのか。

問3。上の世代を父親・母親と性で分けているのに、中学生・高校生で分けていない。これで中高生と父母を比べてどうするんだ。こういうインチキな感じ(とはまでは言えないかもしれないけど奇妙な)統計を使うのは勘弁してほしい。もとの『NHK中学生・高校生の生活と意識調査』もこうなっているんだろうか?ちょっと信じられないな。それとも作問した人が作りなおした?まあ性差にコミットするのがいやだったんだろうけど、それなら父母年代のほうもいっしょにすりゃいいのに。

第2問 「死と善い生」

リード文は格調高い。

  • プラトンでも善き生には死後の至福が待ってるんだったか。あんまりちゃんと意識してなかった。勉強になった。
  • 「イスラーム教」。イスラームは単なる宗教ではなく社会制度や思想まで含んでいるので「教」をとって「イスラーム」が正しい、とか書いている参考書があったような気がする。藤田正勝先生のやつ?
  • プラトンやイスラームとパウロとの違いをもうちょっと強調できるともっとよかったような気がする。

問1。『パイドン』と『クリトン』高校生に見わけがつくのかな。

問2。特に文句なし。

問3。「人間の魂は生まれる以前に」もっとうまい表現があるような。魂が生まれるわけじゃないからね。あれは不死だから。「人間に宿る魂は人間が生まれる前に」か。

問4。けっこう細かい感じの問題だけど、まあ基本なんだろう。こういうのもっとよく知らんとならんというメッセージか。

問5。イエスの説く「神の国」が「精神的な出来事として実現する」ってのは大丈夫かなあ。エホバの証人の人はそう思ってないかもしれんよな。ペテロやパウロさえ単なる精神的な出来事とは思ってなかったんじゃないだろうか。なんかかなり不安。

問6。特に文句なし。(3)を選んでしまう受験生は多いだろうなあ。まあ良問かもしれん。

問7。ヴァルダマーナとか知ってる受験生は何人いるんだろう。私は知らなかった。

まあ荘子とエピクロスで選べってことだわね。

問8。こんなもん。

第2問は格調高く問題も神経をつかうタイプのもので平均点は低めになるだろう。まあよくできているような気がする。

第3問 「善行と心のありかた」

苦手。

問1。まあ大丈夫。

問2。うーん、まあ選べたけどあんまり自信がない。

問3。親鸞の「善人」の意味かあ。これ難しいよあ。一般的にはこういうふうに解釈されているのか。違う説明されている高校生もいそうだ。むしろ消去法で選んでください、という問題だわね。難問。

問4。OK。標準的。

問5。難しいかと思ったら選択肢が工夫されていてそれほどたいへんではない。

問6。(1)と(4)でまよったが、「旧来の道徳に真に従うために」があれなのか。(2)が啓蒙主義みたいなん、(3)が自然主義みたいなんを指すのかな。(1)はなんだろう?

問7。標準的。それにしても漱石の則天去私ってのは具体的にはどういうことなんだろうな。知らんことは多いなあ。

問8。どの選択肢もけっこう長くて似ている表現が多くて選ぶのがつらい。選択肢(4)が誤答なのは「自己の生の充実や救済よりも内面の確立を優先」のあたりなんだろうか。(1)もどこがマズいかわからない。これは難問だろう。

分野よく知らないせいもあるけどけっこうたいへん。「他人への善行」の具体例があがってないのに「心のありかた」みたいな話になっちゃってるからわかりにくいのかもしれない。少なくとも単なる形だけの慈善行為や偽善の話をもうすこし具体的に書く必要があったのではないか。あと安吾の「堕落」ってのは他者に対する善行とかと関係あるのかなあ。薬やったり裸の女の背中で原稿書いたりするってのは、堕落かもしれんけど、他人への善行を拒むとか利己的にふるまうとかそういうんではないような気がするし。なんか不安。

第4問 「寛容」

リード文。「寛容(toleration)」と英語入れる必要あるのかなあ。あんまり見たことないよな。

私の語感では寛容ってのはやっぱり「我慢する」「大目に見る」なんじゃないだろうか。ほんとうに「対等なものとして認める美徳」かなあ。対等じゃないところが寛容のポイントな気がすんだけどなあ。私の理解がおかしいのかな。

問1。OK。

問2。ボッカチオ読ませるのがとてもよい。でもこの寓話読んで(3)を選べるかな。なんかボッカチオの文章自体はもっと皮肉な意図があると思うけど。

問3。標準的。

問4。標準的。よござんす。この文脈でモンテーニュでてくるのはとてもよござんす。

問5。OKだけど、スピノザが実際にどういうこといっているのかってのは高校生には(大学生にも教員にも)理解しにくいわね。まあしょうがない。こういう謎みたいな文字列を読ませてテツガクへの興味をひくわけだ。

問6。やさしい。まあ問題つくるのに苦労したんだろうなあ。

問7。ルソーの「自由」(とその強制や全体主義との関係)の話はおもしろいんだけど、これがどういうことかってのは高校生レベルの授業ではわからんだろうと思う。まあ意欲的だけどセンター試験には高級すぎる気がする。

問8。まあ(1)になっちゃうわけだけど、「寛容は大事だけど絶対的な寛容はいかん」というまあ少なからぬ人が疑問を感じる立場が正答になっちゃうわね。これはまあしょうがない。(3)は余計なことを言ってるから×ってことだわね。

  • ヘーゲルだのカントだのベンサムだのミルだの、毎年出てくる人々がひっこんでたのがとても新鮮な感じでとてもよい。そう、哲学史ってもっと広いよね。

第5問 「友愛と連帯」

友愛。まだハトが首相やってるときに作ったんだな。友愛fratanityと友情friendshipってどういう関係なのかな。見しらぬ人を助けるのは友情じゃないよな。友情ってのはあるていど排他的・選別的でないと友情とは呼ばないと思うが、フラタニティーってのはどういう感じなんだろう。ちと国内ではあんまりはっきりしない概念だわなあ。

いろいろ考えちゃう対話文。

問1。初期社会主義者とか見わけさせる細かい問題。ちと難しい。ここらへん具体的にどういう人々だったかってのが一般読書人にもちゃんと紹介されてないからねえ。フーリエのガイキチなところはもっと紹介されていいんじゃないだろうか。

問2。サルトルまだ人気あるんだなあ。

問3。選択肢(3)はフリーソフトの話でてきてよござんすけど、「その反面」がフリーソフト作っている人たちが合悪いこともしてるみたいに読めちゃわないか心配。

問4。こういうグラフ読み問題って試験としてどれくらい意味があるんだろうか。誤答率はどれくらいなんだろう?

問5。今年はイグナティエフですか。毎年こうやっていろいろ紹介していくのはとてもよいです。

問6。センも登場。アファーマティブアクション。

問7。特定の人の発言の理由や原因を推定させる、ってのはなかなか勇気のある設問だなあ。国語の問題のようでもある。しかし正答の(3)はなんかおかしい気がする。「困ったときにはお互いに助けを差し延べ合う、相互扶助の関係」であるならば、「返礼を期待せずに相手を助ける」ことにはならんのではないのかな。「友情」が特定の返礼を期待しないってのはわかるんだけどね。いやな感じがする。

まあ全体として悩む問題がけっこうあったな。会場でやると100点とれない気がする。

問題

本文の主旨としてもっとも適当なものを次の1. ~ 4.のうちから一つ選べ*2

  1. 今年のセンター試験は昨年より難化している。
  2. 気になる細かい部分はあるものの、全体としてみればよく練られた良問である。特に今年は詳細に考えさせる高級な問題が多かった。
  3. 格調高いリード文と、新鮮な作問によってセンター試験として高く評価できる。
  4. 作問する人々はごくろうである。

*1:考えたけどよくわからん。私だったら個性というのは生れつきもっている性質や環境の影響とは比較的独立に、自分自身で獲得し是認している価値観とそれにもとづいた行動様式のことである、みたいなふうに感じているみたい。

*2:内容・形式とも例年にならっております

就活の日程とゼミなどの授業がぶつかったら?

近年就活(セミナーや面接)がどんどん早まって、授業とバッティングしてしまうことが多くなっていると思います。学生さんもたいへんですね。

教員としては「就活なんかするな」なんてとても言えるわけがない状況なのである程度授業を休んで就活するのも黙認、となってしまうわけですが、大人数の講義ならともかく、少人数の授業、特にゼミでの発表をキャンセルするなんてのは言語道断です。いきなりメールで「面接なので発表できません」とかってのは絶対に許せませんね。

許せない理由はいくつかあります。

まあ一つには「学生の本分は勉強だ」という建前があります。でもこりゃただの建前でね。そんな建前を言うつもりはない。いまどきの学生さんにとって、就活は(おそらく勉学より)大事です。

でもなんというか、ゼミの発表のように自分に割り当てられているタスクを自己都合でキャンセルする人ってのは、社会に出ても仕事をちゃんとしないんじゃないかと思うのですね。自分のタスクをキャンセルする人はろくなものになれないし、私はそういう人を信頼する気になれませんね。そういう人は人々から嫌われる可能性が高い。っていうか実社会でも大事な仕事まわってこなくなりますよね。

それになにより、観察しているとそういう人は就活そのものを失敗しているんですわ。4、5年の経験で、なんかそういうルーズなことをする人は実は就活を失敗している傾向があるように思うんですよ。

うまいこと大企業に就職した人はみなそこらへんの連絡や交渉がしっかりしている。そういう人たちは、ちゃんと連絡したり相談したりして自分の日程を調整することができるんですね。そしてなにより、「自分の活動は自分でコントロールできる」という信念をもっている。こういうポジティブな信念は非常に重要です。他人から要求されたように動くんじゃなくて、会社や教員を相手に交渉することができるわけです。そしておそらく求められているのもそういう人材なのね。指示したそのままのことしかできない人とか、問題があっても相談も交渉もできない人とか、指示したことさえできない人とかなんかだめそうでしょ?*1

「仁義」と「交渉」が大事

具体的にどうすりゃいいのか。ふつうに「仁義」を通して「交渉」して「調整」すりゃいのです。

大学センター入試じゃあるまいし、ゼミでも実社会でも「絶対この日にやらねばならない」「絶対こういうふうでなければならない」なんてルールは存在せんのです。たいていのことはなんでも融通が効くものです。なんでも「調整」すりゃいい。会社に、「この日はゼミで発表がありまして、どうしても面接にお伺いすることができませんので、他の日時にしていただけませんしょうか」と交渉すりゃいい。あるいはゼミの方に「第一志望の会社の面接をやっと取ることができましたので他の日に発表をまわしてもらえませんか」とか、他の受講生に頼んでかわりにやってもらうとか。それになにごとも先々に「どうしたらいいですか」とか相談しておけば無理もきく。こういうのはおそらく実社会で生きていくための最低限の基本なので、学生生活最後の段階に身につけておいてほしいのです。

仁義っていう点でいえば、いちおう大学の方が優先だと大学教員は思っていることが多いし、いちおう建前がそうなので、会社の方と先に交渉しておくのね。んで教員には「会社と交渉したのですがうまくいきませんでした」ってなこと言っておけば、いちおう教員の方の顔を立てたことになるのでOKになる。これが仁義。建前に一応敬意をしめす(ていうか示しているフリだけはする)。

発表じゃないときにゼミ休むときも「~という会社の面接に行くので(ちゃんと固有名詞を出すのがコツ)どうしても出席できません。もうしわけありません。おゆるしください。」と皆に連絡しておけばいい。まわりの子も納得する。(そうでないと、「私がいっしょうけんめい準備した発表なんかどうでもいいってことね!」と嫌われる」

そうすりゃ会社の方だって「真面目な奴だ」と好感もつはずだし*2、教員の方も「うむ、しっかりしているな」と安心。

いろんなことが円満に行くし、自分自身もいやな気分になることがない。よいことづくめ。

あと私自身がルーズな男なのでいろいろヤバい失敗してしまうわけですが、そういうときにはとにかく平謝りすることにしてます。コツはね、メールとかじゃなくてとにかく直参して口頭でもうしわけなさそうな顔することね。そうするとそれ以上怒れなくなるから。ははは。

*1:そういうひとが、お客さんとのミーティングをダブルブッキンぐしてしまったり、工場が忙しいのに納期まで間にあわないこことがわかっている契約してしまったりする営業や、原稿の締切を守れない大学教員になってしまったりするわけですね。最後のは私。はははははぁ。

*2:まあもしかしたら「そんなん許せん、大学より我が社の方が重要に決まっておる」って会社もあるかもしれないけど、そういう会社は「社員の健康や家庭事情より会社の方が重要である」とも言いそうな気がするなあ。

固有名詞はぼやかすな

もうひとつ、上でも書いた「固有名詞を出せ」って話。

ゼミで自己紹介のスピーチなどしてもらうと、「バイトはカフェでやってます」「ロックが好きです」みたいに話す学生さんがいるわけですが、これはあんまりよくないんじゃないかと思います。なにがよくないかというと、固有名詞が出てこないところ。

ここははっきり、「カフェのベローチェでバイトしてます」「サンボマスターとかの暑苦しいロックが好きです」と固有名詞を出していきたいところです。「カフェ」って言うよりも「ベローチェ」の方が情報量が多いでしょ?

そういうときに学生さんに「はっきり固有名詞を出したら?」って尋ねると、なんかよくわからない。「必要ないと思いました」「そんな有名な店じゃないので」「マニアックなので言ってもわからないと思って」とか答えるわけですが、そんなふうな気を使う必要はないです。そういうのはむしろ聞き手の知識量を馬鹿にした感じでよくないです。

「カフェのベローチェ」「サンボマスターとかのロック」といえばベローチェがカフェで、サンボマスターが暑苦しいロックバンドであることはわかる。「川端四条のスーパーのフレスコ」でいいじゃん。ほんの1、2秒でその情報を伝えることができるのだからそうするべきです。

そしたら、「私もよくベローチェに行く~」とか「サンボマスター私も好き~」「フレスコは通ってるわ」とか反応してくれる人もいるでしょ?話が広がるし。とにかく自分についての情報はケチらず出すのがスピーチのコツです。「自己開示」ってやつね。「実は~」と自分についての情報を開示すると知らない人となかよくなれる。

ゼミを休むときだって、「ワコールの二次面接に行ってきます」の方が、「今日は就活なのでお休みさせてください」よりずっと好感がもてる。

逆に、固有名とか具体的な話が出てこないと、「なんか話したくないバイトしてるのかなー」とか「あんまり私たちと仲良くなりたくないのかしら」「ズル休みだろう」とかって疑ってしまうものです。つっこみも入れにくくなるし。

就職の面接のときも同じね。もうなんでもいいから具体的に話す。

あと、もし「飲食店でバイトしてます」とかってのが、その「飲食店」がキャバクラだったりすると言いにくいこともあるかもしれないですね。でもそういうときは最初から「飲食店でバイトしてます」とは言わないのが大人の暗黙のルールなんよ。なんでもかんでも正直に話さなきゃならないわけでもない。とにかくボンヤリした話はしない、するなら話は徹底的に具体的にすること。

ちなみに、嘘つきな人や嘘を見破る一番重要なポイントの一つは、嘘はたいてい具体的じゃなくてぼんやりしていることに気づくことね。本当の話、そのひとがよく知っていることの話は必ず具体的で細部がある。意図せずして、いろんな固有名や具体的な動作や会話、よけいな豆知識なんかがぽろっとでてくるものです。大学の教員でもぼんやりした抽象的なことした言わない人は本当はその話よくわかってないんよ。そういう人は信用する必要ないし、逆にいえば、ぼんやりした話をしても信用されないってことね。

暴かれる嘘―虚偽を見破る対人学

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これとか図書館で借りて読んでみるといい。

嘘つくなら徹底的に、てのではこれがすげーおもしろいよ。

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twitterの危険

twitterはおもしろいんですが、あれを携帯電話やいつも使っているメールのアドレスで登録すると他の人に把握されてしまいますので注意してください。知り合いに知られずにこっそりつぶやきたいときは、全体に非公開にするか、Gmailなどの無料メールサービスを使ってあたらしいアドレスを取得してそれで登録するべきです。

まあでもどういう手段使ってもこっそりつぶやき続けるのはまず無理です。それを覚悟してつぶやいてください。

センター試験「倫理」

前日のセンター試験公民の倫理を解いてみる。

第1問。「ステレオタイプ」問1。いきなり難しくて考えさせられる。これおそらく答は(3)なんだろうけど、
こういうのをぜんぶステレオタイプとしてみてしまうと科学的な思考はステレオタイプ思考ってことに
ならんか?エは正確にはステレオタイプ思考じゃないと思うけど◯◯◯×ってのは選択肢から排除されているし。
この問題はどうなんだろうな。物言いが付くかもしれんね。

問2。これ問いかけの「防衛機制の種類とその説明として」がわかりにくい。
「防衛機制には抑圧、投影、代償、合理化などがある。それらの説明として~」にしなきゃならんのでは?

問3。うわ、速水先生使うかあ。選択肢(2)「明確な関連」ってなんだよ。統計学的に有意かどうかは
これじゃわからん。統計もどきを使ったこういう問題は学問と社会のためにやめて欲しい。統計をちゃんと勉強した子にはかえって答えにくいはず。

第2問「囚われ」。問2。(1)が×な理由がすぐにはわからない。これは私の勉強が足りないからか。「努力で克服するのではなく」が×なのかなあ。

問4。内在と分有の違いをたずねているのか。でもこれよくわからんよな。象のイデアは象の花子に内在してるんちゃんかな。
ちゃうか。内在っていう漢字つかうから「なかにある」みたいな印象があるけど、これたとえば英語に訳すとどうなる?inherence?
immanence?

第3問。「出会い」なんかリード文にもうひとつまとまりがないというかテーマがないというか。「出会い」が人間との出会いと思想とか出来事そういうのとの出会いの二種類あって具合わるい。せめて人との出会いに限定できなかったかな。

問6。文語文の読み取り国語問題?

問8。文意をよく考えるとなんかおかしいよな。
のちのちその人の思想に影響を与えることになったから「重要な出会い」なんであって、
「自分にとって重要な出会い」がアプリオリに決まってるわけじゃないもん。だから
「重要な出会いを見逃さない」なんてことは誰にもできない(これはアプリオリにできない)し、
「偉大な人々は自分にとって重要な出会いを見逃さなかった」は当然(これはアプリオリに真)。
おそらく偉大な人々はちょっとした出会いを重大なものに変える力があったんだろう。
まあイチャモンだけど。でも「倫理」の問題はこうした無理矢理なお説教が多くて辟易させられる。
作ってる人たちも辟易してるんだろうけど。
ステレオタイプ思考は役に立つことが多いとか、「囚われ」がないと我々はなにもできないとか、
人生で重要な出会いなんか1、2回あれば十分だとかそういう話がなぜできないんだろう。でもまあ
何十万人も受ける試験にそういうのは出せないわね。
作問は苦しそうだ。

第4問。「科学」。スコラ哲学の説明として「ギリシア以来の哲学を用いキリスト教神学の教義を
理論的に体系づける」は適切なのかどうか。むしろそのための方法に関する学問なんではないのか。wikipediaだとこんな感じか

Scholasticism originally began as an attempt to reconcile ancient classical philosophy
with medieval Christian theology. Scholasticism was not a philosophy or theology in
itself, but rather a tool or method for learning that places emphasis on dialectical
reasoning. The primary purpose of scholasticism was to find the answer to questions and
resolve contradictions. Scholasticism is most well-known for its application in medieval
theology, but was eventually applied to many other fields of study.

問4のヒュームは高校生勉強しているのかな。でも哲学史上で最大の一人だから設問するのはよい。
そういや今年はドイツ・フランス系の哲学者がほとんどでてこないね。フランスはデカルトとルソーだけ?
ドイツは絶滅?やばいんじゃね?

問5。正解の(1)は私にはなんか微妙なんだが、まあ大丈夫か。(a)「環境に適応することにより」ってのが
なんか意志みたいなんを含んでいるように読めちゃうような気がするのと、(b)「多様なものとなっていく」は
場合によっては多様性が減る場合もあるから。でも大丈夫。

問6。野生生物種の減少は科学の問題ではない、か。微妙。そうなんだけどね。ちゃんと答えられない子は
けっこういたろうなあ。

問7。あ、伊勢田哲治先生だ。(2)が正解なんだろうけど、実は(3)がけっこうよくある主張に見えるけ
どな。「血液型正確判断がある種の研究者により正しいと主張されたとしても、新たな反証によって
否定され得るので、絶対視しない方がいいよね」を「血液型正確判断がある種の研究者により否定
されたとしても、それも新たな証拠によって否定され得るし、新たな証拠が出てくるかもしれないから、
絶対視しない方がいいよね」にすると典型的な疑似科学の人々の主張になる。

問8。やっぱりこういう月並みな要旨問題って必要なのかな。
「とりあえずふつうの科学的思考をまず身につけましょう。難しいことはそれから」とかそういう
主張はできないのか。
いちばん曖昧でエッジのたってない選択肢が正解になるというのは
テツガクのイメージとしてどうもなあ。作問しているとやっぱり必要になるのか。テツガクの本質は
懐疑と否定と限定にあるってのは私の思い込みか。

第5問。「安全と自由」。いろいろチャレンジしてる感じ。でもこの架空の国に迫力がないような。
名前をA国とB国にすれば・・・違うか。「可能性を孕む」とかこの「孕む」って表現に抵抗感じない人は
多いのかな。私ジェンダーイメージを孕んでていやなんだけど。
第5問に哲学史の問題が入っているのはとてもよいと思う。じゃないと
こういう分野を「倫理」で扱う意味がないからね。

問2。この「『リヴァイアサン』には~とある」って文章やめてくれないかな。
学生がレポートにこういう書きかたするようになってやだ。「ホッブズは『リヴァイアサン』で~と述べる」にしてほしい。
あと本のタイトルだけって大丈夫なんかな。『統治論』『社会契約論』とかってタイトルの本はたくさんありそうな気がするけど。

問5。『1984』もってきたのはおもしろいんだけど、選択肢(1)の意味がよくわからんし、
設問の意図そのものもよくわからん。単に『1984』紹介したかったのかな。

問6。(3)が正解なんだろうが、危害原理をこっちのたずねかたをするのはなんかポイントが違うよなあ。
選択肢(1)と(2)はかなり微妙。特に(2)はミルの文脈でどうなのか考えちゃう。他者への善行を本当に強制できないだろうか?
やっぱりself-regardingな奴に限るべきだったんではないか。

問7。期待させてもりあがらない終り方。あえて脱力系を狙ったのか。こうしてみると要旨を問う問題みたいなのは
意味があるのか。

全体としては例年より難化してるか。

とまあ色々イチャモンつけてみたけど、全体として見ると標準的な良問だわね。
毎年毎年奇問難問を避けて標準的で勉強になる良問を作っていて偉い。リード文も
高校生相手と思えばこれくらいの標準的な文章がよいのだろう。あんまり変わったこと言われても困るしね。
今年はとくに疑似科学だの1984だのでチャレンジしていて意欲的だ。

問題

本文の主旨としてもっとも適当なものを次の1. ~ 4.のうちから一つ選べ。

  1. 今年のセンター試験は例年より若干難しかった。
  2. 気になる細かい部分はあるものの、全体としてみればよく練られた良問である。
  3. 格調高いリード文と、非常に適切な設問によって標準的なセンター試験として高く評価できる。
  4. 作問する人々はごくろうである。今年は特に新鮮なネタがはいっていて勇気があるなあ。

大人数授業での私語・飲食・トイレ

私語厳禁

授業中の私語は絶対に禁止です。コソコソしゃべるのは、教員もまわりの人もかえって気になります。人間の耳ってのはそういうふうにできてのね。私自身、ちょっとした物音に敏感で、特に話し声がすると気になって集中することができません。大学の入学や授業料にはみなさん自身や親御さんの大金がかかっているのですから、他人の学習を妨害することは絶対に許されません。

授業で聞きのがしたことを隣の人に尋ねるのは最悪です。しゃべってる間、
あなたもその隣の人も教員が続けてしゃべってることを聞くことができないわけですから、
もともとあなたが聞きとれなかったら被害者1名、でもあなたが隣に聞くと被害者2名で、
さらに、まわりの人20人もあなたたちのこそそこ話が気になり、
次を聞き逃がすことになるでしょうから被害はどんどん広がります。教員はなにか
とてつもなく恥ずかしいことをしゃべってしまったのかと気になって集中力をなくしてしまいます。

学生を黙らせられない教員はコソコソ話やガヤガヤに対抗するために
マイクのボリューム上げて、ますますうるさくなったりね。
そういう悪循環は絶対に止めなくてはなりません。

もしなにか重要なことを聞きそびれたと思ったら、手をあげるなりなんなりして
もう一度説明してもらってください。説明や指示の下手な教員は多いので、
そういう質問や要求はまったく正当です。

授業中友達とは離れる

なぜ私語してしまうのかというと、友達が隣にいるからですね。人間ってそういうもんなんです。
近しい人が近くにいるとしゃべらずにはいられない。
大人数の講義なんかだと、テレビをいっしょに見ているつもりで隣の子としゃべってしまう。
それで教員の指示とか大事なポイントとかあを聞きそこねて、また「え、いまなんて言った?」「えー、わからんかった」「~ちゃんわかった?」とかやってまたさらに次の指示を聞きのがしたりする。そういう生活は馬鹿げています。

友達といつもいべったりくっついているのは気持ち悪いものです。実際には皆、「それほどべたべたしたくないなあ」とか思いながら、なんか一人でいるのが不安だからくちゃくちゃやってしまうのですね。日常生活ならそれはそれでしょうがないのかもしれませんが、授業中ぐらいは席一つ分ぐらい離れていましょう。別に一つ席を空けても仲悪くなったりしません。むしろお互いに解放されてほっとするはず。授業の感想は終ってから「あんとき~先生~とか言ってたやん」「笑かす。スーツの柄もひどすぎ」とか話すためにとっておけば、無駄話(友達づきあいでは重要)のネタにもなる。

私自身は、大学1、2回生のときはほとんど大学行かなかったので私語するチャンスはなかったし、
3、4回生になって大学に戻って1、2回生用の授業に出たときは友達いなかったのでやっぱり私語できませんでした。3、4回生向けの授業は少人数なので先生やクラスの人とおおっぴらに雑談するのが楽しかったし。

まあ逆に、「昨日のコンパどうだったん?」「ぜんぜん~。でもそのあと~が~して~っていうから~したら」とか 誰もが聞こえる大声 でやってくれたら皆楽しめるので1回ぐらいそうしてください。私も聞きます。

携帯は電源切ってカバンへ

授業中は携帯をいじってはいけません。授業に出ているときに返事しなきゃならないほど緊急なことはあなたたちの生活にはめったにありませんし、あったとしたら授業なんか出てないでその件に集中した方がずっとましな結果になります。自分が話をしているときに友達がふんふん言いながら携帯いじってたらいやでしょう?
まあ馬鹿な大人や大学教員のなかにも、仕事中や会議中に携帯鳴らしたり、ぽちぽちいじってたりする人はいるのですが、そういう人は徹底的に軽蔑されています。

授業中の飲み物・食べ物

これはかなり微妙な問題かもしれません。私はまったく気になりませんが、教員によっては非常に嫌うようです。今日読んでみた藤田哲也先生は『大学基礎講座―充実した大学生活をおくるために』という本で、

授業は先生(=教える人)と学生(=教えてもらう人)によって構成されています。みなさんは、
教えてもらう立場の人間です。・・・ジュースやお茶などをグビグビ飲んだり、お菓子をつまみ
ながら、先生の話を聞く、というのはどうでしょうか?「学ぶ立場の人間の姿勢として」不適切
だとは思いませんか?

とおっしゃっておられます。でも私はこういう発想はしません。むしろ、喉渇くのが非常に気になる人間で、1時間半なにも
飲まずにいるのはかなり苦痛なので、授業中も研究会などでもペットボトルの水を飲むので、 学生さんに飲まない方がよいというつもりはまったくありません*1

甘い飲み物は飲めば飲むほどますます喉が渇くのでまったくおすすめしません。美容にも悪いです。
オレンジジュース1パック200mlで94kcalぐらいあるので、ごはん0.6杯分ぐらい。
かなり凶暴だと思ってください。とにかく糖分はあんまりよくないです。水が一番ですな。

おそらく食い物はかなりまずいねえ。喉がかわくってのは理解できるので
水飲むのはわかるんですが、授業中延々ご飯やお菓子食べる理由はないもんね。
お腹が空きそうなときは、
休憩時間にカロリーメイトかオニギリかなんかをつっこむとよい。落ちつきます。
チョコ系統も一時的に気分を上げるにはよいのですが、お腹空いてるときに
甘いもの食べると余計にお腹空いたり気分悪くなったりすることがありますね。
スナック菓子は最低ですわな。美容にも非常に悪いです。

あ、上の藤田先生の本はノートのとりかたやらレポートの書き方やら懇切丁寧に
書いてあるので、ぜひ一読してみてください。私とかとちがってまじめな人です。
私は大学教員のなかではかなり下品で無礼な部類なので、こういうお説教もどきの文章をまに受けてはいかんです。正しい本で正しい知識や礼儀作法を身につけてください。

トイレ

授業中どうしてもトイレに行きたくなることがあります。わざわざ「先生!トイレ行っていいですか!?」とか聞くのは恥ずかしすぎますね。
でもそういうのはしょうがないことなので、我慢してはいかんです。病気になります。

方法があります。授業中立ちあがると、教員がふつう気づくので、 目があったら軽く目礼や会釈してそれらしい感じで手ぶらで出ていけばいいのです*2
あ、ポーチとかもっていってかまいません。
でももちろん携帯を手に持ってると、携帯に出るために外に出るのかと怒鳴られます。立ちあがるタイミングは
教員がそっちを向いている時がいいですね。

こういう軽い挨拶は一般に非常に重要で、教員をまったく無視して立ちあがって出ていくと
何事があったのかと驚きます。
こういうコミュニケーションは重要なんですね。
どういう場合も他人を無視するのはだめです。

結局最初の私語の件もそういうことなんよね。
誰かが話をしているときに私語をするってことは、他人を無視していることなわけです。
教員を無視して私語するとスネるわけです。周りの学生を無視して私語してれば
まわりが腹たつわけです。そういうのは絶対にダメ。

*1:むしろ適度な水分は落ちついた勉強に必要だと思う。

*2:「トイレに行きたいポーズ」とかはとる必要ありません。

通俗心理学はおもしろいので面接用に読んでみる

心理学の本はおもしろいので、いろいろ読んでみるのはよいのではないでしょうか。ただしあくまで「通俗」であることを忘れずに。一般に国内のものよりイギリスの著者のものの方が調査が行き届いていておもしろい場合が多いです。

就職の面接などでは、喋る内容より雰囲気というかそういうものの方が重要なので、言葉以外のコミュニケーションに気をつかってください。非言語コミュニケーションってやつ。通俗的な本が山ほどあるので、いくつか読む。

たとえば下のようなもの。すごく売れた『話を聞かない男、地図が読めない女―男脳・女脳が「謎」を解く』のコンビの作品。非言語コミュニケーションに関するまじめな研究を参考にしておもしろおかしく書いたやつ。

本音は顔に書いてある

本音は顔に書いてある

この本によれば、面接のときのアドバイスは次のようになるみたいです。

  1. 荷物が多いと不器用に見えるので、どこかに預けておく。受付では座らない。
  2. 呼び出されたら堂々と部屋に入る。歩き方が重要。おどおどしない。(重要)
  3. ドアからさっさと歩いてさっさと座る。(これは日本の社会ではうまくないと思う。)
  4. 握手のテクニックを使う。(これも日本の社会とは関係なかった)
  5. 座り方に注意する。(イスを調整して相手との角度が45度になるように、っていうけどこれも日本の就職活動では使えんね。)
  6. 低いソファーの場合、はしっこに腰かけてまっすぐな姿勢に。
  7. わかりやすいジェスチャーを積極的に使う。(おすすめ。動きがないひとは不活発に見えると思う。)
  8. 距離に注意。(これも国内では関係ないか・・・)
  9. 部屋を出るときは荷物をあわてず静かに手早くまとめる。後姿も確認されている。お尻だけ観察されないように一度ふりかえって笑顔。(まあ笑顔はほんとうに重要)

あれ、なんか使えないのが多かった。まあコンパでの振舞い方や誤解されない方法について学べるかもしれないから。こういうのも1冊だけじゃなくて何冊が読むこと。だいたい同じことが書いてあるので、そこらへんはわりと信用してもよいはず。「非言語コミュニケーション」とかで図書を検索してください。

私は今日この本と、『しぐさと表情の心理分析』って本読んでみました。この本の著者の工藤先生によれば、つくり笑顔の練習をした方がよいそうです。鏡の前で、

  1. 唇の両端を耳の方向へ水平に引く。
  2. その状態で両方の頬を上にもちあげる。
  3. 口を多少開いて、歯が見えるようにする。
  4. 目のまわりに横じわができているのを確認。

このまま1分間笑顔をつくる練習を毎日やるそうな。

あ、ずいぶん売れたらしい『人は見た目が9割 (新潮新書)』とかもそういう本だわね。この本はあまりにも通俗すぎてちょっとおすすめできないけど、amazonとかで検索すると同じような本がたくさん見つかるので、そういう系統のを図書館でぱらぱら5~10冊読むとどのライターがよくてどれがだめかはすぐわかるようになると思うです。そういう訓練としてもいいかもね。

ただし何度も書くけど、通俗なのはあんまり本気でまにうけるのもやめてね。まあばからしいし、しょぼいし、本気で読むのは情けなさすぎ。あくまで楽しみ、ちょっと実験してみるための本。こういう通俗本の先には、ちゃんとしたアカデミックな本があります。

たとえば表情に限れば、ポール・エクマンって人が世界的権威です。上のピーズ夫妻とかはおそらく単なるライターだけど、この人ぐらいになるとアカデミックにもかなり信頼してよい。(さっきの工藤先生の話の元ネタはこのエクマン先生のはずです)

顔は口ほどに嘘をつく

顔は口ほどに嘘をつく

なんでその違いがわかるかっていうと、読みゃわかるけど、他にもまじめな文献で引用される回数とかいろいろあってね。なんども書くようにそういうのを就職活動終ったら勉強してください。