twitterの危険

twitterはおもしろいんですが、あれを携帯電話やいつも使っているメールのアドレスで登録すると他の人に把握されてしまいますので注意してください。知り合いに知られずにこっそりつぶやきたいときは、全体に非公開にするか、Gmailなどの無料メールサービスを使ってあたらしいアドレスを取得してそれで登録するべきです。

まあでもどういう手段使ってもこっそりつぶやき続けるのはまず無理です。それを覚悟してつぶやいてください。

センター試験「倫理」

前日のセンター試験公民の倫理を解いてみる。

第1問。「ステレオタイプ」問1。いきなり難しくて考えさせられる。これおそらく答は(3)なんだろうけど、
こういうのをぜんぶステレオタイプとしてみてしまうと科学的な思考はステレオタイプ思考ってことに
ならんか?エは正確にはステレオタイプ思考じゃないと思うけど◯◯◯×ってのは選択肢から排除されているし。
この問題はどうなんだろうな。物言いが付くかもしれんね。

問2。これ問いかけの「防衛機制の種類とその説明として」がわかりにくい。
「防衛機制には抑圧、投影、代償、合理化などがある。それらの説明として~」にしなきゃならんのでは?

問3。うわ、速水先生使うかあ。選択肢(2)「明確な関連」ってなんだよ。統計学的に有意かどうかは
これじゃわからん。統計もどきを使ったこういう問題は学問と社会のためにやめて欲しい。統計をちゃんと勉強した子にはかえって答えにくいはず。

第2問「囚われ」。問2。(1)が×な理由がすぐにはわからない。これは私の勉強が足りないからか。「努力で克服するのではなく」が×なのかなあ。

問4。内在と分有の違いをたずねているのか。でもこれよくわからんよな。象のイデアは象の花子に内在してるんちゃんかな。
ちゃうか。内在っていう漢字つかうから「なかにある」みたいな印象があるけど、これたとえば英語に訳すとどうなる?inherence?
immanence?

第3問。「出会い」なんかリード文にもうひとつまとまりがないというかテーマがないというか。「出会い」が人間との出会いと思想とか出来事そういうのとの出会いの二種類あって具合わるい。せめて人との出会いに限定できなかったかな。

問6。文語文の読み取り国語問題?

問8。文意をよく考えるとなんかおかしいよな。
のちのちその人の思想に影響を与えることになったから「重要な出会い」なんであって、
「自分にとって重要な出会い」がアプリオリに決まってるわけじゃないもん。だから
「重要な出会いを見逃さない」なんてことは誰にもできない(これはアプリオリにできない)し、
「偉大な人々は自分にとって重要な出会いを見逃さなかった」は当然(これはアプリオリに真)。
おそらく偉大な人々はちょっとした出会いを重大なものに変える力があったんだろう。
まあイチャモンだけど。でも「倫理」の問題はこうした無理矢理なお説教が多くて辟易させられる。
作ってる人たちも辟易してるんだろうけど。
ステレオタイプ思考は役に立つことが多いとか、「囚われ」がないと我々はなにもできないとか、
人生で重要な出会いなんか1、2回あれば十分だとかそういう話がなぜできないんだろう。でもまあ
何十万人も受ける試験にそういうのは出せないわね。
作問は苦しそうだ。

第4問。「科学」。スコラ哲学の説明として「ギリシア以来の哲学を用いキリスト教神学の教義を
理論的に体系づける」は適切なのかどうか。むしろそのための方法に関する学問なんではないのか。wikipediaだとこんな感じか

Scholasticism originally began as an attempt to reconcile ancient classical philosophy
with medieval Christian theology. Scholasticism was not a philosophy or theology in
itself, but rather a tool or method for learning that places emphasis on dialectical
reasoning. The primary purpose of scholasticism was to find the answer to questions and
resolve contradictions. Scholasticism is most well-known for its application in medieval
theology, but was eventually applied to many other fields of study.

問4のヒュームは高校生勉強しているのかな。でも哲学史上で最大の一人だから設問するのはよい。
そういや今年はドイツ・フランス系の哲学者がほとんどでてこないね。フランスはデカルトとルソーだけ?
ドイツは絶滅?やばいんじゃね?

問5。正解の(1)は私にはなんか微妙なんだが、まあ大丈夫か。(a)「環境に適応することにより」ってのが
なんか意志みたいなんを含んでいるように読めちゃうような気がするのと、(b)「多様なものとなっていく」は
場合によっては多様性が減る場合もあるから。でも大丈夫。

問6。野生生物種の減少は科学の問題ではない、か。微妙。そうなんだけどね。ちゃんと答えられない子は
けっこういたろうなあ。

問7。あ、伊勢田哲治先生だ。(2)が正解なんだろうけど、実は(3)がけっこうよくある主張に見えるけ
どな。「血液型正確判断がある種の研究者により正しいと主張されたとしても、新たな反証によって
否定され得るので、絶対視しない方がいいよね」を「血液型正確判断がある種の研究者により否定
されたとしても、それも新たな証拠によって否定され得るし、新たな証拠が出てくるかもしれないから、
絶対視しない方がいいよね」にすると典型的な疑似科学の人々の主張になる。

問8。やっぱりこういう月並みな要旨問題って必要なのかな。
「とりあえずふつうの科学的思考をまず身につけましょう。難しいことはそれから」とかそういう
主張はできないのか。
いちばん曖昧でエッジのたってない選択肢が正解になるというのは
テツガクのイメージとしてどうもなあ。作問しているとやっぱり必要になるのか。テツガクの本質は
懐疑と否定と限定にあるってのは私の思い込みか。

第5問。「安全と自由」。いろいろチャレンジしてる感じ。でもこの架空の国に迫力がないような。
名前をA国とB国にすれば・・・違うか。「可能性を孕む」とかこの「孕む」って表現に抵抗感じない人は
多いのかな。私ジェンダーイメージを孕んでていやなんだけど。
第5問に哲学史の問題が入っているのはとてもよいと思う。じゃないと
こういう分野を「倫理」で扱う意味がないからね。

問2。この「『リヴァイアサン』には~とある」って文章やめてくれないかな。
学生がレポートにこういう書きかたするようになってやだ。「ホッブズは『リヴァイアサン』で~と述べる」にしてほしい。
あと本のタイトルだけって大丈夫なんかな。『統治論』『社会契約論』とかってタイトルの本はたくさんありそうな気がするけど。

問5。『1984』もってきたのはおもしろいんだけど、選択肢(1)の意味がよくわからんし、
設問の意図そのものもよくわからん。単に『1984』紹介したかったのかな。

問6。(3)が正解なんだろうが、危害原理をこっちのたずねかたをするのはなんかポイントが違うよなあ。
選択肢(1)と(2)はかなり微妙。特に(2)はミルの文脈でどうなのか考えちゃう。他者への善行を本当に強制できないだろうか?
やっぱりself-regardingな奴に限るべきだったんではないか。

問7。期待させてもりあがらない終り方。あえて脱力系を狙ったのか。こうしてみると要旨を問う問題みたいなのは
意味があるのか。

全体としては例年より難化してるか。

とまあ色々イチャモンつけてみたけど、全体として見ると標準的な良問だわね。
毎年毎年奇問難問を避けて標準的で勉強になる良問を作っていて偉い。リード文も
高校生相手と思えばこれくらいの標準的な文章がよいのだろう。あんまり変わったこと言われても困るしね。
今年はとくに疑似科学だの1984だのでチャレンジしていて意欲的だ。

問題

本文の主旨としてもっとも適当なものを次の1. ~ 4.のうちから一つ選べ。

  1. 今年のセンター試験は例年より若干難しかった。
  2. 気になる細かい部分はあるものの、全体としてみればよく練られた良問である。
  3. 格調高いリード文と、非常に適切な設問によって標準的なセンター試験として高く評価できる。
  4. 作問する人々はごくろうである。今年は特に新鮮なネタがはいっていて勇気があるなあ。

大人数授業での私語・飲食・トイレ

私語厳禁

授業中の私語は絶対に禁止です。コソコソしゃべるのは、教員もまわりの人もかえって気になります。人間の耳ってのはそういうふうにできてのね。私自身、ちょっとした物音に敏感で、特に話し声がすると気になって集中することができません。大学の入学や授業料にはみなさん自身や親御さんの大金がかかっているのですから、他人の学習を妨害することは絶対に許されません。

授業で聞きのがしたことを隣の人に尋ねるのは最悪です。しゃべってる間、
あなたもその隣の人も教員が続けてしゃべってることを聞くことができないわけですから、
もともとあなたが聞きとれなかったら被害者1名、でもあなたが隣に聞くと被害者2名で、
さらに、まわりの人20人もあなたたちのこそそこ話が気になり、
次を聞き逃がすことになるでしょうから被害はどんどん広がります。教員はなにか
とてつもなく恥ずかしいことをしゃべってしまったのかと気になって集中力をなくしてしまいます。

学生を黙らせられない教員はコソコソ話やガヤガヤに対抗するために
マイクのボリューム上げて、ますますうるさくなったりね。
そういう悪循環は絶対に止めなくてはなりません。

もしなにか重要なことを聞きそびれたと思ったら、手をあげるなりなんなりして
もう一度説明してもらってください。説明や指示の下手な教員は多いので、
そういう質問や要求はまったく正当です。

授業中友達とは離れる

なぜ私語してしまうのかというと、友達が隣にいるからですね。人間ってそういうもんなんです。
近しい人が近くにいるとしゃべらずにはいられない。
大人数の講義なんかだと、テレビをいっしょに見ているつもりで隣の子としゃべってしまう。
それで教員の指示とか大事なポイントとかあを聞きそこねて、また「え、いまなんて言った?」「えー、わからんかった」「~ちゃんわかった?」とかやってまたさらに次の指示を聞きのがしたりする。そういう生活は馬鹿げています。

友達といつもいべったりくっついているのは気持ち悪いものです。実際には皆、「それほどべたべたしたくないなあ」とか思いながら、なんか一人でいるのが不安だからくちゃくちゃやってしまうのですね。日常生活ならそれはそれでしょうがないのかもしれませんが、授業中ぐらいは席一つ分ぐらい離れていましょう。別に一つ席を空けても仲悪くなったりしません。むしろお互いに解放されてほっとするはず。授業の感想は終ってから「あんとき~先生~とか言ってたやん」「笑かす。スーツの柄もひどすぎ」とか話すためにとっておけば、無駄話(友達づきあいでは重要)のネタにもなる。

私自身は、大学1、2回生のときはほとんど大学行かなかったので私語するチャンスはなかったし、
3、4回生になって大学に戻って1、2回生用の授業に出たときは友達いなかったのでやっぱり私語できませんでした。3、4回生向けの授業は少人数なので先生やクラスの人とおおっぴらに雑談するのが楽しかったし。

まあ逆に、「昨日のコンパどうだったん?」「ぜんぜん~。でもそのあと~が~して~っていうから~したら」とか 誰もが聞こえる大声 でやってくれたら皆楽しめるので1回ぐらいそうしてください。私も聞きます。

携帯は電源切ってカバンへ

授業中は携帯をいじってはいけません。授業に出ているときに返事しなきゃならないほど緊急なことはあなたたちの生活にはめったにありませんし、あったとしたら授業なんか出てないでその件に集中した方がずっとましな結果になります。自分が話をしているときに友達がふんふん言いながら携帯いじってたらいやでしょう?
まあ馬鹿な大人や大学教員のなかにも、仕事中や会議中に携帯鳴らしたり、ぽちぽちいじってたりする人はいるのですが、そういう人は徹底的に軽蔑されています。

授業中の飲み物・食べ物

これはかなり微妙な問題かもしれません。私はまったく気になりませんが、教員によっては非常に嫌うようです。今日読んでみた藤田哲也先生は『大学基礎講座―充実した大学生活をおくるために』という本で、

授業は先生(=教える人)と学生(=教えてもらう人)によって構成されています。みなさんは、
教えてもらう立場の人間です。・・・ジュースやお茶などをグビグビ飲んだり、お菓子をつまみ
ながら、先生の話を聞く、というのはどうでしょうか?「学ぶ立場の人間の姿勢として」不適切
だとは思いませんか?

とおっしゃっておられます。でも私はこういう発想はしません。むしろ、喉渇くのが非常に気になる人間で、1時間半なにも
飲まずにいるのはかなり苦痛なので、授業中も研究会などでもペットボトルの水を飲むので、 学生さんに飲まない方がよいというつもりはまったくありません*1

甘い飲み物は飲めば飲むほどますます喉が渇くのでまったくおすすめしません。美容にも悪いです。
オレンジジュース1パック200mlで94kcalぐらいあるので、ごはん0.6杯分ぐらい。
かなり凶暴だと思ってください。とにかく糖分はあんまりよくないです。水が一番ですな。

おそらく食い物はかなりまずいねえ。喉がかわくってのは理解できるので
水飲むのはわかるんですが、授業中延々ご飯やお菓子食べる理由はないもんね。
お腹が空きそうなときは、
休憩時間にカロリーメイトかオニギリかなんかをつっこむとよい。落ちつきます。
チョコ系統も一時的に気分を上げるにはよいのですが、お腹空いてるときに
甘いもの食べると余計にお腹空いたり気分悪くなったりすることがありますね。
スナック菓子は最低ですわな。美容にも非常に悪いです。

あ、上の藤田先生の本はノートのとりかたやらレポートの書き方やら懇切丁寧に
書いてあるので、ぜひ一読してみてください。私とかとちがってまじめな人です。
私は大学教員のなかではかなり下品で無礼な部類なので、こういうお説教もどきの文章をまに受けてはいかんです。正しい本で正しい知識や礼儀作法を身につけてください。

トイレ

授業中どうしてもトイレに行きたくなることがあります。わざわざ「先生!トイレ行っていいですか!?」とか聞くのは恥ずかしすぎますね。
でもそういうのはしょうがないことなので、我慢してはいかんです。病気になります。

方法があります。授業中立ちあがると、教員がふつう気づくので、 目があったら軽く目礼や会釈してそれらしい感じで手ぶらで出ていけばいいのです*2
あ、ポーチとかもっていってかまいません。
でももちろん携帯を手に持ってると、携帯に出るために外に出るのかと怒鳴られます。立ちあがるタイミングは
教員がそっちを向いている時がいいですね。

こういう軽い挨拶は一般に非常に重要で、教員をまったく無視して立ちあがって出ていくと
何事があったのかと驚きます。
こういうコミュニケーションは重要なんですね。
どういう場合も他人を無視するのはだめです。

結局最初の私語の件もそういうことなんよね。
誰かが話をしているときに私語をするってことは、他人を無視していることなわけです。
教員を無視して私語するとスネるわけです。周りの学生を無視して私語してれば
まわりが腹たつわけです。そういうのは絶対にダメ。

*1:むしろ適度な水分は落ちついた勉強に必要だと思う。

*2:「トイレに行きたいポーズ」とかはとる必要ありません。

通俗心理学はおもしろいので面接用に読んでみる

心理学の本はおもしろいので、いろいろ読んでみるのはよいのではないでしょうか。ただしあくまで「通俗」であることを忘れずに。一般に国内のものよりイギリスの著者のものの方が調査が行き届いていておもしろい場合が多いです。

就職の面接などでは、喋る内容より雰囲気というかそういうものの方が重要なので、言葉以外のコミュニケーションに気をつかってください。非言語コミュニケーションってやつ。通俗的な本が山ほどあるので、いくつか読む。

たとえば下のようなもの。すごく売れた『話を聞かない男、地図が読めない女―男脳・女脳が「謎」を解く』のコンビの作品。非言語コミュニケーションに関するまじめな研究を参考にしておもしろおかしく書いたやつ。

本音は顔に書いてある

本音は顔に書いてある

この本によれば、面接のときのアドバイスは次のようになるみたいです。

  1. 荷物が多いと不器用に見えるので、どこかに預けておく。受付では座らない。
  2. 呼び出されたら堂々と部屋に入る。歩き方が重要。おどおどしない。(重要)
  3. ドアからさっさと歩いてさっさと座る。(これは日本の社会ではうまくないと思う。)
  4. 握手のテクニックを使う。(これも日本の社会とは関係なかった)
  5. 座り方に注意する。(イスを調整して相手との角度が45度になるように、っていうけどこれも日本の就職活動では使えんね。)
  6. 低いソファーの場合、はしっこに腰かけてまっすぐな姿勢に。
  7. わかりやすいジェスチャーを積極的に使う。(おすすめ。動きがないひとは不活発に見えると思う。)
  8. 距離に注意。(これも国内では関係ないか・・・)
  9. 部屋を出るときは荷物をあわてず静かに手早くまとめる。後姿も確認されている。お尻だけ観察されないように一度ふりかえって笑顔。(まあ笑顔はほんとうに重要)

あれ、なんか使えないのが多かった。まあコンパでの振舞い方や誤解されない方法について学べるかもしれないから。こういうのも1冊だけじゃなくて何冊が読むこと。だいたい同じことが書いてあるので、そこらへんはわりと信用してもよいはず。「非言語コミュニケーション」とかで図書を検索してください。

私は今日この本と、『しぐさと表情の心理分析』って本読んでみました。この本の著者の工藤先生によれば、つくり笑顔の練習をした方がよいそうです。鏡の前で、

  1. 唇の両端を耳の方向へ水平に引く。
  2. その状態で両方の頬を上にもちあげる。
  3. 口を多少開いて、歯が見えるようにする。
  4. 目のまわりに横じわができているのを確認。

このまま1分間笑顔をつくる練習を毎日やるそうな。

あ、ずいぶん売れたらしい『人は見た目が9割 (新潮新書)』とかもそういう本だわね。この本はあまりにも通俗すぎてちょっとおすすめできないけど、amazonとかで検索すると同じような本がたくさん見つかるので、そういう系統のを図書館でぱらぱら5~10冊読むとどのライターがよくてどれがだめかはすぐわかるようになると思うです。そういう訓練としてもいいかもね。

ただし何度も書くけど、通俗なのはあんまり本気でまにうけるのもやめてね。まあばからしいし、しょぼいし、本気で読むのは情けなさすぎ。あくまで楽しみ、ちょっと実験してみるための本。こういう通俗本の先には、ちゃんとしたアカデミックな本があります。

たとえば表情に限れば、ポール・エクマンって人が世界的権威です。上のピーズ夫妻とかはおそらく単なるライターだけど、この人ぐらいになるとアカデミックにもかなり信頼してよい。(さっきの工藤先生の話の元ネタはこのエクマン先生のはずです)

顔は口ほどに嘘をつく

顔は口ほどに嘘をつく

なんでその違いがわかるかっていうと、読みゃわかるけど、他にもまじめな文献で引用される回数とかいろいろあってね。なんども書くようにそういうのを就職活動終ったら勉強してください。

[自己啓発] マニュアル本への抵抗感

マニュワル本に抵抗を覚えます 2009/02/10 14:09 何故なら、こまっちいやり方本を読む自分が情けなく感じるからです。 間違いでしょうか?

というコメントもらったまま忘れてたんですが、
まあマニュアル系統の本についてはいろいろ考えちゃいますよね。

私の世代は「新人類」とか「マニュアル世代」とか呼ばれてた世代です。『POPEYE』とか『ホットドックプレス』とかで「女の子にウケるデートコース」「ラブホテルへの連れ込み方」とかそういうのばっかりでね。同じようなデートコースで同じような話をするとか言われたこともあった。まあそりゃそういうマニュアルを真に受けちゃったらかっこわるすぎですわね。やっぱりなんか「個性」「らしさ」(あんまり好きな言葉じゃないけど)とかそういうの出してかないと魅力がない。

もうちょっと下の世代の将棋指しの人々(羽生・佐藤・森内あたり)も「コピー将棋」とか言われたらしい。つまりもう決まりきったマニュアル的な将棋ばっかり指す、と。佐藤康光先生がドキュメンタリー番組で「そう言われたけど実は違ってたんですけどね」とか話してたのがかっこよかった。

その佐藤さんの話を聞いて思ったのは、ああいう上級な人々ってのは誰もが知ってることをおさえた上で勝負しているわけで、それが彼らの上の世代にはわかんなかったんでしょうな、ってことで。90手目まで同じに進んでもそれはコピーじゃなくてむしろどこまで深く勉強しているか、どれくらい新しいアイディアをもっているかのチキンレースしてたわけでね。あの世界ではいまではそういう勉強好きの人々しか生き残ってない。

んで何が書きたいかというと、マニュアルに書いてあるようなことも知らないで勝負に出掛けるのは危険すぎるってことだわね。自分がどこらへんに位置しているのか、どれくらい弱いのか(/強いのか)、とかって意識をもつことができれば、なにが新しくてなにが強くてなにがウリになるのかわかるだろうっことですわ。マニュアル本に書いてあることに「ふーん」とか言ってるようでは勝負に出られない。「驚いた」だったらもうその勝負最初から負けてる*1。「もう何読んでも同じだなあ」と思ったらその分野について一応の知識を得たと考えてよいんだろうとか。そういうんではマニュアル本は1冊しか読まないのではだめですね。同分野最低5冊。そしたら優れているライターとそうじゃないのが見分けつくようになるし。

だから大学の教科書とか大事だと思うんですけどね。これもマニュアルの一種でもある。実は昨日あるよく知らない分野についての大学レベルで使える「ちゃんとした」教科書が国内でどれくらいあるんだろうと思ってしらべてみて、3冊ぐらいしかないことに気づきました*2。その1冊は23000円もしたわいな(訳書)。でもおそらくそれ持ってないとその分野の正しい知識が得られそうにないので、しょうがないので思い切って注文しましたが(予算ないので私費で)。でもおそらくその1冊はそれだけの価値があると思う。そういう投資できるかどうかってのは結構大事なんじゃないかと思っているです。お金のない学生さんは図書館利用しましょう。

まあそういうんでは、ちょっと前までの自己啓発・ライフハックブームみたいなのってのはけっこう重要で、格差社会とかなんとかってので生き残りに敏感な人々がそういうのをあれしてたんだろうから、ライフハック(笑)とかも簡単には書けんなというのが現在の私の印象。

抽象的でよくわからんね。ははは。

*1:そういや私デートのマニュアル本とか女心のつかみ方とかそっち系統の本はほとんど読んだことないな。

*2:どれが「ちゃんとした」ものかを判断するのもけっこうたいへんです。自分でだいたい見当つけられるようになれば大学での勉強は大成功だと思います。

wikipediaはバカな教員より正確なこともあります

前日、うっかり下のようなことを書いてしまった。

Wikipedia (ja)の「自然主義的誤謬」の項。これもぜんぜんだめ。
っていうかなんでこんな奇妙な間違いかたをしたエントリになってしまうのか理解できない。
どうしたらいいんだろう。せめて英語版を超訳すりゃいいのに。うーん。まあ放置、でいいのか。よくないような気がしてきた。

しかしこのエントリは正しいのではないかという
つっこみがあり、私の勉強不足の可能性がある。よい機会なので今日勉強しよう。

問題は§24のあたりだわね。あ、自分で読んで線引いた形跡がある。’

なるほど、

・・・あまりにも多くの哲学者たちが、あらゆるよいものに属している(「よさ」とは)なにか別の
特性を名指すことによって、「善い」を定義していると思いこんでしまっている。そして、また、こ
れらの特性が、事実として、「別の」ものではなく、よさと絶対的にまた完全に同じものだと思いこ
んできた。こうした見解を私は「自然主義的誤謬」と呼びたい。そして、これから、この誤謬を
排除するよう努力してみたい。(§10末尾)

この章と次の章で、私は善が自然的対象に言及することによって定義できるという
仮定にもとづくことによって流行している諸理論を扱う。これらの理論が、この章のタイトルにして
いる「自然主義的倫理学」と私が呼ぶものである。私が「形而上学的倫理学」を規定するために用い
る誤謬は、種類において同一ものであることが理解されるべきである。したがって私はその誤謬に、
「自然主義的誤謬」というたったひとつの名前を与えることにする。(It should be observed that
the fallacy, by reference to which I define “Metaphysical Ethics,” is the same in kind;
and I give it but one name, the naturalistic fallacy.) (§25、原書p. 39、邦訳p.50)

なるほど。
そして§67あたりでも実際にスピノザやカントみたいな人びとも「自然主義的誤謬」を
犯していると非難してるわね。ここもなんと赤線引いてある。なにかの折りに確認してんだわ。ぐは。

うーむ、ムアの用語の選択はムア独特の筋の悪さを示しているが、これは歴史的にはしょうがないねえ。
だからwikipediaの記述は一応正しい。私の勉強不足、理解不足。
でも記述の方法にはやっぱり文句があるような気がするなあ。
あとでどういう記述なら文句ないのか考えてみよう。

・・・うーん、まあ最初に一般的な用法を提示してくれないからか。
いわゆる「独自研究」に近くなってるからかもしれない。日本のwikipediaで
気になる「一般に認められている~はまちがい」とかっていう否定的な記述が気になったのかもしれない。
小谷野敦先生なんかが編集した奴に多いんだけど、そういうのってなんか百科事典にしては
「我」が立ってていやなのかもなあ。

Blackburnの The Oxford Dictionary of Philosophy だと

ムアの『倫理学原理』で指摘された誤謬。倫理的観念を、「自然的」観念や、事物をよい/悪いもの
にする特性の記述と同一視すること。したがって、もしあるひとの基準が功利主義的であれば、ある
行為をよいと述べることは、それが他の行為よりもより多くの幸福を生み出すと述べることと同じで
ある。このようにして語の意味を同一とみなすことが誤りであることはほとんど確実であるが、
ムア以降の研究においても、ムアの論敵(特にミル)がこのようなものにもとづいた推論の
エラーを犯しているかどうかは確かめられていない。「未決の議論」も見よ。

あ、これは辞書だった。まあStanfordのあれでもいいけど、最初はふつうに「よさ、悪さなどの倫
理的観念を、自然的性質によって定義しようとすること。ムアによって誤謬であるとされたが、その
後誤謬であるかをはじめとしてさまざまな議論がある。」ぐらいに書いておいてほしい。んで微妙に
詳しくなってほしい。英語版でも最初はいちおう「「よい」を自然的性質によって定義しようとする
こと」って書いてるわけで。まあここらへんお前が書けってことか。

wikipedia触ってみるよい機会なので、ちょっとドラフト作ってみる。

非常勤問題と正義

私は で不用意に
「大学こそは昔から「不平等」という意味での不正義のスクツです」
とか書いちゃったら、http://d.hatena.ne.jp/satoshi_kodama/20080806#1218005891
で正義ってなんだって(暗に)つっこまれてしまったわけだが、ちょっと考えてみないとな。

非常勤の待遇が「正義に反してる」っていう感覚はどっから来てるのか
ってことだわね。
たしかに労働基準法に反しているわけでも、第三者によるひどい賃金ピンハネがあるわけでも、
格差そのものが不正だといっているわけでもない。好きなこと好きにする金を出せと
言っているわけでもない。んじゃ何か?私が「正義に反するなあ」とか書きたくなった
ときに私の頭にあったものはなにか。

児玉先生があげているなかでは、搾取とか、だめ中年が女子大でうはうはいってるのに
優秀な若者が職につけない不公正とかがポイントな気がするんだが、まあ
誰かが「正義」とかもちだすときはもうちょっと別のことを主張しようとしてる
可能性があるんじゃないかと思っている。

私が「正義」について議論されているのを見聞きするときに一番強く感じるのは、
「正義」ってのはたんなるルールの問題ではないかもしれんってことだわなあ。
ある種の倫理学者や政治学者は、適正な手続きにもとづいていれば
それが「正義」だってことを簡単に認めすぎる。「正義」について語るとき、
「正義のルール」ではなく「正義という感情」について語っているのかもしれない。

またミル先生出しちゃうけど(もう本当になんとかの一つおぼえなんだけど、使いやすいんだわな)。

To recapitulate: the idea of justice supposes two things; a rule of conduct, and a
sentiment which sanctions the rule. The first must be supposed common to all mankind, and
intended for their good. The other (the sentiment) is a desire that punishment may be
suffered by those who infringe the rule. There is involved, in addition, the conception of
some definite person who suffers by the infringement; whose rights (to use the expression
appropriated to the case) are violated by it. And the sentiment of justice appears to me
to be, the animal desire to repel or retaliate a hurt or damage to oneself, or to those
with whom one sympathises, widened so as to include all persons, by the human capacity of
enlarged sympathy, and the human conception of intelligent self-interest. From the latter
elements, the feeling derives its morality; from the former, its peculiar impressiveness,
and energy of self-assertion.

要約すると次のようになる。
正義の観念は二つのものを前提している。行動のルールと、そのルールを是認する心情である。前
者は人類全部に共通で、人類の善をめざすものであると想定されていなければならない。後者はその
ルールを侵そうとするものは罰を与えられてもかまわないという欲求である。さらに、(正義の観念
には)その侵害によって苦しんでいる特定の人の観念—そのひとの権利が侵害された—も含まれて
いる。そして正義の心情とは、自分または自分が共感をいだいている人びとに対してなされた危害や
損害に対して反撃し仕返ししようという動物的な欲求が、人類の拡張された共感能力と、知的な自己
利益の観念によって、すべての人を含むほど拡大されたものであると、私には思える。
正義の感情は、後者の要素[共感や利己心]から、その道徳性をひきだしており、また
前者の要素[復讐心]からその特有の強烈さと自己肯定のエネルギーを得ているのである。 ミル『功利主義論』第5章*1

「正義に反してるぞ」とか「正義を実現しろ」とか言うときってのは、 なんかその背後には強い憤りのような感情がある*2
さらにその憤りは、誰かの権利が侵害されているとか、誰かが傷つけられているとかって
認識がある。それが共感とかによって拡張されているのが正義の感覚と。

んで、ちょっと前の記事で大学の非常勤の扱いは正義に反していると
私が書いてしまったときには、どうも常勤職の待遇と比べてあまりにも不平等だってことだけじゃなくて
なんか専業非常勤って仕事自体が人を傷つけるところがあると感じてたみたい。
はてブ見てたら
http://d.hatena.ne.jp/sarutora/20060429/p1
がそこらへん重要なところに触れているように思う。

まああんまり自分でもはっきり意識してなかったけど、猿虎先生のようなことは
いろいろ感じていて、それが一昨日のエントリ

の細かい改善箇所なんかに反映しているように思う。たとえば猿虎の人は
「同僚がいない」って孤独感を述べてるけど、これほんとに深刻なんよね。居場所がない。 常にアウェーでホームがない*3。大学行っても
いる場所がないし、講師控え室とかお互いにストレンジャーどうしの透明人間の部屋。
大学関係者が一番孤独を感じる場所は大学非常勤控室だ。
いまはまあどこの大学行こうが平気だけど、むかしはずいぶんつらい思いをした記憶がある。
(あ、行ってたの名誉のために書いておくと、どこもまともでちゃんと配慮してもらってるところばっかりだったけど、それでもけっこうつらかった)
専業非常勤講師ってのは他にもほんのちょっとしたことに傷つく弱い存在なんだわな。 専業非常勤とかやってるとなにかが蝕まれていく感覚がある*4

まあ私の場合は出身研究室の組織がしっかりしていたし、出入り自由にさせてもらったり人びとと顔合わせる機会を作ってもら
ってたんでなんとか生きていけたけど、研究室組織が弱いところ、ばらばらのところ、そこと
うまくやってけないひとなんかは生きていくのもしんどいだろう。読書会や研究会も重要だわね。
でも学生さんと年はなれちゃうと顔も出しにくくなるだろうし、勉強するまとまった時間がとれないとそういうところにも顔出しにくくなって出られなくなっていって死にそうになる。

あれ、なんかまとまらなくなってきたな。えーと。

つまりね、「正義に反する」とかってときに言われているのは
単に行動や分配のルールだけじゃないかもしれないわけだ。むしろ
傷つきやすさやそれに対する配慮にもとづいたもんかもしれんし、 そしてそれが欠けていることに対する怒りだったりする*5
「正義」がたんなるルールや分配の手続的な公正さに関するものだと思いこんでしまうのは非常に危険に
見える。そこらへんで先月やってた「ケアの~」「耳をかたむけて~」とかやりたい人びとが考えていることには
共感しないでもないわな、とか。そういうこと考えた。なんか頭の調子悪くていつもにもまして
まとまりがわるすぎるけどまあメモ。

*1:中公の訳はこの部分かなりあやしいので訳しなおした。

*2:もしかしたら「処罰感情」は強すぎるかもしれない。

*3:いまどこいっても平気なのはホームがあるから。

*4:同じことは他のいろんな仕事についても言えると思う。日雇いバイトはつらい。私の場合、自分で物理的・社会的環境を変えていくことができないときに特にとてもつらい。

*5:「正義」なんて曖昧な言葉を使わず、そこらへんちゃんと書くべきだったかもしれん。

非常勤問題その後

私だったら何要求するかなあ。
とりあえず

  • 賃上げ。1コマあたり月額4万円ぐらいが妥当な気がする。5万は経営的には多すぎるかもしれん。
    各種保険とかまでなんらかの方法で面倒見てくれるならもっと少なくても納得するかも。

  • 授業準備にかかる時間へもなんらかの手当?
  • 図書費。1コマ年間5万円*1で終了時に図書館に返却。消耗品あつかいの雑誌・図書とかはそのまんま。もちろん他に専任もってる人には不要。
  • コマ減・雇いやめの場合の事前通告。せめて半年前には通知しないと。
  • なんらかの失業保障。難しい?
  • 退職金?
  • 大人数授業に対する手当、配慮。っていうか巨大授業や1回生配当でのしつけとかは必ず経験つんだ常勤がやらないと。
  • 控室(準備室)の充実。
  • 図書館への十分なアクセス。
  • 健康施設への十分なアクセス。
  • 授業期間中物品置いておけるロッカー等。
  • 奨学金返還の免除。難しい?なんかありそう。雇い先が一部返還するとか。
  • 常勤もってる人間は非常勤しちゃだめ。→ はい。
  • 変則的な授業曜日設定だめ。
  • 週1しか大学来ないことへの配慮。
  • 常勤に対する非常勤の可視化。← 非常に重要。おそらく一番重要。常勤には目に見えない存在。
  • もっとあるな。まあぜんぶ http://www.hijokin.org/en2007/6.html#6 に書いてるわな。

*1:おそらく2コマだったら8万、3コマで10万とかそういう感じにするべきかも。

専業非常勤講師の人にはやさしくしよう

とか見て、あんまり一般には知られてないかもしれないので書いとくか。

大学で授業をしている人びとは二種類に分けられます。常勤職をもっているひとと、そうでないひと。学生さんにとっては、授業している教員が非常勤であろうが常勤であろうがあんまり関係ない(特に講義形式の場合)わけですが、その生活や待遇にはとんでもない差があります。

基本的に大学に職をもっているひとは、同年齢のサラリーマンの平均とかよりかなり上の給料をもらっているわけですが、職をもっていない非常勤の先生はとんでもなく貧乏です。上のページを見りゃわかると思いますが、10年前のある専業非常勤の人の生活の一部を紹介してみましょう。

この人は1997年2月ごろの日記にこう書いています。

1997/02/01
支払       源泉徴収額
某学習塾 1677500     53100
某大学    234400     16408
某大学    228600     16002
某大学    290400     20328
某大学     83200      5824
計       2514100    111662
うーむ。他にも源泉徴収されないような収入も
あったわけだが、
それにしても少なすぎる。もうちょっとあると思っていたが。
去年は塾を減らしたのが痛かったな。
しかし、税も健康保険も払っていないから、何も控除するものがない。
いくらか返ってくるか?へたすると追加徴税されるか?

おそらくのころ、この人は確定申告のための書類をそろえていたのででしょう。この方はおそらく31~2才だと推測されるのですが、年収税込251万円。どういう生活をしていたのでしょうか?実際この記述にあるように、地方税や年金や健康保険をほうっておいたのでたいへんなことになります。(ガス止められるのは日常、電気止められたこともあったらしい。役所から電話を差しおさえられそうになったこともあるようです。)

当時の資料からははっきりしたことは言えないのですが、次の年に授業コマ数についての記述があります。(このひとは前年ぐらいに学習塾関係で仕事するのをやめて大学教師一本で食っていこうと無謀な計画を立てました)

1998年1月某日。

××の某××校は、来年は後輩にやってもらうことにした。
しんどかったなあ。問題は、某××大が来年どうなるかよくわかっていないことだな。
カリキュラムを再編しているらしく、何コマ働けるのかまだ確定していない。
実際困っている。

1998年度前期時間割
1 2 3 4 5
A大 (60) A大 (60) B大 (300)
C大 (50)
D大(120) D大 (80) E大 (300+)
F? (100) G大 (100)
A大 (60) A大 (60) E大 (70) E大(200)

括弧内は推定の単位登録人数をこのブログを書いている人間が補足しました。
勤務先は関西一円に広がっているようです。移動だけでもたいへんだったでしょう。
別の資料によれば、たとえば月曜日のA大まで、自宅から2時間、そこからB大まで1時間30分ほどかかっているようです。
帰宅にまた2時間かかります。

この時期この人は13コマ担当していますが、
当時大学の非常勤講師の給料は、私立大学の場合一月約25000円程度だったはずです。(今も
たいして変わってないでしょう。)国公立の場合は完全時給制です。
したがって、こんだけ授業して一月にもらえるのは325千円ぐらいで、
国公立の授業がないときはもっと減る。後期はもっと少ないと推測されます。
年収350万そこら、学生さんにはけっこう多く見えるかもしれないけど、ボーナスとかないし、健康保険とか年金とか自前だからこりゃもうたいへんなもんです。
暗黒の時代とはいえ、同時期に金融行ってた友人とかは3倍近くもらってたかもしれません。

非常勤専業の人の問題のもうひとつは、研究費・図書費がまったくないことなのね。
大学の先生ってのは勉強するのが仕事の一部なわけだし、
授業するためにもいろんな資料が必要なわけです。どこかの大学に職をもらっている場合は
そこの予算を使うことができるわけですが、非常勤のひとはそういうのを
一銭ももってない。だから自分のお金で本買ったりコピーとったりするわけだ。どういう授業してても最低月3、4万円分ぐらいは
必要だろうし、この人はもっと買ってたようです。収入の半分は本にしてたんじゃないかな。

現在も状況はほとんど変わってないでしょう。

というわけで、非常勤のひとはほんとうにたいへんです。この人も
半期で1000人以上の学生さんを相手にしていて、誰が誰やらさっぱり わからない状況だったはずです。時々調子悪い授業になっても許してあげてください。*1

それに比べたら
大学に職もらっている人はとてつもなく優遇されてるし、たいして仕事もしてないので (ふつうの私立大学の授業負担は週6、7コマでしょう*2)、どんどん要求してかまわんです。

まあこの人がそういう状態におちいったのは無能とか自業自得ってところがある*3。もっとまともな人はこんなところでは働かない。だから優秀な人は
大学じゃなくて別のところにいることの方が多い。
でも、もっとまともな先生たちもいまでもまだまだもっといろいろ苦しんでいます。
http://www.hijokin.org/

http://www.hijokin.org/~tokai/
も見てみてください。大学で働いている人びとの一部はいわゆる「負け組」であり、
大学こそは昔から「不平等」という意味での不正義のスクツです。そんなところで働いている
人びとが労働とか平等とかそういう問題についてごちゃごちゃ言ってることは、私にはすぐには信じられないですね。
(もちろんよいことを言っているひとはたくさんいますが、注意してください。)

でもどんな大学でも授業コマの半分ぐらいは非常勤の人に頼らざるをえない。
まあとにかく、こういう状態だと精神状態もかなりやばくなります。
もしレポートとかコピペとかされると、「いったい大金もらってる常勤はなに指導してんだ!」とか
「学生死ね死ね」とかそういうのをブログに書いちゃったりする。実際には専業非常勤の人が
学生の単位ぼろぼろ落としたりするといろいろ問題になるのでやりにくい。非常にやばいのが
現在の大学。上の人は1997年の時点で日記に次のように書いてます。

1997/4/18

(略)

たとえば某大学の学生の授業料を90万と仮定すると、
15コマ出席することにして1コマあたり年間60000円。30回授業があると
想定すると授業1コマ1回2000円。むう。私は1割ももらえていないのだな。

やっぱり非常勤ってはワリにあわないんだなということを実感してしまった。
やっぱり職をさがさねば。(いままで実感がなかったし、
自分の身分についてまじめに考えたこと
なかったんだよね)

以上の事実からの暫定的洞察

  • 日本の大学教育・経営をささえているのは非常勤講師である。
  • どの大学にも所属しない「プロの非常勤講師」は数多く存在していると思うが、
    無理である。非常勤講師は、どこか他の大学で研究費を
    もらっている人間が行なうべきである。非常勤だけでやろうとすると
    書籍費だけで足が出る。
  • たいていの大学では授業料に見合うような授業は行っていない。
    (実際、行なえない)
    むしろ履歴書に書く「看板料」とみなすべきである。

まあ気づくのが遅すぎるよね。それにこの人はほんとに頭悪い。
大学の授業料は授業だけのためにあるのではありません。でも
まあ、学生さんは自分が1コマあたりいくら払っているか考えて、それに
みあう教育を受けているかどうか考えてみるべきだとは思います。

追記 8/6

  • はてブにもあるように、上のひとはかなり幸運な方。いまはこんな非常勤集められない。一人でこんな
    集めてたら不正。
  • 上みたいなことが可能だったのは、まわりに非常勤コマもらうのに競合する人が少なかった幸運な時期だったからだと思う。(先輩がバタバタ就職決まってコマがだぶついてたのもある?)
  • いまは大学院重点化とかわけわからん政策によってOD爆発的に増えてるはず。
  • 非常勤が一個もないと奨学金の返還とかでたいへんなことになるからたいへん。
  • とくに非常勤最初の一個を手に入れるのがかなり苦しそうだ。
  • 自宅から片道5時間かけて非常勤行ってた人とか知ってる。時給は同じ、なのかな。
  • 非常勤はほぼ完全にコネやツテの世界(最近は公募するところも出てきた)。まあ
    先生や先輩などの上の人にお世話になる世界ってことだ。面倒見てくれた人には
    足向けて寝られない。
  • いっぽうで、そういうのはいろいろ弊害もあるわな。
  • ふつうは予備校・学習塾で糊口を凌ぐわけだが、このひとはそれはまずいと思ったみたい。
    受験産業もかなりおもしろい仕事なんだけど、おもしろすぎると感じたみたい。そっちが本業になってしまい
    そうなのに不安を感じて「非常勤一本」とかにしようとしたみたい。
  • いまはおそらく予備校産業もとんでもなく厳しいわね。90年代はまだマシだった。
  • でも上ぐらい授業担当しちゃうと自分の勉強する時間もうとれないわね。ばか。
  • でもおそらくどの大学でも、たいたい非常勤の人の方がいろいろ熱心だと思う。安いからこそ
    自発的にいっしょうけんめいやっちゃうんだよね。そういう人びとによって大学は支えられてる。
  • 最近は学振様の枠がひろがったみたいで事情はちょっと違うのかな。
  • まあ上の人は当時自分の人生とかについてちゃんと考えてなかったから、滅びてもしょうがないくらいだと思う。*4
  • 私自身は、社会で売れないものを作ったり、みんな関心のないことを研究して平気でいる、ってのはなんかおかしい感じはする。もちろん好きなことやっていいんだけど、それとまともな経済生活が一致することを要求するのはやっぱりおかしいだろう。さすがに自分にその資格があるとは思えない*5
  • 非常勤の人は大人数教室もたされることも少なくない。上の人は支配欲や権力指向がかなり強いので、大人数教室で私語怒鳴ったりするのはそんな苦手じゃなかったみたいだけど、そういうのが苦手な人はまったく耐えられない職場だと思う。
  • 塾や予備校で学力下から上までまんべんなく教育経験したのもとても幸運だった。
    中の下より下教えるのも嫌いじゃない。っていうかわりと好き。
  • とにかく金がないやつは大学での研究生活とか目指しちゃだめ。そこそこ勉強が好きだとかできるぐらいじゃぜんぜんだめ。おそらくよっぽど能力あってもだめ。これは昔からそうだと思う。
  • だいたい、常勤にせよ非常勤にせよ、人文系の人間が自分の好きなことを授業するのはかなり難しいかもしれない。
    上の人の場合、自分で勉強したいことと大学で教えたいことがほぼ完全に一致してたからすごく幸運。なにやるかも自分で決めることができて幸せ。そうじゃないともうなにやってるかわからんようになったと思う。

*1:ブックマークもらってから気づきましたが、これは誤解をまねく表現だったかもしれません。非常勤の人の授業がぐだぐだということではないです。この10年前のひとの授業がグダグダだったのはごめんなさいね、ということで。

*2:もちろん大学教員の仕事は授業だけではないです。それは1/3ぐらい。

*3:いま幸せになってるといいなあ

*4:ほんとに人に迷惑かけずに幸せになってるといいなあ。

*5:ここに嫉妬や不公平感の問題がからんで来るような気がする。そのうち考えたい。

美術も勉強しよう

ちょっと『新詳日本史―地図資料年表』をながめてた。2007年版、すばらしいでき。なんか日本人の英知な感じ。以前触れた諸星大二郎先生の『失楽園』が引用だらけでできているのは知ってたけど、青木繁先生の『海の幸』って絵は知らなかった。重要文化財。恥ずかしいことなのかもしれん。http://navi.tateyamacity.com/?p=7851

このひとたちは必ずしも「人の定めは苦しむこと……」とは思ってないみたいね。

『失楽園』の引用一覧ないかな。

追記

発見 → 倉田わたる先生が作ってました。
http://www.kurata-wataru.com/ruin/ruina0ab.html#001015