非常勤問題その後

私だったら何要求するかなあ。
とりあえず

  • 賃上げ。1コマあたり月額4万円ぐらいが妥当な気がする。5万は経営的には多すぎるかもしれん。
    各種保険とかまでなんらかの方法で面倒見てくれるならもっと少なくても納得するかも。

  • 授業準備にかかる時間へもなんらかの手当?
  • 図書費。1コマ年間5万円*1で終了時に図書館に返却。消耗品あつかいの雑誌・図書とかはそのまんま。もちろん他に専任もってる人には不要。
  • コマ減・雇いやめの場合の事前通告。せめて半年前には通知しないと。
  • なんらかの失業保障。難しい?
  • 退職金?
  • 大人数授業に対する手当、配慮。っていうか巨大授業や1回生配当でのしつけとかは必ず経験つんだ常勤がやらないと。
  • 控室(準備室)の充実。
  • 図書館への十分なアクセス。
  • 健康施設への十分なアクセス。
  • 授業期間中物品置いておけるロッカー等。
  • 奨学金返還の免除。難しい?なんかありそう。雇い先が一部返還するとか。
  • 常勤もってる人間は非常勤しちゃだめ。→ はい。
  • 変則的な授業曜日設定だめ。
  • 週1しか大学来ないことへの配慮。
  • 常勤に対する非常勤の可視化。← 非常に重要。おそらく一番重要。常勤には目に見えない存在。
  • もっとあるな。まあぜんぶ http://www.hijokin.org/en2007/6.html#6 に書いてるわな。

*1:おそらく2コマだったら8万、3コマで10万とかそういう感じにするべきかも。

専業非常勤講師の人にはやさしくしよう

とか見て、あんまり一般には知られてないかもしれないので書いとくか。

大学で授業をしている人びとは二種類に分けられます。常勤職をもっているひとと、そうでないひと。学生さんにとっては、授業している教員が非常勤であろうが常勤であろうがあんまり関係ない(特に講義形式の場合)わけですが、その生活や待遇にはとんでもない差があります。

基本的に大学に職をもっているひとは、同年齢のサラリーマンの平均とかよりかなり上の給料をもらっているわけですが、職をもっていない非常勤の先生はとんでもなく貧乏です。上のページを見りゃわかると思いますが、10年前のある専業非常勤の人の生活の一部を紹介してみましょう。

この人は1997年2月ごろの日記にこう書いています。

1997/02/01
支払       源泉徴収額
某学習塾 1677500     53100
某大学    234400     16408
某大学    228600     16002
某大学    290400     20328
某大学     83200      5824
計       2514100    111662
うーむ。他にも源泉徴収されないような収入も
あったわけだが、
それにしても少なすぎる。もうちょっとあると思っていたが。
去年は塾を減らしたのが痛かったな。
しかし、税も健康保険も払っていないから、何も控除するものがない。
いくらか返ってくるか?へたすると追加徴税されるか?

おそらくのころ、この人は確定申告のための書類をそろえていたのででしょう。この方はおそらく31~2才だと推測されるのですが、年収税込251万円。どういう生活をしていたのでしょうか?実際この記述にあるように、地方税や年金や健康保険をほうっておいたのでたいへんなことになります。(ガス止められるのは日常、電気止められたこともあったらしい。役所から電話を差しおさえられそうになったこともあるようです。)

当時の資料からははっきりしたことは言えないのですが、次の年に授業コマ数についての記述があります。(このひとは前年ぐらいに学習塾関係で仕事するのをやめて大学教師一本で食っていこうと無謀な計画を立てました)

1998年1月某日。

××の某××校は、来年は後輩にやってもらうことにした。
しんどかったなあ。問題は、某××大が来年どうなるかよくわかっていないことだな。
カリキュラムを再編しているらしく、何コマ働けるのかまだ確定していない。
実際困っている。

1998年度前期時間割
1 2 3 4 5
A大 (60) A大 (60) B大 (300)
C大 (50)
D大(120) D大 (80) E大 (300+)
F? (100) G大 (100)
A大 (60) A大 (60) E大 (70) E大(200)

括弧内は推定の単位登録人数をこのブログを書いている人間が補足しました。
勤務先は関西一円に広がっているようです。移動だけでもたいへんだったでしょう。
別の資料によれば、たとえば月曜日のA大まで、自宅から2時間、そこからB大まで1時間30分ほどかかっているようです。
帰宅にまた2時間かかります。

この時期この人は13コマ担当していますが、
当時大学の非常勤講師の給料は、私立大学の場合一月約25000円程度だったはずです。(今も
たいして変わってないでしょう。)国公立の場合は完全時給制です。
したがって、こんだけ授業して一月にもらえるのは325千円ぐらいで、
国公立の授業がないときはもっと減る。後期はもっと少ないと推測されます。
年収350万そこら、学生さんにはけっこう多く見えるかもしれないけど、ボーナスとかないし、健康保険とか年金とか自前だからこりゃもうたいへんなもんです。
暗黒の時代とはいえ、同時期に金融行ってた友人とかは3倍近くもらってたかもしれません。

非常勤専業の人の問題のもうひとつは、研究費・図書費がまったくないことなのね。
大学の先生ってのは勉強するのが仕事の一部なわけだし、
授業するためにもいろんな資料が必要なわけです。どこかの大学に職をもらっている場合は
そこの予算を使うことができるわけですが、非常勤のひとはそういうのを
一銭ももってない。だから自分のお金で本買ったりコピーとったりするわけだ。どういう授業してても最低月3、4万円分ぐらいは
必要だろうし、この人はもっと買ってたようです。収入の半分は本にしてたんじゃないかな。

現在も状況はほとんど変わってないでしょう。

というわけで、非常勤のひとはほんとうにたいへんです。この人も
半期で1000人以上の学生さんを相手にしていて、誰が誰やらさっぱり わからない状況だったはずです。時々調子悪い授業になっても許してあげてください。*1

それに比べたら
大学に職もらっている人はとてつもなく優遇されてるし、たいして仕事もしてないので (ふつうの私立大学の授業負担は週6、7コマでしょう*2)、どんどん要求してかまわんです。

まあこの人がそういう状態におちいったのは無能とか自業自得ってところがある*3。もっとまともな人はこんなところでは働かない。だから優秀な人は
大学じゃなくて別のところにいることの方が多い。
でも、もっとまともな先生たちもいまでもまだまだもっといろいろ苦しんでいます。
http://www.hijokin.org/

http://www.hijokin.org/~tokai/
も見てみてください。大学で働いている人びとの一部はいわゆる「負け組」であり、
大学こそは昔から「不平等」という意味での不正義のスクツです。そんなところで働いている
人びとが労働とか平等とかそういう問題についてごちゃごちゃ言ってることは、私にはすぐには信じられないですね。
(もちろんよいことを言っているひとはたくさんいますが、注意してください。)

でもどんな大学でも授業コマの半分ぐらいは非常勤の人に頼らざるをえない。
まあとにかく、こういう状態だと精神状態もかなりやばくなります。
もしレポートとかコピペとかされると、「いったい大金もらってる常勤はなに指導してんだ!」とか
「学生死ね死ね」とかそういうのをブログに書いちゃったりする。実際には専業非常勤の人が
学生の単位ぼろぼろ落としたりするといろいろ問題になるのでやりにくい。非常にやばいのが
現在の大学。上の人は1997年の時点で日記に次のように書いてます。

1997/4/18

(略)

たとえば某大学の学生の授業料を90万と仮定すると、
15コマ出席することにして1コマあたり年間60000円。30回授業があると
想定すると授業1コマ1回2000円。むう。私は1割ももらえていないのだな。

やっぱり非常勤ってはワリにあわないんだなということを実感してしまった。
やっぱり職をさがさねば。(いままで実感がなかったし、
自分の身分についてまじめに考えたこと
なかったんだよね)

以上の事実からの暫定的洞察

  • 日本の大学教育・経営をささえているのは非常勤講師である。
  • どの大学にも所属しない「プロの非常勤講師」は数多く存在していると思うが、
    無理である。非常勤講師は、どこか他の大学で研究費を
    もらっている人間が行なうべきである。非常勤だけでやろうとすると
    書籍費だけで足が出る。
  • たいていの大学では授業料に見合うような授業は行っていない。
    (実際、行なえない)
    むしろ履歴書に書く「看板料」とみなすべきである。

まあ気づくのが遅すぎるよね。それにこの人はほんとに頭悪い。
大学の授業料は授業だけのためにあるのではありません。でも
まあ、学生さんは自分が1コマあたりいくら払っているか考えて、それに
みあう教育を受けているかどうか考えてみるべきだとは思います。

追記 8/6

  • はてブにもあるように、上のひとはかなり幸運な方。いまはこんな非常勤集められない。一人でこんな
    集めてたら不正。
  • 上みたいなことが可能だったのは、まわりに非常勤コマもらうのに競合する人が少なかった幸運な時期だったからだと思う。(先輩がバタバタ就職決まってコマがだぶついてたのもある?)
  • いまは大学院重点化とかわけわからん政策によってOD爆発的に増えてるはず。
  • 非常勤が一個もないと奨学金の返還とかでたいへんなことになるからたいへん。
  • とくに非常勤最初の一個を手に入れるのがかなり苦しそうだ。
  • 自宅から片道5時間かけて非常勤行ってた人とか知ってる。時給は同じ、なのかな。
  • 非常勤はほぼ完全にコネやツテの世界(最近は公募するところも出てきた)。まあ
    先生や先輩などの上の人にお世話になる世界ってことだ。面倒見てくれた人には
    足向けて寝られない。
  • いっぽうで、そういうのはいろいろ弊害もあるわな。
  • ふつうは予備校・学習塾で糊口を凌ぐわけだが、このひとはそれはまずいと思ったみたい。
    受験産業もかなりおもしろい仕事なんだけど、おもしろすぎると感じたみたい。そっちが本業になってしまい
    そうなのに不安を感じて「非常勤一本」とかにしようとしたみたい。
  • いまはおそらく予備校産業もとんでもなく厳しいわね。90年代はまだマシだった。
  • でも上ぐらい授業担当しちゃうと自分の勉強する時間もうとれないわね。ばか。
  • でもおそらくどの大学でも、たいたい非常勤の人の方がいろいろ熱心だと思う。安いからこそ
    自発的にいっしょうけんめいやっちゃうんだよね。そういう人びとによって大学は支えられてる。
  • 最近は学振様の枠がひろがったみたいで事情はちょっと違うのかな。
  • まあ上の人は当時自分の人生とかについてちゃんと考えてなかったから、滅びてもしょうがないくらいだと思う。*4
  • 私自身は、社会で売れないものを作ったり、みんな関心のないことを研究して平気でいる、ってのはなんかおかしい感じはする。もちろん好きなことやっていいんだけど、それとまともな経済生活が一致することを要求するのはやっぱりおかしいだろう。さすがに自分にその資格があるとは思えない*5
  • 非常勤の人は大人数教室もたされることも少なくない。上の人は支配欲や権力指向がかなり強いので、大人数教室で私語怒鳴ったりするのはそんな苦手じゃなかったみたいだけど、そういうのが苦手な人はまったく耐えられない職場だと思う。
  • 塾や予備校で学力下から上までまんべんなく教育経験したのもとても幸運だった。
    中の下より下教えるのも嫌いじゃない。っていうかわりと好き。
  • とにかく金がないやつは大学での研究生活とか目指しちゃだめ。そこそこ勉強が好きだとかできるぐらいじゃぜんぜんだめ。おそらくよっぽど能力あってもだめ。これは昔からそうだと思う。
  • だいたい、常勤にせよ非常勤にせよ、人文系の人間が自分の好きなことを授業するのはかなり難しいかもしれない。
    上の人の場合、自分で勉強したいことと大学で教えたいことがほぼ完全に一致してたからすごく幸運。なにやるかも自分で決めることができて幸せ。そうじゃないともうなにやってるかわからんようになったと思う。

*1:ブックマークもらってから気づきましたが、これは誤解をまねく表現だったかもしれません。非常勤の人の授業がぐだぐだということではないです。この10年前のひとの授業がグダグダだったのはごめんなさいね、ということで。

*2:もちろん大学教員の仕事は授業だけではないです。それは1/3ぐらい。

*3:いま幸せになってるといいなあ

*4:ほんとに人に迷惑かけずに幸せになってるといいなあ。

*5:ここに嫉妬や不公平感の問題がからんで来るような気がする。そのうち考えたい。

人の定めは苦しむこと……

苦しい。でもあと2時間がんばる。

やけになって諸星大二郎先生の「マンハッタンの黒船」スキャンしてみたり。あんまり深い意味はない。(『失楽園 (ジャンプスーパーコミックス)』収録)

f:id:eguchi_satoshi:20080111203104j:image

右上は革命をめざすリオ・サカモンド。まあ統治ってのはこういうふうにやらなきゃね。デモクラシーの理想。あれ、画像なんてめったに扱わないから解像度やらどうしたらいいのかよくわからん。

まあこの作品はアレだけど、「失楽園」は永遠の名作だよなあ。

こんなん。とにかく学生は必ず読みなさい。

f:id:eguchi_satoshi:20080111204955j:image

「おじい、その“幸福の沼”はどこにある?」私にも教えてください。

初出はどっちも1978年。エバーグリーンですごすぎ。オラもいっしょにぱらいそさつれてってくだせえ。

時間切れ終了

isbn:4326101695

そろそろ時間切れか。いつもツメきれずに終ってしまう。だめだめ。

http://yonosuke.net/eguchi/papers/ando_governance.pdf

校正はいったん寝てから。なんで人生にはこんなに苦悩が多いのか………

そういや、(忘れてたけど)卒論書いているひとたちもがんばれ。苦しみはひとを利己的にするなあ*1

*1:そしておそらく快楽も。

書いたものを他人に見てもらうときは、2部もってくるものだ

就職活動のためのエントリーシートやレポート、論文などを他の人に
見てもらうのはとてもよいことです。

戸田山和久先生も、その名著『論文の教室―レポートから卒論まで (NHKブックス)*1
で、
「パラグラフを育てるのにいちばんの方法は、他の人に一文ずつ声を出して読んでもらって、
わかりにくいところにツッコミを入れてもらうこと」だと
おっしゃっておられます(p. 202)。これ「パラグラフ」だけじゃなくて、
文章全体について言えることだと思います。

とにかく他人に読んでもらってチェックしてもらおうという態度は偉い。しかしだね、
ただしそのときに、1部だけ持ってきて、「読んでください」じゃだめなの!
ちゃんと読んでもらう分と自分の分の2部もって来んかい!
「えーと、この部分は」「どこの部分ですか?」とかやってたら日が暮れるでしょ。3人いれば4部、4人いれば5部もってくるものなの。

形式はだいじです。

それにしても、レポートでも卒論でも引用その他の形式がちゃんとしているかどうか
だけでその文章の内容の質がわかってしまいます。大人数の授業のレポートなんかは
それだけでA/B/Cぐらいは採点できちゃう。なんというか、そのひとがどういう人か—アカデミックな訓練を受けているかどうか、先行研究に対する敬意があるかどうか—が
わかるのね。私は最近、研究会なんかでもレジュメの出典のつけかたなんか見てから
話を聞くようになっちゃってます。

まあでも私自身もちゃんとできないんですけどね。それは私自身がちゃんとしたトレーニング完了してないからさ。ははは。まあやっと最近そういうのがわかってきたってことでね。まあ教師も学生とともに成長しているのです。

*1:このまえ買いなおしたのは23刷になってた!この本1冊で戸田山先生は印税長者になったんじゃないかなあ。

こんにちは

こんにちは。江口です。大学教員やってます。中年です。
専門は倫理学ということになってますが、
あんまり論文とか書いてないだめ教員でもあります。

最近ブログがとても流行しているらしいので*1、遅ればせながら
試験的にアカウントをもらってきました。機会がなにか書いてみたいと思います。
機会がなければなにも書きません。
はじめてで不慣れなのでチョンボすることもあるでしょうが
よろしくおねがいします。

あえてホームページも晒しておくか。

ホームページはコメントできないので、なんかあればこのブログのコメントにどうぞ。
特にホームページにある「学生向けお説教」はいろいろ危険なので読んでる人はバグ出ししてください。適宜修正します。

倫理学や大学教育に関する各種質問、疑問、論争など歓迎します。コメントに書いてく
れればなんか考えるべきことは考え、考えられないことや考えたくないことは
無視します。(コメント欄での応答は基本的にできません)。私に対する誹謗
中傷は時に反省するかもしれませんが、私にとってあんまり具合が悪い場合削
除して知らんふりします。
場合によってはIPでアクセス拒否したりしますが、トラックバックだけは拒否
しないつもりです(でもわかりません)。江口以外の人を誹謗中傷するのは勘弁してください。

*1:いつの話だとかつっこまないように。大学教員は流行に疎いのです。

他の文献も読んでみる

手に入りやすいものだけ適当に見てみましょう。

  • 斎藤真緒「「ケア」をめぐるアポリア」、『立命館人間科学研究』第5号、2003。国内の基本文献調査。見通しがよくて役に立つ。「感情労働」についても論じている。なにが「アポリア」かよくわからない。
    どうも中村直美先生が「アポリア」として指摘したってことらしい。

  • 中村先生調べないと。
  • 宮内寿子先生がけっこうよい。 「ケア倫理の可能性」『筑波学院大紀要』第3集、2008。ノディングスとクーゼの批判を紹介。他に「ケアリングと男女共同参画」とか「自由と幸福」とか、着実で好感。
  • 生命倫理学を学ぶ人のために』の竹山重光先生のやつ。メイヤロフは重要だよ。あとギリガンとノディングスの紹介。字数少ないからこんなものだろう。もっと分量増やした方がよかったんじゃないだろうか。そういやこの本はもう10年前だから、アップデートした方がよいのではないかという気もする。
  • 岡野八代先生はこの分野ではすでに大物だ。『シティズンシップの政治学―国民・国家主義批判 フェミニズム的転回叢書』とかこのひとのも脱構築しちゃって難しいから腰落ちつけて読まないとなあ。あ、『現代思想』2005年9月号の「繕いのフェミニズムへ」の方が重要だわ。でもどうもこの方も功利主義でいいんじゃないかという気がする。
    功利主義も「自他の区別」とか(それだけでは)あんまり気にしませんよ。っていうか
    まさにその点がロールズ先生あたりから攻撃されてたわけで。やっぱり
    藁人形攻撃しているっていうか、80年代の「正義論」がだめすぎたように見えるなあ。

  • 牟田和恵先生もなんか書いてそうな気がしたけど、見つからん。
  • 上野千鶴子先生とかも調べる必要あるんだろうか。あ、上の『現代思想』になんかインタビューが。
  • それにしてもクーゼはまともだ。
  • 図書館に『時代転換期の法と政策 (熊本大学法学会叢書)』があった。中村直美「正義の思考とケアの思考」。
    よい。「ケアの倫理」とかじゃなくて「ケアの思考」にしてるのがとてもよい。
    内容も正統派。クーゼ派。お、ストッカーの「分裂症」論文や、それに答えるヘアの二層理論にも
    触れてるぞ。よい。

    雑感

  • どうも地位や権力もってる主流派の方に説得力を感じるのはやっぱり
    すでに権力とかもっちゃってるからなのか、男性的思考に染まりきってるからなのか、
    ケア能力が足りないからか邪悪だからか。精神分析されたり脱構築されちゃうとやだな。

  • 自明な結論は、「ケアも正義も大事です、特に最近はケアとか忘れられてたかもしれないので注意しましょう」。品川先生もこの結論でいいんじゃないだろうか。
  • でもたしかにケアとか、仁愛とかに代表される人間的な徳とか、そういうのって
    ここ最近の「倫理学」の議論で無視されがちだったように見えるかもしれんよな(実はそうじゃないんだけど)。

  • 加藤尚武先生あたりが
    「倫理学ってのは対立を調停する手段を考える学問だ」とか「合意形成こそ重要」とか
    そういう主張してた(正確じゃないけど)のが裏目に出てるのかもしれないなあ。倫理学ってのは
    そんな貧弱なもんではないぞと言いたいひとがいるのはとてもよく理解できる。

  • 「愚行権」とかって言葉が流通しちゃって*1、リベラリズムってのが「とにかく他人をほうっておくことなのだ」とか理解されちゃってるのもなんだか有害だ。
  • ミルの『自由論』の立場は、「他人はほっとけ」なんてもんじゃないぞ!誰かが他人には危害加えないけど道徳的にやばいことしてたら
    世論の非難とかしてぜんぜんかまわん。全力で説得しようと試みてぜんぜんかまわん。

  • それに、誰かが困ってたら助け、破滅しそうだったら防げってのが
    ミルの意見だ。誰も壊れた橋を渡ろうとなんかしないのだから。特にミルの時代に比べて、
    われわれはミルが考えてたよりずっと弱いってことがわかってんだから。ギャンブルとかアル中とかドラッグとか。ミルは楽天的すぎたわね。でもミル先生がいま生きてたらそういう人類の経験からいろいろ考えて、立場をちょっと変更するだろう。
    まあミル先生は当時の悲惨な状況を主として教育の問題だと思ってたかもしれない。「このひとたちもちゃんと教育されればもっと
    うまく生きられるはずだ」とか思ってたんだろう。ミルが考えてたほど人間は可塑的ではないかもしれない。また合理的でも理性的でもない。

  • 国内ではどうも法と道徳の関係がよく理解されてない感じがする。
    あるいは社会制度と個人の徳との関係っていうか。これがやばい香りがする。

  • 特に国内の伝統としては各種の「徳」や「調和」「順応」「忍耐」「気配り」とかが重視される
    傾向があって、ケアとかの重要性をとなえるひとは各種の政治的含意にも
    気をつけてほしいような気はする。共同体主義についてもそう感じる。
    徳倫理学とかちゃんと紹介されたらとんでもなく
    流行するだろう。

  • 特に道徳教育の人たちはそういうのが好きだし、ケアとかばっかりに見える。ちょっと危険かもしれない。
  • だからまあケアを代表に、もっといろいろ人間生活で重要な価値について
    われわれは語りあうべきだわね。正義だけじゃだめ。美とかもあるし。

  • 哲学研究者はもっと “The importance of what we care about” を語りあうべきなんだよな。
    でもそれやるのに、脱構築やらなんやらのなんかヘンなものもってくる必要はない。古典の分厚い伝統をもってるってのが
    伝統的な哲学を専門とする研究者が関連諸分野の研究者に対してもってるアドバンテージなんじゃないかと思ってる。
    アリストテレスやヒュームやカントやミルやシジウィックからくみだせるものはまだまだたくさんありそうだ。哲学の伝統のうすっぺらい理解にまどわされる必要はないっしょ。

  • 米国の哲学教育がおかしくなってんじゃないかという印象はなんか強くなってる。
    アラン・ブルームやロバート・ベラーとかが危惧してた状況で育った学生たちがいま中核になってるんじゃないのかなあ。

  • だから品川先生の本はそこらへん考えさせてくれてとてもよいと思う。「善人の、善人による、善人のための倫理学」とか
    って言葉が最初読んだときから頭にあるんだけど、それだけじゃないはずだ。

*1:この言葉はミスリーディングで凶悪なほど有害だ。

書き殴り1996年 3月-4月


1996/03/15

あちこちホームページを覗いていると感じるのが、センスが悪い人が多いということ。大抵のホームページで文字の色などが指定されているけど、単に見にくくなっているだけの場合が多い。自己宣伝のためのページとか、お遊びのページとかならまだいいのだが、有益な情報が入っているドキュメントの場合は痛し痒し。我々の大抵はそういう訓練を受けていないのだから、適当にデフォルトの設定に任せておけばいいと思うのだが如何?本文を<b>や<H4>とかで書いているけど、これもヘッダということの意味を理解していないんだと思う。

横断幕とかを動かしているページも多いけど、大抵の場合は無用だしちらちらしてうるさいだけ。スタイルガイドが必要だよね。ローラさんの『HTML入門』はまともな本だと思う。

日本語にイタリックはないのだから、<em>とかの強調表現はブラウザの方で下線なりボールドなりに変更して欲しいものだ。


1996/03/20

日経新聞から取材されてしまった。どうも悲惨なOD生活のサンプルとして選ばれたらしい。たしかに悲惨だし。インタビューされてたら暗くなってしまた。そういや、アメリカの留学ガイドかなんか見てたら、哲学するにはsurviveする特殊な能力が必要だよとか書いてあったなあ。まさにsurviveするだけでひと苦労だ。
みなさん、OD生活は大変です。

どのくらいOD生活が悲惨かというと、私の今月の収入は約7万円であることを述べるだけで十分ではなかろうか。2、3月は予備校も大学も授業がないから、必然的にこういう結果になるのである。


1996/03/24

よくファイルの「解凍」って言葉を聞くけど、なんかへんだなあ。あれは凍っているものなのか?

fj.sys.macに巨大なバイナリファイルが流されて、文句をつけている人がいた。どうやらプロバイダに電話回線で接続しているので、料金節約のため、ニューズをすべて「ダウンロード」しているらしい。たいへんだなあ。

そういう読み方は危険だと思うのだが。本当に料金の節約になっているのだろうか? fj.sys.macなどは一番流量の多いグループだから、そういう巨大なファイルがながれていなくても大変だろう。

ニューズに流れている記事の大半はほとんど必要のない情報で、それをどうやってフィルタをかけるかが最大の問題なのだと思う。

新しいGnusなどでは、scoringという考え方を入れて、いろんな条件(筆者、行数、subject、どのnewsgroupとクロスポストしているかetc.)でどんどん記事を除外してしまう。

マックには使いやすいテキストのみのWWWブラウザはないのだろうか? Netscapeとかで画像を読み込まないようにしても、アイコンで表示してしまってうっとうしい。ちゃんとしたひとはalt=”foo”とかしてくれているだろうから、そっちの方が見たい。


1996/03/30

NHKのドキュメンタリーで、将棋の奨励会員の話をやっていた。泣けるなあ。ただ、インタビューをしている女の人の声の感じがよくなくて、ちょっと損をしている感じ。まあ、企画自体、「このひとを追っかければ、めでたくプロになれても、奨励会を退会することになっても絵になるはず」って企画だから、ちとなにだけど。プロの世界はどこも厳しいのね。

江口はこのサーバが動いているsocio1.socio.kyoto-u.ac.jpに、研究室のMacか、自宅から京大のターミナルサーバを経由してつないでいるのですが、ターミナルサーバの調子がよくないことが多いので、発作的にso-netのアカウントを取ってしまいました。


1996/03/31

人生の小春日和というものがあって、苦しい生活のなかにも短期間だが暖かい日がある。問題は、長い冬の生活を送っていると、「ああ、今日はちょとあったかくなった。将来はもっとあったかくなるに違いないから頑張ろう」と思ってしまうことである。実は冬はまだまだ続くのだ。だから、今日が暖かいとおもったら、それを十分に味あわなければならない。(この1文は岩波新書増田れい子「看護」にあったものの焼き直し。この本はけっこう良書だと思う)

以前取材されたのが新聞記事になったようだ。私は読んでなかったのだが、知合いがFAXしてくれた。どうも悲惨な記事で、あんなに悲惨なのかと自分であきれた。もうちと明るい面もあるはずだが。ないのか。

(追記2006年3月。10年後に発掘された日経の記事

ニューズを読んでいると、「ちょっとかっこいいホームページの書き方」のページを作ったので見てね、という人がいた。見に行くと、「白地に黒が見やすい」「背景色と同じ色で文字を書いて字間を調整する」とか、<block>を使おうなどということを書いていた。やめてほしい。なんだって多くのホームページが色づけされているのか理解に苦しむ。そんなのは、ブラウザの方で(個人の趣味で)設定するべきことなのだ。白地に黒が見やすいと思っている人は、そういうふうに自分で設定しているだろう。