好きなCD:カーラ・ブレイのセクステット

Sextet

Sextet

Carla BleyのSextet。今日iPodでシャッフルしていて久しぶりに聴いて感動した。

ドラム、ベースに2本のギター、オルガン、ピアノという変わった編成のいわゆるフュージョン。ECMらしい耽美な世界。1曲目の”More Brahms”とか”Lawns”とかすばらしくアレンジされていて美しい。このひとが歌物をまじめに書いたらキャロル・キングのようにポピュラーになれたんではないかと思うのだが、芸術家だからそういうのには背を向けてるっていうかそういう感じなんだろうか。このひとのアルバムは4、5枚もってるのだがこれが一番よい。

リアルブック(ジャズの有名な楽譜集)とかにはこの人の曲がたくさん載っていて、70年代後半~80年代に強い影響力を持っていたことがわかる。当時の私は「フュージョン」は悪いものだと思いこまされていたので聴いていなかった。そういやECMにも偏見持ってたな。アルバム揃えよう。

『音楽未来形』

音楽未来形―デジタル時代の音楽文化のゆくえ
増田 聡 谷口 文和
洋泉社
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  • 「たとえば、マイナー・ペンタトニック(音階)やCオーギュメント13th(コード)やワルツ(リズム)は、誰かが生み出した音楽的素材であろう」(p. 247)→「Cオーギュメント13th」はかっこ悪いなあ。こういう記述を見ると萎える。「Cドミナント7thフラット13th」ぐらいにしといた方がいいのに。
  • 「楽音レイヤー」と「サウンドレイヤー」って言葉使いが区別しにくくて誤解をまねきそうだ。著作権がつくのは「記譜」されるようなものなのだから、「記譜レイヤー」と「楽音レイヤー」じゃないのかなあ。
  • 書物の場合は著作権で保護されるのは「表現」であり「アイディア」ではない。音楽の場合、メロディーの断片、歌詞の一部、コード進行、リズム感、構成、音色などが「表現」なのか「アイディア」なのかがよくわからんのが問題だということを指摘してほしかった。わたしはそういうのは「アイディア」ととらえたい。いや、無理かな。少なくともサンプリングは書物でいう「引用」にあたると思うのだが、現状ではぜんぶ保護しちゃうから問題。
  • 「楽音のレベルに著作物の「原型」を見て取ることは、メディアの水準で楽譜が作品の「起源」とされることと並行している。・・・その名残りが著作権制度に反映されている。」(p.241) 正しい。っていうか最初から音楽と出版物を同じ法規で扱おうとしたのが失敗というか。
  • 「楽音とサウンドのレベルは、耳で聴くことのできる現象のレベルであって、その現象を実際に担保しているのは、耳に聴こえないデジタル・データである。」(p.241) デジタルは関係ないんじゃないかな。
  • 「楽譜の水準に音楽の原型が存在すると見なす著作権の音楽観は実情とそぐわなくなっている。」(p.241)その通り。しかしそもそも著作隣接権が設定された時点で実情とそぐわなくなったんじゃないかなあ。ジャズミュージシャンはずっとそういう問題をかかえていたはずだ。
  • p. 248。サンプリング作品では「演奏者」が「作者」にカウントされることがないという指摘は重要。実際サンプルするのはたとえばジミーペイジの楽曲ではなくてジョン・ボーナムのバスドラをエンジニアが録音した振動なわけだからね。ジョンボーナムやエンジニアに金をはらってもいいが、ジミー・ペイジにまで払う必要があるかどうか。ジャボ・スタークスに払ってもいいがジェームズブラ
    ウンにも払わなきゃだめか。だから現状の著作権制度はちょっとおかしいよ、と結論してはくれないのだろうか。
  • 「デジタル・コピー問題とは、「文化の危機」なのではなく、「文化産業の危機」なのだ」はその通りだと思うのだが、創作したり演奏したりする「自由」の問題をもっとはっきりさせてほしかったような気がする。まあ「世間でよく言われているのは実は経済の問題にすぎないんだよ」と主張することによってそのうらがえしで「独創性」と自由の問題を扱っているわけか。独創性の問題さえ疑ってみてもいいと思うんだが、どうなんだろうか。
  • わたしのように楽曲をコピーしたりカバーしたりネトラジで遊んだりしているアマチュアにとっては、むしろ著作隣接権や同一性保持権の方が問題だったり。
  • 「大地讃頌」事件はもうちょっとつっこんでほしかったな。筆者の立場が明確でない。
  • ジャック・アタリの話とか、どうなんだろうか。「現代思想」とか好きなひとはこういう議論が好きなんだろうが、おおげさでグリップがないような気がするけどなあ。まあ趣味の問題か。
  • たとえば、「音楽はまず、神話的な社会秩序を維持するため、神に捧げられる犠牲として生じた」とか。うそくさい。普遍性もないだろうし。こういうを簡単に援用しちゃうのはいかがなものか。「供犠」→「演奏」→「反復」→「作曲」の「レゾー」なんて、話としてはおもしろいのかもしれないけど、ただのお話じゃないのかなあ。現代思想とかってのの悪い側面が出ているような気がする。
  • 大昔からワシらムージさんは自分の好きなように楽曲をかなでてきたし、真似したり個人用テープをやりとりしてきたりしてきたのじゃ。それがむしろテクノロジーで管理されつるある方が問題だ、っていうレッシグの問題意識の方がわたしはみぢかだな。
  • ベトベンが市民社会で演奏会と楽譜売上で生きていこうとしてなかば成功したこと、レコードが商品として流通しはじめたことは大きな出来事だったろうけど。でもそれに比べて、DJカルチャーというかサンプリングは本当に新しい問題なんだろうか?どう新しい問題なんだろうか?ちょっと考えてみよう。
  • けっきょくデジタルコピーの問題はiTunesMusicStoreのような形のものがちゃんと機能するようになればうまく回るようになる気がする。私が関心があるのは演奏や創作にかかわるもっと違う問題だ。