若林翼先生の『フェミニストの法』読んでみる。

フェミニストの法―二元的ジェンダー構造への挑戦

フェミニストの法―二元的ジェンダー構造への挑戦

気鋭の若手法学研究者*1。私は若手研究者が好き。若い人は覇気があり勉強していてすばらしい。気になったとこだけいつものように重箱の隅。

〔ポルノに反対する〕第二の議論は、ポルノグラフィの撮影において、現実に男性によって女性が暴行され、強姦され、そして時には殺人まで行われる、というものである。 (p.84)

バクシーシ山下やバッキー栗山とかルーシー・ブラックマンさん事件とか実際に起こってるんでまあOKなんだけど、この「ポルノ撮影のために殺す」ってのはなんか誤解をまねくんじゃないかなあ。ブラックマンさんのは殺してついでにビデオとったんじゃないのかな。わからんけどね。まあ闇でなにがあるかわからんけど。この一文についている注がマッキノン。

〔注〕14 女性は、「猟奇ビデオ(snuff film)を創るために実際に殺されている。MacKinnon, Not a Moral Issue ~ 略。(C. マッキノン『フェミニズムと表現の自由』のp.455)

こういうのはちょっと困るんだよな。スナッフフィルムの実在の注にマッキノン使われるのは困る。マッキノン自身がスナッフフィルムの実在を確認したわけじゃないので。これマッキノン読んでない人は、マッキノンの本にはその事実が書いてあるんだろうと思いこむだろう。まああっても不思議はないんだけど、誰も見たことがない、それがスナッフフィルム。

だいたい、その手の興奮を味わうために実際に人を殺してビデオ作る連中がいるとしたら、そりゃ若い女の方があれかもしれないけど男だってあれなんじゃないのかな。だからもしあるとすれば、「殺人ビデオのために人間を殺すやつらもいる」なんじゃないかな。「女が」と強調する必要あるんだろうか。あるか。

アクション映画とかのために死んでる男もけっこういるだろうし。ボクシングやプロレスも危険。そういやタルコフスキーが牛に火をつけて走らせて地域の農民から囲まれて殺されそうになったとかって話もあり。まあここらへんとポルノの話はぜんぜん違うか。すまんすまん。

しかし、『触発する言葉』において、教育の場における憎悪表現の使用がその種の言葉の使用を煽ることになったというバトラー自身のエピソードは、ヌスバウムが危惧しているところと一致しており、また別の場所でバトラーは、民主主義を擁護することを示している。 (p. 141)

さらっと書かれているけど、これも気になる*2。正直なところ、このバトラーのエピソード(Excitable Speechのpp.37-8、『触発する言葉―言語・権力・行為体』だとpp.58-9)記述がぼんやりしていてわけわからんのでずっと気になっている箇所なんだが、若林先生はどう読んだんかな。

そういえば、1995年の夏、ダートマス大学の批評理論学科で、その種の言葉の例を出すことがその言葉の使用を煽ることになるという、やっかいな体験をした。たぶんシラバスに反応したのだろう、ある学生が、その授業を受講しているさまざまな学生に悪意に満ちた手紙を送り、彼らの人種やセクシュアリティについて、「じつは知っているのだぞ」という憶測の文面をよこした。・・・例としてあげたトラウマが、いわば無署名の手紙というトラウマとなって返ってきたのだ。のちに教室の中で、教育的目的のためにこのトラウマがふたたび反復されることになった。しかしトラウマについての言説を刺激したことは、トラウマの改善のためにははたらかなかった。ただし、感情を交えずそういった言葉を吟味していくことは、その発言に付随して(一部の者に)触発される感情の奔流を、若干改善することになりはした。・・・(『触発する言葉―言語・権力・行為体』, p. 58)

わけわからんよな。翻訳もあやしいと思う。「実は知っているのだぞ」のところは “A student, apparently responding to the course content, sent hateful letters to various students in the class, offering “knowing” speculation on their ethnicity and sexuality;”とか。「シラバス」じゃなくてcourse contentだから実際に授業している内容。「知ったかぶった憶測を」じゃないのかな。わからん。。knowingがわざわざ引用符に入っている意味もわからん。「触発される感情の奔流」のところは書名の「触発された~ excitable」に直接関係しているように見えるけど、実は”the rush of excitement”で関係あるのかないのかわからん。

まあなにが起こったのかが(おそらく)意図的に曖昧にされている文章なので、これ訳せなくてもしょうがないと思う。ふつうだったら「これこれこういう内容で」「クラスではこういう話をして」「そしたら学生はこう反応して」ぐらい書くもんだろう。この文章はバトラーから見た思い込みだけが書いてあって、私にはなにも信用すべきところがない。こういう文章は私には読めない。

私の想像では、「攪乱するんだ!」「意図的に誤用するんだ!」とかってみんな言ってるから、「ほんとにおまえらそんなことできんの?」とかって挑戦してみたんじゃないかと思うんだけど*3。(竹村和子先生が考えているであろう)「おまえは実は日本人の男だって知ってるぞ」「おまえ童貞だろ」とかって文面じゃなくて、「ジャップは~だそうだな」「日本の女は~が~なんだってな」とかそういう文面じゃないのかな。わからん。わからん。

だからむしろ若林先生がこのバトラーの文章にあるエピソードが具体的にどういうものだったと考えているのか知りたい。この一文を含んでいるのは、ヌスバウムの非常に厳しい批判に対してバトラーを擁護しようとする論証なのだから(全体をうまく紹介できないけど)、「バトラー自身のエピソード」とかで一行でさらっと済ませる部分ではないと思う。

あとp.145の注で、以前にも書いた角田由紀子先生の『性差別と暴力』の「被害者資格」の話使っていて、これもどうなんだろうな。どう読んでもあの裁判で裁判官たちが原告の貞操観念と証言の信憑性との間に関係があると考えてるとは読めないんだが。でもこれは「それがあんた自身のバイアスやねん」と指摘されたからそうなのだろう。『性差別と暴力』読んだ人は、『判例時報』1562号読んで感想教えてくださいよー。

全体として若林先生がやりたいことはわかる。セクハラだのポルノだのリベラルだの正義だのって話はわかるし、「単純な二分法を疑いましょう」「自律は重要です」「女性の仕事をもっと評価しましょう」とかっていう結論のところとかははっきりしていて共感できる。わからんのは主体だのなんだの持ちだすとこで、その議論が具体的な結論とどう関係があるのかがわかなん。そういう難しいポストモダン理論とか持ちださなくても同じこと言えるんじゃないかというかもっとうまく言えるんじゃないかという気もする。さっさと縁切っちゃえばいいのにとか思うわけだが、そうもいかんのだろうなあ。

*1:『キャプテン翼』とは関係ないと思う。それは大空翼と若林源三だ。

*2:こっちは若林先生がジュディス・バトラー擁護のためにヌスバウム(前に触れた"Professor of Parody"論文)に噛みついるとこなので、必ずしも重箱の隅ではない。でもここの議論全体が難しくてうまく書けない。

*3:ダートマスはお金もちのぼっちゃんとが通うそこそこよい大学のはずなので、言葉教えたら使っちゃった、なんて小学生レベルではないと思うんだが、どうなんだろうか。


若林翼先生の『フェミニストの法』読んでみる。」への1件のフィードバック

  1. macska

    「Excitable Speech」久しぶりに開いてみましたが、そのページの前後を読んでもクラスで何があったのか全然分からないです。普通こういうのって、分かりにくい理論的なポイントを自分の経験を挙げることで理解しやすくするのが目的なんだと思うんですが。

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