中里見博先生のポルノグラフィ論

中里見博「ポルノグラフィと法規制:ポルノの性暴力にジェンダー法学はいかに対抗すべきか」、『ジェンダー法・政策研究センター研究年報』第2号、2004

と「ポルノ被害と法規制:ポルノグラフィーをめぐる視座転換をめざして」、『ジェンダーと法』、第2号、2005。

後者は前者の短いバージョン。

米国では、1970年代末から、ポルノグラフィが消費者に与える影響についての膨大な研究が蓄積されている。その研究には、大別して、(1)被験者を用いた実験研究、(2)性犯罪加害者の聞き取り、(3)サバイバー(性暴力被害者)の証言・体験談、がある。

(略)

(1)の実験研究の結論は、概ね次のようなものである。すなわち、暴力ポルノの試聴によって視聴者は、女性への攻撃的な態度の増大を引き起こす。女性への攻撃的態度は、女性への性的暴力行為の増大を引き起こす。1986年の司法長官「ポルノグラフィに関する委員会」の最終報告書は、「既存の研究によると、暴力ポルノを相当程度消費することは、反社会的な性的暴力行為を引き起こし、消費者の一定の人びとは、性犯罪を引き起こすという仮説が明確に証明される」と結論づけた。(「法規制」の方のp.228)

この委員会の報告書は入手していないが、 http://www.porn-report.com/ で全文を読めるようだ。引用されているのは

http://www.porn-report.com/205-question-of-harm.htm の 5.2.1だと思われるが、直接この文章に対応するのはまだ見つけていない。引用符でくくってはいるが、直接の引用ではなく、要約のようだ。まちがっているわけではない。

しかしいくつかポイント。

研究の歴史

中里見先生の記述は若干ミスリーディングなところがある。

第一に、米国でのポルノと性犯罪の研究は「1970年代後半」になってやっと行なわれるようになったわけではない。1960年代にはすでに多数の科学的実証研究が行なわれていたし、特にジョンソンーケネディ政権の時に大統領委員会が上の司法長官委員会よりずっと大きな予算を使って行なわれた。(結果はポルノと性犯罪の間には因果関係はなさそうだ、というもので米国のハードコアポルノ解禁の論拠となった)

研究方法

第二に、ポルノと性暴力の関係についての科学的調査では、(1)被験者を用いた実験研究、(2)性犯罪加害者の聞き取り、(3)サバイバー(性暴力被害者)の証言・体験談、に加えて、(4)社会統計的な調査が大きな役割を果たしている。ポルノの規制をゆるめた国で性犯罪が増えたか減ったか、ポルノが入手しやすい国や地域とそうでない地域で性暴力がどの程度違うか、とかそういう調査。ジョンソン委員会でもイギリスのウィリアムズ報告でも、この社会統計が大きな役目を果たした。司法長官委員会では(4)をちゃんとやらなかったと批判されている。実際のところ、国別に見たときにポルノが手に入りにくい国の法が性暴力が多いとか、米国でも性暴力が多いのは保守的でポルノ入手が難しい地域だという指摘がある。

報告書

第三に、司法長官委員会(Meese委員会)の報告書は発表当時からかなり問題があると指摘されているので、2004年の段階では論拠としては使いづらいと思うのだが、どうなんだろうか。よく書けている問題点の指摘が http://home.earthlink.net/~durangodave/html/writing/Censorship.htm で読める。まあ問題ありまくり。委員会のメンバーがもともと反ポルノだとか。

それにこの報告書の参照されている部分は、中里見先生がほのめかしているように実験研究だけに限定されたののではない。下参照。

因果関係

この報告書で特に科学的・哲学的に問題だとされているのが、因果関係の立証に関するところで、被験者にポルノを見せて「女性に対する攻撃性」が上昇するところまでは実験室で示すことができたとしても(これさえかなり難しいのだが)、それが実際の性暴力につながることを示すことはほとんど不可能だ。(実際に被験者に性暴力や暴力一般をふるわせるわけにはいかない)

この点についてMeese委員会はぜんぜん科学的じゃない。

Finding a link between aggressive behavior towards women and sexual violence, whether lawful or unlawful, requires assumptions not found exclusively in the experimental evidence. We see no reason, however, not to make these assumptions. The assumption that increased aggressive behavior towards women is causally related, for an aggregate population, to increased sexual violence is significantly supported by the clinical evidence, as well as by much of the less scientific evidence.[45] They are also to all of us assumptions that are plainly justified by our own common sense.

女性に対する攻撃的ふるまい*1と(合法であれ違法であれ)性的暴力との間のつながりを見つけるには、実験的な証拠だけでは見つけられないようないくつかの仮定が必要になる。しかしながら、われわれは、これらの仮定を置かない理由を見つけられない。女性に対する攻撃的ふるまいの増加が、人口全体からすれば、性的暴力の増加に因果的につながっているという仮定は、臨床的な証拠によっても、それほど科学的でない証拠によっても支持されている。(このような)いくつかの仮定はわれわれ全員にとって、われわれの常識によってあきらかに正当化された仮定でもある。

つまりこの因果関係(実験室で観察されるかぎりでの女性に対する攻撃的ふるまい(性的ではない)→(実際の)「性」暴力)は、たんに委員会の人びとの常識や直観にもとづいたものにすぎない。(assumption(s)の単数、複数にも注意)

あとclinical evidenceという言葉が出てきていることからわかるように、これは中里見先生の(2)や(3)も含んだ研究なんよね。まあそれは中里見先生もわかってると思う。

まあ詳しくは上のDavid M. Edwardsの論文でもどうぞ。

ポルノと「攻撃的ふるまい」

ポルノと性暴力の直接の関係だけでなく、ポルノと女性に対する攻撃性の間の関係もなかなか実証しにくい。私が知るかぎりあんまり積極的な実験結果は出てないんじゃないかと思う。Donnersteinの有名な論文ぐらい。それも批判が多い。さらに悪いことに80年代後半からはそういう実験の倫理性のようなものが注意されるようになったのもあって(だって実際に攻撃性や性暴力につながるなら危険だし)、ほとんど研究されていない分野になってしまっているはず。むずかしいものだ。

メモ

Meese委員会の問題は非常によく議論されたので、ここらへんに興味があるひとは誰でも知っていると思ってたが、そうじゃないのだろうか。2005年の論文でMeese報告を無批判に使われると困る。

中里見先生はアンチポルノの文献ばかり読んでしまってるんじゃないかと思う。アラン・ソーブルのようなポルノ中毒哲学オヤジのものや、カミール・パーリアのようなポルノ好きフェミニストのものも読んでみるべきだと思う。

中里見先生に限らず、同意するかしないかは別として、パーリア読まないでフェミニズムを語るのはやっぱりまずいんじゃないだろうか。

そうでなければ、政治的な目的のために学術的な研究の一部を無視しているのかもしれない。(でもこの人はまじめな学者肌の人のようだからそうではないだろう。)

まあ撮影現場での性暴力やだましや物理的暴力や精神的暴力はいかんのはもちろんなのだが、やっぱり学問したいところ。中里見先生は反ポルノ陣営のエースなのでがんばってほしい。(政治的には応援してないけど学問的には応援している。はっきりした問題意識と姿勢、鋭い着眼点その他学ばせていただく点は多い。他に腰をすえてちゃんとやろうというグループはあんまりいないし。)

ポルノ好きはここらへんの議論にどう向かうべきか

中里見先生はかなり自分で考えてみる方なので、おもしろい論点も提出してくれる。

因果関係否定論には次のような想定があるように思われる。第1に、ポルノが当該性暴力の唯一の原因となっていなければならない、第2に、あるポルノが性暴力の原因となるなら、そのポルノを消費するすべての男性に同じ結果が生じなければならない、という想定である。それらが証明されないかぎり、ポルノは存続しなければならない、と。

それはなぜだろうか。1つの、しかし決定的な理由は、立法者、法執行者、メディア人、研究者など言説を支配している人びとの大半が、ポルノグラフィを娯楽・快楽として楽しんでいるからではないか。ここには、ジェンダーという「階級」利益の問題が深く関わっていると思われる。(「法規制」 p.68)

上の方の二つの「想定」の分析はどうだろう。因果関係に懐疑的な人達はどちらも特に想定してないんじゃないだろうか。少なくとも私は見たことがない。若干トリヴィアルに見えるかもしれないが、そもそも人間の行動について(だけでなく、実はすべての事象について)、「唯一の」原因なんてものは存在しない。マッチに火がつくときはマッチを擦ったという原因の他に、酸素があるとか濡れてないとかそういうのも必要。ポルノが性暴力の十分重要な原因の一つになることを示すだけで十分だろう。また、一部の気質の人びとにポルノが非常に重大な影響を与えるということは十分ありえる(研究室実験でははっきり差が出ているはず)し、それは認めるだろう。「ある種の人びとにポルノを見せると(他の条件がおなじなら)性暴力ふるう傾向が強まることがある」という程度のことは因果関係否定論者も認めるだろうと思う。

一方、「因果関係が証明されないかぎり、ポルノは存続しなければならない。」と思っている人びとは多いだろう。しかしこれを権力をもっている人びとがポルノ好きだからだ、と言ってしまうのは乱暴すぎる。問題になっているような暴力ポルノを好きな人びとはそんなに多くないと思うし(実際ポルノ売り場でもレイプものや暴力的なものは美人ものなどに比べて売り場が狭い)、もし自分がポルノ好きでなくとも、好きな人びとの利益は考慮されるべきだと考えるのがふつうだろう。まあポルノ好きの人には一定のバイアスがあるという程度の主張ならはその通りだと思うわけだが。法社会学的には興味深いテーマではある。

また、とりあえずポルノが一部の人が性暴力をひきおこす原因のひとつとなる、ということが仮に実証されたとしても、だからポルノを規制しちゃえということにもならん。まあこれは当然先生も理解されておられるわけだし、法による規制というものがどうあるべきかというのは現在の私の能力を越えてるから書けない。

*1:これも本当は攻撃的「態度」でなければならないはずだが。


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