ウンコな議論


私には大きな誤訳は見つけられなかった。いろいろ訳しにくいところをうまく処理するものだし、今これを訳出するってのも(売れはしないだろうが)山形の主張が出てる(この論文だけで出版されているのは知らなかったISBN:0691122946)。ただしp.52の「反現実主義」anti-realistだけは「反実在論」「反実在主義」と訳してほしかった。「ウンコ議論」はどうなんだろう。私の語感では「糞話」だけどな。まあブルシットはそもそも「議論」や「理屈」でさえないんだろうが。もっとブルシットなユルさと大量さにぴったりな言葉はないかな。

それにしても、こんな誰も読まず誰のなんの役にも立たない*1本を山形先生の名前だけで筑摩から出版できるってのはすごいな。ほとんど哲学やら思想やらに興味があるブロガーがブログに「読んだ」と書くためだけの本。まあそういう役に立っているわけか。山形先生が自分で書けばいいのに、と思うのだが、そういうもんでもないんだろうな。微妙な位置の人だ。

あと細かいが、訳者注2であげているFrankfurtの論文 “Alternate possibilities and Moral Repsonsibility”はたしかにJournal of Philosophyに載ったわけだが、注3であげられているThe Importance of What We Care About: Philosophical Essaysにも再録されているし、そもそもこの”On Bullshit”もこの本に入っていて、そこですでにBlackの本にも言及されているわけだが・・・。

“Alternate~”の要約はまずくて、大学の哲学の授業でレポートとして提出したら「ちゃんと読め」と単位落とされてしまうと思うだが・・・誰かこれ読んで知ったかぶりして恥をかくひとが出てくるんではないだろうか。まあいいか。

おろ、

フランクファートが原著執筆後三〇年もたったいまになってこの著作を自分の名前で発表するに至った一つの理由も、そうした研究機運の高まりを願ってのことではあるまいか。(p.104)

だから1986年にRaritanという雑誌に載ったらしく、さらに88年に本に収録してるってば。70年代に匿名文書として配布されたという話は、The Importance~本には書いてない。うーん、山形先生、やっぱりThe Importance of What We Care Aboutには目を通してないな。そういう目でみなおすとpp.71-78の(おそらく)論文”The Importance of What We Care About”の要約(?)もあやしいな。論文(Syntheseに載ったらしい)だけを見たか、あるいは誰かのどこかの解説を参考にしただけなのか。哲学業界人がこれやると叩かれるだろうが、外部の人間ならしょうがないということになるのかどうか。

まあ日本の哲学者たちが怠惰でここらへんの議論の紹介とかちゃんとしてないからこういうことになるんだろうなあ。”Alternate Possibilities~”や”Freedom of the will and the concept of person”なんて超重要論文さえ翻訳がないなんておかしいよな。

*1:bullshitなんて概念はそもそもふつうの日本人はもってないわけだし、おそらく英語圏の哲学やら思想やらを専門にしている人間ですらも、ダメな議論やお話をbullshitだとはとらえてないと思う

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