『不安の概念』(8) 「規定」の意味がわかりません、ははは

んで問題の第1章第5節「不安の概念」というタイトルと同名の節をよみたいわけだけど、ここで止まってしまいました。

この節は「不安は夢見つつある精神の規定である」とかその手の超有名フレーズが頻発するんだけど、この「規定である」っていったいなんだっけ、みたいになってしまった。実はキェルケゴールを読むときに、この「規定」とか「中間規定」とか出てくると読めなくなるんですよね。何言ってるかわからん。

デンマーク語だとBestemmelse、ドイツ語だとBestimmungね。英語はdeterminationでもいいかもしれないけど、qualificationにしてるな。まあいわゆるヘーゲル的な弁証法の文脈で読むべきなんでしょうけど、弁証法とかよくわからんですよね。

実は2エントリぐらいまえにも「欲情が罪の規定だ」とかってでてきて、これは私は「欲情をもつこと、欲情に動機づけられているということがそれが罪であることの決定要因だ」みたいに読んでるんですが、英語だとあっちはdeterminantになってますわね。こっちはqualificationかー。訳者のReidar Thomte先生は訳し分けてるわけね。

こういうの入門書でどう説明しているのか、『キェルケゴールを学ぶ人のために』の藤野寛先生の「逆説弁証法」とかぱらっとめくってみたけどよくわからないです。この「規定」自体の語はそもそも出てこないし。そもそもキェルケゴールのもっている論理学や形而上学や認識論の枠組みがどのようなものか、特にヘーゲルあたりとどう関係あるかという話は世界的に研究者によってまちまちで、ほとんどそのまんまだという人もいれば、ぜんぜん関係ないという人もいる感じ。

私自身は、遊ぶか散歩するか延々なにか自分のもの書いていたキェルケゴールがちゃんと本読んだり他の人と議論して勉強してた時間というのはほとんどなかったろう、と思ってて、まともな哲学的知識はなかったろうから彼自身の哲学的・哲学史的知識の側面をあんまり真面目に考えも益はないだろう、ぐらいです。正直なところ。

まあ私のぼんやりした理解では、キェルケゴールがこういう「〜の規定である」みたいなことを書くときには、まあ、「不安は夢みつつある精神をそれにするような、他の似たようなものから境界づけ限定するような、それを他から区別する特徴となるような、そういうものである」ぐらいなんだろうけどねえ。まあ早い話、不安ってのは「夢みつつある精神」を他の(たとえば、それとして目覚めている)「精神」から区別する特徴なんですよ、ぐらいの意味だと理解してよい。

まあキェルケゴールに出てくるこういう単純で基本的な用語の意味がわかるようでいてよく考えると実はわかってない、ってのがキェルケゴールを読むときの最大の問題なんすわ。雰囲気だけで読んじゃう。

会合とかでそういう基本的な語について質問するとなかなかピンとくる答えが返ってこないし。私にとっては、いつまでたってもキェルケゴールは読めないなあ、って感じる一番の要因ですね。解説書でもこのレベルでなにか言ってくれることはまずない。でもんじゃみんなどうしてるの?っておもっちゃいます。

まあ「不安は夢見つつある精神を他から区別する特徴/性質だよ」って読んでよいのだ、ということを誰かが(ある程度の根拠とともに)宣言してしまえば、かなり楽になるんだろうと思うです。私はそれほどの自信はないですね。そういうこと言うとお前はわかってないとか、難しい話されちゃって気後れしちゃうだろうしね。

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