セックスの哲学と私 (3)

まあフェミニズムまわりをうろうろして悩んでいたときに手にしたのがAlan Soble先生の Pornography, Sex and Feminism 。ポルノ規制派のフェミニストたちを「ポルノ読む人間のことをさっぱりわかっとらん」とディスりまくってて痛快すぎた。まあ書き方がユーモアとアイロニーに満ちててすばらしかったわね。「日本のBukkakeのすばらしさがわからんのか」とか。どうもこのころbukkakeがアメリカで流行ってたらしい。私は嫌いでした。ははは。それにしてもやっぱヘビーユーザーは違うわ。

それと前後して読んだのがCamille Paglia (カミーユ・パーリア/カミール・パーリアって表記されることもある)の『セックス,アート,アメリカンカルチャー』。フーコー・デリダ・ラカンのポストモダン御三家をジャンクボンド(不良債権)呼ばわりして苦しめられたあとだけにこれも痛快。ポストモダンな人々は一回パーリア先生読んでみるべきだと思うね。ソーブル先生もパーリア先生も、とてつもなく明晰な書き方をしていて、知性も学識ももうぜんぜん格が違うのがわかった。目からウロコがぼろぼろ落ちたわ。まあなんていうか、セックスとかフェミニズムとかの議論にある暗さや苦痛とかそういうのと別に、明るく楽しくセックスについて哲学する余地がある。

ありゃ、こういうのあるんだ、と思って本棚を見ると、なぜかBaker先生たちのSex and Philosophyがある。実はこれアメリカに渡った某後輩が「こういうものがある」となぜか送ってくれたんだよな。なぜ送ってくれたのかは今だに謎。ぱらっとめくって「いつか読む」みたいになってたんだけど、ソーブル先生の洗礼を受けてから読むと各論文がなにをやっていうのかわかってきた。これってすげーじゃん。(そういえばこの後輩はそれ以前にもSex on Campusという本をくれたのだった。なにも御返してないなあ)

まあソーブル先生について調べてみると、80年代にはわりとラジカルフェミニズムとかに共感的でおずおずと自分の議論を提出してたんだけど90年代にパーリア先生読んでふっきれて言いたいことを言うようになった、みたいな感じだった。90年代後半にはっきりと自分の明晰なスタイルを確立している。先生のアンソロジーも入手したり。アンソロジーが2冊あると、どれが重要な論文とみなされているのかがはっきりわかって有益。アンソロジーは2冊以上そろえるべし。

まあそういうセックス哲学アンソロジーとかではジュディス・バトラー様の名前なんかさっぱり見ないわけよ。イリガライ先生とかそういうのは出てくることはあるけどね。

Baker先生たちのアンソロジーはいろんなバージョンがあるけど、とりあえずKindleで買っとけばいいと思う。


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