セックスの本来的(?)目的

「倒錯」っていう概念とからんでおもしろいのが、セックスには(本来的な)目的があるのかどうかとか、我々はなにを目指してセックスするのか、とかって話。「本来的な目的」みたいなのがあれば、それ以外は倒錯だとか言いやすくなるからね。

「セックスって結局なにを目指しているものなのか?」ってのに「射精」とか答える人がいるかもしれないけど、んじゃ女性はセックスできないことになっちゃうのかしら。女性の場合は「射精されること」なのだろうか。んじゃ早漏に悩んだり不満を感じたりする必要はないだろうし、なるべくさっさとすませるのがいいんじゃないかって話になってしまうかもしれん。

「生殖こそがセックスの本来の目的なのじゃ」みたいなのに魅力を感じる人は多い。このタイプの考え方をする人は生殖につながらないセックスは倒錯的だとか、神の意志に反しているとか自然に反しているとか言っちゃう。そこから生殖以外の目的によるセックスは道徳的にも不正だとか非難に値するとかって考える人もいる。まあとてつもなく多くの人が神の意志や自然に反してるんでしょうなあ。私は知らんですが。

「セックス(性的活動)ってのは性的快楽を求めるものだ」みたいなのがAlan Goldman先生が有名な論文”Plain Sex”で主張したことなんよね。で、ゴールドマン先生によると、性的快楽以外のものを求めるセックスはどっか不純なところがある。典型的には売春はお金のために自分の性的能力を売っているわけだけど、これはセックスをお金をかせぐ道具にしていてセックスがもっている価値を下げてしまっている。セックスは自分と相手の快楽を目的とするべきであり、快楽の代償は快楽じゃないとおかしい、みたいな。驚くべきことに、「愛のためのセックス」とかってのも、愛情の確認とかのためにセックスをつかっているのでセックスの価値を貶めている。あくまでセックスは性的快楽のみをめざしておこなわれるべきなんちゃうか、みたいな議論につながる。

ゴールドマン先生の議論がどの程度うまくいってるのかとか事実判断と価値判断の関係はどうなってるんだとかいろいろ問題はあるところだけど、この筋の議論はけっこうおもしろい。

他にセックスの(本来的)目的としては「親密さ」や「コミュニケーション」がある。親密さを強めるのがセックスです、お互いを深く知るのがセックスなのです、みたいなのとか、「セックスは感情を交換することなのです」みたいなの。これも人気があるわよね。有名なのはJanice Moulton先生の”Sexual Behavior”とか。このタイプの考え方をする人は、「だから売買春やカジュアルセックス(ナンパ即セックスとかワンナイトとか、まあよく知らない人とセックスする)は本当のセックスじゃないのです」みたいなことを言うかもしれない。

一番リベラルな立場(リバタリアン)は、セックスは他の人間の活動となんもかわるところがないし、特定の目的のためにしなきゃならんなんてことはない、みんな好きなようにセックスすればいい、とかって主張したりする。

まあこういう「セックスの目的」の話は、セックスが飯食ったりお茶飲んだり音楽聞いたりする(ふうつの?)活動とどう違うのか、というところにもかかわっている。セックスは人間にとって特別な活動だと思われていていろいろ保護されたり禁止されたりしているけど、本当に特別なんだろうか?特別だとすればどういうふうに特別なんだろうか?その理由をどれくらい挙げることができるだろうか?

「本当のセックスの目的」みたいなのはいろいろあやしいところがあるし、「セックスはこうあるべきだ」「こうじゃないセックスはだめなセックスだから禁止しろ」みたいなのとつながりやすい。ここらへんの議論は道徳的な価値判断とかかわってきて私にはけっこう楽しい。あとでもっと詳しくいろいろ議論してみたい。


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