性欲に悩んだアウグスティヌス先生

キリスト教の話になったんで、ついでに私の好きなアウグスティヌス先生。『告白』はおもしろいです。この人はとにかく性欲が盛んだったようで、若いころからいろいろ暴れてたいへんだったようです。

イケメン風なのを選んでみました

「私はかつて青年時代、下劣な情欲をみたそうと燃えあがり、さまざまなうすぐらい情事のうちに、みずからすさんでゆきました。自分自身を満足させ、人々の目に気にいる者になろうとつとめながら、御目の前に、容色はおとろえ、腐れはててしましました。・・・私をよろこばせたのは、「愛し愛される」、ただそれだけでした。けれども私は、明るい友情の範囲内に、魂から魂への節度を保つことがけいず、泥のような肉欲と泡だつ青春からたちこめた靄で、心はぼやけてうすぐらく、ついには、はれやかな愛と暗い情欲との区別がつかなくなってしまいました。この二つが混合してわきたち、若年の私をひきさらって、欲望の淵につき落とし、醜行の泥沼の中に沈めていったのです」(第2章第2巻)

若いときからおしゃれして派手に遊んでた、ってことですね。「御目の前に、容色はおとろえ」って言ってるけど、逆に人間相手にはけっこうイケメンだった、と言いたいんでしょうな。友情とかっていってるときに、これが同性愛を含んでいるのかどうかはよくわからん。含んでそうな気がする。

「私はカルタゴにきた。するとまわりのいたるところで醜い情事のサルタゴ(大鍋)がぶつぶつと音をたててにえていました。私はまだ恋をしていませんでしたが、恋を恋していました。・・・恋し恋されるということは、恋する者のからだをも享楽しえた場合、いっそう甘美でした。それゆえ私は友情の泉を汚れた肉欲で汚し、その輝きを情欲の地獄の闇でくもらせてしまいました。しかも、汚れて下劣な者のくせに、虚栄にあふれ、優雅で洗練された人間であるようなふりをしていました。ついに私は、自分からひっかかりたいと熱望していた情事におちいりました。」(第3巻第1章)

田舎でも派手だったけど、大都会カルタゴを見てみたいってんで出てきたらウハウハ。ナンパしたりハッテンしたりか。「醜い」とか「下劣な」とか「汚す」とか書いてるけど、当時はそれはそれで素敵だったわけですよね。うらやましい。

ここに出てくる「恋を恋してました」ってのはすごく有名なフレーズですね。おそらくおおもとはこの『告白』が出典です。恋っていうのはある特定の対象を求めることだけど、「恋に恋する」てのは、そういう「恋愛したいな」、って欲望するってことですね。これだとなんだか少女マンガっぽい。もうちょっと下品な読みだと、「誰でもいいからセックスするのが好きだったのだ」というふうにも読めるような気がします。下品すぎますか。でもこっちの方が正しいのではないか。基本的に西洋人にとって愛 amourやerosとセックスは同じものな気がする。そして恋愛ってのはやっぱりセックスをともなってこそ甘美でよろしい。肉欲はすばらしい、みたいな。

その年ごろ、私は一人の女性と同棲するようになっていましたが、それはいわゆる合法的婚姻によって識りあった仲ではなく、思慮を欠く落ち着きのない情熱にかられて見つけだした相手でした。けれども私は、彼女一人をまもり、彼女にたいしてruby{閨}{ねや}の信実をつくしました。この女性との関係において私は、自分の経験によって、子を産むことを目的に結ばれる婚姻の契約の節度と、情欲的な愛による結合とのあいだに、何という大きなへだたりがあるかを、身にしみて知らされました。情欲的結合の場合にも、子は親の意に反して生まれます。いったん生まれると、その子は愛さずにはいられなくなるのです。」(第4巻第3章)

でもいちおう落ちついて一人の女性とおつきあいするようになって「閨の信実をつくす」。まあとりあえず一対一におちついたんですね。よかったよかった。ただちゃんとした社会的に認められる形での結婚ではなかったようです。野合とかにいわれる同棲みたいなのかなあ。でもそれってちゃんとした結婚と違うよね、っていうんですが、どう違うのかよくわからんです。

一番好きなのはこれ。

「私は、青年時代まことにみじめな者でしたが、その時代のはじめ、すでにみじめな状態であったにもかかわらず、あなたから貞潔の徳をもとめたことがありました。けれども私は、「われに貞潔とつつしみの徳を与えたまえ。されども、いますぐに与えたもうな」といいました。というのは、あなたがそくざに願いを聞きとげられ、そくざに肉欲の病をいやしてくださっては困ると思ったからです。私は肉欲が根絶されるよりはむしろ、みたされることのほうをのぞんでいたのでした。」(第8巻第7章)

うははは。私これ初めて読んだときシビレましたね。「神さま、僕はすごくセックスしたくて困ってます。こんなセックスしたくてしたくて苦しまなくて貞潔とかつつしみとかあたえてください。もう性欲をなくしちゃってください。必要ならチンチンもいでもらってかまいませんから。でもいますぐはいやです。あとにしてください。いまはセックスさせてくださいおねがいしますおねがいします」

まあ情熱的な感じがする

まあここに人間の欲求の階層性、というかそういうのがってもおもしろい。セックスしたいという欲望と、そういう欲望をもちたなくないという一階上の欲望がアウグスチヌス先生のなかでぶつかっていて、セックスしたい欲望の方が勝ってる。もっと言うと、さらにその上の階層では、セックスしたいという欲望をなくしたいという欲望に納得できていない自分がいるわけです。そしてそのように人間性は根本から腐っている。けっきょく口では性欲に困ってますとか言いながら、セックスのことしか考えてないのだ。人間の欲望は二階建、三階建てになっていてこれがその他の動物と違うところですね。極端な話をすると、意志や欲望がこういう二階建三階建てになっているということに気づいたのはアウグスチヌス先生がはじめてなのかもしれません。すごく内省的で深いところを見ている。こういうのはギリシアの古代人とかにはよく理解できない考え方だったはずです。

「告白文学」というジャンルがあって、元祖はアウグスティヌス先生だと思います。這う恥ずかしいこともじゃんじゃん書いちゃいます、な感じ。ルソーの『告白』とかも有名です。どっちも一回は読みたいですね。まあ全部本当のことを書いてるとはとても思えませんけど、嘘まじりで自分の恥ずかしいことを書く、というのはおもしろい。

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