ジュディス・バトラー様のフォロワーを考える (1) バトラー様の文章は読めません

まあ本当はセックスの分析哲学・規範倫理学やりたいわけですが、国内でセックスだのセクシャリティだのジェンダーだのって話になると必ずバトラー様とか出てくるので気になる。私はぜんぜんわからないのですが、議論する上でバトラー様あたりの議論に気を配ってないとなんか問題があるかもしれないので一応読むわけです。そしてわからない。

2005年ぐらいから、1年に1、2回はまってしまうジュディスバトラー様にまたはまってしまいました。もうこれいずれ研究ノートぐらいにしなきゃならんね。でないと無駄にした時間が本当に無駄になってしまう。

これは私のなかではもう長い長い歴史があって、私のなかでは感情的にもいろいろ許せないところがあったり。その研究というか調査というか、そういうのなかで、心ならずも人様を怒らせたりもしていて、その始末もつけないとならん。Twitterは書き捨てとはいってもTogetterとかにまとめられているみっともないつぶやきもあり。

いずれ書きたいのは、とにかくバトラー様をもちあげてる人々はほんとうにバトラー様読めてるのかどうかって問題。バトラー様本人に喧嘩を売るつもりはない。っていうか本気でわからんし。

翻訳の問題と、「主体」と「パフォーマティブ」と「セックスはいまだすでにジェンダー」がどれもよくわからんから、もし国内の学者さんたちが今後もそんなもちあげるつもりならちゃんと説明してほしい、ていどのこと書いておきたいとは思ってます。

たとえばこの文章の翻訳。すごく有名な箇所です。まあ一番最初の方なので誰でも読む。

Foucault points out that juridical systems of power produce the subjects they subsequently come to represent. Juridical notions of power appear to regulate political life in purely negative terms — that is, through the limitation, prohibition, regulation, control, and even “protection” of individuals related to that political structure through the contingent and retractable operation of choice. But the subjects regulated by such structures are, by virtue of being subjected to them, formed, defined, and reproduced in accordance with the requirements of those structures. If this analysis is right, then the juridical formation of language and politics that represents women as “the subject” of feminism is itself a discursive formation and effect of a given version of representational politics. And the feminist subject turns out to be discursively constituted by the very policical system that is supposed to facilitate its emancipation.  (Butler 1990, p.4)

竹村和子先生の訳だとこう。

フーコーは、権力の法システムはまず主体を生産し、のちにそれを表象すると指摘した。権力を法制的な概念から観れば、権力は純粋に否定的なやり方で、ひとの政治的な生き方を規定しているようだ。つまり、そもそも偶発的で撤回可能な選択によって政治構造にかかわっているにすぎない個人に対して、制限や禁止や規則や管理、なかんずく「保護」さえも与えることによって、その個人の政治的な生き方を規定していくのである。けれどもそのような構造で規定される主体は、構造に隷属することによって、構造が要求するこ事柄に見合うように形成され、定義され、再生産されていく。この分析が正しければ、女を、フェミニズムの「主体」として表象しようとする言語や政治の法組織は、表象の政治の既存の一形態を言説で組み立てたもの、その結果にすぎないということになる。そうなるとフェミニズムの主体は、解放を促すはずのまさにその政治システムによって、言説の面から構築されていることになる。(竹村訳p.20)

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わたしこれ、おかしいんじゃないかと思います。っていうか意味がわからん。ちょっとずつ行きましょう。

Foucault points out that juridical systems of power produce the subjects they subsequently come to represent. 

私が読むと、いちばん最初のsubjectsは被統治者、臣民ですわね。(国家という)法的な権力システムは、国民を作り出します、と。

まあ国家っていってもいろいろあるわけです。古代ギリシアのポリス国家みたいなのもあれば、中世的な封建国家もあり、近代的な君主制国家もあり、社会契約とかにもとづいた立憲君主制とか共和制みたいなのもありーのでいろいろ。なにが国家っていうのはけっこう難しくて、まあふつう近代的国家は(1)国土 (2)国民 (3)主権、の三つが必要みたいなことを授業でしゃべったりしますがモガモガ。

まあむずかしい話はおいといて、国家はふつう(排他的な)領土をもっていて、国民もいるわけです。王様とかが「こっからここまでうちの領土でこいつら俺の国民ね」ってやる。おそらくこれが「被統治者を生みだすproduce」っていうことの意味ですわね。どっかなにもないところから作り出すわけではない。フーコーでは知らんけどふつうに読めばそうだろう。

the subjects (that) they subsecuently come to representは「法的権力システムがのちに代表することになる被統治者」ってな感じですね。近代の民主的な国家は、だいたい「政府は被統治者・国民を代表するものだ」。王様だったら「俺はお前らの代表としてがんばっているんだ」って主張するわけですわね。ただしこのsubsequentlyが時間的な「後」を指しているのかどうかは曖昧ですね。「論理的」な前後関係を指しているのかもしれない。つまり、国民を統治する法を定める前に国民が誰であるかが定まっているはずだ、みたいな。まあここらへんは国家や法の正当性・正統性にかかわるところで難しいですが、ここまでの文章の内容はわからんでもないです。(実はpowerに冠詞がついてないのが気になるのですが、気づかなかったことにします)

しかし竹村先生はこのsubjectsを「主体」って訳してしまっていて、ふつうの人間が読んでも意味不明なんじゃないですかね。

次行きましょう。

Juridical notions of power appear to regulate political life in purely negative terms — that is, through the limitation, prohibition, regulation, control, and even “protection” of individuals related to that political structure through the contingent and retractable operation of choice. 

Juridical notions of powerはいやですね。「権力の法的諸観念」とか訳してもよくわからないし。誰か教えてください。こういうの例が出てこないとわからんすよね。まあたとえば「刑法」とか「刑罰」とかそこらへんの権力が使ういろんな観念でしょうな。

まあとにかく、そういうものは、政治生活をネガティブな形で規制する。「〜しろ」ではなく「〜するな」「〜させない」という言語で表現すれば否定形になるような形で、ってことでしょう。国家や法ってのは基本的にあれしちゃだめ、これしちゃだめ、っていう形で人々の生活に干渉してきます。「政治的」生活って言ってるのの「政治的」のポイントはちょっとわからない。まあここでは「人と人とがかかわるときに」ぐらいと理解しておきます。簡単にいうと、「国家とか法律というのは、人々の生活にあれすなこれするなと口を出してくるものだ、場合によっては手も出す」ぐらい。of individualsのofはpolitical lifeにかかっているはずです。いやなかかりかたですね。

individuals related to that political structure through contingent and retractable operation of choices これもいやですねえ。個人は国家という政治構造とかかわっているわけですが、そのかかわりがcontingentだっていうのは、たとえば日本で生まれて日本で生活しているのは偶然的だからcontingent。おそらく中村さんみたいにアメリカ移民してあっちの国民になることもできる。これがretractable 撤回可能。いちおう国家の国民であるのは、その個人がその国の国民になることを選択し、同意しているからそうなってるんだ、ってことですね。ソクラテスさんがアテネの市民であり、アテネの法律によって死刑になったのは、ソクラテスさんがアテネ市民であることに同意していたからだ、っていうのは『ソクラテスの弁明』や『クリトン』読みましょう。

But the subjects regulated by such structures are, by virtue of being subjected to them, formed, defined, and reproduced in accordance with the requirements of those structures.

前のsubjectsは、これまでと同じものであれば被統治者、臣民、国民を指すはずです。such structresは国家とかの政治的構造ですね。be subjected toは「従属させられる」ですわね。国民であるには、その政治的構造が要求する条件に適合している必要がある。たとえば日本で生まれたとか、父か母が日本人だ、とか日本に〜年住んでる、とか犯罪犯してない、とかまあそういう要件ですわね。それにしたがって形成formされ、規定defineされている。formとか多義的な言葉をこういうふうに使うのはわかりにくい。

If this analysis is right, then the juridical formation of language and politics that represents women as “the subject” of feminism is itself a discursive formation and effect of a given version of representational politics.

ここ私わからんのです。竹村先生の訳も意味不明だと思う。

私はこのjudical formation of language of pliticsのformationがなにを指しているのかちょっとぼんやりしていてわからんですね。前後読んでもはっりしない。「言葉と政治の組み立て」ぐらいしかしょうがないか。

んで次の関係詞節が問題です。that represents women as “the subject” of feminism。このsubjectは「主体」でいいんでしょうか。さっきまでのsubjects (複数)は、話の筋を追うかぎり被統治者のこと。こんどはthe subject (単数)になってる。「フェミニズムの〜」の「〜」になにが入るか。

私これ、Cobuild辞書では2番目にあがってるSomeone or something that is the subject of criticism, study, or an investigation is being criticized, studied, or investigated、つまり「テーマ・主題・話題」じゃないかと思いますね。

この場合、動詞representも「表現する」ぐらいの意味になりますかねえ。代表ではなくなってしまう。

ところがですね。discursive formation and effectもわからん。「言説で組み立てたもの」かなあ。discursiveっていうのはまあ of or relating to knowledge obtained by reason and argument rather than intuition ですか。representational politicsは代表制政治・政体ですかねえ。「ある種の代表制政治を、言論として(あるいは「お話として」)かたちづくっているものであり、またその結果でもある。」ぐらいですか。これでも曖昧ですね。

And the feminist subject turns out to be discursively constituted by the very political system that is supposed to facilitate its emancipation.

ここに来るとsubjectが何を指すのかさっぱりわからない。一番最初のsubjectはおそらく被支配者でまちがいないところですが、ここでは(1)被支配者、(2)テーマ・対象、(3)ふつうの意味の「主体」、つまり自分で感じたり判断したり行為したりする存在者、のどれにも解釈できてしまう。

「フェミニストという被支配者は構成されている」「フェミニスト的主体は構成されている」「フェミニズムの主題・対象は構成されている」どれもOKですね。でもどれでもいいということはありえないと思う。

もし最初のsubjectが被統治者で、最後のが「主体」であるなら途中で論理のすりかえがおこなわれてるし、最初のsubjectが被統治者でなくて「主体」であるならば、その正当化してもらわないと「従属させられることによって主体になる」みたいなのがなぜそうなるのかわからない。

まあこんなふうに私はこの文章は読めないですね。representやsubjectが多義的に使われていて一貫していないと思う。ここらへんが英語ネイティブの哲学者にさせ、「バトラーは難解」と言われる理由ですね。竹村先生の訳もおかしいし意味がとれない。

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望月由紀先生という方が、「発話行為と主体の成立、あるいは主体の受動性について」っていう論文でこの部分を引用してます。

フーコーの指摘によれば、権力の司法システムは主体を生産した後に、それを表象するようになるのである。……この分析が正しければ、女性をフェミニズムの「主体」として表象しようとする言語や政治の司法組織自体が、既存の代表制政治の一形態を言説的に構築したものであり、その効果にすぎないということになる。さらに解放を促すはずのフェミニズムの主体は、まさにその政治システムによって言説的に構築されていることになる。(望月訳、p.23)

竹村先生のよりはましだと思いますが、本当に最初から「主体」でいいんでしょうか。その場合「表象する」っていったいどういうことだろう。なぜ「代表制政治を言語的に構築したもの」なのかもこれではわからない。「言説的に構成」みたいなのも直訳だとこうなるけど、はたしてこれで了解可能なのかどうか。

私の見るところ、誤謬推理というか詭弁Fallacyがふんだんに使われていて、これは超一流のソフィストを感じさせますね。subjectの意味のすりかえ、なんてのは古典論理学や非形式論理学の教科書にはかならず出てきますが、どれも人工的ですぐにわかる例ばかりなのに、こうなるとよくわからない。超一流。なぜそういう方をあがめるのか私にはわからない。マーサ・ヌスバウム先生がジュディスバトラー先生をディスった有名な文章がゲリラ翻訳されてますので見てみてください。 http://goo.gl/Ztr2Bh

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望月先生の論文はこれに。先生の論文はかなり読みやすいと思います。

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ジュディス・バトラー様のフォロワーを考える (1) バトラー様の文章は読めません」への3件のフィードバック

  1. ssk

    >近代の民主的な国家は、だいたい「政府は被統治者・国民を代表するものだ」。王様だったら「俺はお前らの代表としてがんばっているんだ」って主張するわけですわね。<br /><br />「政府が被治者を代表する」という先生の前提こそ曖昧です。ここで先生は政府をどのような意味で理解されているのですか? 執行権を担う制度という意味なのか、立法権を担う制度を意味しているのか、それとも国家というような意味なのか。しかし、このいずれの意味であっても、代表するものが「政府」なのではない可能性もあります。つまり、被治者をrepresentするのが、端的に法だという場合です。この場合、被治者の意志が法として表れている(represent)のであり、被治者は意志を持つ存在者です。ここで意志を持つ存在者のことを、主体subjectと表現することは哲学的な用語法に適ったものではないでしょうか? さらに言えば、

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  2. ssk

    >私はこのjudical formation of language of pliticsのformationがなにを指しているのかちょっとぼんやりしていてわからんですね。<br />>んで次の関係詞節が問題です。that represents women as &quot;the subject&quot; of feminism。このsubjectは「主体」でいいんでしょうか。さっきまでのsubjects (複数)は、話の筋を追うかぎり被統治者のこと。こんどはthe subject (単数)になってる。「フェミニズムの〜」の「〜」になにが入るか。<br />このof language and politicsは「~による」と訳すべきではないでしょうか。<br /><br />これまでの議論からすれば、法は被治者をregulateするものです。こうしたregulationは、「偶然的で

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    1. 江口某

      ありがとうございます。次エントリで反省しました。たいへんたすかります。今後もよろしくおねがいします。

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